『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

惚けた母がつぶやいた〜 「 生きてるだけが仕合せだ 」♨️

“短歌” よりフツーに〜  芭蕉 (俳句) が スキ〰️

2024-10-07 16:16:45 | 日本語

__昔は、和歌(短歌)俳句

「第二芸術」に過ぎないという評論が優勢で、

詩や小説(散文)と比べて、一段劣る余技みたいな扱いをうけたものです。

わたしも少年時代には、その論を真にうけて、俳句なんか単なる言葉遊びにすぎないと馬鹿にしていました。

>フランス文学者の桑原武夫は、終戦直後の1946年に雑誌『世界』で、『第二芸術―現代俳句について―』を発表しました。
 彼は、有名俳人の俳句と、アマチュアの俳句を著者名を伏せて混ぜ合わせ、いろいろな人に読んで貰った上で、優劣の順位を付けさせたのです。
 その結果、プロとアマのレベルに明確な差がないことが判明しました。

 このことから、小説、演劇を第一芸術とするなら、現代俳句はこれらに劣る「第二芸術」と呼ぶべきだと主張する論を展開したのです。

>良く誤解されているようですが、『第二芸術論』は俳句を全否定しているのではなく、あくまで終戦直後の俳句界のシステムを否定した論です。

 松尾芭蕉の功績については認めるが、それ以後の俳句界は彼を神聖視して祭り上げてしまったのが、間違いだったとしています。
 桑原氏は、「芭蕉を捨てなかったためにその後の俳人が堕落した」と述べています。 

 この点においては、正岡子規の月並み俳句批判と通底するところがあります。

[※  引用は共に、『日本俳句研究会』HP より]

 

 

俳句については、過去記事で要約を試みているが、あの当時はよく噛み砕いてわかってはいなかったと思う。

 

 HiーKu (俳句) 🎋 〜 日本人の 「立てる」 御業 - 『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

__近代俳句の父(=連句を滅ぼした)正岡子規を生んだ、愛媛は道後温泉の松山在住の俳人・夏井いつき女史は、「俳句の力」についてこー云っておられる>「自分の身に降り...

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俳句(連歌も)のどこが、短歌(和歌も)に比べて優れた芸術なのか、はっきりと並べて論じたいと思った。

「俳」の漢字は、「人をおもしろがらせる芸人」の意味であり、

・俳諧(おどけ、こっけい)

・俳優(わざおぎ=業招ぎ)

・俳徊(=徘徊)

の三つの側面を有している。

 

  

【すべての短冊🎋は、芭蕉翁の真筆。右から、

・ふる池や蛙飛込水のおと  はせを(者・世・越)=「芭蕉」の変体仮名表記

・かたられぬゆどのにぬらす袂かな  桃青(芭蕉の別の雅号)

・雲の峰いくつ崩れて月の山  桃青

・涼風やほの三日月の羽黒山  桃青(この句は、初案であり後に「涼しさや」に)

芭蕉は面白いところがあって、本来なら「はせを」(古語)でなく、「ばせう」となるはずだが、そうはしなかった。「う=宇」の字が気に食わなかったってことね】

 

 

 

__ ここから、人類学者・中沢新一と俳人・小澤實による対談集『俳句の海に潜る』より、引用と要約を記してゆこう。

メインテーマは、「俳句(連歌)短歌(和歌)の決定的な違い」である。

 

俳句は、必ず「季語」(動植物と気象から成る)を立てる

 

和歌における「歌枕(名所)」

日本人の場合、自然を制圧したり、やわらげたりする時は言葉にするんです。

奥州には近畿に次ぐ大量の歌枕があった。

歌枕によっても古代権力は陸奥を制圧している。<

 

…… 荒々しい自然や服(まつろ)わぬモノを、優美な言葉に作り変えてゆく、組み替えてゆくことそのものが、朝廷の権力(=西日本の文明)だったと云うのです。

じつは、天皇の一番重要な働きとは、「和歌を詠むこと」だったのです。

和歌とは、「マイルドなかたちに自然を組み込んでいくこと」によって、自然を制圧する機能があったようです。(天皇が、和歌で災難を鎮めたことについては伊勢白山道でも言及していた)

和歌の題は、優美な美意識によって限られたものが選ばれました。

 

俳句は、「権力から見ると周縁にいる農民とか庶民の感覚というものを立てた」。

松尾芭蕉がやろうとしたことは、

「西日本で発達した権力と一体になった芸術」(=和歌)とは、まったく違う芸術を作ろうとした。

天皇の芸術である和歌

和歌は限られた大和言葉しか使えなかった。

明治の短歌革新まで平安時代の古語だけしか使えなかった)

俳諧は漢語・外来語・俗語すべての言葉が使えます。

自然を記号にしていくという実践の動きそのものを愛でるのが和歌の本性。

記号は人間が作ってますから、それを破っていく行為として俳句がある。(「月並を破る」

その意味で、俳句は現代的でアヴァンギャルドなんだと思います。

二十世紀芸術の主題もそれですからね。

 

もしも俳句が時代に添って詠まれていくものであったとしたら、俳句じゃないじゃないですか。

俳句はつねに、今、ここにいる人間の外に行って、鳥になったり、動物になったり、死者になったりするわけだから。

今、ここにある現実の中に一緒になってき動いていって、それを言語化して『サラダ記念日🥗』みたいになったら…… 。

それは俳句じゃないと思う。

和歌・短歌はとっくに俵万智で崩れてしまった。

和歌・短歌は本質が都会的なものだから、ああいうものでいいんだろう。

ただ、俳句は主題が人間でないもの(=モノ)である。<

 

…… つまり、短歌は口語化したが、俳句はそのあとを追わないのだと。

芭蕉が唱えた「不易流行」という言葉には、深い含蓄があるのである。

不易なものって、同時代を生きていながらも、時代から外に出ていかないといけない。

だから、室町時代の言葉を使わなければいけない何かがあったりして。

でも、離れたところから変化流動生成している世界を、

つまり流行の世界を詠むわけだから、そこに意識の行き来があるというところが俳句の面白さではないですか。

俳句の場合の不易って、たぶん、離脱ということじゃないかと思うんだけれど。

地平から離脱、

超俗という言葉でもいいが。

その離脱の目がいろいろなかたちをとって季語ということになっていると思うんです。<

 

俳句の本質は、「アニミズム」である。

アニマとは「ものを動かす」という意。

日本の縄文人とアメリカ・インディアンの考え方は、基本はだいたい同じだそうだから、インディアンの【グレート・スピリット】として考えれば解りやすい。

つまり、「宇宙全域に充満し、動きつづけている力の流れ」「宇宙をあまねくうごいているもの」を、目の前の世界に感じ取り、それを抽出して短く句に詠みあげるのを、「俳句」というのです。

日本では、スピリット=霊=タマですので、世界とは「タマのさきはう世界」となります。

俳句の本質たるアミニズムの極致として、中沢新一は芭蕉の

「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」をあげています。

蝉を流れるスピリットと岩を流れるスピリットが、相互貫入を起こして染み込み合っています。

 

和歌・短歌では人間が主体になります。

ところが、俳句の場合は非人間であるモノが主体です。

モノと人間の間を自由に行き来すること通路をつくるということが、俳句の主題です。

ですから、俳句は人間と非人間の間に通路=パッサージュを開く芸術として、

ある意味、和歌よりも人類学的な芸術なのではないでしょうか。

そうなると、古代的で、原始的で、アニミズム的だということになってくるわけで。<

 

「なぜ俳句を縦に書くか」

俳句は、発句を立てる。(立句)

そして短冊🎋にタテに認ためる。

ユダヤ系秦氏が日本に招来した「作庭技術」で、作庭の第一歩は、「石を立てる」。その技術を持った者を「石立僧」と呼んだ。

この作庭技術から、お茶(点てる)とかお花(立花)とか、みんな生まれてくる。

古事記でも「天の御柱」を「見立てて」おられる。

一座の中心となる第一位の人物のことを、「立役者」「大立者(おおだてもの)」「立行司(たてぎょうじ)」とも言いますね。

 

天空と地上との間に喧嘩が起きて、不和が発生した。和を取り戻すためには天上界とつながらなければいけない。

そのために高い山に登ったり、高い柱を立てたりするのです。

神話は、失われた秩序を人間がどう取り戻すかが大きな主題です。

 

芸術行為は柱を立てること、石を立てること、

要するに垂直線に立てていくことを基本に据えるけれど、その考え方は神話の延長上から来ているんだと思うわけです。

 

空間を立ち上げるということはちょっとアンビバレンツなところもあるんです。

創造行為の根源の無から有を作る、立てていくというのは、一種のアヴァンギャルド行為だけれど、このアヴァンギャルド行為は最終的に何を作っていくかというと、

一つの秩序を作り、空間を作り、世界を作っていくから、保守の要素を孕むのです。

 

…… つまり、俳句は「立てる」芸術であるということなんです。ここに、俳句に託された寓意があると見ます。

芭蕉は、その境界に辿り着いたのでしょう。

それゆえに、芭蕉の境地におどろいた朝廷が、神号を諡(おくりな)したのでありましょう。

和歌の限界を突破したというか、和歌では成し得ない働きが認められたのだと推察いたします。

 

 

 

…… 芭蕉の最晩年にいたった境地「かるみ」についても、言及しなければならないのだが、なかなか把握できないでいる。

芭蕉は、連歌する際には、発句は「かろき句」を選んだと聞く。

この「かろき句」と「かるみ」は全く違うものなのだ。

わたしの愛唱する「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」や「荒海や佐渡に横とう天の川」なんかは、発句には使われない。これらは「重き句」なのである。

主情的だったり、感心されるような句は、「重き句」となるようだ。

芭蕉は、「かるみ」を明確に定義しなかったから、ややこしい。

わずかに

「高く心を悟りて俗に帰す」(『三冊子』より)

という言葉が残されているのみである。

まー、和歌の伝統である「風雅」を、さらりとしたものに変換する趣きのようだ。

人間の主観的な思い(=重い)よりも、たとえば心の動きを秋風に添わせる風情で、グレートスピリットの大きな波に乗るような感触を得た。

この「おもみ」を排斥するという点において、高弟たちが賛同しなかったらしいが、芭蕉は弟子の意見をみとめて、自由にさせている。

芭蕉の世界は巨きいとゆーか、別次元の調べが流れているんだよね。

芭蕉は、俳諧に特有のレトリックを多数編み出したらしいのだが…… 

「〜や」「〜かな」「けり」といった切字(きれじ)も芭蕉の発明なんだとか。

この切字によって、別次元に遊べるんですよ。芭蕉は世界を俯瞰するような、おほきな世界観(認識)をもっていたことを証しするものだと思います。

これは、ひとつには日本の和歌における伝統でもありました。

藤原俊成『古来風体抄』において、

和歌の道と天台本覚思想を融合させようとする試みが始まり、

正徹ー心敬ー宗祇と、天台で修行した僧侶の系譜を経て、心敬僧都において「冷えさび」を、宗祇において「連歌」の大成を見たのです。

(心敬)> 言わぬ所に心をかけ、冷え寂びたるかたを悟り知れとなり。境に入りはてたる人の句は、この風情のみなるべし。

…… 芭蕉は、「冷えさび」の正統伝承者であり、それを自身の言葉で「かるみ」と云ったものだったと思う。

過去記事▼

  「わび・さび」 の淵源〜 冷えさび🧊(心敬) なんだって - 『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

