『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

惚けた母がつぶやいた〜 「 生きてるだけが仕合せだ 」♨️

《玉断》 日本古伝の 「身体がととのう」 体操〜 四股・テッポウ

2022-11-13 00:24:41 | 小覚

__ 世界には、色々な体操がある。中国🇨🇳の站椿功(たんとうこう、立禅)やインド🇮🇳のヨーガ、メキシコ🇲🇽のトルテックが編み出した「テンセグリティ」など、

それぞれの地に、その地元民のための(つまり地元民に合った)体操がある。日本では何だろうと思い巡らした時に、あらゆる武芸の基本動作である「四股」がある。

 

大相撲で力士がみせる土俵入りでの印象がつよいが、実は「四股」は筋力増強トレーニングでもなければ、柔軟ストレッチとも違う、独特の「身体がととのう」運動 なのである。

諸説あり、「四股の踏み方」もひとつに統一されていないが…… 

やればやるほど、どんどん気持ち良くなる「究極の健康体操」で、しかも日本人の身体にぴったりと寄り添う動かし方となっている「四股」の本来のやりかたを探求なさっている、元力士の一ノ矢関の「四股」を参考にしようと思う。

この四股は、あしも高く上げることなく、膝関節にも負担がかからないので、老人でも病人でも毎日継続できる。そのくせ、この「四股」によって達人にもなれる、運動の極意なのである。日本という土地に合った、日本人の身体の動かし方を養う、日本人のための運動である。

実に地味な見かけながらも、神道の奥義に通じるスピリチュアリティも併せもつ、素晴らしい「動き」を少しく深掘りしてみよう。

 

 

🔴「ただのデブが英雄になる」

差別的な発言ではないかと目くじら立てる向きもあろうが、これは相撲の稽古システムがすぐれていることを表した言葉です。

相撲でも「股割り」といって、180度開脚の準備運動があり、これはケガを少なくするためにするらしい。

そして、伊勢白山道推薦の「四股」と、そして「テッポウ」、不思議なことに相撲には技術練習はないのです。

 

「シコを極めれば幕内に、テッポウを極めれば三役になれる」という格言が、実際相撲界にあるそうです。

 

名横綱・双葉山は、カラダが硬かっただけでなく腕力もなかったそうです。よく腕相撲で負けていたらしいです。

 

【明治以降で、最高の力人(ちからびと)であろう。この腰の据わった美しい佇まいは、すべてのお角力さんの憧れであった。】

 

ところが、あれだけの力士となったのは、相撲の力士養成システムが優れているからです。

ほんとうに、ただのデブ(普通の素人)が英雄となれる歴史があった、これが永年にわたって大相撲が連綿と続いてきた大きな理由なのだとか。

テクニック練習をしないので、稽古はシコとテッポウをした上で、ぶつかり稽古をするだけです。これは受け身の練習にもなります。

 

 

元インテリ力士だった一ノ矢関が、運動生理学等を学んだ上で推奨している「四股」がありますが……

それは、千代の富士や貴乃花がしていたような脚を高く挙げて止める「四股」ではなく、

明治の常陸山や梅ヶ谷をはじめ、現代では稀勢の里がしていた、少しだけ膝を上げる「四股」です。

この軽い感じの「四股」は、相撲で古来から行われてきた伝統的な四股なのです。

 

 

【水戸藩の武士出身の、第19代横綱・常陸山(ひたちやま)谷右衛門。角界でよく口の端にのぼる「横綱相撲」とは、この名横綱・常陸山の相撲の取り口をモデルにして言っているのである。

常陸山のおじさんは、武道専門学校の師範で高野佐三郎とともに名人の双璧であった、北辰一刀流の内藤高治である。内藤の勧めで相撲界に進んだらしい。常陸山は、そして、大相撲に「武士道」を導入した張本人でもある。常陸山以前には、人間的に人びとの尊敬の的となるような「相撲道」はなかったのである。ただの相撲興行だったのであった。常陸山関こそ、近代大相撲の祖といってもよいだろう。】

 

素人でも、千回単位で出来ます。

伊勢白山道記事にも取り上げられた合気柔術の名人・佐川幸義翁が密かに稽古していたのも、この脚を振り上げない四股でした。

四股とスクワット(いわゆるヒンズー・スクワット)との一番大きな違いは、シコが膝を傷めないということです。(膝がつま先よりも飛び出すと、膝を傷める。四股はスネを床に直角に立てるので、膝に負担がかからない)

スクワットは主に太ももの前側の筋肉がつきますが、シコは前側にあまり負荷がかからずに後ろ側の筋肉にも割と均等にかかるそうです。

つまり、「四股」は筋肉増強運動にはならないのです。

あの、体重の重い力士が膝をこわしている時でも、スクワットは出来ませんが四股は踏めます。

 

相撲のこの稽古システム、四股とテッポウだけを真面目に鍛練すると名力士になれるとは……

日本ならではの、丈夫《ますらお》の道だと思います。

相撲は、柔《やわら》の源流と云われます。日本古来の「和《やわらぎ》」の道は、柔らかさに象徴される道だと思いました。

 

この相撲の伝統的な稽古方法は、昭和の時代までは伝わっていました。しかし、いまや機器をつかったマッスル・トレーニングに堕してしまいました。

最近の若い力士は、ステンと転がる場面が多くなりました。足腰が出来ていないからです。

若者たちよ、昭和を馬鹿にして伝統を棄ててしまう前によくよく吟味しなければならないのですよ。

 

 

🔴…… 双葉山の四股は、脚を高く挙げるものでした。

それどころか、足を高く上げる四股は、どうやら双葉山から始まったようです。

あれは、魅せる四股ではありますが、古来から伝わる四股ではありません。

 

> 相撲界には【四股十両、テッポウ三役】という格言があります。

これには、申し合い稽古をしなくても四股をしっかり踏みつづければ十両まで上がれる、そこにテッポウを加えれば三役まで上がれるという意味が込められています。(松田哲博氏=元・一ノ矢関・談)

 

…… 四股の踏みはじめは、相撲部屋の羽目板の前でさせられるそうです。前傾姿勢になると何の意味もないからです。(家庭では壁に向かってすればよいと思います)

・古代夏王朝の聖王の禹の歩き方「 禹歩跛行=足を引きずる歩き方)」から〜

・陰陽道の反閇へんばい)

・能の「翁」「三番叟」の足づかい

・相撲の「四股」

と徐々に変遷していった歴史があるようなので、ある種呪術的な意味合いも含まれる動作です。

 

一拍子でサッと足をあげてサッとおろす。

(❌ 足を身体に引きつけてから上げると、ニ拍子になってしまいます)

 

四股は筋力をつける運動ではありません。筋肉に頼らずに骨を使う身体操法、「腰」をつくるための調体運動だそうです。(但し、インナーマッスルは鍛えられます)

負荷がすくなく、やっているうちに気持ちがよくなるのが正しい四股の踏み方だそうです。

 

YouTubeで「一ノ矢 四股」でいろいろ見られますが、「腰割り」だけでも効果があります。腰割りは無音でできますので、マンション住まいの方も安心して練習できます。

四股の踏み方は、さまざまに流派がありますので、よく見極めてご自分に合った踏み方を見つけていただければと存じます

 

 

【「四股」の動作は、空手の「ナイハンチ」の型の足腰の動かし方と同じものだと言う。つまり、骨の並び(アラインメント)を揃えるということである。本来の四股は、気持ちいいものであるとの認識は、傾聴に値するものであろう。】

