『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

  「丹田呼吸」 は、日本のおおもと

 

 

__『鬼滅の刃』無限列車編まで、TVで拝見した

なかでも、蝶屋敷編で繰り広げられた鬼殺隊士の訓練風景が一際おもしろかったので、「呼吸法」について語ってみたい

蝶屋敷における機能回復訓練で、同期のカナヲにまったく刃が立たないタンジローは、三つ子みたいな女の子から、全集中の呼吸に常駐すると基礎体力が格段にアップするとゆー秘訣を聞く

その呼吸法を追ってみると……

・慣れない人は少しやるだけでヘトヘトになる

・瓢箪を破裂させるほどの肺活量になる

・「肺」呼吸である

・寝ているときに行う自然な呼吸では、全集中の呼吸にならない、つまり意識的な呼吸法である

 

全集中で常中とゆー辺りは、坐禅の折の 「丹田呼吸」 に似ている

白隠禅師は、坐禅で「全集中」しすぎて、いわゆる「禅病(自律神経失調症のヒドイ症状)」に成ってしまったほどに傾注した

そんな白隠さんの太鼓腹は、「篠(しの)つく鞠(まり)のごとく」と云われ、すべすべの肌にまん丸く張り出した布袋さんのよーな見事な腹が出来ていた

仏道の祖・釈尊も、呼吸の鍛錬は極限まで実行なさっていて…… 

悟りに到る前の 猛烈修業中のシッダールタ(釈尊)は、例えば呼吸法を駆使するヨーガ(瑜加)では、止息から断息に移行して、体内気圧の昂まりから耳の鼓膜が破れるに至るまで 徹底して行じている

[※  村木弘昌 『大安般守意経に学ぶ釈尊の呼吸法』 柏樹社・参照]

 

禅の呼吸法は、天台宗の「摩訶止観」と同様に、初めは「数息観(すそくかん)といい、「一、ニ、三〜」と数を数えることに集中して行う

釈尊に倣い、呼主吸従で「呼気(息を吐く)」のときに数を数える、細く長く吐き切るまで行えば、吸気は自然に入ってくるに任せる

科学的に言えば、呼気は副交感神経を促しリラックスして脱力した状態を導く

例えば、柔軟体操で筋を伸ばすときは、息を吐きながら(呼気で)おこなうとやりやすい

 

剣道で「隙あり」と打ち込むのは、吸気に変わるタイミングである、息を吸うときは身体が心持ち硬直するからである

だから、長く吐いて短く吸う、大本教・出口王仁三郎の「息長(おきなが)の呼吸(古神道の呼吸法)も同じ消息である

長く吐くためには、横隔膜 をつかって大きく空気を吸い込み腹圧をかけなければならない

横隔膜は神経叢を司る臓器でもあるので、精神の安定に寄与する面がある

 

空海さんは、「阿字観」のときには、舌を上顎につけて、鼻呼吸して肛門を締めておられた

秘訣はここにある

禅者は、川で溺れて意識を失っても、坐禅の功用で肛門が閉まっているため、たやすく仮死状態となり、溺死しないものだと聞く

「常中」、つまり 常に(無意識に)お腹が膨らんで肛門を締めた状態 をキープしているのである

 

そこで、タンジローの呼吸法だが、長い呼気は坐禅の呼吸と同じものだと思う、体力も気力も充実する

しかし、彼はこれを「肺」で行なうのである

伊勢白山道の腹式呼吸でもそーだが、安定した大容量で爆発呼吸できるのは、「腹式」の呼吸である

 

天成の歌い手MISIAの超ロングトーンは、誰にも真似できない素晴らしいものだが、彼女の肺活量は普通以下のレベルだそーだ

空間に音を振るわせる技術があると彼女は云っておられたが、肺の使い方にも奥が深いものがありそーだ

歌い手ならば、「肺」呼吸は重要事だが、こと身体能力が要求される競技や芸においては、ほとんど「腹式呼吸」である

瓢箪を破壊する爆発呼吸も、中国武術は勿論のこと、空手にも「息吹(いぶき)があるが、よく鍛練された腹式呼吸である

 

全集中の呼吸は、肺で行なっても腹で行なっても、その事自体危険なんじゃないかな

人は意識して深呼吸を行う場合、わずか5分ですら継続して出来ないものだと云ふ

そーした 「意識した不自然な呼吸」 は、もしクソ真面目に継続して行なうと極めて危険である

 

吸入する平均酸素量の数値を不自然に上げることは、深刻な自律神経障害を引き起こす

 

白隠さんの「禅病」がそのいい例であり、西洋医学では修復できない重い病いを患うことになる

白隠さんは、おそらく道教由来の白幽老人から伝授された「内観法」とか「軟酥鴨卵の法」の意念をつかったイメージトレーニングみたいな方法でかろうじて復活した

 

結論すれば、「全集中の呼吸」などと、子どもが真似して無理な酸素吸入量の呼吸をつづけるのは危険だとゆーこと

一般に「腹()が据わる」と云われるよーに、確かに禅の「丹田呼吸」は、心の安定にも作用して耐久性も上がるのは私も実感している(独習で坐禅をしていた経験から)、まず驚いて飛び跳ねることは無くなる、メンタルに耐性がついてヘコタレなくなる

しかし、大東流合気柔術の佐川幸義宗範が云われていたよーに、不自然な呼吸法は即座の用には立たない

佐川師は、たとえ宮本武蔵が生き返ったとしても佐川師には敵うまいと云われる程の超一流の達人だけに、若い頃から強くなるためにあらゆる呼吸法を試された挙げ句のご発言だけに、傾聴に値する重みがあると私は信ずる

