『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

惚けた母がつぶやいた〜 「 生きてるだけが仕合せだ 」♨️

🎼 同時代ヴァイブレーション〜 「カシオペア」 讃歌 🪐

2022-11-05 07:00:00 | 人物山脈

__この記事は、真に自分のために書くことになろう。

 

思春期に「カシオペア」と出逢って、片道15Kmの自転車通学🚲の当時、iPodやスマホのよーな携帯音楽再生装置のなかった当時…… 

繰り返し繰り返し聴いた旋律を、アタマの中で全音脳内リピートさせながら自転車を漕いでいた、若さ迸る自分を思い出すよすがとなろう。

それじゃあ、つつしんで、here, we go ♪

 

 

 

 🔴 カシオペア讃

「カシオペア」は、私の魂のバイブレーションであり、恩義のあるフュージョン・バンドであるので……

ざっと紹介しておきたい。

 

サザン(オールスターズ)とは、ヤマハのアマチュアバンド・コンテストで同期であった。

バンド名の「カシオペア」は、星座のカシオペアから由来したものだが、星座の方は  “ Cassiopeia ”  なのに対して、バンド名の方は 、

“ CASIOPEA ”  と綴る。

この違いが、案外このバンドの独自性を象徴している氣がする。

 

言わずと知れた、超絶演奏テクニックをもって鳴るスーパーバンドである。

私が聴き始めたのは、 「メイク・アップ・シティ」 からなのだが、ブルックナーの如く反復される重低音とドラムの音に素人ながら魅了されたものだ。

 

 

 

作曲は、リーダーでギタリストの野呂一生、この人の書く譜面はいつも、

【人間の可能性】への果てしなき挑戦 

である。

音の密度(音数)が高くて高性能、いわばメイドインジャパンのバンド版みたいな印象がある。

 

ギター🎸、ベース、キーボード🎹、ドラムス🥁の四つの楽器で、同じ音を出す「ユニゾン」という高難度の演奏技術があるが……

「ダズリング」(1983)という曲でやってみせた。(「スペース・ロード」がもっと前らしいが)

その当時、世界一のフュージョングループだった『シャカタク』が、えらくこの曲に惚れ込んで、練習して演奏コピーして、どうなもんですか?とばかりに、カシオペアに送りつけてよこしたそうだ。

 

野呂(一生)くんの厳格な指導のもとに、ドラマーデビューした神保(彰)くんは、猛練習の末にわずか2年で、トップドラマーのハービー・メイソンに認められるほどの腕前になり、ファンである私達は雀躍りしたものだ。(当時の日本はまだ、舶来の威力があった)

 

彼は平然と34時間ドラムを叩き続けるが、疲れを知らないその端正な姿に、達人の佇まいを観る。

【初期の神保くんの名曲。野呂くんとは180度ちがうが、通底するものは存外に似ているのかも知れない。この曲は、大阪で共通一次試験を終えた帰り途、電車🚃の窓から、薄く粉雪をかぶった「太陽の塔」が見えた時に、内奥から湧き上がってきた、思い出の曲】

 

 

野呂くんのソロ・プロジェクト「ISSEI NORO INSPIRITS」では、『432H』(2015年)という432Hzのアルバムもリリースしている。

【 432ヘルツに取り組む辺り、野呂くんらしい♪

24:15 Reality    29:15 Flare     34:56 Heart of Tender

【野呂くんの人間としての深化が、如実に感じられるアルバム。野呂くんは、朝陽よりも夕陽🌇の人よ、日本海ですよ。よくここまで到られたものだ。

08. 33:13 future dream   09. 38:03 night surround    

 

 

 

__ カシオペアの楽曲で大好きなのは三十曲ではきかないと思うが…… カシオペアとしての純度の高い作品は、初期のふたつのアルバム

『ミント・ジャムズ』(1982)

『ジャイブ・ジャイブ』(1982)

であろうか。

まるでスタジオ・レコーディングしたような精確さで、一音一音を大切になさっているのがよく分かる。

【このアルバムは、ライブ収録だということを知らないで、ヘビーローテーションしていた。暗めの「ドミノライン」「ミッドナイト・ランデヴー」がいいが、全体としてカシオペアの魅力がつまっている、バランスのとれた名盤であろう。

Tracklist:

00:00 | Take Me     04:49 | Asayake     09:47 | Midnight Rendezvous                14:43 | Time Limit     17:20 | Domino Line     24:41 | Tears Of The Star  29:09 | Swear  

 

【このアルバムは、出世したカシオペアが、ロンドンで録音したものだ。この全編に貫く 「UK🇬🇧の香り」 に当時脳内に電気ショックを受けたものだ。全曲がイイ曲、この辺の野呂くんの作曲センスには脱帽するほかない。

[Track List]

00:00 - Sweat it Out     04:13 - In the Pocket 07:56 - Right From the Heart    12:07 - Step Daughter     15:57 - Secret Chase     20:51- Fabbydabby     24:48 - Living on a Feeling     29:12 - S-E     34:24 - What Can't Speak Can't Lie   】

 

 

ー来月10月に、新生「CASIOPEA-P4(カシオペア・ピーフォー)」として、ニューアルバムがリリースされる。

 

【野呂くんは、魔王的カリスマ😈なんだから、へこへこリズムに合わせて動かなくてもいいんだよ。軽快さに迎合する必要は微塵もない。】

 

 

 

🔴 Gurdjieff(グルジェフ)と Casiopea

 

…… 西洋ではルネサンス頃まで、「地🌐・水💦・火🔥・風🌪️」の 四大元素(エレメント)で世界は出来ていると認識されていました。

それゆえ、人間も自然の一部であり、四大元素で構成されていると考えるのが普通であったようです。

 

そんなことで、18歳でグルジェフに最初に出逢ったとき、ああ、カシオペアの野呂くんみたいな、底の抜けた悪魔的な徹底振りなのねと思ったのを思い出した。

80年代の若者はよく、照れも敬意もあり、先輩のお名前に「くん」をつけて呼んだものだ)

 

公称1月1日生れのグルジェフ、野呂くんもまったく同じ日生れ(地象の山羊座♈️)。

一番弟子のウスペンスキーは神保くんと同じ水象の魚座♓️であった。逆らって勝手に卒業していった処は、ベース櫻井くん(水象の蠍座♏️、新メンバーの鳴瀬さんも同じ誕生日)とも通じる。

J.G.ベネット(のちにスブドに進む)とトーマス・ド・ハートマン(リムスキー・コルサコフの弟子で世界的ピアニスト、画家カンディンスキーは友だち)のお二人は共に風象星座で、鉄道マニアとしても一家を成したキーボード向谷くん(天秤座♎️)に相当しましょう。

 

【わたしにとっての「カシオペア」は、やっぱりこの4人である。

上段のお二人〜左から 櫻井くん、野呂くん

下段のお二人〜左から 神保くん、向谷くん】

 

グルジェフが、女性作家(キャサリン・マンスフィールド)はじめ色々な人びとを育てたように、野呂くんもカシオペアのメンバーを育てました。

グルジェフが超一流のダンサーだったように、野呂くんはバク転のできる運動神経抜群の天才ギタリストでした。カシオペアはメンバー全員が作曲までこなすのです。各々自身のオリジナルアルバムを出したこともありました。

カシオペアを脱退したあとに、さまざまなグループで働けるのは、それぞれのメンバーに類い稀なオリジナリティが在るからなのです。

 

【ピラミッド】‥‥アルバム💿 Ⅰ ・Ⅱ ・Ⅲ すべて圧巻の多彩さ。RIP〜和泉宏隆。三人ともに慶應の幼なじみ。

【ベスト盤。02. 05:01 Moon Goddess 、05. 21:34 Tornado(ともに和泉さん作曲)、フツーに始まってドラマティックに終る、境涯の旋律、素晴しい楽才。

【 私にとっての白眉、「Night Stream」神保くんの作曲】

 