 

【「四股踏み」の基礎となる「腰割り」の詳細で親切な説明動画。楽な姿勢で、気楽にリラックスして臨むのが一番よいのが、よく分かる。この「腰割り」が出来た状態で、交互に足をあげるのが、正しい「四股」である。】

 

 

 

__ ここで、「四股」が神道の体操ならば、仏教の体操は坐禅(瑜伽ヨーガの一種)であり、五体投地礼でもあるのですが、

日本ならではの、釈尊に礼をするための動作からインスピレーション(実は勘違いなのだが)を得た、めずらしい身体操法「真向法」もあたってみよう。この運動には、意外にも、出産の際の「ラマーズ法」と同じ動作が含まれる。(第1ポーズと第3ポーズ)

西洋と違い、東洋の「床に座る文化」から生まれた運動なのだろう。

 

 

🔴  「真向法」の創始者・長井津(わたる、1889-1963のご子息・長井洞(はるか)『真向一途』より引用

(長井津が、42歳で脳溢血を患い左半身不随の身となったときに、ご実家の浄土真宗・勝鬘寺で、ご実家に縁ある『勝鬘経』を読んで心を慰めていた)

 

> 何日目か何ケ月目かにやっと序説が終ろうとした所に「勝鬘及一家眷属頭面接足礼」と書いてある。

理解力の豊かな読書人ならば、「愈々お釈迦様がお出ましになり、女弟子の勝鬘夫人やその家族縁者が、頭を足まで下げてお辞儀をしたのだなあ」と釈尊の教えそのものには直接何の関係もない単なるお辞儀であるから素読し過ぎる個所である。(略)

父は、「待てよ、立ってお辞儀をしたのでは、頭は脚部には接するかも知らんが足に接することは不可能じゃないか」と思った。これはお釈迦さんが勝鬘夫人の家にいらっしゃったのだろうから、室内の礼であり、恐らく座拝にちがいないと推測される。

 

…… 学者や宗教家に問いただしてみて、この姿勢に違いないと納得する形が第一体操だったと云ふ。長井津は、この第1ポーズを三年にわたって行じてみる。さらに第2ポーズ(全部で4種のポーズがある)を編み出して行じているうちに、動かなかった身体がだんだんと動くようになってきた。

 

【上から順に、第1、第2、第3、第4ポーズを、ご本人が行じておられる写真である。彼の啓示的な「勘違い解釈」は、永平道元の独特な中国語読みを彷彿とさせる。】

 

普通に考えれば、頭面接足礼は頭面を自分の足にではなく、跪いてからお釈迦さんの足につけておみ足を頂いたと取るのではないでしょうか。

長井氏は、どうも最初から足が自分以外の足であるという想定がなかったようです。しかし、素直に受け止めれば、『勝鬘経』を誤読したかのような長井先生の解釈から始まった「真向法」でしたが…… 

実際に、長井先生ご自身の半身不随を治している実績は疑いようがない。なにか長井先生の思いつきのように思われるかも知れないが…… 

ある酒席で、合気道の植芝盛平先生と、長井津先生が隣合わせたことがあり、早速長井先生が「真向法」と言うものを実演説明なされると、それを見ていた植芝先生が即座にその効能を看破なされたそうである。

以来、植芝門下の合気道道場では、「真向法」が準備運動として採用されている。武術家というものは、自分の身体を実験台として、あらゆる独自の鍛錬を欠かさないものである。

超一流の武道家・植芝盛平翁のおメガネにかなったとなれば、「真向法」は普段使わない筋肉を活かす何かを内包しているのである。病いに対する真剣な取り組みから、思いも寄らない叡智に接触した可能性はあると思う。

「真向法」の根本意念は、釈尊の御前にて、おのれをすべて投げ出し明け渡す(=帰依する)ことにある。宗教感情が、ひとつの宗教的動作を産み出した好例ではないかと思えてならない。

  

      

🔴  ついでに、「振動」という意味から、いわゆる「踵(かかと)落とし」による重心下げを見てみます。

山岡鉄舟の直弟子・小倉鉄樹をはじめ、合気道創始者・植芝盛平と随変流剣術の達人・中村天風(インドの呼吸法「クンバハカ」も修める)と……

なんと、三人もの名人上手と結ばれる道縁をお持ちだった、藤平光一の『心身統一合氣道」には、

心身統一の四大原則

  1. 臍下(せいか)の一点に心をしずめ統一する
  2. 全身の力を完全に抜く
  3. 身体の総ての部分の重みを、その最下部におく
  4. 氣を出す

…… この❸を実行するために、

「下に下に」と意念して、

爪先立ちして踵🦶をあげて、

ドンと地面に「かかと落とし」をする。

 

そうすると身体が、最強の攻撃防御一体の「自然体」となる。全身の骨に、垂直方向の打撃刺激を与えることによって、たしか骨の強化につながる運動にもなっているはずだ。

簡単にして、本質的な運動が「かかと落とし」ということになる。これもまた、「振動」が骨を成長させる のである。

 

大東流合気柔術の佐川幸義宗範の道場では、佐川先生の合気で、只ひたすら投げられる稽古をみっちり一週間も続けると、身体の細胞が密になって、投げられにくくなるそうです。

これも、合気による正しい(=自然に則った)投げられ方によって、道場の床に叩きつけられたときの「振動」が、身体を活性化する方向に働くとも言えそうである。

佐川先生は、この稽古を「〇〇くんを強くしてあげる」と言って、意識して行なっていたようである。武術の世界は、つくづく奥が深い。

 

 

🔴 伊勢白山道に拠れば、古神道では、魂や神気を「振動」として捉えるそうです。

宇宙も振動なのです。「振る」ことが命を生みます。

 

グルジェフも創造の光の流出(生命潮流)を、すべて振動数で説明していましたし、テスラも地球を割るほどの振動の秘密を知っていました。

神道と振動(一音違いですね)との関係では「魂振り」とか云いますから、勿論根幹をなすものですが……

 

身近な処では、大相撲でも振動なのです。

YouTubeに、古来からの相撲を科学的に検証して挙げておられる、元力士の一ノ矢関に拠りますと……

相撲独特の基礎練習である「四股」「テッポウ」は、ともに「振動」する稽古だということです。

 

大鵬関は、テッポウ2000回・四股500回を毎日こなし、血尿が出るほどだったそうです。(大鵬の鉄砲は、張り手に近い打撃であり、内臓を傷めて血尿となったようです。本来は「弾く」のがテッポウ)

 

現在の力士は、テッポウも四股もほとんど真剣に取り組みません。

なぜなら、四股は筋肉に対する負荷が少なくてスクワットに劣り、テッポウは単純な押す運動だと勘違いしているからです。

 

一ノ矢関によると……

四股は 足を高く上げる筋肉運動ではなく、足を低く足踏みしたときの大地に触れる「振動」が大切なのだとか。

テッポウは対手を押すツッパリ筋力をつける運動なのではなく、本当は柱に掌が当たる瞬間、

掌で「弾く」運動だそうです、

即ち 身体を「振動」させることが根本義 なのです。

 

相撲というものは、この二つの運動を極めながら「ぶつかり稽古」で実戦をこなすことで、技術練習や持久力練習などをしなくとも、

【誰であろうと】立派な力士に昇りつめることができる、すぐれて単純な行法だそうです。

見かけからしたら、西洋レスリング🤼‍♀️と似ているから、相撲レスラーと言ったりしますが、レスリングとは明らかに別物なのです。大相撲に「寝技」はあり得ません。

 