 

やっぱり、芭蕉の句は、和歌を超えようとした凄みが漂う。ハレてさらりとしている宏大な趣きをあらはしているのだ。

ほかの凡百の俳人とは、一線を画する高みというか深みがある。

仏教的に云えば、

高みの昇る「往相」のみならず、「かるみ」によって「還相」をも包んでしまっているのだ。禅の十牛図の10段目の「入鄽垂手(にってんすいしゅ)」の境地に遊ぶものであろう。風雅を退け、平易に世俗に戻るのである。「いまの一点に生きる」であろうか。

 

せっかくだから、わたしの好む俳句を並べてみましょう。  

芭蕉ほどの練れたものばかりではないが、アニミズム俳句は、世界の断面を正しく描写しているような気がするな。(芭蕉は、弟子たちに出来上がった句を、声に出して、舌の上で千回、転がしなさい」といつも云っていたそうだ。芭蕉の『おくのほそ道』を、気軽な紀行文だと思っている人びとが多いが、あれの正体は芭蕉の練りに練られたフィクションなのである。)

 

先ず、俳句のくせに、短歌のように叙情的でこじんまりした駄作をとりあげようか。

 ✖️夏痩せて 嫌ひなものは 嫌ひなり (三橋鷹女🦅)

 ✖️みんな夢 雪割草が 咲いたのね (同)

 ✖️鞦韆(しゅうせん)は 漕ぐべし愛は 奪ふべし (同、鞦韆=ブランコ)

 ✖️誰もみな コーヒーが好き 花曇  (星野立子)

 ✖️じゃんけんで 負けて蛍に 生まれたの  (池田澄子)

 ✖️コンビニのおでんが好きで星きれい  (神野紗希)

 

…… まー、ね、口語体の俳句は、尻切れ蜻蛉の「サラダ記念日🥗」ですよ。

広告コピーの失敗作のような、アニメの一場面のような、平凡なあじわい。

 

おなじ女流でも、一味ちがうのも挙げておこう。

 旅終へて よりB面の 夏休  (黛まどか)

 夏草の 雨にけぶれる 平泉   (同)

 

短歌の、情念のほとばしる名首も二つ挙げます…… 

 花終えし あとは真紅に 身を染めて 白山風露 燃える一生  (長山昌子・詠)

 年々に わが悲しみは 深くして いよいよ華やぐ いのちなりけり  岡本かの子『老妓抄』末尾の句)

 

__ こっからは、お気に入りの俳句を羅列いたしましょう。

 

 夏草や 兵どもが 夢の跡  (松尾芭蕉)

 旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる  (同)

 秋深き 隣は何を する人ぞ    (同)    

 この道や 行く人なしに 秋の暮   (同)

 

 によつぽりと 秋の空なる 不尽の山  (上島鬼貫)

 そよりとも せいで秋たつ ことかいの   (同)

 

 春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな   (与謝蕪村)

 さみだれや 大河を前に 家二軒    (同)

 石工(いしきり)の 鑿(のみ)冷やしたる 清水かな   (同)

 

 遠山に 日の当りたる 枯野かな    (高浜虚子)

 くろがねの 秋の風鈴 鳴りにけり   (飯田蛇笏)

 芋の露 連山影を 正しうす     (同)

 たましひの たとへば秋の ほたる哉   (同)

 をりとりて はらりとおもき すすきかな  (同)

 降る雪や 明治は遠く なりにけり   (中村草田男)

 目には青葉 山ホトトギス 初鰹    (山口素堂)

 

    水枕 ガバリと寒い 海がある     (西東三鬼)

 おそるべき 君等の乳房 夏来る     (同)

 

 ゆきゆきて 帰る道なき 花見かな    (chori a.k.a キクチミョンサ)

[※  a.k.a」は、”also known as” の頭文字を取った略語です。 裏千家の跡取りだったのに、分家して、夭逝した人です

 

 このひとと することもなき 秋の暮    (加藤郁乎)

 

 心あらば 今を眺め世 冬の山
      紅葉も すこし散りのこる枝
         木枯の ときしもあらく 吹きいでて   (心敬)

 世の中や 風の上なる 野辺の露
      迷ひうかるる 雲きりの山
         啼く鳥の 梢うしなふ 日は暮れて     (同)

 人の世は 花もつるぎの うゑ木にて 人の心を ころす春か    (同)

 

 独り碁や 笹に粉雪 つもる日に    (中勘助)

 紅葉の 色きはまりて 風を絶つ    (中川宗淵)

 

 冬蜂の 死に所なく 歩きけり     (村上鬼城)

 ゆさゆさと 大枝ゆるる 桜かな    (同)

 生きかはり 死にかはりして 打つ田かな   (同)

 秋の暮 水のやうなる 酒二合    (同)

 うとうとと 生死の外や 日向ぼこ   (同)

 

 分け入つても 分け入つても 青い山     (種田山頭火)

 せきをしても ひとり      (尾崎放哉)

    ほしいまま 旅したまひき 西行忌      (石田波郷)

 

 春風や いろいろの香を そそのかし     (加賀千代女)

 朝がほや 釣瓶とられて もらひ水      (同)

[※  この句は曰く付きの句で、正岡子規から酷評された逸話がある。> 「人口に膾炙する句なれど俗気多くして俳句といふべからず」(新聞日本)とバッサリ切り捨てています。というのも、「もらひ水」という趣向が写生から離れて「俗極まりて蛇足」だからというのです。<世間では「朝顔に〜」という言い回しで流布しています。いっぽうでは、> 鈴木大拙など「彼女がいかに深く、いかに徹底して、この世のものならぬ花の美しさに打たれたかは、彼女が手桶から蔓をはずそうとしなかった事実によってうなずかれる」(『禅』所収)と絶賛しています。<]

 

 

 人体冷えて 東北白い 花盛り      (金子兜太)

 ずんずんと 夏を流すや 最上川      (正岡子規)

 いくたびも 雪の深さを 尋ねけり                     (同)

 漱石が来て 虚子が来て 大三十日(おおみそか)       (同)

 

 菜の花が しあはせさうに 黄色して               (細見綾子)

 そら豆は まことに青き 味したり                    (同)

 年の瀬の うららかなれば 何もせず     (同)

 

 

 のどかさよ 願ひなき身の 神詣       (心学本より)

[※  この句は吉田松陰の作ではない。>吉田松陰が野山獄で妹宛に書いた手紙に、「仏法信仰はよい事じゃが、仏法にまよわぬ様に心学本なりと折々御見候へかし。心学本に、「長閑さよ 願ひなき身の神詣」。神へ願ふよりは身で行うがよろしく候」(岩波文庫『吉田松陰書簡集』)

 

 

__ やっぱり歌はいいもんですね。彫琢された感じが芸術品(オブジェ)を思わせます。

5・7・5 (17文字)も、5・7・5・7・7 (31文字)も、ビートたけしは原子も分子も素数だって言ってたけど…… 

中沢新一は、海の民が舟を漕ぐリズム🚣🚣‍♀️🚣‍♂️じゃなきかと言ってたな。

連歌は、多島海を舟で巡る遊びで、橋をかけてしまっては台無しだと怒っておられた。

自由にしてしまった近代俳句が、連歌を滅ぼしたからです。

時代劇と似たような消息で、

俳句の「型」のある不自由さこそが、別次元へのトリップを可能にする土台となっている。

言葉は、人間にとって「呪(しゅ)」なので、縛りつけるのです。

その意識の連続性に切れ目をいれて、人間の目👀で見ないで、イーグルの眼🦅👁️‍🗨️から、世界をみるのです。

中沢新一の言葉を借りれば、

俳句とはアースダイバーの文芸なのです。

古代の、縄文の地層に潜って、グレートスピリットの地下水脈に触れ、太古から伝わる未知のチカラに任せるというか、舟で漕ぎ出す試みなのであろう。

なぜ、陸地つづきではいけないのか、なぜ橋を架けてはならないのかは、

陸軍と海軍との比較に重なるだろう。

・陸軍〜 IRONーBAR(鉄の棒)

・海軍〜 FLEXIBLE–WIRE(柔軟にしなるワイヤー)

つまり、固まってはならんのだ。

俳句は、柔らかく「かるみ」をもって、変幻自在に流動するところに命脈があるということだろうか。

つまるところ、俳句は「大自然と同位に立つ」ということであろう。

人間という枠(和歌)からはみ出して、大地として感じ、天として見渡し、あらゆる世界線を飛翔してゆく、浸透してゆく、透かしてゆく、アニマ(グレートスピリットの一部)として、いろいろなものを見て動かすことだろう。

俳句は、極めて危ない遊びである。

誰もそこまで真剣にしないから、辿り着かないだけで、恐ろしいツールなのだと思った。

冗談抜きで、俳人は廃人なのかも知らない。

    _________玉の海草

 

 


日本にも来ていたグローバル・ユダヤ〜 とんでもない蘇我氏

2024-09-26 17:27:27 | 歴史・郷土史

── 聞いてみれば、

「社会主義」というのも、マルクス(ユダヤ人)を使って流行らせた「グローバリズム」の一環なのだそうだ。

「社会主義」は、伝統と文化を否定して破壊するが、グローバリズムもまさにそうである。

 

世界史を見回してみても、

フランス🇫🇷革命(1789〜95)とは、「ユダヤ人の解放」であるそうだ。

当時、狭いゲットー(ユダヤ人居住区)に押し込められていたユダヤ人は、解放されてようやく市民権を得ることになる。キリスト教の建物もかなり破壊されている。

市民革命のような言い方をされているが、実のところユダヤ人のための革命であり、その標的とされたのは伝統(≒キリスト教)だったというのである。

ロシア🇷🇺革命(1917〜1923)とて同様の消息が潜んでおり、

帝政ロシアへの国内不満のはけ口(スケープゴート)にされて、【ポグロム(ユダヤ人大虐殺)】されたユダヤ人が、革命側(共産党側)についたと言われています。

いわばロシア革命は、ユダヤ人によるポグロムへの復讐だったと言えるそうです。

共産主義は、ユダヤ人が編み出してグローバルユダヤの手段となったものの、そのソ連が崩壊し、いままた中国も危うい状態となっている。

ユダヤ人の生み出した「社会主義」は、いまや風前の灯である。

また、第二次世界大戦もまた、

ユダヤ人にとって癪にさわるドイツ🇩🇪と日本🇯🇵を叩くために、ユダヤ人が仕掛けた戦争という見方もできるそうです。

(この両国は、伝統と文化の力が厚い国で、ゲルマン魂と大和魂でナショナリズムが強力だから、ワンワールドを目指すグローバリズムにそぐわないから)