【オットットリオ】‥‥ 三人のスーパーギタリストの個性が三つ巴の傑作。

06:03 02 Sea Dragon、18:32 04 You've Got A Friend、29:47 06 Sunny 】

 

「ペガサス」、「インスピリッツ」など素晴らしいユニットを輩出しました。

現在は、「かつしかトリオ」に結実していますね、あれはジャズ・ファンクの精髄ですね、80年代のカシオペアの匂いがします(スクエア系からは、「あかさかトリオ」が出ています)

 

【かつしかトリオ、カシオペアの3/4ですが、三色とも良き風情、野呂くんの大魔王のエキスは入っていない。「ダウン・アップビート」みたいな暗い反復の厳格さに野呂くんの真骨頂があると思うんだよね。野呂くんのソロ・プロジェクトには《無常》が心の襞にしみこむような、静かに鼓舞するような曲がある。野呂くんは真面目で照れ屋なんだけども、真理の探究者を感じる。甘く無いんですよ、ひたひたとやり遂げる強い意志があるんだよ。】

【 2曲目が、02. down upbeat 03:18 】

 

【多方面(鉄ちゃん、鉄道シュミレーター🚃)でご活躍の実業家の顔も持つ向谷実。AKBの「もうこんな時間」も楽曲提供している。ここでは、2曲演奏しているが、いずれもイイ曲 ♪

《 2:50 》 から始まる、2曲目の「 UMS(うちのミノルがすみません)」は新婚の奥さんが作曲したもの。】

 

 

【初期カシオペアのベース(チョッパーベース🎸)弾いていたイケメン、櫻井哲夫の歌曲。1986年にカシオペア・メンバーそれぞれにソロアルバムを創ったことがある。櫻井くんのアルバムは、本人の歌う渋い歌が入っていて、歌入れフュージョンの成功例だろう。】

 

【ジンサク(神櫻🌸)】‥‥

【 JINSAKU のデビューアルバム。その奔放で自由な情緒に打ちのめされましたね、傑作です。なかでも、

0:00 Gypsy Romance 9:15 The Last Scene 27:02 A Man From The Andes 34:16 Madoromi (Day Dreaming) 】

 

 

【 凄いサウンド、その重厚さに浸れる。なかでも、05. Struttin 23:06   、まるで核融合を思わせる楽曲。】

 

 

【※ 驚異のスピンオフとして;  CASIOPEAをリスペクトするコピーバンド、“ NETPEA ” と名乗った一時期もあったのだが、リモートセッションでここまでの音を聴かせる玄人はだしのスーパー素人達。名曲「シャンデリア」のドラムスの導入部のアレンジには心ときめいた ♪ カシオペア・ファンには是非ご一聴願いたい動画です。】

 

 

カシオペアといったら、当時から「針の穴を通すような演奏」と評されて、音楽仲間からも畏敬されていました。

ユニゾンを多用する超難曲を平然と演奏する彼らは、まるで修行僧のようでした。

なにか、楽しいミュージックでも決して手を抜かない、ストイックな姿勢も、日本人的で好感をもたれた処かも知れません。

 

ーひさしぶりに、CD💿買いました。野呂くんの新生「カシオペア・P4」の門出を祝福したかった。スティーブ・ガッド張りに、しっかりした打音を感じました。

 

この時期に、こんなにもワクワク感を抱かせてくだすったこと、まことに有難く、深く感謝いたしておりますよ。

           _________玉の海草


《玉断》 G.I.グルジェフ まとめー下巻

2022-06-05 15:30:10 | 人物山脈

__ グルジェフの『注目すべき人々との出会い』には、グルジェフに負けず劣らずの個性が目白押しである。畏れるべき人物のまわりには、凄いレベルの友人たちが犇めいているものである。ひとりの傑出した人物が出来上がるには、数多の同じような偉材が背景にいることは確からしい。

【グルジェフ自身による自著・森羅万象三部作のうち、第二作目がこの『注目すべき人々との出会い』である。造語に溢れて故意に難解にしあげられた大著・第一作の『ベルゼバブの孫への話』や、未完に終わった第三作の『生は<私が存在し>て初めて真実となる』と比べれば、グルジェフが邂逅した偉大な人物とのエピソードをまとめたこの本は、物語性もあり、一番読みやすいかも知れない。この本に記された太古から続く秘教スクール・サルムング教団については、オカルティスト達が躍起になって居場所を特定しようとしたものである。】

 

 

“ 存在に「語り」かける 

[2009-11-29 19:54:43 | 玉ノ海百太夫]

 

グルジェフが、旧友・スクリドロフ教授と連れ立ち、必死の潜入行を試みていた途次…… 

ギリシア人繋がりで邂逅した、世界同胞団の俗名「ジョバンニ神父」から学んだとして、知識と理解について注目すべきことを書き留めている

ある人が他の人に何かを話すとき、

話し手自身の内に形成されている資質の如何によって、聞き手に認識されることの質が異なると云う

その実例として、世界同胞団の二人の高齢の同志について触れている

 

ひとりはアル修道士、もうひとりはセツ修道士と呼ばれている。この二人は、わが派の全僧院を定期的にまわり、神性の本質のさまざまな面について説明するという仕事をすすんで引き受けておられる。…… 略…… 

聖者としてほとんど優劣つけがたく、同じ真理を語っているにもかかわらず、この二人の同志の講話はわが同志すべてに、とりわけわしに異なった効果を及ぼす。

 

セツ修道士の話は、まったくのところ極楽鳥の歌のようじゃ。その話を聞くと、人はいわば内面をさらけ出したようなかたちで忘我境をさまよいだす。

その言葉はさらさらと小川のように流れ、聞き手はもうセツ修道士の声を聴く以外何も欲しくなくなってしまうのじゃな。

ところが、アル修道士の話はほぼ正反対の効果を及ぼす。

話し下手で、曖昧なのは明らかにお歳のせいじゃろう。彼がいくつになるのか誰ひとり知らない。

セツ修道士も大変な老齢で三百歳とも言われておるが、まだまだかくしゃくとしておられる。それに比べて、アル修道士の老衰は目に見える。

セツ修道士の言葉を聞いた瞬間に受けた印象が強ければ強いほど、その印象は霧散してしまい、ついには聞き手の中に何一つ残らない。

しかし、アル修道士の言葉は初めはほとんど何の印象も残さないが、あとになって日に日にその骨子がはっきりとしたかたちをとり、全体が胸(ハート)の中に沁み渡って、永久にとどまるのじゃ。…… 略…… 

 

『セツ修道士の話は彼の 心から出て、われわれの心に作用するが、

アル修道士の話は彼の 存在から出てわれわれの存在に作用するのである。』

 

さよう、教授(スクリドロフ)。知識と理解はまったく違ったものじゃ。

存在に通ずるのは理解のみで、知識は存在の中の束の間のありようにすぎない。

知識は古くなれば新しい知識にとって替わられる。結果的に見れば、いわば虚から虚への移り変わりでしかない。

人間は理解を求めねばならない。

-引用『注目すべき人々との出会い』より

 

 

補足

[2009-11-30 23:59:36 | 玉の海百太夫]

 

ジョバンニ神父は、こーも云われています

> …… 理解というのは、いまも言ったように、意図的に学んだ情報の全体と、個人的な経験とによって得られるものなのじゃ。

それに対して知識とは、言葉を機械的に特定の順序で暗記することにすぎない

人生の途上でいま述べたようにして形成される内的理解を、他人に分け与えることは、たとえ心からそう望んだところで不可能なのじゃ。

-*G.I.グルジェフ『注目すべき人々との出会い』棚橋一晃監修・星川淳訳・めるくまーる社-より

 

…… 宮沢賢治が「自然の書を読む」といい、寺山修司が「書を捨て 街に出よう」といった消息…… 

釈尊の「拈華微笑」、禅の「不立文字 教外別伝」もまた…… 

イスラームの大賢ムーサー・ジャールッラーハが「神の不思議な創造の御業を実際にこの目で見るために、世界中を旅する」のも同様に、自らが直

面し直接触れて理解する『体験知』の見地に立ってのことだったのでしょー

存在に作用するのに、必ずしも言葉(≒知識)は必要ではないつーことなんですナ

無言の教えとゆーものは、確かなものです

【碩学・井筒俊彦に、アラビア語とイスラム文化を伝授した大賢者・ムーサー。】

 