相撲(角力)とは「立技」最強の格闘技でもありましょう。ただ、同時に神事芸能でもあります。横綱の踏む「四股」には、悪霊退散の霊力が宿ります。

伊勢白山道に拠れば、角力界では古来からの神事が正統な形で受け継がれていて、相撲の土俵造りの神事や横綱の土俵入りなどの神事が厳格に守られて祭行されているそうです。

 

そういえば、東日本大震災の折には、八百長問題で角界は大揺れで春場所が中止に追い込まれていたのです。大地を鎮める、力人たちの足踏み(取組=神事)が挙行されなかったことが、おおきく影響したのだそうです。

天皇陛下に準ずるように、大相撲力士には、いまだに祭司の「神格」が具わっておられるようです。となれば、「蹴鞠」と同じように、「四股」もまた天上の神さまに捧げる神恩感謝の型であるとも云えそうである。

       _________玉の海草

 

 

 

 


🎼 同時代ヴァイブレーション〜 「カシオペア」 讃歌 🪐

2022-11-05 07:00:00 | 人物山脈

__この記事は、真に自分のために書くことになろう。

 

思春期に「カシオペア」と出逢って、片道15Kmの自転車通学🚲の当時、iPodやスマホのよーな携帯音楽再生装置のなかった当時…… 

繰り返し繰り返し聴いた旋律を、アタマの中で全音脳内リピートさせながら自転車を漕いでいた、若さ迸る自分を思い出すよすがとなろう。

それじゃあ、つつしんで、here, we go ♪

 

 

 

 🔴 カシオペア讃

「カシオペア」は、私の魂のバイブレーションであり、恩義のあるフュージョン・バンドであるので……

ざっと紹介しておきたい。

 

サザン(オールスターズ)とは、ヤマハのアマチュアバンド・コンテストで同期であった。

バンド名の「カシオペア」は、星座のカシオペアから由来したものだが、星座の方は  “ Cassiopeia ”  なのに対して、バンド名の方は 、

“ CASIOPEA ”  と綴る。

この違いが、案外このバンドの独自性を象徴している氣がする。

 

言わずと知れた、超絶演奏テクニックをもって鳴るスーパーバンドである。

私が聴き始めたのは、 「メイク・アップ・シティ」 からなのだが、ブルックナーの如く反復される重低音とドラムの音に素人ながら魅了されたものだ。

 

 

 

作曲は、リーダーでギタリストの野呂一生、この人の書く譜面はいつも、

【人間の可能性】への果てしなき挑戦 

である。

音の密度(音数)が高くて高性能、いわばメイドインジャパンのバンド版みたいな印象がある。

 

ギター🎸、ベース、キーボード🎹、ドラムス🥁の四つの楽器で、同じ音を出す「ユニゾン」という高難度の演奏技術があるが……

「ダズリング」(1983)という曲でやってみせた。(「スペース・ロード」がもっと前らしいが)

その当時、世界一のフュージョングループだった『シャカタク』が、えらくこの曲に惚れ込んで、練習して演奏コピーして、どうなもんですか?とばかりに、カシオペアに送りつけてよこしたそうだ。

 

野呂(一生)くんの厳格な指導のもとに、ドラマーデビューした神保(彰)くんは、猛練習の末にわずか2年で、トップドラマーのハービー・メイソンに認められるほどの腕前になり、ファンである私達は雀躍りしたものだ。(当時の日本はまだ、舶来の威力があった)

 

彼は平然と34時間ドラムを叩き続けるが、疲れを知らないその端正な姿に、達人の佇まいを観る。

【初期の神保くんの名曲。野呂くんとは180度ちがうが、通底するものは存外に似ているのかも知れない。この曲は、大阪で共通一次試験を終えた帰り途、電車🚃の窓から、薄く粉雪をかぶった「太陽の塔」が見えた時に、内奥から湧き上がってきた、思い出の曲】

 

 

野呂くんのソロ・プロジェクト「ISSEI NORO INSPIRITS」では、『432H』(2015年)という432Hzのアルバムもリリースしている。

【 432ヘルツに取り組む辺り、野呂くんらしい♪

24:15 Reality    29:15 Flare     34:56 Heart of Tender

【野呂くんの人間としての深化が、如実に感じられるアルバム。野呂くんは、朝陽よりも夕陽🌇の人よ、日本海ですよ。よくここまで到られたものだ。

08. 33:13 future dream   09. 38:03 night surround    

 

 

 

__ カシオペアの楽曲で大好きなのは三十曲ではきかないと思うが…… カシオペアとしての純度の高い作品は、初期のふたつのアルバム

『ミント・ジャムズ』(1982)

『ジャイブ・ジャイブ』(1982)

であろうか。

まるでスタジオ・レコーディングしたような精確さで、一音一音を大切になさっているのがよく分かる。

【このアルバムは、ライブ収録だということを知らないで、ヘビーローテーションしていた。暗めの「ドミノライン」「ミッドナイト・ランデヴー」がいいが、全体としてカシオペアの魅力がつまっている、バランスのとれた名盤であろう。

Tracklist:

00:00 | Take Me     04:49 | Asayake     09:47 | Midnight Rendezvous                14:43 | Time Limit     17:20 | Domino Line     24:41 | Tears Of The Star  29:09 | Swear  

 

【このアルバムは、出世したカシオペアが、ロンドンで録音したものだ。この全編に貫く 「UK🇬🇧の香り」 に当時脳内に電気ショックを受けたものだ。全曲がイイ曲、この辺の野呂くんの作曲センスには脱帽するほかない。

[Track List]

00:00 - Sweat it Out     04:13 - In the Pocket 07:56 - Right From the Heart    12:07 - Step Daughter     15:57 - Secret Chase     20:51- Fabbydabby     24:48 - Living on a Feeling     29:12 - S-E     34:24 - What Can't Speak Can't Lie   】

 

 

ー来月10月に、新生「CASIOPEA-P4(カシオペア・ピーフォー)」として、ニューアルバムがリリースされる。

 

【野呂くんは、魔王的カリスマ😈なんだから、へこへこリズムに合わせて動かなくてもいいんだよ。軽快さに迎合する必要は微塵もない。】

 

 

 

🔴 Gurdjieff(グルジェフ)と Casiopea

 

…… 西洋ではルネサンス頃まで、「地🌐・水💦・火🔥・風🌪️」の 四大元素(エレメント)で世界は出来ていると認識されていました。

それゆえ、人間も自然の一部であり、四大元素で構成されていると考えるのが普通であったようです。

 

そんなことで、18歳でグルジェフに最初に出逢ったとき、ああ、カシオペアの野呂くんみたいな、底の抜けた悪魔的な徹底振りなのねと思ったのを思い出した。

80年代の若者はよく、照れも敬意もあり、先輩のお名前に「くん」をつけて呼んだものだ)

 

公称1月1日生れのグルジェフ、野呂くんもまったく同じ日生れ(地象の山羊座♈️)。

一番弟子のウスペンスキーは神保くんと同じ水象の魚座♓️であった。逆らって勝手に卒業していった処は、ベース櫻井くん(水象の蠍座♏️、新メンバーの鳴瀬さんも同じ誕生日)とも通じる。