ロシア革命前のポグロムから、命からがら逃げ出したユダヤ人の向かった先は、アメリカ🇺🇸のニューヨークだったそうです。

(リトアニア🇱🇹でユダヤ人を逃した杉原千畝が助けた人々も、ナチスドイツから逃げてきたのではなく、帝政ロシアのポグロムから逃げてきた人々が大半だったそうです)

そして、その子孫たちが、例えばブリンケン国務長官などで、「ロシア憎し・許さじ」と強硬な姿勢をとっている根拠となっているわけです。

 

アメリカ人の人口の2%にも満たない、世界中でも1500万人しかいないユダヤ人が世界金融をにぎり、アメリカという超大国の行末を左右するほどの権限を有しているなんて、驚くべきことです。

 

 

大学の歴史学会では、戦後、恐ろしい奇妙なことが起きています。

それは何か、といえば、

学者の誰も歴史全体を語ることをしようとしない、またできなくなったということです。

特に日本では、

学問が細分化されると同時に、イデオロギー化され、

マルクス主義的観点(階級史観的、ジェンダーフリー的、LGBT🏳️‍🌈的など)からしか、歴史を見ることをしようとしなくなりました。

そして先生がそうなら若い学生もそれに従わざるをえない、ということになったのです。

[※  『日本とユダヤの古代史&世界史〜 縄文・神話から続く日本建国の真実』田中英道✖️茂木誠(対談集)より]

 

…… げに恐ろしいことです。

グローバリズムとは「国境をなくしてワンワールドをつくることだ」であり、

世界中を均一にしようとします

世界中に同じものをつくるということ

ex.  スターバックス、マクドナルド、シャネル、ルイ・ヴィトン

そうすると、文化が生まれてこない。

そのグローバリズムの中に、マルクス主義、社会主義が含まれているのです。

社会主義とはつまり革命のグローバリズムです。

 

…… 日本もさんざん踊らされてきましたが、

そろそろマルクス主義やグローバルユダヤ、左翼ユダヤも限界を迎えているそうです。

なぜなら、グローバリズムによる社会主義では「経済」を運営できないからです。

経済は需要と供給で成り立つので、そこにイデオロギーは必要ない。計画経済は必ず汚職を生むので、それで万民平等を実現するのは不可能だと。(田中英道)

 

 

そこで、このグローバリズムの張本人である、グローバル・ユダヤについて、

日本の歴史のなかに痕跡を残している「謎めいた蘇我氏」の事例を取り上げて探ってみよう。

蘇我氏って、日本人離れした暴力性を発揮して、

皇太子どころか天皇までも弑し奉った、日本史上最悪の貴族官僚である。(史上、みずから天皇になろうとした人物すら、日本では三人といないのに)

この異常性は一体どこから来るのか、長年疑問を懐きつづけてきた。

また一方で、なぜ秦氏は、ユダヤ人なのにユダヤ色を出さずに、日本に同化(帰化)したのかという疑問とともにあった。

そーした疑問を一気に晴らしてくれた本が、上記に引用した田中英道と茂木誠の対談集である。

世間では、いわゆる「トンデモ」であり「オカルト」の範疇にくくられるお二人なのであるが(ともに、専門の歴史学者ではない)…… 

片や「美術史」がご専門の東北大学名誉教授で、一方は予備校講師であり作家、YouTuber である在野の人である。エビデンスを突きつめれば、飛躍している処も多々あると思う。

でも、それぞれ自分の体系(筋道)を持ったお方たちだから、その文脈のなかで導き出された結論は目を瞠るものがある。

少なくとも、誰も言っていないし、誰も思いつかなかったことである。けだし、慧眼である。

 

 

 

──日本史の蔭で、莫大な財力や技術力を基に暗躍しているのは、だいたい渡来人である。

1万5000年にも及ぶ縄文時代は、日本は竪穴式住居だった。

しかし、ある日に突然、巨大な古墳時代があらわれる。(その規模は、世界に誇れるスケールであり、大変な土木技術の結晶なのである)

 

(田中)> 元来、木の文化である日本に 【石の文化】を持ち込んだのは、渡来人たち、つまり秦氏です。

 

…… 土木と建築の技術を有して、巨大な石を運び、加工したのです。

秦氏によって造られた古墳は、少なくとも16万5000基(3〜6世紀頃)と云われています。

古墳は、内部に石棺をもち、本来は墳墓の表面は数多くの石🪨が敷き詰められ覆われています。(「武蔵野陵」を参照)

石棺に遺体を安置するということは、「蘇り」を意図したものであったようです。(この時点で日本人の死生観とは合わない)

 

古墳は、埋葬するに際して殉死者を伴うものなので、その尊い犠牲をなくして埴輪(土師器=素焼きの土器)で代用させましょうと天皇に奏上したのが、

土師(はじ)氏の野見宿禰であった。

相撲の祖であり、菅原道真公(天神さま)のご先祖である。

秦氏も、その下で古墳の造築や天皇の葬儀を司った土師氏も、ともにユダヤ人である。古代日本には存在しなかった、それらの大規模な土木・建築技術をもたらした渡来人であった。

膨大な数の古墳づくりによって、地域の経済が潤い、人々の生活を豊かにし、農業や土木建築産業の基礎が出来上がったそうだ。

中国の兵馬俑のように、殉死者の代替えだった埴輪であったが…… 

その中に、非常に特徴のある兵士像がふくまれていたのである。

田中教授は、それを「ユダヤ人埴輪」と名付けた。

田中先生は、

歴史を「文献」ではなく「形」から見るフォルモロジー(Formologie、形象学)」の権威でもある。

「人間がつくった形というものは、必ずある種の意味がある」という視点から、物や美術作品を解析する学問である。ゲーテの「形態学」から発展した。

 

 

もみあげの所にあるクルクル髪が、「みずら(ペイオト=ヘブライ語 “ PAYOT ”」というのだけれど…… 

古事記にはアマテラスやスサノオ神にも、秦の始皇帝にも、ミズラがあったという描写があるそうだ。

大和朝廷でも、ミズラは大いに流行ったらしくて、天武天皇の勅命(681年)で「みずらはやめなさい」と禁止されるまで続いたらしい。

ユダヤのそーした慣習も含め、かなりの深度でユダヤ風俗が日本に浸透していたことを物語るものである。

 

 

【旧約に詳しく記載されている「失われた聖櫃(アーク)」と日本の神輿の酷似。頭上にある天使ケルビム🪽と鳳凰🐦‍🔥も対応し、移動式の神殿であるという機能までおなじである。ユダヤ人はアークを担いで戦場にも持っていった。】

 

 

 

 

(茂木)> 西暦135年、ローマ帝国のハドリアヌス帝が、ユダヤ人を完全にエルサレムから追放したあとは、もうずっと彼らには国がありません。

1948年にイスラエル国🇮🇱が樹立されるまで、1800年もの間ずっと国がなかった。このことを理解しないと、ユダヤは語れませんね。

 

…… 135年が、ユダヤ人の「ディアスポラ(離散)」の決定的な始まりでした。

ユダヤ人の歴史を概観してみると、

> ユダヤ人の建国と離散 ①② より

B.C.13世紀 出エジプト

B.C.10世紀 ヘブライ王国(サウル王/ダビデ王/ソロモン王)

その後、「北イスラエル王国」と「南ユダ王国」とに分かれる

B.C.722年 「北イスラエル王国」は、

アッシリアにより滅亡→離散、【失われた10支族】であり、★「多神教でもいいじゃないか」という戒律が緩い支族

B.C.586年 南ユダ王国(ユダ族と少数のベニヤミン族)」は、

新バビロニアにより滅亡→「バビロン捕囚」、神殿が破壊される→エルサレム帰還 ★「一神教を守ろう」という頑なな2支族

B.C.538年   ペルシャ・ギリシャ統治時代 ユダヤ人帰還、第2神殿を再建

B.C.64 年   ローマ統治時代 ユダヤ人による自治➡︎ ローマの属州

   ↓

⚫︎ A.D.33   イエス処刑

 ↓

A.D.66〜73   第1次ユダヤ戦争 ローマ軍と戦う(73年 マサダの戦いでユダヤ人1000人玉砕)

A.D.132〜135    第2次ユダヤ戦争 ローマ軍と戦う(ハドリアヌス帝)

 ▼

◉ ユダヤ人完全追放

◉ 決定的離散(ディアスポラ)

 

…… ユダヤ人という名称は、バビロン捕囚された多くがユダ族だったことに由来する。

古代世界🌏において、ユダヤ人はユーラシア大陸をものともせず、日出る処に向って東慚しました。そして日本列島に辿り着いたものでしょう。

(田中)>「故郷(ふるさと)がない」ということは人格形成にとって、とても重要なことです。

あらゆる民族は、たとえ故郷が貧しい場所でも、故郷があれば帰るのです。

故郷というのは長い旅行をして戻るところです。

 

…… 彼らユダヤ人には、最初から帰るべき故国が無かったのです。

(茂木)>帰るところがないから、せめてもの魂のよりどころとして、神をつくった のかもしれないですね。

 

 

秦の始皇帝(BC221)は、ユダヤ人が君主になった稀なケースらしいのだが、

基本的にユダヤ人は為政者の下にいて、あらゆる政権にサポートする側で立ち振舞うと云う。

始皇帝に仕えた徐福もまた、ユダヤ人の方士(道教マスター)であり、蓬莱山をめざして3000人引き連れ来日して、富士山の麓で暮したらしい。

『古事記』『日本書紀』に記載があり、戦前は紙幣の顔にもなった武内宿禰(長命、2〜3世紀)もユダヤ系の渡来人だと思われる。

古代世界の往き来は、現代から想像する以上に広範囲に及び、遥か遠い地にもかかわらず、頻繁に往復したものらしい。

(亡国のユダヤ人のネットワークは、凄まじい正確さだったようだ。伊勢白山道の霊視によれば、モーゼもキリストも来日している。マルコ・ポーロの「ジパング」が知られるずっと以前に、東方の果て・日本🗾については、熟知していたものと思われる。)

 

 

(田中教授)> 【ユダヤ人渡来、5つの波 🌊】

・第1波 BC13世紀 出エジプト〜 縄文時代・日高見国・スサノオ

  ↓

・第2波 BC722年以降

アッシリア捕囚と失われた10支族〜 日本建国

  ↓

・第3波 BC3〜2世紀

秦の始皇帝・徐福と3千人〜 秦氏、各地に渡来

  ↓

・第4波 AD3〜4世紀

弓月国から秦氏2万人〜 応神天皇が受入れ

  ↓

・第5波 431年以降

エフェソス公会議・ネストリウス派〜 蘇我氏

 

…… 仏教伝来について、秦氏は蘇我氏とともに、聖徳太子をささえた崇仏派でした。

が、蘇我氏が朝廷で大っぴらに暗殺を実行し、横暴に専制するようになると、機を逃さずに赤穂に逃げました。

聖徳太子を補佐できるほどの財力を有していた秦河勝は、その後、政治の表舞台からは一切身を引いてしまいました。

能の世阿弥や忍者の服部半蔵のご先祖だということで、「悪党」の楠木正成や鉱山師や治水土木の技術者とも、深いネットワークを持っていたことと思います。

鎌倉期に、八幡神社や稲荷神社を全国につくらせたのは、秦氏ですから。

その秦氏は、八幡様に応神天皇を祀っていたように、弓月君の子孫で紛れもなくユダヤ人なのです。

蘇我氏4代、稲目ー馬子ー蝦夷ー入鹿も、その変わった名前と経済力、政権の中枢にもぐりこむ政治力からいって、間違いなくユダヤ系渡来人でありましょう。

天皇や皇太子を弑し奉ってまで、おのれの野望を遂げようとする暴力性・排他性は、純日本人には決して見られない資質です。

そんな蘇我氏と秦氏が、組まなかったのは何故なのか?