呼吸法に頼るのは、やはり弱さの現れなのだと思う

 

『鬼滅の刃』は、登場人物が味わい深い漢字のお名前だし(「煉獄」なんてダンテの『神曲』以来、確かキリスト教の用語だ)、大正ロマン漂う風情も好きだ

炭治郎の実家のある山奥の、雪山や深山の森の描写が見事だった、ホワイト・アウトを巻き起こす横殴りの吹雪の恐怖に、雪の懇々と降り駸々と積もる風景、無音の雪山の不気味さが画面から立ち昇って観えた

下弦の十二鬼月が集合させられた、あの、エッシャーの騙し絵みたいな日本家屋の奥行きある空間なぞも、実に見応えがあった

まだ年若い女性作者に、時代劇の詳細な考証を求める気もないのだが……

漫画本ではヒジは張って刀を抜いたり(刀は腰を回して抜くもので腕で抜くのは下手)、鯉口に添える指の位置が可笑しいとか YouTube で取り上げられてもいて、興味深く拝見した

 

『子連れ狼』の小池一夫は、居合の名手で、若山富三郎と勝新太郎のご兄弟と三人で技を競って一番上手かったと聞く

だから、名匠・小島剛夕えがく処の、裏柳生の総帥・柳生烈堂は腰の据わった達人の佇まいであったのである

『子連れ狼』は、本来弱い足手纏いになる子ども(大五郎)を連れて、冥府魔道の決死行を貫く処に、判官びいきの世俗の妙味があり、大人にならないと分からない深みがある

『鬼滅の刃』も同様に、守るべき妹のネヅコを背負って歩くが(ウルトラセブンみたいに小さくもなれる処が面白い)、鬼の血が入ったネヅコは弱いどころか、ときどき兄のタンジローを助けたりする処が、なんともいままでにない新展開である

 

また、日本では長らく鬼や異形・幽霊は退治されるものであったが、鬼の中に愛すべきものを見いだす辺りは、上田秋成『雨月物語〜浅茅が宿』以来の怪異小説の伝統を継ぐ漫画でもある

[ 荒俣宏御大によると……    美貌の妻をおいて京に商いに出向いた夫が、関東の戦乱のために帰れず七年後にやっと帰宅した吾が家に、やつれた妻が幽霊となって喜んで出迎えてくれた、夫は翌朝その真実を知り、切々と妻を懐かしみ偲んだ「浅茅が宿」の怪談話……   この話によって、退治するべき異形(異界の霊、鬼神)が、初めて愛すべき心を寄せる対象となったのだと云ふ]

 

ー 『鬼滅の刃』に「丹田」とゆー言葉は出てこないが、長らく失われた日本文化を復権させた物語となったことは、高く評価されてしかるべきだと思う

第二次世界大戦の戦中に、大日本帝国の軍人をはじめとして、神国・日本の伝統の根幹である「丹田文化」が大々的に一般庶民にまで浸透していた

終戦を迎え、厚木基地に降り立ったマッカーサー元帥が、いの一番に着手したのは……

伊勢志摩の大空襲で伊勢神宮に落とされた爆弾がことごとく不発弾となり、一発も爆発していなかったとゆー報告の詳細な現地調査と、日本精神を型作る「武士道文化」の解体であったと云ふ

豊臣秀吉の「刀狩」さながらに、GHQによる「廃刀令」の徹底的な履行や剣道をはじめとする武道の禁止などによって、戦時中にもてはやされた「丹田文化」はすっかり忘れられてしまった

武道に限らず、能狂言や歌舞伎においても、「丹田呼吸」は必須の修得科目だったわけである

戦時中は、「武専」と呼ばれる武道専門学校まであったのが、戦後は軍部への反動からか、武道及び武士道文化はいっさい顧みられなくなってしまった

戦時中は、文武両道はあたりまえの教養だったのである

 

その象徴的な傑物として、病弱に生まれた吾が身を鍛えに鍛えて、数々の偉大な成果を結実させながらも、未来をも予知できる境涯を獲得して、日本国と人類全体の未来を憂えるあまり49日間にわたる断水断食の果てに、72歳で自死なさった 肥田春充(1883〜1956) がいる

いわゆる「肥田式強健術」の創始者である

「丹田」を科学的なアプローチで自分なりに詳細に解明して、「正中心」として定めた

驚くべき結実をあげたのは、何も運動能力だけではない、その悟境は曹洞禅の飯田欓隠(とういん)老師からも「見性」を承認され、暗記や暗算などの学習能力にまで及び、並外れた神秘的といってもいい程の能力を発揮した

創始者肥田春充ほどに「聖中心」を完成させた者が、後進の弟子には現れなかったものだから、いまは完全に忘れ去られている

わたしには彼の鑑定は出来ないが、とてつもない人物であるのは、その書に明らかである

この画像を説明すると…… 毛筆で書いた墨蹟である

場所は、肥田春充の家の廊下で、巾は180cmで長さは9mほどある、「中心○」と揮毫されている

「中」の字の縦軸が長〜く、なんと6mにも及ぶ

巻き物用の条幅紙に、立って一気に書いたものだろーが、何よりもその金剛力士のよーな筆力に畏れ入る

芯の通った、生きた線を6mも引き伸ばすなど、到底人間業とは思えない、前代未聞の入神の技である

この長い「棒」は、白隠の禅定力あふれる「棒」をも凌ぐものであろー

凄んごい日本人がいたものだ ♪

わたしたちは自らの内に潜む、日本人のDNAを誇っていいのかも知れない

         _________玉の海草

 

 

 

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