J.G.ベネット(のちにスブドに進む)とトーマス・ド・ハートマン(リムスキー・コルサコフの弟子で世界的ピアニスト、画家カンディンスキーは友だち)のお二人は共に風象星座で、鉄道マニアとしても一家を成したキーボード向谷くん(天秤座♎️)に相当しましょう。

 

【わたしにとっての「カシオペア」は、やっぱりこの4人である。

上段のお二人〜左から 櫻井くん、野呂くん

下段のお二人〜左から 神保くん、向谷くん】

 

グルジェフが、女性作家(キャサリン・マンスフィールド)はじめ色々な人びとを育てたように、野呂くんもカシオペアのメンバーを育てました。

グルジェフが超一流のダンサーだったように、野呂くんはバク転のできる運動神経抜群の天才ギタリストでした。カシオペアはメンバー全員が作曲までこなすのです。各々自身のオリジナルアルバムを出したこともありました。

カシオペアを脱退したあとに、さまざまなグループで働けるのは、それぞれのメンバーに類い稀なオリジナリティが在るからなのです。

 

【ピラミッド】‥‥アルバム💿 Ⅰ ・Ⅱ ・Ⅲ すべて圧巻の多彩さ。RIP〜和泉宏隆。三人ともに慶應の幼なじみ。

【ベスト盤。02. 05:01 Moon Goddess 、05. 21:34 Tornado(ともに和泉さん作曲)、フツーに始まってドラマティックに終る、境涯の旋律、素晴しい楽才。

【 私にとっての白眉、「Night Stream」神保くんの作曲】

 

【オットットリオ】‥‥ 三人のスーパーギタリストの個性が三つ巴の傑作。

06:03 02 Sea Dragon、18:32 04 You've Got A Friend、29:47 06 Sunny 】

 

「ペガサス」、「インスピリッツ」など素晴らしいユニットを輩出しました。

現在は、「かつしかトリオ」に結実していますね、あれはジャズ・ファンクの精髄ですね、80年代のカシオペアの匂いがします(スクエア系からは、「あかさかトリオ」が出ています)

 

【かつしかトリオ、カシオペアの3/4ですが、三色とも良き風情、野呂くんの大魔王のエキスは入っていない。「ダウン・アップビート」みたいな暗い反復の厳格さに野呂くんの真骨頂があると思うんだよね。野呂くんのソロ・プロジェクトには《無常》が心の襞にしみこむような、静かに鼓舞するような曲がある。野呂くんは真面目で照れ屋なんだけども、真理の探究者を感じる。甘く無いんですよ、ひたひたとやり遂げる強い意志があるんだよ。】

【 2曲目が、02. down upbeat 03:18 】

 

【多方面(鉄ちゃん、鉄道シュミレーター🚃)でご活躍の実業家の顔も持つ向谷実。AKBの「もうこんな時間」も楽曲提供している。ここでは、2曲演奏しているが、いずれもイイ曲 ♪

《 2:50 》 から始まる、2曲目の「 UMS(うちのミノルがすみません)」は新婚の奥さんが作曲したもの。】

 

 

【初期カシオペアのベース(チョッパーベース🎸)弾いていたイケメン、櫻井哲夫の歌曲。1986年にカシオペア・メンバーそれぞれにソロアルバムを創ったことがある。櫻井くんのアルバムは、本人の歌う渋い歌が入っていて、歌入れフュージョンの成功例だろう。】

 

【ジンサク(神櫻🌸)】‥‥

【 JINSAKU のデビューアルバム。その奔放で自由な情緒に打ちのめされましたね、傑作です。なかでも、

0:00 Gypsy Romance 9:15 The Last Scene 27:02 A Man From The Andes 34:16 Madoromi (Day Dreaming) 】

 

 

【 凄いサウンド、その重厚さに浸れる。なかでも、05. Struttin 23:06   、まるで核融合を思わせる楽曲。】

 

 

【※ 驚異のスピンオフとして;  CASIOPEAをリスペクトするコピーバンド、“ NETPEA ” と名乗った一時期もあったのだが、リモートセッションでここまでの音を聴かせる玄人はだしのスーパー素人達。名曲「シャンデリア」のドラムスの導入部のアレンジには心ときめいた ♪ カシオペア・ファンには是非ご一聴願いたい動画です。】

 

 

カシオペアといったら、当時から「針の穴を通すような演奏」と評されて、音楽仲間からも畏敬されていました。

ユニゾンを多用する超難曲を平然と演奏する彼らは、まるで修行僧のようでした。

なにか、楽しいミュージックでも決して手を抜かない、ストイックな姿勢も、日本人的で好感をもたれた処かも知れません。

 

ーひさしぶりに、CD💿買いました。野呂くんの新生「カシオペア・P4」の門出を祝福したかった。スティーブ・ガッド張りに、しっかりした打音を感じました。

 

この時期に、こんなにもワクワク感を抱かせてくだすったこと、まことに有難く、深く感謝いたしておりますよ。

           _________玉の海草


《玉断》 庄内人らしく〜 極上の香りをまとった俳優 「成田三樹夫」

2022-11-04 01:54:18 | 歴史・郷土史

__ 成田三樹夫、この人が出演しているだけで、その映画やドラマを観てしまう、そんなお人だった。

いまや、絶滅危惧種となった、ニヒル、ダンディー、掛値なしに強い悪玉のボスを演じさせたら、天下一品他の追随を許さない入魂の芝居を魅せてくれた。

インテリ893には、いい漢のエッセンスが含まれていると思うんだよね、これがサマになる役者は、間違いなくいい役者である。

そんな陰翳を帯びたイイ男の代表格が、成田三樹夫である。

 

【画像=『柳生一族の陰謀』より、烏丸少将文麿の片肌脱ぎ。これほど、成田三樹夫の天稟が生かされた配役はなかった。万能の後鳥羽院の御例もある。

 

【この、繊細さというか脆さに、湊町・酒田人の栄華を垣間見る。酒田の街は、各々がプライド高すぎて、一向に纏まりがないんですね。他郷からは「殿様商売」と揶揄されてます。】

 

 

 

🔴  一周まわって‥‥
[2019-10-04 01:08:09 | 王ヽのミ毎]

 

いま、山形県内では今は亡きニヒルな悪役俳優・成田三樹夫のCMがリバイバルで放映されています (嬉しいっ )
そーいえば、来たる2020年で早や没後30周年にもなる

 

【成田三樹夫の「メンズ・ニシムラ」CM全集、10本あります ♪ 】

 

昔、バリッとしたスーツ姿で「メンズニシムラ(山形県内チェーンの紳士服販売店)」のコマーシャルに出演されていました
私は、大阪に上阪する時に、酒田市のメンズニシムラで濃紺の仕立てのいいスーツ一式を求めました


そー、母校 (酒田東高の先輩・成田
三樹夫に憧れていたからです
彼は、数学好きで東大の理学部に入ったのですね (中退したけど)
高校の頃、たしか日曜の午後二時ころでしたか…… テレビ版『柳生一族の陰謀』が放映されていました

なかでも、極めて異彩を放っていたのは……
映画版から引き続き、宮中の軍師・烏丸少将文麿 を演じた成田三樹夫でした

そもそも新陰流の麒麟児とうたわれた柳生十兵衛に匹敵するほどの公家侍なぞ、まったく想定外でしたが、しかし考えてみれば、鬼一法眼に端を発する「京八流」や「鞍馬古流」を修めた公卿がいても、何らおかしくありません

