『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

惚けた母がつぶやいた〜 「 生きてるだけが仕合せだ 」♨️

《玉断》 粘菌仲間 ( 昭和帝と熊楠 )〜 荒俣宏の洞察

2022-05-27 12:44:25 | 人物山脈

__ 碩学といおーか、大賢といおーか、南方熊楠については最近知っている人が多くなったが、いまから40年前(わたしが10代の頃)にこの名前を知っている人は、まずいなかった。(私は、今東光と稲垣足穂から、この途轍もない和製百科全書派を知った)

当時大阪に住まいした私は、専門学校で和歌山県から通っていた美少女・南方さんに尋ねてみた。「和歌山の偉人で、南方熊楠って知ってっか?」

彼女は、真面目な知的美女だったが、聞いたことがないと言う。熊楠の地元は田辺町だから、和歌山市からしたら随分と田舎だが、当時そんな知名度であった。

因縁浅からぬ、昭和大帝と南方熊楠翁にまつわる拙稿をまとめてみた。

 

 

● “昭和天皇とクマグス翁

[2009-01-10 02:54:17 | 玉ノ海]

十三歳時から、足掛け七年に及ぶ、東宮御学問所(侍講による個人教授)での英才教育が「箱入り教育」であり、実学に乏しいとの理由で、

大正10(1921)… 裕仁皇太子二十歳のみぎり、ヨーロッパ御外遊が決まる

軍艦「香取」で横浜港から出立、最初の寄港地は沖縄であった

この時が生涯で、最初で最後の沖縄行啓であった

「香取」は、さらに香港、シンガポール、コロンボ、紅海に入りスエズ運河を経てエジプトに立ち寄る カイロでピラミッド・スフィンクスもご覧になっている

そしてイギリスへと、およそ二ヶ月の船旅であった

英國王ジョージ五世の厚い歓迎を受け 一ヶ月イギリス各地で過ごした後、パリへ、さらにベルギー、オランダ、フランス、ローマバチカンではローマ法王ベネディクト十五世と会見され、ナポリを最後にご帰国の途につかれる

船上も含め、ほぼ半年の旅程であった

その間のヨーロッパでの皇太子のご勇姿は、新聞に写真付きで大々的に報道され名実共に、日本国民の誇るわれらが皇太子となられたのである

帰国後ほどなくして、摂政宮となられる

【お若かりし砌、十三歳の迪宮(みちのみや)時代の、英邁この上なき昭和陛下…… 何たる凛々しさか】

 

そして二十二歳で関東大震災、

二十三歳でご結婚、

二十五歳で大正天皇ご崩御・大喪と天皇即位と慌ただしい月日を送られ

 

二十八歳、ついに南方熊楠(六十二歳)と相まみえる

軍艦「長門」で 和歌山の田辺湾に到着、この行幸は和歌山県民あげての盛事となる

1906年に施行された『神社合祀令』⛩〜国家神道の権威を高めるために、古文書に記載された神社だけを残し、一町村一社にまとめて合祀する〜 によって 小さな神社や祠が、その境内の『鎮守の森』とともに消えてゆくことに憤慨し、いち早く反対運動を開始したのは、熊楠四十二歳の時である

その運動の中で その保全に最も力を注いだのが田辺湾に浮かぶ神島であった

生物学の宝庫として、熊楠が死守したその島へ、畏れ多くも今上陛下をぉ迎えするのである 熊楠一世一代の晴れ舞台であった

【熊楠夫妻、奥様は鬪雞神社の宮司のご息女・松枝夫人。奥様が怒って家を出てゆくと、熊楠は神社に赴き神前にて朗々と祝詞を唱えたと云ふ。その内容は、閨房での営みを縷々と述べたもので、松枝夫人は堪らず家に帰ったものだと云ふ。】

 

有名な話だが、標本をキャラメル箱に入れて 陛下に献上し、ご進講する

その折に 熊楠翁が詠まれた歌が―

『一枝もこころして吹け沖つ風 わが天皇(スメラギ)のめてましし森そ』

24ヶ国語を話すと云われ、生物学の世界的巨人にして 破天荒で比類なき冒険の生涯は、シュリーマンやグルジェフにも匹敵しよう

 

*『昭和天皇の履歴書』文春新書編集部[編]より

 

 

 

● “ 粘菌を詠まれた御製だったとは…… ”

[2016-12-30 10:17:20 | 王ヽのミ毎]

昭和37年、和歌山県南紀に行幸なされた先帝陛下(昭和天皇)が、

遡ること33年前(昭和4)に神島を案内してくれた熊楠翁を思い出されてお歌いになった御製……

雨にけぶる 神島を見て 紀伊の国の生みし 南方熊楠を思ふ

 

「この歌は【粘菌】を知らなければ理解できない。」(荒俣宏)