グルジェフの、「エニアグラム」をはじめとする数々の叡智はイスラム由来なので、イスラム学者を代表する大賢ムーサーにも触れておこう。

● 本場のイスラーム社会で哲学者として活躍され、地元の人々からも 大いに尊敬された学者に 故・井筒俊彦がいます。 掛値なしに碩学と呼べる最後の人と評されたほどの御仁です

彼が生前、司馬遼太郎と交わされた対談『二十世紀末の闇と光』の中で

驚くべき天才学者 ムーサー・ジャールッラーハ との邂逅を 懐かしく振り返っておられます。

とにかくイスラーム世界にその人ありと知られた大先生との事で、『コーラン(クルアーン)』『ハディース』は固より

イスラームでやる学問の本なら 何でも頭に入って(暗記して)いるから、その場でディクテーションで教えてやる”(ムーサー・談)って具合で

本一冊持たずに 空手で一所不在に諸国を漫遊しているぉ方なのです 。出逢った頃は 世界旅行の途次、日本に寄られ 在日イスラーム・コミュニティーの世話になっていたのでした。

そうした大学者の家庭教師に 井筒は「何のための世界旅行ですか?」と単刀直入に尋ねている。

その応えを 以下に引用する。

「 神の不思議な創造の業を見るためだ。それが本当の意味でのイスラーム的信仰の体験知というものだ。本なんか読むのは第二次的で、まず、生きた自然、人間を見て、神がいかに偉大なものを創造し給うたかを想像する」 (ムーサー)

 

 

● グルジェフ『ベルゼバブ』より

毎日、日の出時に、

そのすばらしい輝きを見ながら、

おまえの身体全体のさまざまな無意識の部分と

おまえの意識とを接触させ、その状態が長く続くようにしなさい。

そして、無意識の部分が意識的だと想定して、

その部分に次のことを自覚させなさい。

もし無意識の部分が、おまえの機能全体を妨げるならば、責任ある年代になっても、その無意識の部分のためになる善をなすことができないばかりか、

その部分を含むおまえという存在全体は、われらが「共通の永遠なる創造主」に奉仕することもできなくなり、

その結果おまえは、誕生し生存していることに対する恩返しをするにも値しない存在になるであろう。

 

…… 昔からご来光を拜するのは、「無意識」に語りかける手段だったのですナ

 

● グルジェフは云っている

『隣人を見つめ、その人の本当の意味を知り、その人がやがて死ぬということを実感すると

あなたの中にその人への憐憫と慈悲がわき起こり、ついにはその人を愛するようになる。』

 

『人々があなたに言うことではなく、あなたをどう思っているかを考慮しなさい』(グルジェフ)

 

『われわれは過去をふり返り、人生の困難な時期だけを思いだし、平和な時期は少しも思いださない。後者は睡眠である。

前者は奮闘であり、それゆえに人生である』(グルジェフ)

 

『ベルゼバブの孫への話』の中で…… 

グルジェフの敬愛する、トルコの賢者ムラー・ナスレッディンの格言を引用してみよう。

愛弟子ウスペンスキーの精緻なる理論書『奇蹟を求めて』と、グルジェフ自身による自著『ベルゼバブの孫への話』との違いは、大雑把に言って前者は論考・評論の形をとっているが、後者は壮大なスケールのSF寓話物語である。

そして、『ベルゼバブ』には、ムラー・ナスレッディン・ホジャ(Mullah Nassr Eddin)

の格言が鏤められていて、それが巧まざるユーモアに誘なう処が、決定的に違うのである。

つまり、レベルが段違いである証しである。

 

例えば、聖仏陀の教えに対する、知ったかぶりの大ぼら吹き(ハスナムス)による歪曲についてはこんな具合です

「もとの香りだけがかろうじて伝わってくるわずかな情報」(M=ムラー・ナスレッディン)

他にも

「あらゆる誤解の原因は、すべて女性の中に探らなくてはならん」(M)

「その中には何でもあるが、ただ核、あるいは芯だけが欠けておる」(M現代人の精神について)

~ずる賢さでは誰にもひけをとらない、われらがルシファーもうらやむほどの「とてつもない、でたらめな」お話をでっちあげた

「人間にーとってのーあらゆるー真のー幸福はー彼らがーすでにー経験したーこれもまたー真であるー不幸ーからーのみー生じるーことがーできる」(M)

~偉大なる自然、われらが共通なる母

「どんな棒にも必ず2つの端がある」(M)

~もし馬鹿騒ぎ(汎宇宙的な生の原理)をするのなら、送料も含めて徹底的にやれ

~いわゆる「率直で信頼にあふれた相互関係」が確立された時にだけ善きことを受け入れることに対する抵抗が消えるという人間特有の性質

~時間が経ってもおさまらない立腹というものはない(ロシア諺)

「自分の膝は飛び越えられないし、自分の肘に口づけしようとするのも馬鹿げている」(M)

「高まりゆくジェリコのラッパのよう」(M)

『魂をもつ者は幸いなれ、また魂をもたぬ者も幸いなれ、

しかし魂を受胎し、産み出そうとしている者には、嘆きと悲しみがあるであろう』(聖キルミニナーシャ)

 

 

● “アジア人の作法~ 全人的に付き合う

[2014-05-22 01:28:59 | 玉の海]

 

(*星川淳・訳『注目すべき人々との出会い』より)

グルジェフの、

「いまだ母なる大自然からそう遠く隔たっていないアジア人たち」

に対する信頼感は、

老ペルシア賢者の話に託して吐露される

それはヨーロッパ的な意味での知性ではなく、アジア大陸で理解されているところの聡明さ、つまり知識だけではなく【実存にもとづく聡明さ】をそなえた人であった。

地理的条件その他によって現代文明の影響から隔離されている今日のアジア大陸の住民のすべてが、ヨーロッパ人よりも遙かに高度の感受性を発達させていることは周知の事実である。

そして、感受性が常識の基盤であるために、これらアジア人種は、一般的な知識量の少なさにもかかわらず、現代文明のただ中にいる人々よりも、ものごとについていっそう正しい見解を持っている。

観察対象についてのヨーロッパ人の理解は、すべてに万能の、いわば『数学的情報』だけに頼っている。

それに対してアジア人の大部分は、ときには感受性だけで、ときには本能的直観だけで対象を把握してしまうのだ。

……… そんなアジア人にものを尋ねる際の作法について、グルジェフが解説している条りがある

>…… 私たちはくだんのエズエズーナヴーランに近づくと、

【しかるべき挨拶】をしたうえでその傍らに腰をおろした。

その地方の民族のいろいろな礼儀に従って、私たちは【本題にはいる前に】、彼と【よもやま話】を始めた。

…… G(グルジェフ)が云うには

ヨーロッパ人は、「頭の中にあることはほとんど必ずと言ってよいほど口に出る。」

ところが、アジア人にあっては、「精神の二重性が高度に発達している。」ために、外面は懇切丁寧であっても内面では何を考えているか油断はならない

アジア人は自尊心と自愛に満ちている。その地位にかかわらず、彼らのひとりひとりが、自分の人格に対してすべての人からある種の扱いを受けることを要求するのである。

彼らの間では、本題は背景にしまってあり、それを持ち出そうと思ったら、話のついでのようなふりをしなければならない。

この人の前に出ても、私たちがすぐに質問を切り出さなかったのはそのためだった。必要なしきたりを守らずにそうすることは厳禁だったのだ。

…… この辺りの呼吸は、うちの田舎の長老に払う礼儀に通じるものがある

不躾にいきなり、返答を求めるのは無礼なのだ

人間同士の信がない場合、情報のやりとりは無意味なものとなる

 

 