たとえば、蹴鞠は高度な身体操法を有する武技でもあるのですから、それでも筋肉隆々で馬上にて佩刀を片手斬りにする烏帽子の兵法者は、きわめて斬新でした 

こんなにカッコイイ武人は初めてです、『五条霊戦記』の遮那王(源義経の幼名)みたい

[※  後年に、今川流剣術の創始者・今川氏真公が、烏丸少将と同じく烏帽子を冠った文武両道タイプなのに気がついた、こちらの拙稿もご参照くだされ]

リンク ▼

意外にも剣豪〜 蹴鞠名人の今川氏真公 - 『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

加えて、優雅で円やかな公家言葉も、そのギャップ故に萌え上がりました 


当時、進学高に通っていた私は、数学の章末テストとゆーものが二週に一度あるのですが、合格点とるまで何度でも追試を行うのです

追試受けているうちに、次の章末テストが来たりして 、まさに自転車操業の忙しさでした
心も追い詰められて荒んでいたものです

そんな状況下で、この烏丸少将と三条大納言(テレビ版では中院通村)との、朗々と歌うように喋る公家言葉のイケズで間延びした遣り取り(おそらくテレビ版 📺 第六話だと思う、大傑作です ♪)には、

お腹の筋肉 がよじれるほど笑わせてもらいました ♪

暗く苦しい高校生活で、腹の底から笑いが込み上げてきたのは、この「おじゃる言葉」の掛け合いだけだったかも知れません

[ この公家の口語「〇〇でおじゃる」は、梅津栄さんの発案創始されたものです。室町時代の公家はこのよーに遣ったよーですが、江戸時代の公家に「おじゃる」と喋らせたのは梅津さん夫妻の図書館通いの成果と飛び抜けたセンスであったのです]

 

 

ーご自身のブログのなかで「俳優 成田三樹夫論」をアップされ、最大限の賛辞をお寄せくださっている『花房院長のブログ』から引用させていただきます

詳しくは、リンク ▼

俳優 成田三樹夫論 : 下田循環器・腎臓クリニック 花房院長のブログ

 

 

> 先日発売の「昭和40年男」の、俺たちのダークヒーロー特集に俳優として唯一取り上げられていたのが成田三樹夫でした。
「ニヒルな知略家から不気味な悪玉、そして憎めない小悪党まで、昭和の映画やドラマを盛り上げたダークヒーローと言えば、この男優をおいて他にない。にじみ出る知性とダンディズムで俺たちを痺れさせたミッキーの魅力に迫る!とありました。

 

> フランス文学者の鹿島茂は倚馬七紙なる作家であり、100冊目の記念に上梓した「甦る昭和脇役名画館」において、12人の俳優をあげていますが、最後にあげられているのが成田三樹夫です。
勝新太郎主演「兵隊やくざ」において

「長身の引き締まった肉体

いかにも強烈な意思の力を感じさせるアゴ

睨み付けるだけで相手を縮みあがらせる鋭い眼

大きく尖った鼻の下で真一文字に結ばれた口・・・」

とその独特の風貌を彼独特のレトリックで描写して、鍛え上げられた悪の魅力を論じています。
主客転倒、まさに主役と互角に渡り合う成田に悪のエロスを醸し出しているといいます。


成田三樹夫という強烈な個性の悪役は、そのマイナスベクトルのエロスをしっかり受け止めて、これを跳ね返すほどのプラスベクトルのエロスの持ち主が主役を張っていない限り、少しも輝かない。
換言すれば、成田三樹夫と渡り合える主役級の俳優はそうはいないということになります。

 

> 能や焼き物などの骨董に造詣が深く、文芸評論家の小林秀雄や画家の梅原龍三郎とも親交があった随筆家 白洲正子の随筆集『ほんもの』 の中で、

「雲になった成田三樹夫」なる随筆を発表しています。
白洲正子が特に注目したのは、ヤクザ役イメージを払拭できない成田がNHK大河「新平家物語」で保元の乱で敗れてしまう藤原頼長という平安末期の当代一の大学者役を演じるそのギャップと、


「品のいい立ち振る舞い、衣装束帯の似合う役者は、歌舞伎の世界にもまれにしかいない」と言わしめています。

そして「ワキ役とはいえ、彼が現れると、主役を喰ってしまう場合が多かった。いわゆる「花」のある役者とは違うのだが、強いていうなら 黒百合の花にたとえられようか」と述べています。

 


 

 

‥‥ 嗚呼、あの藝に人一倍厳しい白洲正子女史をして、エッセイの主題に据えざるを得ないほどの役者だったんだねえ〜
感無量です、「太陽の塔」背面の「黒い太陽」のごたる凛乎たる存在感をお持ちだったと思います

 

最後に、成田三樹夫遺稿句集『鯨の目』🐋より


朧世の底つきぬけ櫻は散るぞ   (病中)

物云いたげな急須の口や秋深し

恋終り空のひろさや

【なんと箱入りなんですよ、私も愛蔵しています。醒めた色味の薄紫の表紙が実に渋い、句風は西東三鬼を思い出します。】

 

 

 

🔴成田三樹夫を慕っていたお人

[2017-03-20 16:23:34 | 王ヽのミ毎]

 

1990年、55歳をもって此の世を去られた、クールな俳優・成田三樹夫……

故郷の酒田で執り行われた、彼の葬儀にかけつけ、憚ることなく泣き崩れた俳優・渡瀬恒彦の姿は、口伝てに酒田市民に広まり、人びとの胸にあたたかいものを灯して行ったものだ

 

成田三樹夫遺稿句集『鯨の目』🐳 (無明舎出版刊にも、真心の込もった追悼文をお寄せ下さっている

>成田三樹夫さんの事 ”            渡瀬 恒彦

困っています。

原稿用紙を前にして、困り果てています。

成田さんの事を書かなければならないのに、書けることがないのです。成田さんと共演した映画を調べてみました。

 

『仁義なき戦い・代理戦争』

『安藤組外伝・人斬り舎弟』

『実録外伝・大阪電撃作戦』

『赤穂城断絶』

『影の軍団・服部半蔵』

 

以上の五本のはずです。ですが、面と向ってカランだ記憶がないのです。

成田さんと酒席を共にした事も、たった一度しかないのです。

成田さんと食事をした覚えもないのです。ただの一度も。

成田さんは酒が好きでした。

成田さんは犬が好きでした。

成田さんは当然映画が好きでした。

東映京都撮影所でお会いすると、野太い声で「元気?」「飲んでる?」後は犬の話し。格別 何かの話をしたという事もないのです。

 

ですが、いつも何か気になる存在でした。この人には「イヤな奴」と思われたくない。ブザマな所は見せられない。そう思ってしまうのです。

私が成田さんと共有できた時間の短さに驚きながら、私にとって成田三樹夫さんは何だったのか、どうして成田三樹夫さんの事が気になったのかを考えてみました。

答えは簡単でした。

私は成田三樹夫さんのファンだったのです。

古武士を思わせる風貌と失われつつある日本人の原点を持っていた成田三樹夫さんに魅了された一ファンだったのです。

先輩として見たこともなく、同業者として見たこともなく、いつもファンという立場で、成田三樹夫さんの事を見ていたのです。

残念です。

 

‥‥ お兄さん・渡哲也の大ヒットドラマ『大都会』三部作〜『大追跡』〜そして、渡瀬さん主演の『大激闘マッドポリス’ 80』へと続く

MPを率いるキャップ・氷室は、黒づくめのタイトな感じで、ハンチングでRX–7を乗り回し、すこぶる武闘派のカッコよさ……

やはり「眼」がよかった

なんかリアルな感じがしましたね

 