博物学者・アラマタ大人の随筆「南方熊楠〜紫の粘菌譜」より引く

御製にある「神島」(第一のキイワード)とは……

> 田辺湾に浮かぶ南方系植物の宝庫、手つかずの自然が残され、複雑にからまりあう生態系の箱庭ともいうべき島である。そして何よりも、菌類の宝庫であった。

熊楠は神社合祀反対を理論づける具体物として、この島をことのほか愛した。

‥‥ 神島で熊楠が昭和天皇に是非ともごらん戴きたかったのが、じつは粘菌であったと云う

【美しい粘菌の写真、粘菌の発達形態が都市交通の路線図と相似形であったり、迷路の脱出行では最短ルートを選択して、脳を持たない粘菌だが知性を感じさせるほどであるそうだ。】

 

お二人は当時、日本でも数少ない粘菌の研究者同士であったから

> 天皇が行幸した昭和461日は、粘菌を観察するには わるくないシーズンである。ベストシーズンはもう少し遅いが、それでも6月が都合のわるい季節というわけではない。

かなりの確率で、ワンジュなどに生じている粘菌を見ることができたであろう。だからこそ、天皇も臨幸を望んだはずである。

しかし、ここで第二のキイワードが、歌にこめられた心情を一気に明確にする。

それ〈雨にけふる〉の【雨】である。

もちろん、歌にある雨が意味するのは、昭和37年の行幸である。その日、田辺湾の島々は雨にけぶっていた。

しかし、昭和4年、熊楠が神島を案内した日も、じつは雨模様の一日だったのである。

雨の神島。

これが何を意味するのか。

雨が降っているとき、粘菌の発見はきわめて困難となる。粘菌は晴天のときにしか発見できないと考えてよい。

おそらく熊楠は、当日、昭和天皇を案内しながら、きわめて心もとない天候下で、必死になって粘菌をもとめたにちがいない。

ところが、当日はあいにくの雨模様だった。熊楠は結局、神島に生じている粘菌を自然状態で発見できなかったのだろう。昭和天皇も粘菌採集ができなかったのだ。

ともに博物学を終生の友とする人物であったから、採れないときは採れないということを、了解しあっていたにちがいない。

しかし、和歌山のフィールドで何度も奇跡をおこし、新種発見を実現させてきた熊楠は、その日も、〈奇跡〉をおこすべく、悪い足腰のことも忘れて、粘菌をさがしまわったにちがいない。

その姿を見て、天皇はふかい印象を受けたことだろう。

粘菌のみつからぬ雨の日、必死に努力する熊楠の形相は、まさに鬼神のようだったに相違ないのだ。

そして三十年余、ふたたび雨模様のなかで神島を眺めた昭和天皇は、

粘菌のみつからなかった雨の日のことと、あの南方熊楠とを、同時に想起したのである。

 

‥‥ この説、博物学の貴重な図鑑を自腹を切ってまでも出版された御仁による解釈は、じつに深く情愛にみちたものである

南方翁の、粘菌に抱くイメージはわれわれと異なり、「菌」ではなく

【原始動物】なのだそーだ

> たしかに粘菌は、アメーバ状に動くということだけをとるかぎり、原始植物や菌類の一部と生態を同じくする。

ところが、このアメーバ状に動くものが ふたつ以上も寄り集まり、融和して、ひとつの原形体をつくるという現象は、原始動物にはみられるけれども、菌界や植物界にはまったくみられないことである。

‥‥ 粘菌同士の融合(合体)は、アメーバのよーに分裂したり一方が他方を吸収するといった具合ではまったくなく、同じひとつの変形体のうちに【複数の核】を共存させる不思議な合体現象だそーだ

> 粘菌は個々が自由な結合を行ない、各自の核が共存できるという稀有な存在態をもつ。各自の個性がまもられつつも、変形体としては統一された全体を構成するのである。

そして、あとでキノコに姿を変えると、この個々の核がふたたび ひとつずつの胞子になっていく。

> 熊楠によれば、民は【草】である。

その草にも、また木、石、金属のどれにも等しく付着するのが、菌類である。多くの核を覆いこんで、全体をひとつの単体とする粘菌

これこそは、神ながらの道を示す〈紫色の神芝〉

かれはその神芝を、天皇に重ねあわせた。

‥‥ 夏目漱石と同時期イギリスに住んでいた熊楠は、大英帝国の王室制度に共感したらしく、敬愛する天皇のもとで各市民が自由に暮らし、発言できる近代日本の将来像をイギリスにみたらしい