  [2014-05-23 00:56:00 | 玉の海]

 

きのうの “アジア人の作法” の舞台となった

パミールからヒマラヤ越えの探検行を、盟友カルペンコと伴にしていたグルジェフ等一行は…… 

奇観がつづく迷路のよーな山岳路を案内できる唯一のガイドを、途中失ってしまいます

筏をつくり、川路を進むために木材の調達のために地元の民に教えてもらう必要にかられました

道を尋ねる場合もそーですが、しかるべき礼儀を踏まなければ、ウソを教えられてもしょーがないのです

このコミュニケーションは、命懸けであり、ひとつ間違えば路頭に迷うこと必定でしたから…… 

そーした危機を数知れず潜り抜けてきたグルジェフのアジア人観には、心から感服致しました

アイゾール人はずる賢い悪党として知られている。

トランス・コーカサスにはこういう諺さえあるほどだ。

『ロシア人を7人煮ると

 ユダヤ人が1人できる。

 ユダヤ人を7人煮ると

 アルメニア人が1人できる。

 そのアルメニア人を7人煮ると

 アイゾール人がやっと1人できる。』

 

…… いまや世界にその名を轟かせる華僑とて、ユダヤ商人と比べたらまるで歯が立たないと聞く

世界のずる賢いランキングは凄まじい

グルジェフが育ったアレクサンドロポルは、当時ロシア領だったが現在はアルメニア領である

通った学校のあったカルスも、当時ロシア領であったが現在はトルコ領である

それゆえ、ロシア生まれのアルメニア人とゆーことになろーグルジェフの初期の著作は、アルメニア語で書かれている

 

 

● “ 御コロナ様でも関係ないさ

[2021-04-24 00:26:25 | 王ヽのミ毎]

 

グルジェフに「超努力」とゆー造語があるが、試練の先を見据えた言葉だなと思う

霊的な「所得」なんでしょーな、きっと

 

「われわれはいつも儲けています。

だからわれわれには関係ありません。戦争であろうがなかろうが同じことです。

われわれはいつも儲けているのです。」(P. ウスペンスキー『奇蹟を求めて』より)

 

‥‥ この発言は、風雲急を告げるロシア革命前夜、偶然グルジェフと列車に乗り合わせた著名なジャーナリストが、この不思議な東洋人(グルジェフとは知らなかった)との会話をある新聞に掲載したことから、知られることになった

ロシア革命の混乱を避けながら逃亡を続け、

そしてその逃避行そのものをワークに変換してしまうグルジェフという男。

多くの者が恐怖にとりつかれ、幻想と狂気に陥っていったあの大混乱を、実に「ずるく」泳ぎぬき、

コンスタンティノープルへ、さらにはヨーロッパへと脱出していった男。――この逃避行は本書(『グルジェフ伝』)の圧巻のひとつであり、またこれまでのどの類書よりも詳しい ものだ。

そこからは、コーカサスの山々を越える弟子たちの不満の声や荒い息遣いさえ聞こえてきそうである。

その苦難を、グルジェフはひとつのワークに変えてしまった。

【儲けて】しまった。

いつも、どんなことがあっても、たとえそれが戦争でも、そこから「儲け」を出す。

これがいかに至難の業であるかは、日々のちょっとしたことに苛立ち、怒り、嘆き、困難を避け、あるいは先送りしようとしている私/われわれの日常を振り返れば一目瞭然であろう。

われわれの通常の一日は、まったく「儲け」がないまま終わってしまう。「儲け」もないまま、喜怒哀楽に振り回される日々が続く人生の中で、誕生の時に渡された資金は数十年で底をつき、まったくの無一文になって塵に還っていく。

[ 浅井雅志『トランスパーソナル心理学の一源泉としてのグルジェフ』より]

 

‥‥ 呆れた力業とゆーか一大プロジェクトですよね、

革命の大混乱の中、自分の家族どころか大勢の弟子まで引き連れて次から次へと脱出行を成し遂げつづける

平然と弟子の「ワーク」として、その試練を提供しながら、ともに乗り越えてゆく

グルジェフは、その費用の金策も独りで間違いなく行なった

弟子から借りて質入れした宝石を後年律義に探し出してそのものを返している

 

グルジェフにとっては、いまのこの御コロナ騒動も何の支障もあるまい

正しく受け容れることを知っているとゆーことか

詰まる処、「生活費」の捻出なのだが、グルジェフの場合これに霊的「活動費」が加わる

物質的問題についてとゆー小篇(正確には速記録、『注目すべき人々との出会い』の巻末に収録されている)がある

これが、涙なしには読めないグルジェフの金作り(つまり「物質的問題」あるいは金策)物語で……

本当か嘘か、ニューヨークでアメリカ支部の資金を稼ぐために、ドル肥りの富豪たちから寄付を募る腹づもりで語ったものだった

優秀なセールスマンは「どうか買ってください」なんて哀願トークはせぬ様に、グルジェフも「どうかお金を寄付して下さい」などとは一言もいわないのだ

グルジェフは、素知らぬ素振りで売りつけるよーな真似はしない、これから売りますよ と宣言してから見事にその通りになるのである

潤沢なドル保持者に呼びかける口上はこんな具合である

…… 私のポケットそのものがドルの種を蒔くにふさわしい肥沃な土壌であり、そこで芽を出したドルは、種を蒔いた者に客観的意味合いでの人生の真の幸福をもたらす性質を持つにいたるということに、皆さんの誰もが気づくような語り方をするつもりである」

ただでさえ困難な寄付募集を、グルジェフは通訳を介して行なうのである(声の抑揚が大切らしい)

いかに人間とゆーものを熟知しているか窺える

そんなグルジェフの心に刻印されているモットーは、トルコの賢者ムラー・ナスレッディン(ナスレッディン・ホジャ、トルコの「一休さん」みたいな庶民の人気者)の格言より

「人生のいかなる状況にあっても、つねに有益なるものと、意にかなうものを結びつける努力をせよ」

上記の逃避行中も、これで乗り切ったのだろー

            _________玉の海草

 


《玉断》 G.I.グルジェフ まとめー上巻

2022-06-05 13:00:39 | 人物山脈

__ 真に驚嘆すべき人物、G.I.グルジェフ(1866〜1949年)について、折に触れて綴った拙稿をまとめておきたい。

およそ30年に渡って、こんな私を鼓舞しつづけてくれた掛け値無しに偉大な人物グルジェフ、天下の奇書『ベルゼバブの孫への話』を後世のわたしたちに遺してくれた大作家でもある。

ひとり精神世界に屹立する先達であるのみならず、13世ダライ・ラマを指導し、ナチスドイツのヒットラーまで手玉に取った「詐欺師」の一面を併せ持つ異能の人物。現代に名を成した叩き上げの実業家でも、彼ほど高密度に働いた(稼いだ)商売人はおるまい。日常的に、自らの限界を突破する「超努力」を継続してきた、真の自由人で物好きでイタズラっ子である愛すべき人物。

人類史は、彼が現れたことによって、ユーモアに溢れた優しい父性物語を復活させることになる。善悪両面に抜きん出た実力を兼ね備えた、端倪すべからざる個性、彼に似た人などどこにもいない、突出したオリジナリティー。語り尽くせぬ人間的魅力、誰も彼のようには出来ないし、難しすぎて誰も彼の真似はしようとはしないだろう。うう、喋りすぎた…… …… …… 

人間は自分一人でいたのでは、自分の弱点は絶対に分らないままである。

自分自身の弱点は、他人の上に存在する。」(グルジェフ)

 

 

● “ グルジェフの呪縛 ”

[2008-09-16 11:26:52 | 玉ノ海]

 

わが邦に初めて グルジェフの体系を伝えてくれたのは、舞踏家・笠井叡の奇書『天使論』1972・現代思潮社刊/であろうか?