 

田中教授は、蘇我氏がキリスト教ネストリウス派だからだと云うのです。

時代的に、エフェソス公会議で追放されたネストリウス派(=景教)だとすれば、年代は見事に合致します。

蘇我氏は、聖徳太子を庇護して育ててもいますから、

「厩戸皇子」という御名前とエピソードは、イエスキリストに倣ったものだと、容易に推察されます。

仏教の導入は、単に廃仏派の古代豪族・物部氏を斃すためだったのだろうか?

物部氏は、徐福の引き連れてきたユダヤ人だと言っている人もいる。

軍事を司る一族だから、先祖が渡来人であっても不思議ではない。

すると、蘇我氏・物部氏・秦氏と、ユダヤ人の三つ巴の争いということになる。

 

ディアスポラで世界中に離散したユダヤ人は、東方に広がる過程で、ユダヤ教からキリスト教へ改宗していたとされています。

時系列からいって、蘇我氏よりもはるかに早く来日していた秦氏は、「原始キリスト教」だったと思われます。

北イスラエル王国の末裔とすれば、秦の始皇帝や徐福も、多神教を認めるような緩い支族で、隠れ蓑に「原始キリスト教」だったであろう。

そうすると、日本に同化した秦氏・物部氏に対して、蘇我氏は厩戸皇子を日本のキリストに仕立てようとした、新しいユダヤ系勢力です。

田中教授は、蘇我氏というのは「我、蘇り」だと解きます。キリストの復活なのです。

 

「人間マリアは人間イエスを生んだ。

しかるのちに神がイエスに降臨した。

だからイエスは神として祀るべきだが、マリアは人間だから祀るべからず」

(神学者ネストリウスは異端とされる)

> 「神がマリアの腹に宿り、イエスとして生まれたのだ。

イエスは胎児の時から神であり、神を生んだマリアは “ 神の母 ” として祀られるべきだ」

(神学者アタナシウスのマリア崇拝は公認される)

 

…… 聖母マリア信仰をみとめるアタナシウス派は、のちのカトリックへと繋がってゆく。

聖母マリアを認めない(マリアの神性を認めない)ばかりに、ネストリウス派は異端となった。

そんなネストリウス派と釈迦の仏教とは、相性がいいのだそうだ。

つまり独身男のキリストと、家族を捨てて出家した釈迦が被るのである。

イエスキリストが、「私」ということを言い始めた。(近代個人主義の元祖)

個人宗教のキリスト教は、

カトリック教会が共同宗教に変質させ、

これを破壊したルターやカルヴァンの宗教改革で

また個人宗教に戻りました。

このから西洋近代文明という「病」が始まります。

明治以降の日本人もこれに毒されました。

 

男性原理の原始キリスト教が、

アタナシウス改革でマリア信仰を取り入れた結果、ヨーロッパ布教に成功したように、

男性原理の原始仏教もまた、

菩薩信仰を取り入れた大乗に発展することで、

東アジアで爆発的に信徒を獲得していきました。

西暦1〜3世紀頃のことで、『法華経』やら『般若経』などがつくられるのがこの頃ですね。

 

……神仏習合の日本(神道という共同宗教と仏教という個人宗教との融合)と

キリスト教をうまく「飼い慣らした」ヨーロッパ(マリア信仰という共同宗教とキリスト教という個人宗教との融合)のみが、

ユーラシア大陸の東西で、「文化というもの」を持つようになったと指摘している。

 

共同宗教ー神道、旧約(ユダヤ教、イスラム教)

個人宗教ー新約(キリスト教)、仏教

 

ネストリウス派の蘇我氏は、個人宗教である仏教にキリスト教を上書きしようとしたが、

当の聖徳太子は個人宗教たる仏教はみとめず、出家を否定したのだと云う。

> (聖徳太子は)在家で日常的に修行ができる『維摩経』あるいは『勝鬘経』を取り入れました。

 

…… つまり、はなっから皇太子である厩戸皇子は、「神道」を信奉しており、仏教は神道を補佐するものという認識だったらしい。

蘇我氏の野望に踊らされる聖徳太子ではなかったのです。その英明さが、不幸にも蘇我氏による暗殺を招いたということです。

そして、「日本のキリスト」をつくることに失敗した蘇我氏は、そのあまりの横暴ぶりから、一族の命脈を絶たれてしまったのです。

ひところ、梅原猛『隠された十字架』はベストセラーになったものだが、この本は同様に「聖徳太子暗殺説」をとっているが、黒幕として比定されているのは、「中臣氏(=藤原氏)」なのである。

蘇我氏の、日本人離れした暗殺志向や政治力を、キリスト教異端ネストリウス派と離散ユダヤ人と絡めて、論証したのは、田中英道教授が初めてである。

 

わたしは、このネストリウス派(=景教)からの視点に、えらく惹かれるものがあった。

なぜなら、極東の島国・日本に、突如として

法然の「浄土教」、それに続く親鸞の「浄土真宗」があらわれたのは、如何にもおかしいからだ。

それらが、仏教の主流からは外れながらも、キリスト教のような世界宗教としての「格」と「奥行き」をもち、「誰でも一人残らず救う」という宗旨は、とうてい個人の思いからの立宗ではないと思われた。

法然上人は、たしか母方が秦氏の家系だったと思う。

親鸞上人は、夢殿で聖徳太子との神縁が深い。(伊勢白山道の霊視では、聖徳太子は碧い眼のハーフで、キリスト教だったような…… )

 

秦氏を通して、日本の念仏宗にキリスト教の教義が流入した可能性は、私は少なくないと感じていた。

 

ただ弓月君や始皇帝が奉じていたのが、景教だとすると、流石に時代が合わない。

彼らは、世に云う「改宗ユダヤ人(コンベルソ)」であったろうし、その宗旨は「原始キリスト教」だったであろうとする説には、瞠目した。

 

ユダヤ人は、日本に来ると心の奥に蔵ったユダヤ教を放棄するのである。(伊勢白山道は、ユダヤ教の『旧約』の神・ヤハウェは、日本の国常立大神と同体だからと言っていた。いわば日本が本家なのである)

 

 

ユダヤ教は、失われた10支族の住んだ北イスラエル王国では、多神教と親和性があり、寛容であったようです。

それは、エジプトが太陽神ラーを祀ったように、ユダヤ教の前身も「太陽信仰☀️」だったからです。

原始キリスト教も、そんなユダヤ教の系譜を継ぎますから、太陽信仰の「神道」とは同化しやすかったと思います。(クリスマスは、本来は冬至におこなう太陽の祝祭である)

実際、原始キリスト教の秦氏は、ユダヤ方式を押しつけることなく、宗教的にも日本に完全に帰化しました。

ところが、蘇我氏である。ネストリウス派である。

聖母マリア信仰や守護聖人信仰などは、要するに多神教へのアプローチであり、厳格な個人宗教であるネストリウス派は、それを容認できないのです。

日本の、聖徳太子が目指された「神仏習合」とは、多神教への妥協をゆるすことで、厳格な一神教の呪縛から解き放たれることを希求している。

そのバランスのよい寛容さのお蔭で、豊かで潤いのある「文化」が実り、独自の伝統が培われる風土を醸成することになる。

 

…… グローバリズムは、この各国の独自の文化を否定して、一律におなじものを作り上げる世界システムである。

が、離散ユダヤ人が永年の夢であった、祖国イスラエル🇮🇱を建国してから、グローバル・ユダヤの生き方も見直さざるを得なくなった。

故郷である母国を手に入れた今、純粋な正統のイスラエルは、グローバリズムに反するからである。

 

日本文化は、各国のオリジナル(=伝統)を決して損なうことなく、融合できる大らかさを兼ね備えている。

だから、イスラエルに行きたくない離散ユダヤ人を日本に移民させたらいいのではないか。

全員来たって、1500万人だから、一緒に神輿かついだらいいんだよ。

彼らの目指す「カナンの地」は、日本の加南だという人もいる。

ユダヤ人は独特の佇まいをもっていて、日本には馴染むのではないか、短調で暗い日本国歌『君が代』が大好きな民族だから。

 

わたしも歳取ったら、バーバラ・ストライザンド(ユダヤ人)が美人に見えてきて仕様がないのよ。彼女は、若いうちから何かオバサンくさかった印象があったんだけど、それがきっとユダヤ的な人間味なんだろうなと最近は思う。

 

 

 

ヘブライ語の歌で、日本で昔歌われていたのをピックアップしてみた。日本人の琴線に触れたんだよね。

 

伊勢白山道の霊視では、失われたアークは、伊勢神宮の多賀宮の丘に眠っているらしいね。はやく、日の目を見ないかな。

世界🌏🌍🌎が腰を抜かす様を見てみたいものだ。

         _________玉の海草

 

 


〜前投稿のおまけ

2024-09-17 23:14:02 | いまの世相

── 寂しい人生を噛み締めている中高年が多い。

日本社会の一過性の風潮に踊らされて、自分の頭で考えずに流されて生きてきたご自分の怠慢を猛省すべき時機が来たのであろう。

NHK『クローズアップ現代』でも、

「ミッド・ライフ・クライシス」(中年期の心の不調)が取り上げられていた。恵まれない30年を押し付けられた「就職氷河期世代」が、中年にさしかかり、何も成し遂げていない自分に失望したのだとしたら、なんともな〜、やり切れない悲しさがある。

 

 

ビートたけしが言ってたけど、

「自分の身の回りの事しか分からない人を、バカと言うんだよ」って。

ひとそれぞれ、生き方というか筋道(哲学)というか文脈で生きている。

自分の文脈しか分からずに、自分の文脈だけで生きてる人なんだよね、馬鹿ってね。

他人の文脈が分かること、自分から遠く離れた世界(別の秩序)のことが分かること、それがつまり「教養」ってことなんだよね。

しかし、その「自分と関係がない情報」は、現代社会ではノイズ扱いされて除去されて、手っ取り早く「ファスト教養」を求めるから、心の隙間が埋まらないのですよ。

自分の求めているものだけを他者から引き出そうとするんだから、それは最早ひとづきあいではないのです。

 