> その場合、天皇は統治者でなく、太陽のような永遠の象徴としてとらえられた。

‥‥ 熊楠翁は、陛下をお呼びするに際し、「天津日嗣(あまつひつぎ)」と呼ばれていたそーで、本来は「すめらぎ」との言い方は好まれなかったとか

あの熊楠の詠まれた歌

一枝も 心して吹け おきつかせ わか天皇(すめらぎ)の めてましし森そ

‥‥ この「わか天皇」は、当初は「天津日嗣」を用いる意向であったが、それが古歌に用例を見ないとの理由で、泣く泣く、天皇(すめらぎ)と訓ませたのだとか

熊楠は、昭和天皇臨幸後に神島で発見された紫色の新種の粘菌に、

【神嘗(かんなめ)アルクリア】と命名されたのである

和歌とはつくづく面白いものだ

この端的な三十一文字のなかに、これだけ広汎な消息を織り交ぜて在る

さすれば、昭和天皇の熊楠翁の名前を織り込まれた御製は単に懐古の御歌ではないのがわかる

心から歓迎された喜び、誠心誠意の必死なおもてなし、畏敬と親愛、日本が誇るべき知の巨人、同好の士に巡り合った稀有な体験、悪政から神社や鎮守の杜を守った恩人との邂逅、赤心からの信愛を寄せる大御宝(おほみたから)と共に過ごした得難き一刻等々

熊楠翁が思い描いた「日の本」が、いま、われわれの今上陛下のみもとで実現されているのを見て、亡き翁は如何思われるであろーか

わたしたちは、幸運・強運にもそんな時代に生かされて在るこの身の仕合わせ、いま一度かみしめてみるのもいい。

         _________玉の海草


《玉断》 ほんとうは負けてはいない 「負け組」

2022-05-08 10:49:24 | 雑感

__ 同種や同族の間で、競い負けて「棲みにくい土地」に追いやられる者たちがいる。あえて、3000メートル以上の高地に居場所をさだめた「ライチョウ(雷鳥)」みたいな気高い種もある。そんな種族を追ってみた。

 

● “ サツキに嵌まる愛すべき風流人たち

[2016-11-26 00:48:38 | 王ヽのミ毎]

うちの、亡き叔父もサツキを愛し育み、丹精したひとで……

縁側に雛壇の如く飾り、自前のライトアップをしては、親しき知人・友人・親族だれかれ構わず家に招いて、いたって陽気な酒盛りを連日繰り広げておりました

サツキの時期には、二週間位続けてそんな様子だったのですから堪りません

(wikiより)> サツキはツツジ科の植物で、山奥の岩肌などに自生する。盆栽などで親しまれている。

サツキツツジなどとも呼ばれており、他のツツジに比べ1か月程度遅い、旧暦の5(皐月・さつき) の頃に一斉に咲き揃うところからその名が付いたと言われる。

 

‥‥ わたし今まで「サツキ」を誤解していました

皐月の頃に見応えのある盆栽の総称だとばかり思い込んでいました

今回のリーマンさんの記事には、目を瞠りましたよ

親父どのの愛情を注がれたものとして、わたしに神社の神祭りの何たるかを身をもって示してくれた吾が敬愛する叔父と共通する「なにか」を感じました

> 花のことはよく知らない。

だからサツキの育て方などわかるはずもない、と思っていた。

だが、本作を読むと何か得心するところがあった。園芸栽培の技術が頭に入ったわけではない。

ひとが何かを大事にするときは、心に屈託を抱えているということだ。

それは人生で失ったものか、あるいは得られなかったものか。

[青山文平『伊賀の残光』の解説文(葉室麟・執筆)より]

‥‥ はたして、尊敬おく能わざるリーマンさんの父君にして、そうであられたのか、私には分からない

ただ、他人には窺い知れぬ「哀しみ」といふものはいずこにも在る

> 「岩槻街道の染井村(現・東京都豊島区)に、藤堂侯の下屋敷があってな……

そのお庭で露除(つゆよけ)を務めていたのが高名な植木職である伊藤伊兵衛で、元禄の頃に『錦繍枕(きんしゅうまくら)-1692年』なる書物を著した。

書かれているのはサツキのみであるにもかかわらず全部で五巻という大書だ。それによれば黄花のサツキは存在しない

> サツキは元々渓谷に棲む陰樹(いんじゅ)であり、‥‥

> 道々、サツキが渓流に根を下ろす理由を説いた父の言葉を思い出した。

「たまたま、流れ着いたのではないのだ」と父は言った。

いったん水嵩(みずかさ)が増せばまるごと流れに攫(さら)われる危険を承知で、飛沫(しぶき)を浴びる岩肌を選んだのである。

他の草木との生きるための争いを避け、敢えて生きるには辛い場処を己が棲処とした。

そうして得た渓谷の平和を守り抜くために、彼らは己の軀(からだ)

をも変えた。

【ツツジが枝葉を上に伸ばす】のに対して、

【サツキのそれが横に広がる】のは、たとえ流れに没したとしても、身を低くすることで岩肌にとどまるためだ。

「サツキの花の美しさは、その覚悟の美しさである」と、父は己に言い聞かせるように唇を動かしたものだった。

> サツキの新種が棲んでいそうなあらかたの渓流には、取り付く路がない。熊笹や灌木の群落を山刀を振るいつつ進むか、あるいは滑落の危険を承知で沢を上る。渓流行きは山登りに等しい。

[上記引用全て、『伊賀の残光』より]