1981『奇蹟を求めて』P.D.ウスペンスキー著・平河出版社刊

そして、遂に

1990浅井雅志氏が、大著『ベルゼバブ~』を翻訳なされたと聞いた時には驚喜したものだった

偉大なるG.I.グルジェフの指示どおり近代教育によって植え付けられた思考経路を解体すべく、故意に難解な表現を採っているこの大作を 3回読んだ(メモを取りながら)

…… パートクドルグ義務(意識的苦悩)、ヘプタパラパーシノク、アカルダン協会十年以上経った今でも 不図、アタマに浮かぶ グルジェフ独特の造語群…… 

この、いたって父性溢るる(雄々しい)神秘思想家の 他の諸々の賢者とハッキリ違う点は― 仕事中でも 日常の家庭生活でも出来ることを提示していることだ

もちろん、ヤりましたよ…… 馬鹿みたいに♪こんな時、グルジェフなら…… ?”って具合に 恒に念頭に、あの抜け目のない 慈愛に充ちた顔が在りましたョ

『ベルゼバブ』の次に読むよーにと指示のあった 3部作の2番目―

『注目すべき人々との出会い』星川淳訳・めるくまーる社刊/ には、グルジェフが邂逅した 愉快な友人たち♪が 続々と登場するがその無類の個性(オリジナリティ)に触れると なるほど自分は眠っているなと 認めざるを得ない! その愛すべき人間的魅力には圧倒されたものだ

真物の吟遊詩人であった父君への尊敬、プリウレ(グルジェフの私設研究寮)における ご母堂や妻への全霊的な献身を垣間見るにつけ催眠術師としての暗い過去やスパイ疑惑、イカサマ商人としての世渡りを割り引いても このオトコ、全幅の信頼をおける人間らしいイイ男だと感じた

彼の人生には、ブレが無い 人間ここまで成長出来るものなのかまったく驚嘆すべき人物である

いまだに 楽天的に人間が好きと云えるのは 彼のよーな個性に出逢っているからかも知らん

そーこーするうちに 生活に漬かり やっと懐かしい人になりかけた時に現れたのが… ISHK・Rさんである アチャー、せっかく忘れかけていたのに

とは云え、疾風怒涛の青春期をグルジェフと伴に過ごした私のよーな者からすると 本日の記事は 一入滲み入る 『感謝想起』は『自己想起』より優しい

 

“ プリウレのアマノジャク 

[2008-11-24 21:59:17 | 玉ノ海]

 

G.I.グルジェフ・談

『だれもがトラブル・メーカーであることはできないということを理解していないね。

これは人生で重要である― パンをつくるのに必要なイーストのような成分である。

トラブルや対立がないと、人生は死である。人々は現状維持の状態で生活し、機械的に、習慣だけで生きていて、良心をもっていない。

いつも、いちばんミス・マジソンを怒らせたから、いちばんたくさんの報酬を得たのだよ。ミス・マジソンにとって良いことだ。対立がないと、ミス・マジソンの良心が眠ってしまうかもしれない。…… 

 

『人々は、学ぶことを知らない』、彼は続けて言った。

いつも、話すことが必要だと考える――頭で、言葉で学ぶと考える。そうではないのだ。

感情と、感覚からだけ学べることがたくさんある。

だが、人間はいつも話しているので― 連想器官(フォーマトリー・アパラタス)だけを使っているので―このことを理解しない。

この間の晩にスタディ・ハウスでミス・マジソンが新しい経験をしているのがみなにはわからない。

かわいそうな女性だ、人から好かれない、人々は彼女をおかしいと思う、彼女を笑う。

だが、この間の晩、人々は笑わない。私がお金をあげるとき、ミス・マジソンが居心地悪く感じ、当惑するのはほんとうである。たぶん、恥を感じる。

だが、大勢の人が彼女に同情し、哀れみ、思いやり、愛情さえ感じる。

彼女はこれを理解する、だが、すぐに頭で理解するのではない。

あの時彼女は、彼女のもつこの感じを知ろうとさえしない。

だが、彼女の人生が変わる。去年の夏、子供たちはミス・マジソンを憎んだね。もう憎まない。彼女をおかしいと思わない、かわいそうに思う。好きでさえある。

たとえ彼女がこのことをすぐに知らなくとも、彼女にとってよいことである― 子供たちが、彼女が好きであるのを隠そうとしても、隠せない、表れる。それで、彼女に友だちができた 以前は敵だった。

彼女に私がしてあげる良いことである。彼女がすぐに理解するかどうかは、私は気にしない― いつか理解し、心を暖める。

ミス・マジソンのように魅力のない、自分自身と仲のよくない性格にとって、これは稀な経験、これは暖かい気持ちである…… (中略)…… だが、こういうことを理解するのには時間がかかる。』

引用:フリッツ・ピータース『魁偉の残像-グルジェフと暮らした少年時代-』前田樹子・訳 めるくまーる社

 

● “ ラフミルヴィッチ -生来のアマノジャク 

[2008-11-24 23:14:09 | 玉ノ海]

 

プリウレ=“人間の調和的発展のためのグルジェフ研究所

この研究所の主な目的の一つは「他人の不快な発現」と一緒に暮らせるように学ぶことであると言う

 

グルジェフは、人々と仲良くやってゆくことをまなばなければならない―あらゆる種類の人々と、あらゆる状況において一緒に暮らすこと、つまり、いつも人々に反応しないという意味で、一緒に暮らすことを学ばなければいけないと言った

 

> …… 中に、特筆すべき一人物がいた 六十歳ぐらいのラフミルヴィッチという名の人で、彼が他の「(プリウレ内の)ロシア人」たちと違っていたのは、あらゆることについて、飽くことを知らない好奇心を持っていたためであった

沈鬱で、陰気なタイプの人で、災難ばかり予言し、あらゆることに不満をもち、食べ物や住まいについて絶えず不平を言い、お湯がぬるいとか、燃料が足りないとか、人々が不親切だとか、世界の終末が来るとか、とにかく、どんな状況も、どんなできごとも、あらゆることを、惨事と言わずとも、惨事寸前に到らす才能をもっていた

『憶えているであろう』とグルジェフは切り出した

(彼は)トラブルを起こす子供だと言ったのを。このことはほんとうだが、子供はまだ小さい。ラフミルヴィッチは大人。

それで、子供のような悪さはしないが、彼が何をしようと、どこに住もうと、いつも摩擦を起こす性格をもっている。

重大なトラブルは起こさない。だが、いつも人生の表面に摩擦を起こす。彼はこれを直せない― 変わるには、年をとり過ぎている。

ラフミルヴィッチはすでに金持ちの商人だが、私は彼に金を払ってここ(プリウレ)にいてもらっている。驚くであろうが、そうなのだ。

彼はとても古い友人で、私の目的に、とても重要なのだ。…… (中略)…… 

ラフミルヴィッチがいないと、プリオーレ(プリウレ)は同じではない。私は彼のような人をだれも知らない。

ただいるだけで、意識した努力なしに、まわりの人々全部に摩擦を起こす人は、他にはだれもいない。』

 

『他の人が、その人自身に必要なことをするのを助けることができるほどに、あなた自身を発展させる必要があり、たとえ、相手の人がその必要性に気づいていないときでも、また、あなたにとって不利なことになっても、助けることができなければならない。

この意味においてのみ、道理に適切にかなった愛と言え、真の愛の名に値いする。』

*同上掲書『魁偉の残像』より

 

“ 得がたき内的ショック 

[2008-11-30 03:34:14 | 玉ノ海]

 

ともあれ、伊勢白山道『内在神と共に』のタイトルが 『グルジェフと共に -Our Life with Mr.Gurdjieff-』に似ていることに 今頃気づいた私し、本書から引用

 

人間は、たいてい「本質とは無関係」の心で生きている。人は、自分自身の見解をもたず、他人から聞かされることにいちいち影響されている(だるかの悪口を聞かされたばかりに、その人に悪意を抱く人の例が挙げられた)