推し活にも、そーゆー一面がある。「推し」とは自分の重い日常生活とは一切関係ない軽みを纏っている。

だから、それこそ全身全霊をかけて「推し」に打ち込むことが出来る。

この消息については

名越康文(アドラー心理学)の解説にびっくりさせられます。


人生において純粋な喜びなんてない。(近傍にはね)

 近傍ってのは、自分の身の回りにはないということ。少し遠くにはあるんですな。
たとえば、阪神が優勝したとか、いう時。
遠いところにある、ある種の幻想の中でならば、のんきに全力で楽しむことができる。
つまり、人間の場合、そうした幻想の中にしか本当の喜びはないといってもいいそうです。
なぜなら、動物はちがいますが、人間は良いことも悪いことも、どちらもストレスになるからです。

1970年代にアメリカ🇺🇸で行われたストレス調査で、「人間がストレスを感じる20項目」が公表されたのですが……
親しい人の死別や会社が潰れるという項目のほかに、結婚や子どもが生まれるといった慶事もまた上位に入っていたそうです。
マリッジブルーなんか該当するのかどうか、いずれにしても喜び事の折りには、くれぐれも注意しなければならないそうです。

大きすぎる喜びはピンチなのです。ひとりで背負うには重過ぎるのです。

こうしてみると、

誰かの推しだとか、エンターテイメントやスポーツ等の祭典は、人間にとって自分の身近な事ではない為に、【ノーストレスで純粋な喜び事】なんですね。
ヒト事ゆえに、全力で喜べる貴重な機会なんですね。
人間は、遠い幻想でしか思いっきり喜べないのですね。ひとって儚いものです。

 

…… 推し活を扱った小説からも、幾節か引いてみましょう。

> 肉体は重い。

> 推しを推すときだけあたしは重さから逃れられる。

> 全身全霊で打ち込めることが、あたしにもあるという事実を推しが教えてくれた。

> 推すことはあたしの生きる手立てだった。業だった。

> 推しは人になった。(私注;推しが引退した時の主人公の述懐)

> ふと、祖母を火葬したときのことを思い出した。

人が燃える。肉が燃えて、骨になる。祖母が母を日本に引き留めたとき、母は何度も祖母に、あなたの自業自得でしょう、と言った。

母は散々、祖母にうちの子じゃないと言われて育ってきたらしい。今さら娘を引き留めるなんて、と泣いた。

自業自得。自分の行いが自分に返ること。

肉を削り骨になる。推しを推すことはあたしの業であるはずだった。一生涯かけて推したかった。

それでもあたしは、死んでからのあたしは、あたし自身の骨を自分でひろうことはできないのだ。

  宇佐美りん『推し、燃ゆ』(2020)より]

 

「推し」を推すことは、自分の人生そのものであるはずだった。

しかし──自分だけでは、自分は生きられない。

そのことにあかり(『推し、燃ゆ』の主人公)は直面する。

自分の骨は、自分で拾えない。他者に拾ってもらわなくてはいけない。

自分の人生から離れたところで生きている、他者を人生に引き込みながら、人は生きていかなくてはならない。

自分の人生の文脈を、「推し」とは違うところに配置しなくては、生きていけない。

自分の人生の文脈以外も、本当は、必要なのだ。人生には。

そうあかりは、悟るのだった。

 

教養とは、本質的には、自分から離れたところにあるものに触れることなのである。

それは明日の自分に役立つ情報ではない。明日話す他者とのコミュニケーションに役立つ情報ではない。

たしかに自分が生きていなかった時代の文脈を知ることは、今の自分には関係がないように思えるかもしれない。

しかし自分から離れた存在に触れることを、私たちは本当にやめられるのだろうか?

私たちは、他者の文脈に触れながら、生きざるをえないのではないのか。

つまり、私たちはノイズ性を完全に除去した情報だけで生きるなんて──無理なのではないだろうか。

[※  二つ共に、三宅香帆『なぜ働いていると本📕が読めなくなるのか』より]

 

…… たとえば、女兄弟の中で育った男性は、女扱い・女あしらいに長けているんだよねや。それは女性のリアルを日常生活で知っているからなんだよね。

つまり、「女性の文脈」を知っているために、必要以上に女性を神聖化しないから、うまく適合するわけ。

女性は、結婚すれば「男性の文脈」に対応しなくちゃならないし、子供を産んだら今度は「子どもの文脈」に直面させられるわけです。

自分の外の文脈に絡まなければ、生きていけないのです。

 

人生は、自分の「好き」だけでは全うできないのよね。自分の人生のセーフティネットの構成員はすべて他人なのだから。

人間というのは、とことん「社会(人間集合)のなかでしか生きられない有機体」であるのです。

人が意識できる最大150人位のコミュニティの中で、自分が生き残るために、なんとしても他人の文脈を知る必要があったのです。仲間はずれにされたら生命の危機に直面するからです。

単身いきのびるには、莫大なエネルギーと生き延びる知恵が不可欠です。

群れていたほうが、楽だし安全なのです。

それが分からない人たちが、ひとり寂しい老後を迎えることになります。

 

バブル崩壊後の95年あたりから、

「好きなこと」「やりたいこと」「自分らしさ」を重視して、「夢」を追いかける教育が氾濫して、

「夢追い人」を礼賛する社会風潮のなかで、夢破れた人びとは大量のニートとなっていった。(ピラミッドの頂点に位置する人しか、夢は達成できないものだから)

その一方で、ちゃんと就職して頑張っている者も、刷り込まれた「夢」に向かって、強迫されるように自分の「好き」を追い求めて、推し活に自分を慰める寂しい人生を選択することになる。

 

好きなこと・やりたいことをやって、幸せに暮らすのが、正しい人生だと思っていやがる。

そんなの、ひとさまに迷惑かけずに暮らしていけたら、何やったって後ろ指さされる覚えはないはずよ。

庶民のくらしなんて、そんなもんでしょ。

夢をもって生きる必要なんてある?

たやすく実現しそうにない難事だから夢と言ってるんでしょ。

 

なんで、若い頃はこの「夢信仰」に逆らえなかったのか?

たぶん成功者はすべからく夢を追って、成し遂げていたからなんだろうな。

それに、学校教師になることは概ね「夢破れた人」の就職先なんだよ。だから、先生は二言目には「夢を追え」と急きたてるんだろうよ、先生はそれを現在の自分に言って聞かせていたんだろうと察するよ。

社会に出たことがない者を、学校教師にするのは根本的に間違っていると思う。

だから、半端な進路指導しか出来ないわけ。

そんな職業教師の人生アドバイスが「夢を追いかけなさい」だったわけです。

 

でも、そんなことする必要はさらさらないんだよ。

丁寧につつましく生きる選択も微笑ましいものよ。

たけしは「清貧」を上げてらしたけど、「成功」は道徳(天下の大道)とは何ら関わりのないものだからね。

当時は、それを口にすることは叶わなかったが、

だからこそ、いま一生懸命になってダメ出ししてんだろうよ。(自暴くそ♪)

 

いたずらに、夢を追ってはならないよ、と個人的に思う。地に足をつけた生活も悪くない。自分の延命策は最重要事項である。そのうえで、退屈なら外れるのもよかろう。

真剣ならば、やむを得まい。

何も言うまい。

ただし夢破れたときに備えて、両建てだけはしとけよと。

      _________玉の海草

 

 

 


教養 = 「他人の文脈を読む」 こと〜 なぜ必要なのか?

2024-09-17 22:08:05 | いまの世相

── 真田広之が、主演男優賞をはじめ「エミー賞🏆」18冠の快挙をお慶びしていたとき、

時代劇ってゆーのも、異なる時代の「文脈」を理解するってことだなと、教養の大切さが肌身にしみて分かった気がした。

 

 

それで教養なるものが、現代でも必要なのかどーか、について

三宅香帆『なぜ働いていると、本📕がよめなくなるのか』をヨスガに追ってみよう。

 

この本は、「なんで働きながらだと本を読めなくなるのか」を、解明しようとした労作なのだが…… 

その過程において、

明治以降の日本が辿った

労動史

読書史とを

1950年代〜2010年代まで、並行して参照している点に特徴がある。

 

読書は、昔から行われていたように見えるが、さにあらず。

紙の貴重だった江戸時代も、寺子屋のおかげで庶民の多数が読み書きに通じていたが、

仮名草子や、草双紙(絵入り娯楽本)、戯作本などは、現代でいう「教養のための読書」には入らない。

 

いわば現代のスマホ📱みたいなもので、

スマホを読んでても「読書」とは言わないし、スマホは働きながらでも毎日見ることができるのだ。

 

つまり、この「読書」という行為が本格化したのは、たかだか明治維新以後ということになる。

それでは三宅香帆の著作によって、ざっと引用・要約して、「読書」の歴史的推移を辿ってみましょう。

 

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明治になって、

活版印刷の普及により

従来の「朗読して読む(素読、音読)」

➡︎「黙読の文化」が始まった

そして句読点が普及した

(明治10年代後半〜20年代)

 

1871年(明治4年)に、

立身出世を煽るベストセラーが生まれる

『西国立志編(SelfーHelp)』スマイルズ著、中村正直訳

この本は労働者階級に向けた立身出世物語で、

この本の中で、訳者中村正直が初めて「修養」という言葉をつかった( Cultivation, culture, cultivate 等の「勤勉」「努力」「洗練」「教化」「培養」「文明」に関連する言葉に「修養」の語をあてた]

 

この『西国立志編』が如何に売れたのか…… 

明治末までに、日本の総人口5000万人の時代に100万部売れたロングセラーとなった(福沢諭吉『学問のすゝめ』も、よく売れたが、県庁から公的に配布された経緯もあり、純然たる民間ベストセラーではない)

つまり「修養」とは、

明治時代にエリートの間で広まった

大正時代には、むしろ労働者階級の間にすでに根付いていた(図書館から借りて読む文化が発達)

その一方で、大正時代のエリート階級では「教養」が広まった(労働者階級の「修養」から差別化するためである)

・行動を重視するのが、「修養」

・知識を重視するのが、「教養」

 

大正時代から戦前にかけて、「教養」とはエリートのためのもので、教養主義が流行った

つまり戦前の概念では

・休憩 = 新聞・雑誌・ラジオ・レコード・運動など

・勉強・教養 = 読書

と、截然と分かたれていたのである

 

● 1950(昭和25〜)年代

戦後サラリーマン階級の出現〜 新しい娯楽が生まれる

「パチンコ、株、源氏鶏太のサラリーマン小説」の三つだった

源氏鶏太の映画化作品は、80作を超える

 