 

 

 

大野雄二の「大激闘のテーマ」の名曲にオーバーラップして遜色ない役者、バイオレンス物なのにそこはかとなく哀愁が漂っておりました

科学忍者隊でゆーと、兄貴の渡哲也さんが大鷲のケン、渡瀬さんはコンドルのジョーって感じでありましょー

地球を救ったのは、ジョーがベルク・カッツェに投げつけた羽根手裏剣だったのです

人に知られず尽くす御仁(人気シリーズ『おみやさん』に結実)、渡瀬さんにはそんなスサノオ振りのイメージがあります

 

ー三國連太郎がそーであったよーに、成田三樹夫もみずからの生業を「河原乞食」の様なものと自認していた

菅原文太の読んだ弔辞に「あなたは芸能人ではなく、俳優であり続けたのです」とあったよーに、成田三樹夫は「わざおぎ=俳優」で在り続けたのである

俳句がブームになっているので、彼の遺稿句集『鯨の目』より私好みを引用する……

 

> 大空の下で大根を抜く

> 一線をまたげば異邦去年今年 (こぞことし)

 

> 背をのばせばどこまでも天

> 友逝きて幽明界の境も消ゆ

> 逝きし友万化の宙に俳優げり(わざおげり)

 

> ひそと動いても大音響

> 神々ののどかさよ天に満ち満ち

> 天上も天下も抜くよわらべかな

 

> 波ひいてもぬけのからのいとおしき

> 春ゆくや煮こごりのくづれゆく

 

> 咳こんでいいたいことのあふれけり  (病室)

> 荒海や王道自在のシロナガス  (病中)

> 痛みのなかで安心 (あんじん微笑をかいまみる   (院中)

 

‥‥ 成田さんの遺稿の読書メモより、私と共通する蔵書をピックアップしてみる

> メキシコ ヤキ・インディアンの呪術師ドン・ファン

カスタネダのドン・ファンシリーズ6 二見書房

> 「うつろ舟」澁澤龍彦著 福武書店

> 「大仏以後」杉山二郎著 学生社

> 「ダヤン・ゆりの花蔭に」M・エリアーデ著 筑摩書房

> 「縛られた巨人」神坂次郎著 新潮社

> 「タルホ事典」潮出版社

> 〈 柔軟心 (にゅうなんしんを学ぶ=道元 〉

 

‥‥ 中沢新一の本も何冊か愛読されていたよーだ

このインテリ振りも宜なるかな、成田さんは内緒にしておられたのだが、東京大学を一年で中退されて山形大に入り直しておられる学歴をお持ちである

お兄さん方も頗る優秀で、そーゆー家風で育っておられたよーだ

この「雅び」な処が、最強のお公家さん・烏丸少将文麿に通じるのであろー

 

この遺稿句集『鯨の目』の巻頭の肖像写真……

白皙の額に彫りの深い風貌、白のブルゾンを立て襟にしてチェック柄のシャツ、着古したジーンズに人差し指を突っ込んだ憂い顔……

その凜呼たる侵すべからざる気品は、誇り高き湊町・酒田の先人たちが持ち合わせていたものである

 

渡瀬さんを出汁にして、成田三樹夫を語ったが、おとこ・渡瀬恒彦はそれをよしとして下さると信ずる

 

【松濤館流の天才空手家・江上茂(極真・安田英治の師、青木宏之の兄弟弟子)、早稲田大学で渡瀬恒彦にも教える。渡瀬恒彦は、ケンカが強すぎて芸能界最強と噂されたが、江上師から伝授された直弟子だったのなら充分頷ける。渡瀬さんの訃報は、伊勢白山道の記事にも取り上げられていた。(昭和に降臨した「獅子の神使」であり「真の男だな」と観ていたと)兄・渡哲也との兄弟ケンカは、『北斗の拳』なみに熾烈で凄まじいものだったらしい。】

 

 

🔴俳優成田三樹夫の境涯

[2009-04-05 13:47:03 | 玉ノ海]

 

勉強に明け暮れし、追試に追われる高校生活でしたが『書』に邂逅し、また成田三樹夫を母校の先輩に持てたことには、後年感謝すること頻りでありました

55歳の若さで病いで帰天された彼であったが将棋と俳句が好きなインテリ俳優であった

 

咳こんでいいたいことのあふれけり

目あくれば晒した顔をまだ見ている妻

 

    [※  遺稿句集『鯨の目』無明舎出版・1991-より]

 

 

今あれだけニヒルな悪役ができる役者がいるでしょうか? あれだけ憎めない悪役ができる役者がいるでしょうか? あれだけ......

いや、やめましょう。 あの人が素晴らしすぎただけなんです。

[ネット上のサイト『名優・成田三樹夫』からの引用]

 

※   尚、「名悪役」については、こちらの拙稿もご参照くだされ。(井上昭文、金田龍之介、梅津栄、成田三樹夫を語っています)

 

 時代劇 「おじゃる言葉」 をあみだした怪優 - 『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

__お公家さんの 「〇〇でおじゃる」 とゆー話し振りは、映画『柳生一族の陰謀』(1978)において、初めて登場した 深作欣二監督と、千葉真一ががっぷり四...

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松田優作が 最高の悪役” と讃えた彼の風姿には、善悪二つ枠では収まり切らない、人間の剥き出しの『生』の凄み、深み、滑稽味が滲み出ていた

 

悪役であって、美しい人 と云ふのも、映画史上稀れではあるまいか

 

湊・酒田の産んだ凄絶な二枚目俳優、成田三樹夫

光栄にも、彼の姪御さんとは同級生である

当時、スラッとした 端正な佇まい の心優しい美少女であった  。。。

         _________玉の海草

 

 

 

 

 

 

 

 


《玉断》 安倍ちゃんとの和香礼〜 「国葬」 を振り返る

2022-11-01 02:01:35 | R.I.P 「敬弔」

 

__ 「国葬」をめぐっては、国民が揺れたと思います。

功罪相半ばする政治家という巨きな職業をつとめられた御方にあっては、民主主義の国では当然のことなのでしょう。

折々に綴った思いを置いておきます。

 

 

〜安倍ちゃんの「国葬」を振返る〜

 

 

🔴 老獪さの見本

ABちゃんの公的な葬儀を明日にひかえて……

今回は「見事なまでにしてやられた」感に浸らなければならないとは……

ABちゃん済みません、充分な準備してやれなくて、慌ただしく御送りすることをお詫びいたします。

もうそんな厳粛な心持ちになれない。

 

今回の「国葬儀」については、ヒロユキがその深謀説を披露していたが、そのとおりだと思わないわけにはいかない。

・あの事件が突発して、いちはやく「国葬」を営むことを決断し、即座に発表した。(閣議決定のみで強行した)

ただし、葬礼までに約3カ月の猶予をあけた

 

このあとにキッシーがしたのは、メディアを一切無視して既成事実化をこころみる。

3カ月空けたのがミソですよね。

「時間は一番の妙薬」を、こんな形でつかうとは驚きでしかない。

一週間、一カ月と日が経つにつれて、国民の熱狂も冷めてくる。彼は、某宗教団体に矛先を向けさせ、AB派の勢いを削ぎにかかる。

J党との深い因縁をリークし、その団体との分離をはかる(K党の働きかけもあったか?)