研究所(プリウレ)では自分自身の心で生きることを学ばなければならない。

…… 略…… 

そのため、研究所に新入生が来ると、わざとむずかしい状況をつくり、あらゆる類の問題を発生させて、仕事・ワークへの関心がその人自身のもつ関心なのか、それとも、人から聞かされた関心にすぎないのか、自分自身でこの点を明確にさせるように仕向けるのである。

…… 略…… 

人が人生でみじめに感じる一時期も、これと同じ状況から発生する。

人は、外的影響により偶然自己の内部に形成された「本質とは無関係」の心で暮らしている。

そういう生活が続くかぎり、人は満足している。

ところが何かのきっかけで、外部からの影響が存在しなくなると、人は関心を失い、みじめになる。

自分自身のもの、自分から取り去ることのできないもの、常に自分のもの―が存在していない。これが存在し始めるとき初めて、このみじめさがなくなる。

トーマス&オルガ・ド・ハートマン夫妻共著 前田樹子訳 めるくまーる社刊

 

●  グルジェフのワークに意識的苦悩が必要なわけは、それが即 『自己想起』が大切であることを思い出させるからだと認識している

タバコ好きが禁煙すれば禁断症状を覚える度に、なぜ禁煙しようとしたのかを思い出す

人間は、いくらいいことに思い至っても、次の瞬間には容易に忘れる生き物だからである

かの神のごときプラトンですら、生涯の(見神による)至高体験は、わずか四回に過ぎない 皆等しく、忘れるのである

してみれば、四六時中経営を念頭において忘れない社長は良さそーなものだが、さにあらず…… Rさんは、驚くべき方法論を述べておられる

高度な集中から忘却、そして没入― この過程においても、切れ目(隙間)なく『感謝の思い』だけは存続される

仏門における正念存続とは、自己想起=感謝想起のことだったのかあ

とすれば、ひとつしか出来ない男にも望みはある

この無能には、恩寵がふくまれている

創造的な仕事は、隙間あるながら作業からは産まれない

冗談めいているが

生死の原点に戻る『感謝の思い』により不断に神ながらに生きることのみが、唯一ゆるされるながら作業なのかも知れん...

 

 

『自分自身のことだけを考えなさい(もちろん、正しい方法で)……

なぜなら、そのとき初めてあなたは他人のことを考えることができるようになるからだ』 -ベルゼバブ

『私に従えば、あなたは私を見失うだろう。

自分自身に従えば、あなたは私と自分自身の両方を見出すだろう』 -グノーシス主義に伝わる、キリスト=イエスの箴言

『太陽より眩しく、雪よりも白く、エーテルよりも精妙なものは、私の心の中にある自己である。

私はその自己であり、その自己が私なのだ』 -Gの直弟子・オレイジによるマントラ

[*引用:C.S.ノット『回想のグルジェフ』コスモス・ライブラリー-より]

 

けたはずれの人物

[2009-11-13 23:24:59 | 玉の海]

 

「彼はけたはずれの人間だった。どれくらいけたはずれだったか、君には想像もつかないだろう」

/ウスペンスキーのグルジェフ評

 

桁外れな人物とゆーものはいるものである

南方熊楠を、いまから四半世紀前に初めて知った時(今東光経由)…正直、「嘘だろう!?」と思った

あまりに度外れていたからである

しかし、仔細に裏を取って調べて行くうち

熊楠翁と同時代人には(つまり明治人)、彼に限らず途轍もない図太い個性が目白押しである

ちなみに、グルジェフも1866(cf.明治維新1868)生まれ

土性骨といいますか、この時代の人間は徹底している

うちの爺さまも明治生まれで、ご近所にはシベリア抑留帰りの身も竦むほど怖い爺さまもおった

この世代の特徴は、男女共に愚痴を言わないのと、人はやれば出来るとゆー強い信念を持っていたことだと思う

弁解が大嫌いだった

そんな自ら恃むことの強く潔かった日本人が…… 「人間は弱いものだから」とか云い始めたのは、太宰治に象徴される『大正デモクラシー』以降のことだと聞いている

明治大好きの私としては、このブログによく出てくる「ヘナチョコパンチ」「ミジンコパワー」には、どーも抵抗がある

遣る前から、それではあまりに覇氣がない

 

明治の氣骨に触れるには、杉山茂丸『百魔()()巻』講談社学術文庫-あたりが、読み物としても無類に面白い

著者は、『ドグラ・マグラ』の夢野久作のご尊父。国士頭山満の盟友で、人形浄瑠璃の世界に偉大な貢献を果した。「インド緑化の父・杉山龍丸」は茂丸の孫である。)

 

それと昨年、絶版だった『弓と禅』(中西政次著・春秋社刊)が復刊された

かのオイゲン・ヘリゲル博士の同名の書とは別物

ここに、桁外れの人物、弓術家『梅路見鸞』がお目見えする

Wikiに拠れば…… 

円覚寺の釈宗演老師より印可を受け、

明治42年からの7年間で、柔、剣、居合、馬などの武術と書、浄瑠璃、俳句、茶ノ湯などの芸道を修行 いずれも傑出したと云う

心は万物の宗なり、これを得れば聖賢となり、これを失すれば狂愚となるという。

この心とは各自本有の心、即ち不垢不浄なる真の清浄(宇宙当然の真理)である。この心の胎得顕現を道を得ると云い、真の修行と云う。

本来修行は、名人達人或は学匠となるのではない。

唯人間の本来は不垢不浄たるの清浄そのものであることを相対絶対を超えて、内証大自覚することである。

故に 師によって受くべき無く、又与えらるる無き、『無師成道』である。

            _________玉の海草


《玉断》 長身で腕っぷしも強い〜 大霊能者の孔子

2022-06-02 18:00:12 | 人物山脈

●  “ 大霊能者としての孔子

[2020-05-05 02:10:24 | 王ヽのミ毎]

 

孔子(BC552BC479年)の言行録『論語』に関しては、私達は教科書で習うものの、何か根本的に間違って教えられたのではあるまいかと…… 歳とってから、沸沸と疑問が湧き上がってきた

『論語』が、たんなる人生訓や処世術めいたフレーズだとしたら、2000年以上もの間最重要古典として大事に反復学習されるはずはないのだ

碩学・幸田露伴をはじめとして、孔子を「萬世の師表(=永遠の師)」と仰ぐ人々を見ると各々並大抵の人物ではない事も気になった

 

儒教の中心的書物『四書五経(「論語」「大学」「中庸」「孟子」/「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」)』は……

本来ならば、四書【六】経であり、

秦の始皇帝が断行した焚書坑儒によって、「楽経(がっけい)がコノ世から抹消された(失伝した)のだと聞く

何故消されなければならなかったのか?

この点について、内田樹と安田登(能楽師)の対談で触れられていたのを興味深く拝見した

> 内田「孔子を読むなら、まず儒者という職業は実在したし、現に雨乞い(儒の旁である需は、雨を求めるの意)として機能していたのだという前提がないと始まらないと思うんです。

『論語』は古代人の経験を踏まえた実証的で具体的な技術書なんであって、

それを抽象的で道徳的な教訓だと思って読むからつまらなくなってしまう。」

安田「そして、論語に書いてある【礼や楽に関する技術は危険】であり、だからこそごく一部の人にしか知らせることのない秘伝だった。すごいマニュアルですよね、きっと。

ただ孔子がこれを書いても安心だと思ったのは、そこに行くだけでは出会えないからではないでしょうか。

出会える人しか出会えないし、聞いても聞けない人はいっぱいいる。」

 

‥‥ これは単なるダジャレではなく、礼 白川静に拠れば「鬼神を祀る儀礼」)であるので、

> 安田「『論語』の冒頭の  “ 学んで時にこれを習う ”  のあとに ()た説()ばしからずや ”  という句がありますが、

この  “ ”  という字の孔子時代の文字である  ”  は、巫祝(ふしゅく、神につかえる者)である「兄(祝)」の頭部から神気が立ち昇るさまで、脱魂状態の姿です( “” の中にも ” があります)