● 70年代

教養=学歴

司馬遼太郎『坂の上の雲』文庫本が大ヒット

(私注;70年代の大事件「オイルショック」は、日本国民に高度経済成長が終わったことを告げた。つまり終身雇用だと思っていた会社がリストラを断行し始めたからである。そんな時代だったからこそ、『坂の上の雲』にロマンを見たのであろう。この物語は明治〜日露戦争勝利までの右肩上がりに成長した日本を描いたものだったからだ。ちょうど、バブル崩壊以前の景気良かった「モノづくり日本」を描いた、NHKの『プロジェクトX』とおなじ構図である。要するに、古き良き時代への懐古がテーマだったのである。)

「歴史という教養」ビジネス教養主義

文庫本ふえる

通勤列車で読書

企業内教育において「自己啓発」はじまる

 

● 80年代

コミュ力=処世術

実用系雑誌・月刊「BIG tomorrow」(1980年発刊)が流行る

大正の大衆教養主義の系譜をうけつぐ、昭和の教養主義(=読書を通じた人格陶冶)を奉じた人生雑誌

学歴(教養)よりも処世術

労働に必要なのは、教養ではなくコミュニケーション能力

急速に「自分」の物語がふえる

黒柳徹子『窓ぎわのトットちゃん』500万部売れる

村上春樹『ノルウェイの森』350万部

俵万智『サラダ記念日』200万部

いずれも一人称視点の物語→ コミュ能力の劣等感より

 

女性のカルチャーセンターが隆盛する

原因は、進学できなかった学歴コンプレックスから

 

● 90年代

行動と経済の時代

春山茂雄『脳内革命』(1995)

「内面」の時代から「行動」重視の自己啓発本

350万部売れる

バブル経済以前の「一億総中流時代」が終わる

(消費で自己表現できなくなる)

 

新自由主義(ネオリベラリズム)の台頭

⚫︎国家の福祉・公共サービスが縮小され、

規制緩和されるとともに、

市場原理が重要視される社会

 

「自分のキャリアは自己責任でつくっていくもの」

企業への忠誠心が消える

非正規雇用が拡大する

 

● 2000年代

仕事がアイデンティティになる社会

仕事で自己実現することを称賛する日本社会

労働そのものが「自分探し」の舞台となる

「やりたいことを仕事にする」幻想

90年代後半、すでに「やりたいこと」「好きなこと」を重視するキャリア敎育は取り入れられ始めていた。

労働市場が崩れ始めた90年代後半から、

「夢」を追いかけろと煽るメディアが氾濫するようになる

[※   荒川葉『「夢追い」型進路形成の功罪ー高校改革の社会学』]。

実際、学生が想像できる「夢」、つまり楽しそうな進路は

「服飾・家政」や「文化・教養」などの就職率の低い領域であることも多かった。

しかしそういったリスクを伝えず、高校のキャリア教育は夢を追いかけることを推奨した。

 

村上龍『13歳のハローワーク』(2002、平成14年)が流行る

2001年(平成13年)の日本労働研究機構(現労働政策研究・研修機構)によるフリーターへのヒアリングでは、

そのうちの4割が「やりたいこと」という言葉で自分がフリーターになった経緯を説明した。

[※  速水健朗『自分探しが止まらない』

この結果からも、

当時の就職活動や高校教育において、

いかに仕事における「やりたいこと」や「自分らしさ」の重要性が強く刷り込まれていたかが分かるだろう。

それはある意味、

日本の「夢追い」キャリア教育がうまくいった結果でもあった。

当時ニートと呼ばれる若者たちが問題になっていたが、

ニートをつくり出したのは、実は「やりたいことを仕事にすべきだ」という風潮だったのである。

 

 

● 2010年代

ビジネス書は「行動重視」傾向に

市場に適合しようと思えば、

適合に必要のない、ノイズをなくすことである。

 

コントロールできないものをノイズとして除去して、

コントロールできる行動に注力する

 

知らなかったことを知ることは、世界のアンコントローラブルなものを知る、

人生のノイズそのものだからだ。

 

> よくビジネス書では、

人に好かれる能力を磨きなさいと説かれていますが、

僕は逆だと思っています。人を好きになる能力の方が、よっぽど大事だと思います

人を好きになることは、コントローラブル。

自分次第で、どうにでもなります。

でも人に好かれるのは、自分の意思では本当にどうにもなりません。

コントローラブルなことに手間をかけるのは、再現性の観点でも、ビジネスにおいて当然でしょう。

[※  前田祐二『人生の勝算』より]

 

本を読むことは、働くことの、ノイズになる。

 

新自由主義改革のもとではじまった教育で、

私たちは教養ではなく「労働」によって、その自己実現を図るべきだという思想を与えられるようになってしまった。

 

> 20世紀、私たちは常に、自分の外部にいるものと戦ってきた。

たとえば他国との戦争、政府への反抗、上司への反発。

ー私たちが戦う理由は、支配されないため、だった。

しかし21世紀、実は私たちの敵は、自分の内側にいるという。

新自由主義は決して外部から人間を強制しようとしない。

むしろ、競争心を煽ることで、あくまで「自分から」戦いに参加させようとする。

なぜなら新自由主義は自己責任と自己決定を重視するからだ。

だからこそ現代においてーー私たちが戦う理由は、自分が望むから、なのだ。

 

戦いを望み続けた自己は、…… …… …… 疲れるのだ。

[※  ビョンチョル・ハン『疲労社会』より]

 

資本主義論理=市場原理が至上

企業間の競争は激しくなる

個人の誰もが市場で競争する選手だとみなされるため、

自己決定・自己責任が重視される

組織や地域に縛られず自分のやりたいようにやること、自分の責任で自分の行動を決めることなど個人主義的である

近所同士の助け合いや

同じ会社だから連帯して組合をつくるなどの従来からある共同体論理には向かわない

「社会のルールに問題があるかもしれない」とは考えない

 

ノマド、副業、個で生きる

[※ ノマドとは遊牧民という意味を持つ言葉であり、オフィスに縛られない働き方を指す言葉だといえます。(NTTコミュニケーションズより)]

働き方改革の時代〜 労働小説の勃興

 

 

スマートフォン📱の世帯保有率の推移[※ 総務省「通信利用動向調査」より]

2010年〜 9.7%

2015年〜 72.0%

2020年〜 86.6% 

 

「読書を娯楽として楽しむよりも、情報処理スキルを上げることが求められている」

娯楽から情報に変化

・本📕を早送りで読む人たち

・映画🎞️を早送りで観る人たち(目的が「観る」ことから「知る」ことへ)

・「ファスト教養」=自分と関係がない情報を「ノイズ」扱いする

 

全身全霊で働くことをやめよう

あなたの「文化」は、「労働」に搾取されている

 

 

自分から遠く離れた文脈に触れることーそれが読書なのである。

 

> 君たちはみんな、激務が好きだ。

速いことや、新しいことや、未知のことが好きだ。

ー君たちは自分に耐えることが下手くそだ。

なんとかして君たちは自分を忘れて、自分自身から逃げようとしている

もっと人生を信じているなら、瞬間に身を委ねることが少なくなるだろう。

だが君たちには中身がないので待つことができないー怠けることさえできない!

[※ ニーチェ『ツァラトゥストラ』より]

 

●  知識と情報の差異

情報=知りたいこと

知識=ノイズ+知りたいこと

(ノイズ=他者や歴史や社会の文脈)

「歴史性や文脈性を重んじようとする従来の人文知」

 

●  読書と情報の差異

情報ーノイズ抜きの知を得る

読書ーノイズ込みの知を得る

(※ノイズ=歴史や他作品の文脈・想定していない展開)

 

 

自己や社会の複雑さを考えず、

歴史や文脈を重んじないところー

つまり人々の知りたい情報以外が出てこないところ、

そのノイズのなさこそに、《インターネット的情報》

ひいては ひろゆき的ポピュリズムの強さがある。

※「安手の情報知」「安直で大雑把」「反知性主義」(社会学者の伊藤昌亮によるひろゆき批判)

求めている情報だけを、ノイズが除去された状態で、読むことができる。それが《インターネット的情報》なのである。

つまり過去や歴史とはノイズである

情報とは、ノイズ(偶然性)の除去された知識である

インターネットでは、自分の興味のないニュースは入ってこない

《要約、引用ここまで》

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三宅香帆は、全身全霊で仕事にのめり込むと、余裕がなくなり視野が狭まるので、読書📖しながら

「半身」で仕事に向かおうと提唱している。

 

プライベートも構わず自身のすべてを、仕事に捧げるような生き方は、ほとほと疲れてしまうのだ。

過労の末にうつ病を発症して「燃え尽き(バーンアウト)症候群」におちいるからと注意を促している。

 

 

さて、

戦前は「教養」というものが高く評価されて、仕事に役立ったものだったが、

世間で学歴が重視され、教育が行き渡ると、「教養」に変わるものとして、コミュ力が台頭してくる。

つまるところ、ビジネスは人付き合いなので当たり前のことなのだが、

物知りや蘊蓄は、処世術に取って代わられる。

やっぱりコスパが悪いからなのだろうか。

目の前の難題を、手っ取り早く解決する方向に向かい出す。

そうすると、「市場原理」という見えない神の手が、最優先されて大手を振って闊歩するようになる。

人びとは、その風潮にたいして「新自由主義」というレッテルを貼って、肯定的にとりくむようになる。

自分のキャリアは自己責任でつくるという足枷をみずから課して、所属会社をあてにせずに、会社への忠誠心を失ってゆく。

非正規雇用には、たしかに新しい形の「自由」はあったが、その代償は想像以上に大きかった。

しかし、日本は国を挙げて、「好き」を仕事にしようと、つまりは仕事で自分の理想を実現しようと無責任なことをそそのかすようになる。

その結果、まじめな「夢追い人」は狭き門をくぐることが叶わずに、こぞって夢叶わず、大量のニートを生んでしまった。

やりたいことを追求するあまり、甘んじてフリーターの立場をえらぶクソ真面目な人びとも多かった。

「失われた30年」と云われる不景気時代が、個々の夢追い人に苛烈な壁となってあらわれる。

人びとは、必死の思いで「バブル崩壊」「IT革命」の荒波のなかを泳ぎきり、適応をはかった。

市場原理に適合するためには、自分のコントロール下におけないノイズを出来るだけ除去しなければならなくなった。

自分でコントロールできる「手の内にあるもの」しか扱わなくなった。その中に「読書」が含まれる。

仕事のノイズになるものは、排斥することにしたのだ。

つまり仕事一辺倒のモーレツ労働者になって、適応しようという、涙ぐましい真面目人間なのであった。

なぜ、それほどまでに仕事に打ち込まなければならないのか、いや何故そんなに全身全霊仕事に打ち込みたいのか?