 

連日、ABちゃんの露出よりも、某団体の露出を増やしてゆき、言葉巧みにABちゃんを貶めてゆく番組構成を繰り返す。

2カ月も経つころには、ABちゃんのご最後の悲壮感など跡形もなく霧散して、国民の怒りを国葬の費用に向けさせる。(野党はここぞとばかりに最大限に頑張る)

 

綿密に練られた葬礼日であったわけである。

たまたま不測の事態で英国女王葬🇬🇧が挿入されたが、そうでなくとも国連総会🇺🇳のすぐ後に、日にちを設定したのは悪魔的な配慮である。

重大な外交事例が三つも重なれば、さすがに亡くなった直後は1700通にも及ぶ弔意といえども、それぞれの国家の内政を考えれば、そうそう国外に出歩くわけにもゆかない。

だんだん参加国が少なくなって、迎える日本も面倒くさい567政策を国賓にも求めてゆくことになる。

 

キッシーの国葬とした理由説明もあいまいで(故意であろう)、費用の説明もいかにも反感を買うように買うように誘導しているようだ。

結果、誰よりもはやくABちゃんの国葬にGOサインを出した、同期の盟友(表向きだけ?)のキッシーは、支持基盤である保守層の支持を失うことなく立ち振舞って、国民の衷心からなる弔意を縮小させることに意を尽くした。

 

日本には、中露の外交官のような老獪な政治家がおらず(かろうじて2Fさんくらいか)、真に憂えていたものだが……

ここに計らずも、こちらの熱誠を踏みにじる形ではあるが、傑出した老獪さを見せる政治家が出現した。

派手で目立ちたがりH島人のなかで、割と真面目なビジネスマン風で、地道にひとの話を傾聴するキャラでありながら……

2Fさんを黙らせてソーリになった手腕や、この度の、広雪の見方を肯定すれば、周到に準備され緻密に詰めていった「国葬儀」の運び方を眺めるに……

これは、ダークホースだが、とんでもない老獪なやり方だと正直舌を巻かざるを得ない。見事なものだ。

ほんと、「時間は(恋の)妙薬」ですね。熱を冷ますのにこんないいものはない。

 

本当の【老獪さ】とは、かくの如きものだ。張本人は、決して矢面に立つことなく、自在に舞台を回す。

ABちゃんも、「なかやかやりおる ♪」と苦笑いなさっているかな。

 

 

 🔴情緒あるお悔やみ

ABちゃんの尊厳を踏みにじることに躍起な連中に振り回されて(国の恩人に何たる無礼)……

厳粛な心持ちで国葬に臨めないでいた私の心の襞を、やさしく湿(うる)おしてくださったのは、スガさんの訥々と語る一節でした。

 

あれからも、朝は来て、日は暮れていきます。

やかましかったセミは、いつのまにか鳴りをひそめ、

高い空には、秋の雲がたなびくようになりました。

季節は、歩みを進めます。

あなたという人がいないのに、時は過ぎる。

無情にも過ぎていくことに、私は、

いまだに許せないものを覚えます。

 

…… なんでもないコトバの連なりが胸を打ちます。

芭蕉の俳句や連歌のように、たんたんと大自然の眼にうつる気象を描写した前半、無常にひきさかれる心象を綴った後半……

ABちゃんが唱えた「美しい日本」その風景がここにあります

いまの世に、さりげなく日本的情緒をまとって、真心から発された弔いの言葉が、日本全国に届けられて良かったです。

「情緒ってなに?」と訊かれたときに 、

「スガさんの弔辞を聞いてごらん」といえる 、

日本的情緒の亀鑑とするに足る文章でした。

 

日本人の話し振りって、こんなに優しく響くんだなと久しぶりに縁側に腰かけて空を眺めてる気分になった。

スガさん、素養があるな

かたくるしい教養・学殖というほどでなく、日常に身についた風雅のたしなみが、こちらの琴線をかき撫でる。

 

百戦錬磨の静かなる闘将スガさんが、「無情にも」と情を吐露するところが、日本人なのである。

維新の功労者・西郷さんは、「情」の人だと云われる。大久保の「知」でも、木戸の「柔」でも、山県の「剛」でもまとまらないのが……

西郷の、ひたすらまっすぐな「情」で一つにまとまった。(勿論、致命的な弊害はあったが)

それが日本人なのかと思う、理念ではないのだ、それを体現した「人」についてゆく処がある。

その人物が矛盾を内包していることには寛容である。人間というもののサガをわかっているのだろう。

 

それゆえ、「バランスを取る」では人生の指針にならないのだ。老子がとてつもない大賢であるのは私でも分かるし、見事な身の処し方に感服もする。

しかし、大局観だの俯瞰だのは、その場に臨んでの指針とはならない。だから、日本人は劣っていても孔子を手本としたのであろう。

孔子も、バランス(中庸)を唱えたが、それを第一義とはしなかった。あくまでも「忠恕」なのである。

 

スガさんのお言葉をとおして、ありし日のABちゃんを温かく偲び、この記念すべき日に一献かたむけた。

居酒屋🏮でのABちゃん、ちょっと赤くなっておしゃべりだったなあ、飾らぬ庶民の晩酌であった。

いちどご一緒したかったものだ〜🍶〜 謹んで献盃。

 

 

 

 🔴「訂正願います」

先に投稿した「情緒あるお悔やみ」の文中……

スガさんの弔辞の引用文に誤りがありましたので、お詫びして訂正いたします。大変失礼いたしました。

正しくは下記のとおりです。

 

あの、運命の日から、八十日が経ってしまいました。

あれからも、朝🌞は来て、日は暮れていきます。

やかましかったセミ🌲は、いつのまにか鳴りをひそめ、

高い空には、秋の雲🍁が棚引くようになりました。

季節は歩みを進めます。

あきあなたという人がいないのに、時は過ぎる。

【無情でも】、過ぎていくことに、私は、いまだに許せないものを覚えます。

 

…… 上掲の文中の「無情でも」の部分なのですが、テレビ📺でもネットニュースの『弔辞全文』でも、「無情にも」と書いてあります。

 

これね、「無情にも、過ぎてゆく」と「無情でも、過ぎてゆく」とでは、心象風景が明らかに違います。

文章のニュアンスも全く異なって来ます。

 

さて、スガさんが仰った……

…… 無情でも、過ぎていくことに、私は、いまだに許せないものを覚えます」

ここの「無情でも」は、あるいは【無常でも】ではないかと勘ぐっております。

⚫︎「あなたがいないのに時はたんたんと過ぎてゆく、そのこと自体は無情であっても、……

あるいは、

⚫︎「あなたがいないのに時はたんたんと過ぎてゆく、そんな無常の世界の内にあっても、……

 

「無情・無常でも」には、大自然と同位に立つ透徹した眼差しがあります。

ここを、「無情にも過ぎていく」とすると、単にセンチメンタルな情に溺れた一文になって仕舞います。

そんな陳腐なおセンチが、控えめでしめやかに臨むスガさんの口から出ることは、断じてありますまい。

内心ひそかに覚悟と矜持を秘める、スタイリッシュな老漢・スガさんに、そんな脇の甘さは有り得ようがないのです。

 

テレビでも、画面下にテロップが付け足されることが多いが、こうした些細な助詞のまちがいは数限りない。

テレビ制作陣の素養は、あきらかに劣化の一途をたどっている。ジャーナリストが文脈を読めないようでは報道なんか到底つとまるまい。

 

風情ある美しい日本を継承してゆくためにも、些細な「てにをは」の助詞にまで、充分な心遣いができる日本人でありたいものだ。

 

 

 

[※  スガさんの真心を踏み躙るように、某テレ朝局の玉川某が、テレビ報道で、スガさんの弔辞をヒットラーのプロパガンダ演説になぞらえるような不敬な発言をして、世間の物議を醸した。それに対する世間の反応に物申したものが以下の拙稿である]

 

🔴ハメられたと思ったの?