また『論語』の中で孔子が最も大事だといった  “ 恕(じょ)”  も、憑依状態の巫女が神託を述べている姿です。

孔子一門の  ”  の基本は脱魂や憑依という巫祝の技法を通じて祖霊や神霊という  “ 超越的なもの ”  と出会ったり、一体化したりすることであり、顔回はその技法の第一の継承者でした。

また、孔子のお母さんも顔家の娘ですし、孔子や顔回や顔真卿(唐代の忠臣・書家)がその血を引く 顔家 ”  というのはそのような巫祝体質を継ぐ家系なのではないでしょうか。」

 

‥‥ よくよく読み込めば、巫祝としての儒者のサインが汲み取られるが、孔子は霊能者の家系に生まれながら「怪力乱神を語らず」と仰って、オカルト的な内容を一切書かなかった処に底知れない懐の深さを垣間見る

釈尊も、オカルト神秘については一切口にされなかった

大霊覚者であられる明治天皇が、一部の祝詞や祭式を厳しく禁じた様に、

秦の始皇帝が、「楽経」を存在させてはならないと決断なさったのは、よくよくの事情があったのだと云ふ

「もう想像を絶する音楽」「人間の感覚器官をすべて変えてしまう音楽」であったろーと安田師は述べておられる

ちょうど『注目すべき人々との出会い』でグルジェフが言及していた、ピアノの鍵盤で、ある音を奏でるだけで、足におできを生じさせることが出来た、客観科学に基づいた音楽のよーに、

また神々もひれ伏す威力の、弁才天の「天の詔琴」の最終兵器みたいに……

 

『春秋左氏伝』より)> 

時は春秋時代、紀元前563年。

宋の平公が、晋侯を饗応するに際し、

【桑林(そうりん)の舞】を奏したいと申し出た。

宋は前代の王朝、殷の末裔だ。

晋公の重臣の一人はこれを辞退すべきだと侯を諫めるが、ほかの凡庸な二人の重臣は、せっかくだから見るべきだという。

桑林の舞とは、聖王と呼ばれた殷の湯王(とうおう)が伝えた雨乞いの舞だ。桑林は伝説の舞で、これを伝えるのは宋一国であり、しかも見る機会などはめったにない。

そんな舞だ。ぜひ見るべきだという意見に従い、晋公はこれを受けることにした。

桑林の舞楽が始まる。

最初に楽人たちが登場してきた。その列の先頭には、楽師が旌旗(せいき)を立てて現われた。

晋公は驚いた。そして、すぐに脇の部屋に引き下がったのだが、その帰路に重い病を得た。

 

‥‥ 「桑林の舞」というのは、人を殺す力を持ったほどの舞と云われているそーです、いわば、スーパー・ソニック・ウェポンです

孔子ご自身も、殷の末裔である宋人の子孫だと言っていたとか

> 安田「『論語』の中にも彼らが雨乞いの舞をしたと思われる  “ 雩(ぶう)”  と呼ばれる場所が登場します。

そこで舞を舞うと、舞っている人の【陰陽のバランス】が整う。それが天に感染して、狂っている陰陽が整ってくる。そうすると、雨が必要ならば雨が降るのです。」

 

‥‥ かくの如く、孔丘は、古代中国の最大の呪術師だったのかも知れない(老子にこっぴどく叱られてはいるが ♪)

そんな異能の孔子像を堪能できる著作を、内田さんは三つ挙げておられる

 

・白川静『孔子伝』-中公文庫

・諸星大二郎『孔子暗黒伝』-集英社文庫

・酒見賢一『陋巷(ろうこう)に在り』-新潮文庫

 

 

【『陋巷に在り』全13巻 新潮社、1992 - 2002 のち文庫本となる】

 

【この加地伸行さんの本は、酒見賢一さんが推薦しておられたので載せた】

 

なんといっても白川静の作品があってこそ、後の二作が大傑作と成り得たのである

白川御大の独自の漢字辞典は、たしかISHKのRさんもお持ちだったと思う

この御方も「見える」人であったのであろー

わたしの愛読書、酒見さんの大長編『陋巷に在り』には、孔子の母上として、自立した強い女、きわめて魅力的な大母性・顔徴在が登場する

妖艶なる傾国の美女・芙蓉(ふよう)や、凄腕の南越の呪術師・少正卯(しょうせいぼう)と、顔回・孔子師弟コンビとのサイキック・ウォーは、割と史実に沿ってトレースされてあって、裏面の歴史として、手に汗握る面白さであった

モテる顔回(顔子淵)とゆーのも新鮮だ

孔子も圧倒的貫禄で、儒者(葬礼を司る霊能者)の真の姿を見せる

Rさんの見立てでは、この偉大なる孔子は8次元、なんと青森魂・棟方志功もまた8次元なのである

日本人は、文武両道の達人を好む処があり、この孔子や顔真卿(空海さんは顔法が大好き)や関羽雲長や王陽明など、その精髄を余す処なく汲み取ったと思われるが……

日本という国は、孔孟の「儒学」は重用したものの、この「儒教」は一切取り入れなかった

一方天皇家では、「道教」の礼式を取りいれている(線香や位牌など)

 

 

[※ 引用文献 ; 内田樹・安田登『変調「日本の古典」講義〜 身体で読む伝統・教養・知性〜』より]

 

                                  

                       _________玉の海草

 

 


《玉断》 粘菌仲間 ( 昭和帝と熊楠 )〜 荒俣宏の洞察

2022-05-27 12:44:25 | 人物山脈

__ 碩学といおーか、大賢といおーか、南方熊楠については最近知っている人が多くなったが、いまから40年前(わたしが10代の頃)にこの名前を知っている人は、まずいなかった。(私は、今東光と稲垣足穂から、この途轍もない和製百科全書派を知った)

当時大阪に住まいした私は、専門学校で和歌山県から通っていた美少女・南方さんに尋ねてみた。「和歌山の偉人で、南方熊楠って知ってっか?」

彼女は、真面目な知的美女だったが、聞いたことがないと言う。熊楠の地元は田辺町だから、和歌山市からしたら随分と田舎だが、当時そんな知名度であった。

因縁浅からぬ、昭和大帝と南方熊楠翁にまつわる拙稿をまとめてみた。

 

 

● “昭和天皇とクマグス翁

[2009-01-10 02:54:17 | 玉ノ海]

十三歳時から、足掛け七年に及ぶ、東宮御学問所(侍講による個人教授)での英才教育が「箱入り教育」であり、実学に乏しいとの理由で、

大正10(1921)… 裕仁皇太子二十歳のみぎり、ヨーロッパ御外遊が決まる

軍艦「香取」で横浜港から出立、最初の寄港地は沖縄であった

この時が生涯で、最初で最後の沖縄行啓であった

「香取」は、さらに香港、シンガポール、コロンボ、紅海に入りスエズ運河を経てエジプトに立ち寄る カイロでピラミッド・スフィンクスもご覧になっている

そしてイギリスへと、およそ二ヶ月の船旅であった

英國王ジョージ五世の厚い歓迎を受け 一ヶ月イギリス各地で過ごした後、パリへ、さらにベルギー、オランダ、フランス、ローマバチカンではローマ法王ベネディクト十五世と会見され、ナポリを最後にご帰国の途につかれる

船上も含め、ほぼ半年の旅程であった

その間のヨーロッパでの皇太子のご勇姿は、新聞に写真付きで大々的に報道され名実共に、日本国民の誇るわれらが皇太子となられたのである

帰国後ほどなくして、摂政宮となられる

【お若かりし砌、十三歳の迪宮(みちのみや)時代の、英邁この上なき昭和陛下…… 何たる凛々しさか】

 

そして二十二歳で関東大震災、

二十三歳でご結婚、

二十五歳で大正天皇ご崩御・大喪と天皇即位と慌ただしい月日を送られ

 

二十八歳、ついに南方熊楠(六十二歳)と相まみえる

軍艦「長門」で 和歌山の田辺湾に到着、この行幸は和歌山県民あげての盛事となる

1906年に施行された『神社合祀令』⛩〜国家神道の権威を高めるために、古文書に記載された神社だけを残し、一町村一社にまとめて合祀する〜 によって 小さな神社や祠が、その境内の『鎮守の森』とともに消えてゆくことに憤慨し、いち早く反対運動を開始したのは、熊楠四十二歳の時である