それは、自分と向き合うのが怖いからであろう。

仕事にかまけているうちは、「自分を知る」という孤独な営みには目を向けないで過ごせるからである。

他人というのは、自分の抱くイメージ(幻影)を投影したものだというから、他者と自分の関係をつきつめることは、つまり他者との付き合い方を理解することは、そのまま「自分を知る」行為になる。

 

自分の殻に入っていては、自分の姿が分からない。

だから、自分が自らの他者にならなければ(客観視)自分というものは分からない。

自分の殻にこもっている人は、他人がその客観視の役を勤めてくれる。

他人とは、自分の殻を抜け出た自分なのである。

そうして離れた処から見なければ、自分の輪郭というものは分からないものである。

つまり、「自分を知る」とは、他人を通して「自他を知る」の謂いであろう。

自分と誰か他人が付き合っているのを、「離見の見」でみる。それはいわば神の視座である。

自分ひとりしかいない時は、斜め上空から眺めているつもりで自分を観るしかあるまい。

この境地にあるとき、、ゆめゆめ自分にのめり込むことはあるまい。

自分の文脈だけで、ものごとを断罪するとき、それはただの拘りというか執着をあらわすものに過ぎない。

他人の文脈が入ることは、とりも直さず「離見の見」(客観視)ができているのである。

つまり、自分に慢心していない、油断していないときであろう。

洞察は、斜め上からの「INSIGHT」(外から覗き込む)が本来であろう。

人は誰でも、自分を外から眺められるものだと思う。

南方熊楠の云う萃点というものが、おのずと分かっていて使っているのではあるまいか。

斜め上に、ℹ︎クラウドの収納点があるのじゃあるまいか。

 

いま活躍している年代の人は、コスパ・タイパに執心するあまり、自分を大事にし過ぎるんです。

自分を内側から見てばかりで、自分の輪郭(キャラ)が分からないのでしょう。

> コスパよくしたいなら死ねばいい。(成田悠輔)

> Happiness is not a goal … it’s a by-product of a life well lived.

幸せは目指すものではない、それはよく生きた人生の副産物なのです」(エレノア・ルーズベルト、第32代フランクリン・ルーズベルト大統領夫人)

 

だから、読書📖したらいいんですよ。

本を開けば(電子書籍でもいい)、そこに他人が存在している痕跡があります。

読書人は、進んで読むという行為によって、その他人に寄り添っていって、次第に自分を無にして、その他人の文脈に乗ってしまいます。

そして没入して、他人の眼👁️‍🗨️に成り切ったとき、見つめているのは自分自身なのです。

そう、自分自身が世界🌏です。

世界は、わたしの脳内にあるものですから。

 

…… と、つらつら思いを巡らしてみると、

自分の文脈しか分からない人(=いわゆる馬鹿)は、一見自由気ままのようでいて、実は受け身で生きている人でしょう。

なぜなら、自分の内側しか見えないから、外からの刺激を受けないと自分の反応が分からないし、自分の反応が見えないからです。(内側の反応を見るというか感じることは出来るでしょう)

自分を外から知ること、これを教養と云うのでしょう。

教養があるとは、外の離れたものと自分との接点があるということだと思います。

自分の文脈と同じ文脈が、そこに息づいていることを感じられる。

摂理が、自分を貫徹していることが実感できる知の働き(≒知性、神性)を持っていること。

それが通常の世間知や人文知と一線を画する「叡智」というものだと思います。

 

やはり、やれば「ひとりにされる」読書📖という行為には、自分の文脈から離れる、あるいは忘れる効果があり、

他人の文脈に浸かることによって、自分の文脈をも深く知ることのできる営みなのだと思います。

自分の文脈と、他人の文脈との間にながれる地下水脈みたいなものを、本来は味わっているものでしょう。

いつの日か、自分の文脈が、世界創造の文脈になるのです。

文脈というからには文章があるわけですが…… 

案外そのうち文章は要らなくなるのかも知れません。

 

(聖ラマナ・マハリシ)> おそらく私の学問はすべて過去世で学び尽くされ、私は辟易していたのでしょう。それゆえ、現在その分野にサンスカーラ(精神的傾向)が作用しないのでしょう。

[ラマナが学問しなかった理由、14歳まではした]

それ以来、私は読みたいとも学びたいとも思いませんでした。

 

そんなこともあるのかも、、、大自然の書物を読むという言い方もしますしね。

山川草木・岩石・鉱物にも文脈はあります。

あらゆる文脈を読むことは、きっと楽しいに違いない。

     _________玉の海草

 


(🧉) 随処に主感 ❶〜❼くらい

2024-07-12 22:20:39 | いまの世相

__ 567ウィルス🦠以来の日本は、つまらない国に成り下がってしまいました。

人びとは、変な人が多くなりました。

逆走したり、歩道に突っ込む老人は、なんでこんなに多くなったのか?

まー、何かが水面下で潜行中なのは確かでしょう。

 

それでも、生きてゆかなくちゃならない。

せっかくブログスペースお借りしてんだから、何か語らなくちゃいけないね。それでは一つ…… 

 

 

 

ユーミンに対しては、

「いい夢を見させてもらった」

という気持ちと、

「あんな夢さえ見なければ」

という気持ちとが入り交じる感覚を抱く人が多いのではないでしょうか。

かく言う私も、その一人。

ユーミンを聴かずにもっと自分の足元を見ていたら、違う人生もあったかもね、とも思います。

[※  酒井順子『ユーミンの罪』より]

 

 

…… ユーミンは、70年代に「ニューミュージック」と名づけられた彼女独自の音楽テイストによって、四畳半フォークを駆逐して、

おしゃれな女子御用達音楽を確立した天才である。

しかし、彼女のその天才性ゆえに、世間にばら撒かれた弊害も巨きかったと言えよう。

 

ほかにも北海道から出た、夢見る少女(少女マンガ的)のようなドリカムの吉田美和や、

1983年にオープンした現実世界に現れた夢の国「東京ディズニーランド」も、その後永く続いてゆくファンタジーの世界を牽引したと言えるか。

ネットではこんな最もな声もあったな。

上野千鶴子と瀬戸内寂聴

日本人の結婚観を毀損した二人ですね。

 

この時代(80年代)は、

「ぶっちゃけ」の象徴である、写真週刊誌『FOCUS』が活躍し始めた時期とピッタリ一致する。

[※  『FOCUS』は、

1981年に創刊、2001年の第1001号で休刊した]

 

この「ぶっちゃけ」が、日本婦女子を変えた社会風潮の最たるものだと、私は感じる。

女性の文化を、「ぶっちゃけ」てしまっては、男は幻滅するしかないからである。

この時点が、いまも深刻な懸念を呼んでいる「少子化」の原点となるだろう。

そのへんの詳細な解析は、天才山田玲司(漫画家)の秀逸な「世代論」が既に発表されているから、いつかこのブログでも「まとめ」てみたいと思っている。

おとこが夢想する「やまとなでしこ」は、この時期にほぼ絶滅したと言ってよいと思う。

 

それ以降……

男は二次元へ、女は推しの世界へと没入することになる。

 

 

 

__ こっからは、過去の拙稿をまとめて掲載しておく。

 

⚫️20240515

 🔴2007年に始まる

 

「男たちは2007年に恋愛を諦めた」

…… こう言ったのは、詩人・山田玲司(漫画家)だが、彼の世代論はおそろしいほどの説得力がある。

人びとの意識変化を、漫画アニメという地下水脈で追っているからだと思う。

彼は云う、

90年代、ギャルが自分のオンナ(性)を金で叩き売りする「援助交際の時代」を経て……

世のアイドルからも清純なイメージが消えた。

そして、男たちにも自分に見合う額で買える感覚が芽生え、「会えるアイドル」が誕生する。

彼女たちには、「恋愛禁止」が課される。

若い男は、女に対して

「女は天使のように清純で綺麗なもの」という幻想を持たせてもらえなければ、心から女を愛することができないようにできている(例外はあれど)。

[※ 山田玲司『見下すことからはじめよう〜「中2」でなければ生き残れない』より]

 

…… 単純な男性性が抱くロマン志向である。

ゲーテのグレートヒェン幻想とか、近くはMJのダイアナロス幻想(フリオに取られて絶望する)とかの、「聖なる女」幻想である。

しかし、実際の社会で蔓延っていたのは、

援助交際をする女(ギャル)

(※ 若い男の幻想を裏切り続けてきた)

ヤマンバギャル(風呂に入らない)

汚ギャル

(※ ここでオトコは、潜在的に現実の恋愛から撤退した)

ホームレスギャル

(※ オトコの抱く「女=天使」像が完全崩壊する)

 

…… この、オトコたちの「天使(幻想)」が絶滅したまさにその時、時を同じくして、

バーチャルアイドル「初音ミク」が降臨する。

そしてリアルな恋愛、リアルな身体性が消滅する。

 

この一連の社会潮流に関して、

「ヤマンバ〜汚ギャル」への傾倒(彼女らにしたら、「抵抗」「防御」の意味もあったが)にストップをかけた人物が存在する。

こないだ『激レアさん』に出演なさっていた、「ラスト・ヤマンバギャル」といわれた「あぢゃ」さんの貴重な証言によれば……

社会から「ヤマンバギャル」を駆逐したのは、「ゴリエ」ちゃんだったそうだ。見事なまでに一掃されたらしい。

あまりにも意外で…… つまり、オトコがオトコの幻想を救ったのである。

 

オトコもオンナも共に、夢やぶれた者は「おひとり様」へと向かってゆくのが世の趨勢のようだが、

そこそこでいいんじゃないのと残念に思う。

 

 

⚫️ 20240323

 🔴デジタルネイティブは幸せか

田舎での少年時代を思い起こすと……

学校🏫終わったら、走って帰って、ご近所の遊び仲間(小1〜小6まで、通学時に一緒だった者たち510人位)と、自転車で隣り町に遠征したり、川で雑魚獲りして泳いだり、山に山菜獲りいったり、雪山でスキーしたり、メンコやビー玉や、〇〇カードとか集めたり賭けたり、ちょっと危ない合戦したり秘密基地つくったり、駄菓子屋に行ったり、大人のおでん屋で皆で食べたり……

暗くなるまで、騒ぎまくって、テレビで『仮面ライダー』が始まるまで帰宅するといった生活だった。

中学に上がると、そこには部活が入ってきた。

 

それが、私達から10年も年下となると……

7080年代に生まれた人びとは、上記で述べた学校が終わってからの生活が、ゲーム一色に傾いてくる。(任天堂のファミコンは、1983年に発売された)

幼い頃から10代にかけて、何に多大な時間を注ぎ込んだのかは極めて重要なファクターである。

 

田舎の少年が、友だちと野山をかけめぐって色々な経験値をあげていた頃……

ゲームに熱中していた少年は、(他人の作った)ゲームから経験を得るしかなかった。それも長時間座った不自然な姿勢で。

もう、この段階で「こころ」が壊れている。

ゲームの世界が、ほぼ自分の生息する世界になってしまっている。ゲームのルールが、少年たちの人生のルールになってくる。

 

そーなったら、面白くないゲームはやらないし、終わったらリセットしたらよい、初期パラメータ(能力値)も自分の納得するものを選びたいし、好きなだけゲームに没頭したいとなる。