‥‥ いやあ、そんな隠れた消息が「サツキ」とゆー生き物に内包されていたとはなんとも凛乎として奥床しい風情がある

いままで、たんに躑躅(ツツジ)と一緒くたにしていた自分を恥じております

そんな、サツキを愛し慈しんで止まない御仁がたとは、いかにもそのお人柄が偲ばれます

 

 

● “ 敗木

[2017-04-02 00:10:46 | 王ヽのミ毎]

晩酌のお伴に『ブラタモリ』を観ていたら……

奄美の海のマングローブが出て来た

> 熱帯や亜熱帯地域の海岸線や河口付近など、陸と海のキワにあって潮の満ち引きによって陸になったり海水に浸かったりする場所に生えている植物群をひとまとめにして「マングローブ」と呼ぶんです。世界的にも希少なマングローブが奄美大島にもありました。

 

‥‥ 陸地と海との際にあるとゆーことは、場所によってそれは淡水と海水の混ざり合う【 汽水域 】にあるわけで、マングローブに対して新たな興味が湧いたことだった

マングローブに棲息する「メヒルギ(雌蛭木)」「オヒルギ(雄蛭木)」なる樹木の生態も面白く……

呼吸根として地上に露出している「板根」や「屈曲膝根」、これで海水の塩分を濾過するのだが、それでも排除し切れない塩分を枯れた葉っぱに載っけて、落葉とともに排出するとゆー離れ業をやってのけていた

そーいえば、「奇跡の一本松」は海水の塩害で枯れていたものだった

マングローブの植物たちは、凄まじい適応・進化を遂げて生き伸びたのですな

解説の先生の話では、メヒルギ・オヒルギともに生育が遅く、陸地での生存競争に敗けて、棲みにくいマングローブに逃れてきたのだとか……

それを聞いていたタモさんが一言、 敗木ですな

葉をツルギの様に尖らせて、種子につけて落として地面に刺すことによって、マングローブの軟弱な地盤から流されない為の工夫とか……

敗北した樹木の生き方には何処と無くユニークなものがあり、

リーマンさんのサツキの盆栽話にあった如く、曲がったり、敗けたりしながら……

おのれのオリジナル磁気をまっとうしておられるよーな気がした

これらはたとえ敗北しても、自分の「島」を居場所として、サイの如く独り歩んでいるものなあ〜

植物って、わりと釈尊の仏道を往く者なんじゃないか知らん

 

ーそれにしても、食べ物の話柄だけには素直な反応をする おほみ(近江)アナが、小動物のよーに自然で微笑ましい画面を醸し出している

 

 

● “YAZAWA-極め道

[2015-09-27 23:14:11 | 玉の海]

世にも美しい曲『時間よ止まれ』を、CMで聴き惚れていた世代としては

彼が老いてゆくのを見るのが、実は楽しみだったりもします

私とは、反対極の星廻りで、表現も正反対なのだが

そこは、同一線上にある誼みか、根本は酷似してるよーな氣もする

>人間ていうのは、必ずドアを叩かなきゃいけない時がくるのよ。

その時、叩くって勇気いるよね、怖いしさ。

どうなるのかなんて思うけど、そこで分かれるよね。

叩く人間とそうでない人間に……

>人生というのは、失うものを増やしていくゲームなんだ。

>年とるってのは細胞が老けることであって

魂が老けることじゃない。

>最近、勝ち組とか負け組が流行ってるけど、

スタート切っているかどうかが僕は大事だと思うね。

>「切なさ」ってのは克服できないものなんだ。

それを振り切っていくのもまた人生なんだよ。

ネットで語る言葉全てがカッコいい男「矢沢永吉」と云われていたが、

まさに面目躍如たる感がある

だが、それだけではない

>オレは、いま生きるのがつらいって言っている人は、

やっぱり、どこかに自分の生き方を自分で決められないって背景があると思うんだ。

かんじんなのは手前の足で立つことなんだ。

こんな繊細な思い遣りの通う人でもある

>矢沢の60歳のテーマは【面白がる】こと。本気で、徹底的に面白がります。

オレね、ここまでけっこう頑張ってきたわけよ。

だからというわけじゃないけれどね、

これからは思い切り面白がることにした

… 66才になられた今でも、面白がっておられた

書籍化もされた、星井七億『もしも矢沢永吉が「桃太郎」を朗読したら』についても

実娘さんによると、ごきげんに笑い飛ばしていたとの事で

よく錬られた、このパロディを快く受け容れて、面白がられたとゆーことです

>俺はいいんだけど、

YAZAWA】がなんて言うかな?