その運動の中で その保全に最も力を注いだのが田辺湾に浮かぶ神島であった

生物学の宝庫として、熊楠が死守したその島へ、畏れ多くも今上陛下をぉ迎えするのである 熊楠一世一代の晴れ舞台であった

【熊楠夫妻、奥様は鬪雞神社の宮司のご息女・松枝夫人。奥様が怒って家を出てゆくと、熊楠は神社に赴き神前にて朗々と祝詞を唱えたと云ふ。その内容は、閨房での営みを縷々と述べたもので、松枝夫人は堪らず家に帰ったものだと云ふ。】

 

有名な話だが、標本をキャラメル箱に入れて 陛下に献上し、ご進講する

その折に 熊楠翁が詠まれた歌が―

『一枝もこころして吹け沖つ風 わが天皇(スメラギ)のめてましし森そ』

24ヶ国語を話すと云われ、生物学の世界的巨人にして 破天荒で比類なき冒険の生涯は、シュリーマンやグルジェフにも匹敵しよう

 

*『昭和天皇の履歴書』文春新書編集部[編]より

 

 

 

● “ 粘菌を詠まれた御製だったとは…… ”

[2016-12-30 10:17:20 | 王ヽのミ毎]

昭和37年、和歌山県南紀に行幸なされた先帝陛下(昭和天皇)が、

遡ること33年前(昭和4)に神島を案内してくれた熊楠翁を思い出されてお歌いになった御製……

雨にけぶる 神島を見て 紀伊の国の生みし 南方熊楠を思ふ

 

「この歌は【粘菌】を知らなければ理解できない。」(荒俣宏)

博物学者・アラマタ大人の随筆「南方熊楠〜紫の粘菌譜」より引く

御製にある「神島」(第一のキイワード)とは……

> 田辺湾に浮かぶ南方系植物の宝庫、手つかずの自然が残され、複雑にからまりあう生態系の箱庭ともいうべき島である。そして何よりも、菌類の宝庫であった。

熊楠は神社合祀反対を理論づける具体物として、この島をことのほか愛した。

‥‥ 神島で熊楠が昭和天皇に是非ともごらん戴きたかったのが、じつは粘菌であったと云う

【美しい粘菌の写真、粘菌の発達形態が都市交通の路線図と相似形であったり、迷路の脱出行では最短ルートを選択して、脳を持たない粘菌だが知性を感じさせるほどであるそうだ。】

 

お二人は当時、日本でも数少ない粘菌の研究者同士であったから

> 天皇が行幸した昭和461日は、粘菌を観察するには わるくないシーズンである。ベストシーズンはもう少し遅いが、それでも6月が都合のわるい季節というわけではない。

かなりの確率で、ワンジュなどに生じている粘菌を見ることができたであろう。だからこそ、天皇も臨幸を望んだはずである。

しかし、ここで第二のキイワードが、歌にこめられた心情を一気に明確にする。

それ〈雨にけふる〉の【雨】である。

もちろん、歌にある雨が意味するのは、昭和37年の行幸である。その日、田辺湾の島々は雨にけぶっていた。

しかし、昭和4年、熊楠が神島を案内した日も、じつは雨模様の一日だったのである。

雨の神島。

これが何を意味するのか。

雨が降っているとき、粘菌の発見はきわめて困難となる。粘菌は晴天のときにしか発見できないと考えてよい。

おそらく熊楠は、当日、昭和天皇を案内しながら、きわめて心もとない天候下で、必死になって粘菌をもとめたにちがいない。

ところが、当日はあいにくの雨模様だった。熊楠は結局、神島に生じている粘菌を自然状態で発見できなかったのだろう。昭和天皇も粘菌採集ができなかったのだ。

ともに博物学を終生の友とする人物であったから、採れないときは採れないということを、了解しあっていたにちがいない。

しかし、和歌山のフィールドで何度も奇跡をおこし、新種発見を実現させてきた熊楠は、その日も、〈奇跡〉をおこすべく、悪い足腰のことも忘れて、粘菌をさがしまわったにちがいない。

その姿を見て、天皇はふかい印象を受けたことだろう。

粘菌のみつからぬ雨の日、必死に努力する熊楠の形相は、まさに鬼神のようだったに相違ないのだ。

そして三十年余、ふたたび雨模様のなかで神島を眺めた昭和天皇は、

粘菌のみつからなかった雨の日のことと、あの南方熊楠とを、同時に想起したのである。

 

‥‥ この説、博物学の貴重な図鑑を自腹を切ってまでも出版された御仁による解釈は、じつに深く情愛にみちたものである

南方翁の、粘菌に抱くイメージはわれわれと異なり、「菌」ではなく

【原始動物】なのだそーだ

> たしかに粘菌は、アメーバ状に動くということだけをとるかぎり、原始植物や菌類の一部と生態を同じくする。

ところが、このアメーバ状に動くものが ふたつ以上も寄り集まり、融和して、ひとつの原形体をつくるという現象は、原始動物にはみられるけれども、菌界や植物界にはまったくみられないことである。

‥‥ 粘菌同士の融合(合体)は、アメーバのよーに分裂したり一方が他方を吸収するといった具合ではまったくなく、同じひとつの変形体のうちに【複数の核】を共存させる不思議な合体現象だそーだ

> 粘菌は個々が自由な結合を行ない、各自の核が共存できるという稀有な存在態をもつ。各自の個性がまもられつつも、変形体としては統一された全体を構成するのである。

そして、あとでキノコに姿を変えると、この個々の核がふたたび ひとつずつの胞子になっていく。

> 熊楠によれば、民は【草】である。

その草にも、また木、石、金属のどれにも等しく付着するのが、菌類である。多くの核を覆いこんで、全体をひとつの単体とする粘菌

これこそは、神ながらの道を示す〈紫色の神芝〉

かれはその神芝を、天皇に重ねあわせた。

‥‥ 夏目漱石と同時期イギリスに住んでいた熊楠は、大英帝国の王室制度に共感したらしく、敬愛する天皇のもとで各市民が自由に暮らし、発言できる近代日本の将来像をイギリスにみたらしい

> その場合、天皇は統治者でなく、太陽のような永遠の象徴としてとらえられた。

‥‥ 熊楠翁は、陛下をお呼びするに際し、「天津日嗣(あまつひつぎ)」と呼ばれていたそーで、本来は「すめらぎ」との言い方は好まれなかったとか

あの熊楠の詠まれた歌

一枝も 心して吹け おきつかせ わか天皇(すめらぎ)の めてましし森そ

‥‥ この「わか天皇」は、当初は「天津日嗣」を用いる意向であったが、それが古歌に用例を見ないとの理由で、泣く泣く、天皇(すめらぎ)と訓ませたのだとか

熊楠は、昭和天皇臨幸後に神島で発見された紫色の新種の粘菌に、

【神嘗(かんなめ)アルクリア】と命名されたのである

和歌とはつくづく面白いものだ

この端的な三十一文字のなかに、これだけ広汎な消息を織り交ぜて在る

さすれば、昭和天皇の熊楠翁の名前を織り込まれた御製は単に懐古の御歌ではないのがわかる

心から歓迎された喜び、誠心誠意の必死なおもてなし、畏敬と親愛、日本が誇るべき知の巨人、同好の士に巡り合った稀有な体験、悪政から神社や鎮守の杜を守った恩人との邂逅、赤心からの信愛を寄せる大御宝(おほみたから)と共に過ごした得難き一刻等々

熊楠翁が思い描いた「日の本」が、いま、われわれの今上陛下のみもとで実現されているのを見て、亡き翁は如何思われるであろーか

わたしたちは、幸運・強運にもそんな時代に生かされて在るこの身の仕合わせ、いま一度かみしめてみるのもいい。

         _________玉の海草