しかし、ゲーム時間が終わって、現実の生活に引き戻されると、そこはゲームのようにはいかない世界である。

しかし、経験値のほぼすべてがゲームに依存している少年たちでは、ゲームの世界が実生活を侵食し始める。

そーいった「ゲーム脳🧠」から出てきた言葉が、たとえば「親ガチャ」だったんですね。

それは親不孝な発言などでは毛頭なく、ただ自分の人生(≒ゲーム)を考えた時に「初期のOS(親や育った環境)」が間違っていたという冷めた認識。

ゲームをやらない人からは、到底思いつかない思考回路なんですよ。

そして彼らは、その後「就職氷河期世代」として、まるでいいところのない青春時代を送ることとなります。

コミュ障からの「こもりびと」が多くなるのも、この世代からですね。(うつ病も同じじゃないですかね、初期外部環境の外圧による不具合発生といえるのでは)

 

わたしがゲームをやらないのは、人生≒ゲームだと薄々感じているからだと思います。

ただ彼らと違うのは、人生はコンピュータゲームのような粗雑なゲームではなくて、もっともっと精緻で綿密なものだという認識なんです。

どこかの誰かが設計した、狭い世界観からつくられたゲームに、自分を委ねることが出来ないのです。

 

そんな「ゲーム経験」の有る無しによる断絶は、

戦前戦後の「戦争体験」の有る無しによる断絶と、その溝の深さにおいては、ほぼ等しいものがありそうだ。

「ゲーム経験」と似た消息で、IT革命において「パソコン・スキル」が世代の断絶を生んだし、また「スマホ経験」が全世代あたりまえのものとなってくる。

それ、やらなければ生きていけないのなら選択の余地はないが、果してアップデートは必須なのか迷うところだ。

 

 

 

⚫️20240424

 🔴愛されただけで終る人生って

2050年までに消滅してしまいそうな自治体が、744市町村で、全体の40%にもあたると。

この調査って、

【若年女性(2030代)】の人口の減り具合で試算しているんですよね。

街を維持するために必要な最重要ファクターは、若年女性ということが分かっているのに……

なんでチンプンカンプンな少子化対策を打っているんでしょうね?

 

田舎から都会に出てゆく若年女性は、田舎にも帰らないし、都会で結婚もしない。

自分の夢物語に没頭するだけの若年女性を育てたのは、わたしたち日本国なんですよ。

いまの日本では、たとえ生き延びても、古き良き日本の風情(日本の原風景、日本国の本質)を継承できない。

わたしの住まいする東北の町も、消滅候補に入っていた。活発な女の子は皆上京しているもんな。

いまになって思うのは、最も大切なのは教育である。

子どもの教育というよりも、良き母親(母体)を育てる教育である。

若年女性が、結婚したくない〜子ども産みたくないというのは、亡国のサインである。

 

親から愛情ふかく育てられ、その負債を返せないままに亡くなる独身女性・独身男性は、その偏ったバランスを修正しなければならないだろう。

愛というものは、受けても自分の処で滞っていると腐ってくるもののようだ。それが中高年ともなると、だんだん苦しくなってくる。愛する対象に飢えているのだ。

愛というサイクル(循環)は、受けて出して、そこで完結する。恋愛にかぎらず、根源神と私の間でもそのサイクルを全うしなければならないと思う。

 

 

 

⚫️20240427

 🔴大谷選手のもたらすもの

今朝も、オータニさんの7号ホーマーで爽やかな朝☀️を迎えました。ありがとう、おたにさん♪

 

別にオータニがホームラン打ったって、わたしの手柄ではないし浮かれてんなよ、と自戒するのが昨日までの私でした。

オリンピックの金メダルだって、自分が取ったわけでもないのに、日本の誇りだとか何とか、所詮はヒト事でしょと冷めた目をしていたものです。

 

でも、これって真相はストレスと関係するんですな。

名越康文さん(アドラー心理学)が言っていました。

人生において純粋な喜びなんてない。(近傍にはね)

 

…… 近傍ってのは、自分の身の回りにはないということ。少し遠くにはあるんですな。

たとえば、阪神が優勝したとか、いう時。

遠いところにある、ある種の幻想の中でならば、のんきに全力で楽しむことができる。

つまり、人間の場合、そうした幻想の中にしか本当の喜びはないといってもいいそうです。

なぜなら、動物はちがいますが、人間は良いことも悪いことも、どちらもストレスになるからです。

 

1970年代にアメリカ🇺🇸で行われたストレス調査で、「人間がストレスを感じる20項目」が公表されたのですが……

親しい人の死別や会社が潰れるという項目のほかに、結婚や子どもが生まれるといった慶事もまた上位に入っていたそうです。

マリッジブルーなんか該当するのかどうか、いずれにしても喜び事の折りには、くれぐれも注意しなければならないそうです。大きすぎる喜びはピンチなのです。

 

こうしてみると、誰かの推しだとか、エンターテイメントやスポーツ等の祭典は、人間にとって自分の身近な事ではない為に、【ノーストレスで純粋な喜び事】なんですね。

ヒト事ゆえに、全力で喜べる貴重な機会なんですね。

人間は、遠い幻想でしか思いっきり喜べないのですね。ひとって儚いものです。

 

 

 

 

⚫️20240409

 🔴若者は危ないのでは

霊主体従の時代

日本国のご老体は、元気で溌剌とした方々が多いです。霊主体従となったら、その心はますます肉体を若返らせることでしょう。

しかし、引きこもりやうつ病の蔓延している中年〜若者はどうでしょう。弱り目に祟り目で、より弱体化が進むことでしょう。

 

少し前に、「自分の祖国を守るために戦いますか?」という国際的なアンケート(国際価値観調査2017〜2020……

日本のために戦うと答えた人は、13%しかいなくて、

参加79カ国中で最低だった。(78位のリトアニア🇱🇹33%だから、圧倒的最下位)

 

この調査は、各国ごとに全国の18才以上の男女1000〜2000人をサンプルにするものだから……

若者だけではなく、中高年も「戦いたくない」のである。

戦後民主主義の洗礼をうけて、戦争は悪だと叩き込まれた「団塊世代」を筆頭に、

祖父母世代〜両親世代〜子ども世代

の三代にわたって、マッカーサーの日本人弱体化計画が見事に成し遂げられたことが、この調査で証明されたことになる。

 

若者世代には気づいてほしいのだが、

昭和の体制を馬鹿にして、親の意見は無視あるいはなかったことにして、自分たちの世界で生きることを選択しているように見える若者世代の実態が、

実はアメリカ🇺🇸さんから洗脳されて、まんまと三代にわたって導かれたものであるという深層の事実に向かい合ってほしい。

先代も先先代も、あなた方の準備をさせられただけなのです。

目の前の、「自分だけの生活」を守る姿勢では、そうしたメタ認知は難しかろうが。

 

ほんとうに日本が嫌いな日本人が多いよな、学校で日本の良いところを教えていないからな。

日々の先祖供養や神社参拝もせず、祭りもおろそかにしている現代日本人は、霊的にも相当弱体化していることは明らかである。

よその国の漢心(からごごろ≒リベラル)で培養されて育った日本人は、霊主体従となっても大したことがないんじゃない。

 

 

⚫️20240424

 🔴そこそこの幸せ

レンタル彼氏についてコメントした方がおられたけれども……

白馬の王子さまを追い求めて、

「推ししか勝たん」と押し活に異性付合いの代わりを求めて、

恋愛至上主義を唱えて、結婚相手をえらぶのに一切の妥協を拝して、

お見合いや周りの外圧に負けないことを自分に課してきたような女性は、

完全に団塊世代から連綿と続く、リベラルな社会風潮に振り回された人々である。

 

白馬の王子様でも理想のイケメンでもいいけれど、

何%の男子が、それに該当するだろうか。

そしてそれは女子側の%でもある。

これは、「いい成績とって、いい大学に入って、いい一流企業に就職する」といった夢をかかげた人々と同じ過ちを冒している。

その目標(夢)を実現できる人は、何%いますか。

 

多く見積もっても、その理想を手にする人は、10人に1人もいないのよ。もっと少ない。

白馬の王子様と結ばれるよりも、そこそこの幸せを手に入れる、堅実な恋愛をえらぶことは出来なかったのだろうか。

結婚は、女性がGOサインを出さない限り、まとまらないことになっている。これは人類史が始まってから変わりはない。

つまり、女性が白馬の王子様に執着する限りは、少子化は止まらないのだろう。

 

世界的に人気のあるドラマ『深夜食堂』に出てくる、キャリアハイのお茶漬けシスターズのように、

理想主義と恋愛至上主義で凝り固まったお金を持った女性が、結婚ができないのは理の当然であろう。

キノコ雲に万歳しているようなTシャツを着ているような某国のアイドルを推したり、二次元の男の子に夢中になっていたり、ホストに貢いだり、刹那の幸せにかける、すさまじいばかりのバイタリティである。

二十年ばかし、そうやって夢を追いかけたら、ある日独居老人になっている、あるいは成るであろう自分に気づくであろう。

 

そこそこの幸せに満足できなかった人は、いつまでも理想を追い求めるしかないのです。

自分の理想に殉じる、その意味では幸せでしょう。

 

 

 

 

⚫️20240616

 🔴音読すれば分かる

「誤読も含めてその人の理解力」ということで、

『読書百遍、義、おのずからあらわる』であり、百回読めばよいと言う読者のかたがおられました。(スマホ中毒の現代人には無理だとは思うが)

平易な文ばかりではつまらないという点も、もっともなことだと同意いたします。

「門前の小僧習わぬ経を読む」と申しますように、

繰り返しによる「薫習」で自然と身につくやり方もあります。

 

BSの、鈴木保奈美『あの本、読みました?〜』で取り上げられていて……

40年にわたってベストセラーで、東大生がもっとも買った文庫本一位だった、外山滋比古『思考の整理学』の一節が強く思い出されたので引用しますね。

 

【声で考える】のは、現代人においても決して見すてたことではなかろう。

書き上げた原稿を読みなおして、手を入れる。

原稿は黙って書くが、読みかえしは、【音読する】

(中略)

そして、【もし、読みつかえるところがあれば、かならず問題がひそんでいる】

再考してみなくてはならない。

沈黙の読み返しでは、

たいていこういうところを見のがしてしまう。

声は、目だけで見つけることのできない文章の穴を発見する。

声は思いのほか、賢明なのであろう。

[※  【】は私が挿入]

 

音読してみて、「読みつかえる」箇所がないか検証してみるのは有効であろう。

コトバは音にすることによって、言霊となり、文字とはまったく違った作用を起こす。

昔の、論語の素読は「音読」であった。

グルジェフも、『ベルゼバブ』をはじめ自らの著書を弟子たちに音読させた。グルジェフの文章は、イメージを喚起させる書き方をしているからである。

 

果して、ブログ『伊勢-白山 道』のリーマンさんの文章が繰り返しの「音読」に堪えうるものか、読みつかえる処がないか、調べてみるのがよろしかろう。

 

 

__ 以上、

目ぼしい投稿をピックアップしたが、最後はやっぱり「日本語」に行き着いちゃうね。

音読してダメな文章は、悪しき日本語であるとは至言ですね。

      _________玉の海草