これ、よく聞くけど深味のある言葉ですな

YAZAWA」の部分を、例えば「横綱」にしてもいいし、

「職人魂」でも、「本当の自分」であってもよい

最近流行りの、「やっちゃえ、ニッサン」のCM…

上記の語録を味わってから見ると、いい加減な無責任発言ではないのが、よく分かります

業界の万年NO.2に発破をかける、素晴らしい励ましとなっていると思います

永ちゃんは、老いさらばえても、永ちゃんなんだろな♪

 

 

● “ アネハヅル、酒田に飛来

[2021-06-02 02:08:30 | 玉の每水]

月末のきのう(5/31)、なんとも愉快なニュースが舞い込んで来た

あの、ヒマラヤ山脈越えの「風の鳥」、アネハヅルが酒田の田んぼに降り立ったのである

> アネハヅル(姉羽鶴、Demoiselle Crane )

姉のように凛とした立ち姿から命名される、体長90㎝くらいの最小サイズの鶴

モンゴルやロシアの草原で繁殖し、越冬のためにチベット経由で8000メートル級のヒマラヤ越えを強行して、インド南西部へ4000キロの旅をする渡り鳥である

 

ヒマラヤ山脈を越えて移動できる鳥は、このアネハヅルしかおられない

上昇気流に乗っかって、まるで昇天するかのよーに飛翔する姿は、まさに飽くなき挑戦者のそれである

V字形に空気抵抗を避けながら、群れで飛行する(鶴翼の陣形ですね)、尖った先端を飛ぶ鳥はもろに空気抵抗に晒されるわけだが、そこは交代で乗り切るそーである(なんとも民主的だ)

なんで、こんなにも困難な生存状況を選んだものか……

南極で子育てする皇帝ペンギンや、3000メートル級の険しい山を選んだライチョウや、流れの急峻な川辺を選んだサツキのお仲間でありますな

誰も近寄らない極限の棲息地を、あえて選び取らざるを得なかった、いわば「負け組」なんですが……

その端倪すべからざる「生きる工夫」と覚悟には、動物の生き様ながら頭が下がります

猛烈な淑女といった感じで、大好きな鳥です

 

今回、酒田(酒田市刈穂の田んぼ)に訪れたのは、迷い鳥であろーとのことだか……

アネハヅル(6羽の群れ)の端正で優雅な佇まいを、地元のTV映像で見られるなんて、こんな仕合せもないもんだ

吉兆なのか、気象の異変を告げるものなのか分からないが…… ちかごろ嬉しい音連れでありました

          _________玉の海草


《玉断》 国防を憂う〜 コメント欄まとめ

2022-05-08 10:15:56 | 危機感

__ ISHKブログのコメント欄での遣り取りの中で、触発されて生まれた国防についての拙稿をまとめる。

 

 立ち位置の違いだけ

日本には哲学がないので、西洋に倣って右翼/左翼と立場を固めたのは明治以降のことであり、西洋のように議会の長い歴史を経ていない分、拮抗する与党/野党の政治はいまだ出来ていない。

それ以前は、薩長藩閥政府とそれに反対する土佐中心の自由民権運動(板垣退助を中心に、帝国議会=国会を設立する運動)しかなかった。

反政府運動も、西南戦争をもって「武力闘争」は完全に終焉をむかえ、「民権運動」によって議会に代表を送り込み、政治を独占する薩長派閥の勢力へ風穴を開けようとするものだった。

民権を追求した勢力が「左翼」へ成長し、海外との不平等条約改正と外敵に処するために、民権から国権へ注力が移行した勢力が「右翼」と言ってよいかも知れない。元は国を思う愛国者の集まりから派生したものと言える。

実際、右翼の魁たる頭山満(福岡)と、左翼の魁の中江兆民(土佐)とは肝胆相照らす仲であった。

なんとなれば、お二方とも立派な国士であったからだ。

国を憂えて国のために働く、いわば「志士」であった。それ故に、「お国のために」という切なる思いは深く共有しており、たとえ立場と政策に違いはあろうとも、「お国のために」という互いの大前提はしっかりと揺るぎないものだった。

その一点において、話し合いが成立したのである。

侃侃諤諤、談論風発しても、双方とも「お国のために」という信念からは一ミリたりとも離れなかった。

だから、「国を生かす」方向でまとまることが出来たのである。

 

さて、いまの改憲派も護憲派も、本来はこの初期の右翼左翼の消息と同じはずなのである。

ところが、改憲派は「国を守るために」一致して推し進めているのに対して、護憲派からは「国を守るために」という気概が感じられない。

国より平和憲法の方を大事にしている印象がある。

わたしは、国策として「護憲」でも一向にかまわないが、護憲派のご意見とおりにしたとして、如何に「国を守る」のかが、何も出てこない。

すべて放棄したら攻撃や侵掠されないとでも思っているのか?

護憲派の方々は、ほんとうに日本を守るつもりでいるのか、大いに疑いをいだいている。

改憲派が「国を守るために」動いているのに、護憲派は「国を守るために」なんら具体策を持っていないのであれば、そもそも話し合いは不可能なのである。

ただ反対するために反対するだけなら、非国民といわれても仕方あるまい。

国(日本)が存続してこその「憲法」なのだから。

 

ー「護憲」でも結構ですから、どうやって国を守るのか、はっきりと示してください。それに納得できたら賛同します。

わたしが切に希望するのは、「国を守るため」の真剣な話し合いに尽きるのです。

 

 

国防についての私見

素人どうしで言い合うことも、世論には影響するかも知れんから、国益になるのかな?