SGさんの弔辞🌿に素直に感動した自分を信じないで、いったい誰を信じるというのか?

電通の仕掛け(プロパガンダ)に乗って、感動した自分がゆるせないとでもいうのか?

まんまと感動させられたとすると悔しいの?

あなたは、自分が感動するのにも、誰かの保証がないと出来ないのですか。

 

国葬というのは、為政者が国民に向けた政治的行為に他ならない。

SGさんご自身も、代表して弔辞を披露するにあたっては責任もあり、故人と聴衆双方に向けた多少の配慮(心情を伝える声のトーンや抑揚等)はなされたはずだ。

葬礼における弔辞とは、故人を称える大芝居演目だからである。

 

感動するにも他人の顔色をうかがって、「それは感動してもいいんですよ」という確証なしには、ひとりで感動することも出来ないようじゃあ、それは既にロボット人間🤖と化しています。

権謀術数の中にも、SGさんの赤心を感じとれないようでは、日本人とは云えませんよ。

自分を信じて生きる、その「オリジナル磁気」が何よりも(神さまよりも)大事なものです。

 

 

 

🔴日出ずる国の独立する日は……

先月の『朝ナマ』でも、タハラさんが仰っていたのだけれど……

最晩年のABちゃんは、憲法改正を言わなくなったんだってね。集団的自衛権を確立してから、アメリカさんはピタッと何も言って来なくなったかららしいです。

そこまでで先方は満足なんですな、それ以上はやってくれるなと、日本にカクを持たせたくないのだと思います。

ABちゃんは、メリカからの地獄のような催促をいなしながら、改憲論議を進めてこられたわけですが……

言われてみると、「戦後レジームからの脱却」という理想(つまり日本が属国的な立場から脱却して、誇り高き独立を果たす)は、第二次AB政権では口の端にのぼらなくなります。

メリカさんと対等になられては(完全なる自立)困るので、ABちゃんに圧力をかけていたと思われます。

 

ABちゃんは、右に左に見事に泳いでみせていたんですね。老獪でしたね、ほんとに惜しまれる傑物であられました。

あんまり、偉そうな日本になると潰されるので、ぼちぼち地力をつけようとなさっていたのかなと察します。

 

改憲せずとも、うまく付き合える方策があったのだろうか? 日本はいつまで経っても西洋に子供(おもちゃ)扱いされている。

だけど、それを逆手にとってこちらの言い分を呑ませてきたのが、ABちゃんのマリオ外交なんだったんだね。(逆オリエンタリズム= 仇敵の武器をもって抗う

西洋は男性、東洋は女性……  オリエンタリズムは、オリエントの自立を、対等な関係になるのを許さない。東洋に役割を振り当てるのは、つねに西洋だけに許された特権なのだ。

男と女とのフェミニズムと同じ構造なのだ。

 

いまの観光立国・日本とは、そうした女性的な媚びを売り物にして生き延びる国家戦略である。

女であり子どもである吾が邦が、どこへ向かってゆくのか、しっかりと見届けねばならん。

日本は火宅に遊ぶ子どもだったとは、内心忸怩たるものがあるね。

 

 

 

🔴__ 野田ex-総理の、国会に於ける追悼演説は真心をこめたものだった。あの、立派な大きなお顔は、まさに千両役者ヾ(@⌒ー⌒@)ノ…… ヨッ、オオトリ

先代の勘三郎張りの見事さで、よき好敵手(ライバル=友)の面目躍如であった。

国葬にも、難しい党内の立場を押しのけてご参列になったのも、人間として誠実なお人柄を思わせる。

 

日本の「民主主義」は、西洋のように勝ち取ったものではないので、後段の「民主主義」の連呼には冷ややかな目で見つめていたのだが…… 

どちらにも角を立てず、それでも本質はスッと差し入れて、死者を鞭打つ非道に立つことなく、伝統的な日本人の偲びかたをして下さり、ほのぼのと温もりを覚えた。

 

すこしく、彼の言葉をなぞろう…… 

不帰の客〜 享年67歳〜 哀悼の誠〜 雨天の友〜 捲土重来〜 兜を脱ぐ〜 丁々発止

明るく 「お疲れさまでした ♪」

身を捩るほど恥ずかしい失言〜 深く深く〜 大失言を詫びる〜 拝礼

(低く響く声音で)

あなたの仕事が

どれだけの激務であったか、わたくしにはよくわかります

分刻みのスケジュール、海外出張の高速移動と時差で疲労は蓄積……

その毎日は、

政治責任をともなう果てなき決断の連続です

容赦ない批判の言葉の刃を投げつけられます

在任中、真の意味で心休まる時などなかったはずです

天成の才

冷静沈着なリアリストとして柔軟な一面を併せもっておられました

国を背負った経験を持つ者同士、

天下国家のありようも腹蔵なく論じ合っていけるのではないか

立場の違いをのりこえ

どこかに一致点をみいだせるのではないか

 

堪え難き寂寞の念だけが胸を締めつけます

追悼の 

その先に伸びた  も…… …… …… 

 

 

__ おふたりの、解散総選挙を宣言したやりとりの舞台では、野田さんの方に貫目があったと思う。

安倍ちゃんは、これ幸いと乗っかる軽々しさが感じられた。あの場がターニングポイントだったから、仕方なくもあるが……  堂々と悠揚迫らぬ態で、保守の自民党として横綱相撲をとってほしかったのも正直なところある。

初めて成った野党では、しゃーないか、当時野田さんファンの私には、何か安倍ちゃんにまんまと嵌められた感があった。

野田さんは、あの政党にしては温和で重厚だったのが、かえって底力を感じさせた。歯の浮くよーなことも口にしなかったし。

安倍ちゃんが心血を注いだ国会の場で、安倍ちゃんに「ご苦労さんでした」と最後に声をかける御仁が、野田さんで良かったとしみじみ思った。

 

[※  スガさんの時とおなじく、今度はTBSのサンモニ大阪のオバハン谷口某が、左寄りの非人情発言で、野田さんの敬弔に泥を塗ったようだが…… ]

 

何より、アッキーが感激しておられたのが嬉しかった。

夫が精魂尽くした戦場で、死してなほ後ろ足で砂をかけるような輩も実際にいるからな。

おなじく国を思う国士に、最後は見送られて…… 

これで、終りなのだな。

 

【霊峰不二山ももし噴火すれば、日本国民がこよなく慕う、流麗な稜線を描く山容が崩れることになろう。木花開耶姫を祀る美しい霊山なくば、日本人は何を仰いで生きていったらよいのか。富士の気高き姿を胸の内に正しく懐き、まっすぐに前を向いて生きるのが、国士である。まっとうな日本人であるのは実はもっとも難しいミッションなのだ。】

 

国士・ABちゃんを忘れません、母国をおもうあなたの赤心は、いま私の胸の内に息づいております。

あちらから、どうか御見守りなさってください。

されば、さらば…… 

           _________玉の海草