私が訊きたいのは、護憲派の国防策なのであって、それで「国を守る」祖国愛を確かめたいのです、同胞としてのご意見なのかどうか。

 

箇条書きの方がわかりやすいので、その形をとります。

・「何故、戦後70年間日本は侵攻されもせずに、平和を維持できたのか?」

これは、日本に米軍基地があったからです。それだけです。

超大国アメリカは、核開発でも一歩先んじていましたかし、強大な軍事力は「世界の警察官」を僭称するに相応しいものでした。

ところが、ここ1520年で、まったく様変わりしました。

近隣の敵対する核保有国が2国に増えて、NK国の核ミサイルはアメリカ本土に被弾させることも出来ますし、C国の海軍力は世界一となりました。

ここに至って、日本国内に米軍基地があろうとも、日本に侵掠することが可能となりました。

いまの段階で、日本に侵攻されたからといって、アメリカが日本の為に核ミサイルを撃って反撃することは、100%無いからです。

アメリカの核抑止力は、効かなくなりました。

 

・「何故、いま軍備の増強を目指すのか?」

わたしたちの自衛隊は、すこぶる優秀です。世界ランキングでも上位に喰い込む健闘ぶりを見せておられます。

しかし、それは軍隊としてシミュレートした時の優秀さに過ぎないのです。

敵と対峙しても、交戦権もない武力組織を「軍隊」とは呼びません。自衛隊は「軍隊」ではないです。

軍事費を拡張しようとするのは、いまの戦力では対抗できないからです。

軍事力は、均衡している(バランスが取れている)ことが大切です。軍備が均衡していれば、戦端は切られにくいからです。

年々アップデートしなければならないものです。

覇権国家は、勝てる・奪えると確信してから侵掠するものです。

そう思わせない、ナメられない国力が大事です。

軍備を高めたとて、それを実戦に行使できない法律では、張子の虎みたいなものですが。

 

・「軍備の増強が、周りの国々との軋轢をうみ緊張を激化するが、それでもしなければならないか?」

国のために殉死なさった先人を祀る神社に、国民の代表たる首相が参拝するのは、最優先の国家行事だと思っています。

国として自律していれば、あたり前の事を戦後内閣はないがしろにしてきたと言えるかと思います。

他国からの干渉を許してきたのは、日本が自立していないからです。

アメリカ依存で、「核の傘」とも言われました。

今回のウクライナ危機でも、国益に反する対ロ制裁を強制されているわが邦です。情けないことです。

アメリカ・ファーストは、最近始まったことではなくて、昔からそうして来たのです。日本は、「核の傘」の恩恵を思って、アメリカの我が儘に堪え忍んでまいりました。

これも、一国として自立・独立していないからです。

占領国のままに、現在に至っております。

吉田茂首相のときに、占領を解かれ、「押しつけられた憲法」を破棄して日本人の創る憲法に変えることが出来たはずなのに、それをやらなかった。

その時にやらなかった事を、今やっているのだと思います。日本はいまだに自律していないからです。

現在、国際社会におけるアメリカの行動は、非常にあやふやなもので「危うさ」を感じています。

その潮流に巻き込まれている日本は、いまだかつてなく危うい状況におかれています。

しかし、核議論して国防議論して、敵意ある他国に睨まれたとしても、軍備拡張してアジア地域の緊張を激化させたとしても……

それらは全て、自立していない日本が自らの独立を守るために必要なことです。避けては通れない道筋であるからです。

 

ーお応えにはなっていないかも知れませんが、相変わらず「国を守る」具体策は出ませんね。

現状維持で推移できると思ったら大間違いです。

いまや政府がこれだけ勇み足なのは、間に合わないかも知れない恐怖心からだと察します。

わたしは、間に合わないと思います。第二のウクライナ、第二の憂いぐる、第二の地部っとになる予感がひしひしと……

アメリカの持つ「核抑止力」は完全に消滅してしまいました。うちのボンクラ政治家に較べて、覇権国家の政治家は老獪でしたたかです。ここまで詰めているとは思いませんでした、行動を起こされたら日本は即投了となりましょう。実に羨ましく涙が出ます。到底、太刀打ちできないでしょう。

せめて、日本国民全員に、正しく現状を知ってもらって、覚悟していただきたいと切に念います。

 

 

無題

国際紛争に決して巻き込まれないためには、アメリカにNOと言えるためには、そして敵国に侵攻を思い止まらせるためには、どうすればよいのか。

実効ある確実な国防策は……

日本が自前で「核」を保有することです。

 

ーたぶん、国民投票で否決されるでしょう。

自立できなかった日本人は、覚悟するしかない。

 

 

無題

だれも国を守るために、何をすべきか、何をするのがいいのかを、言わない。

不確かな情報を基にして、文句をつけるだけ。

ほんとうに国を守りたい人が、批判だけで終わるはずはないのだ。

それでは、たとえ日本人同士でも合意にいたることは出来まいよ。

ご自分の身を守りたい意識はあっても、国を守る意識はないみたいだ。

靖国参拝もせずに緊張緩和したとしても、それは自国の歴史を否定した弱小国民であると言っているようなもの。

日本が一国として立たなければ、強国のいいなりに成ることも仕方のないことです。

 

E.トッドに触れたニュースのリンクを有り難う御座います。このニュースだけでなく、ぜひインタビューの全文(まとめ記事)を読んでもらいたい。

 

「日本は核を持つべきだ」エマニュエル・トッドが指摘する“米国依存の危うさ”〈ロシア侵攻後、世界初のインタビュー〉(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

 

彼の論旨は、たとえ裏があろうとも「日本は属国であるかの如く、アメリカに振り回されないで、自ら自立してください」ということで、私は正しい分析だと思った。

Yahooニュースのコメント欄は面白いので、これから日本人の民度を探るべく逍遥することにしたい

        _________玉の海草


《玉断》 国防を憂う〜 「核シェアリング」 したとて、見捨てられる

2022-05-03 19:13:43 | 危機感

●「文化人は、浮いている」

今朝の日曜モーニングで、日本の国防のために軍事費を2%にしようとする動きについて、

コメンテーターの H田女史は、こう言っていた。

「軍事費を上げるよりも、いま必要な予算の配分を考えて【人と教育】に、より予算を増やしてほしい」

この方、『AERA』の編集長もやったことがあるんですよ。紛争地域の取材に赴いた経験もある。

その彼女にして、現在国防予算よりも「人と教育」予算が大事だと言っているのです。

この番組は、左寄りに偏向しているのは知っていたが、あまりにも地に足がついていないコメントである。

もう一人、女性カメラマンのコメンテーターも発言していたが、ABちゃんの「このままでは日本は、他国の笑い者になる」を取り上げて反対されていた。

 

国が在って、はじめて教育がある。

国が存続して、はじめて人を育てられるのです。

その母国が脅かされている時に、国を守るための現状分析(リアリズム)が微塵もないとは、茫然と言葉を失いました。いままで通り国が運営されると楽観しているわけです。

シニア世代に絶大なる人気を誇る『ハルメク』の敏腕女性編集長・山岡朝子女史が、文化人の仕事振りについて、これら無責任コメンテーターが一様に心に懐いている信念(開き直り)を一言で表していました。

「(仕事で)失敗しても、死にはしない

そうなのです、文化人は間違ったとしても、死をもって償うことはありません。だから、好き勝手なことを口にして、その責任は取らないし、転向や変節も多いです。

 

かたや自衛隊はじめ軍人は、作戦行動の失敗は、即自分の死や部下の死に直結します。

それゆえ、彼ら軍人は徹底したリアリズムをもって軍事行動を貫いています。

「失敗したら、死ぬ確率が高い」

これが、軍事の基本です。

 

この、文化人の認識のズレが、彼らコメンテーターにイイ加減な発言をさせているのでしょう。

テレビは、コメンテーターの著しい劣化により、その使命を終わらせた。しかし、いまだにテレビに齧り付いている中高年は多く、影響力を持ち続けている。

その意味では、『日曜報道』で橋下徹さんが安倍ちゃんに「核シェアリング」の必要性について質問を振ったのは、大きな功績だったと感謝している。

[※  但し、橋下氏の1対99の演出による作為的な一言、「ウクライナ人は、国外に逃げろ」が、海外でも呆れられているのは、非常に国益を損ねる発言であることは言っておく必要がある]

お蔭様で、世論がやっと追いついて来た。

現在、『文藝春秋』五月号に、安倍ちゃんが寄稿なさっている。タイトルは、

「核共有」の議論から逃げるな〜 中国・ロシア・北朝鮮からこの国を守るために (安倍晋三)

「日本は非核三原則ではなく、非核五原則だ」(故・中川昭一議員)

「持たず、つくらず、持ち込ませず」に加えて、

日本には【言わせず】【考えさせず】まであると。<

 

ーやっと、議論する兆しが見えてきた。

もはや間に合うまいが、日本のおかれた現状を正しく把握して、ふたたび敗ける覚悟をする時間だけは残されていてほしい。

 

 

〜「核共有」しても見捨てられるんだって〜

『文藝春秋』五月号のメイン記事は、

フランスの歴史学者にして人口統計学者である、E.トッド氏による、日本が直視すべき怖しい現実を告げている。

いま、トッド氏にインタビューした理由は、並々ならぬその分析力と予想的中率にある。

 

wikiより)> 経済現象ではなく人口動態を軸として人類史を捉え、ソ連の崩壊、英国のEU離脱や米国におけるトランプ政権の誕生などを予言した。

2006年、朝日新聞のインタビューにおいて、

「【核兵器は偏在こそが怖い】。

広島、長崎の悲劇は米国だけが核を持っていたからで、米ソ冷戦期には使われなかった。

インドとパキスタンは双方が核を持った時に和平のテーブルについた。

中東が不安定なのはイスラエルだけに核があるからで、

東アジアも中国だけでは安定しない。日本も持てばいい。」と述べ、日本の核武装を提言した。<

 

『文藝春秋』の記事からも引用すると、

ウクライナ危機は、歴史的意味をもっています。

第二次大戦後、今回のような「通常戦」は小国が行なうものでしたが、ロシアのような大国が「通常戦」を行なったからです。

つまり、本来「通常戦」に歯止めをかける「核」であるはずなのに、むしろ「核」を保有することで「通常戦」が可能になる、という新たな事態が生じたのです。

これを受けて、中国が同じような行動に出ないとも限りません。これが現在の日本を取り巻く状況です。

いま日本では「核シェアリング」が議論されていると聞いています。

しかし、

「核共有」という概念は完全にナンセンスです。

「核の傘」も幻想です。

使用すれば自国も核攻撃を受けるリスクのある核兵器は、原理的に他国のためには使えないからです。

中国🇨🇳や北朝鮮🇰🇵に米国本土を核攻撃できる能力があれば、米国が自国の核を使って日本を守ることは絶対にあり得ません。

自国で核を保有するのか、しないのか。

それ以外に選択肢はないのです。

ヒロシマとナガサキは、世界で米国だけが核保有国であった時期に起きた悲劇です。

核の不均衡は、それ自体が不安定要因となります。

中国に加えて北朝鮮も実質的に核保有国になるなかで、日本の核保有は、むしろ地域の安定化につながるでしょう。

[※ 『文藝春秋』五月特別号より、

緊急特集;ウクライナ戦争と核、

「日本核武装のすすめ」(歴史人口学者エマニュエル・トッド)より引用

ロシア侵攻後、世界初のインタビュー

米国の「核の傘」は幻想だ 

『文藝春秋』五月特別号・目次

<緊急特集> ウクライナ戦争と核
🔹米国の「核の傘」は幻想だ
日本核武装のすすめ エマニュエル・トッド

🔹「核共有」の議論から逃げるな
中国・ロシア・北朝鮮からこの国を守るために 安倍晋三

🔹国家安全保障戦略「三本の矢」 北村 滋

🔹「核の選択」清水幾太郎を読み直す 片山杜秀

🔹第三次世界大戦の発火点 中西輝政

🔹<徹底分析>プーチンの軍事戦略
もっとも陰惨なシナリオとは? 小泉 悠

🔹プーチンが心酔するロシアの怪僧 古川英治

🔹ゼレンスキー「道化と愛国」 岡部芳彦

 

ー実におそろしい事態が、われらが日本の上に起きています。

別に、禍々しい「核兵器」なんか使わなくても、ほかに最先端の科学兵器があるだろうにと軽く考えていたが、そうではなかったのですね。

壊滅的な破壊力を有する「核兵器」であるからこそ、保有する国に特権が生まれてしまう、特別な軍事力であるわけです。

北朝鮮が、必死にアメリカに向けたミサイルの射程距離を伸ばしていたのは、対アメリカ攻撃を念頭においた軍略ではなかったのですな。

照準は日本に向けられていたわけです。

アメリカまで反撃ミサイルが届くならば、たとえ日本で「核共有」したとしても、アメリカは日本の為に「核ミサイル」を使用することは、【絶対に無い】だなんて……  そんな殺生な。

戦時においてアメリカの行動は、到底信用できるものではなく、ウクライナ危機においても、わが国は国益に反する対ロ制裁を強制されています。

わが邦の生殺与奪の権を握るアメリカに対して、日本が国家として如何にして、自律することが出来るか、そうするために「核」を持つことをトッド氏は勧めていました。

 

神の如き「核兵器」は、どちらか一方の国に偏在(かたよって分布する)するのを拒むようだ。

神と似て、「核」も国家間に遍在する方向性があるのかも知れない。

実に自己破滅的な兵器である。

最初にアメリカが開発して、唯一の「核保有」国となったときから、すべての凶事が始まった。

遍在しようとする「核」は、米ソ冷戦時にすぐさまバランスを保とうと敵国ソ連にセットのように装備された。

もはや、実現してしまった「核兵器」は、止めようがない、人々の恐怖心が止めさせないのだ。

まったく、「核」のない時代に戻る(核放棄)か、攻める国・守る国のセットで両国ともに「核保有」するか、この二つしか打つ手はないように思える。

いまの、日本に残された選択と条件は同じだなと、暗澹たる気分に陥る。

たぶん、日本では「核保有しない」に軍配があがるだろうと予想する。霊的に受け付けない感じがするからだ。

神の如き「核」の裏面は、実に禍々しきもので、日本にそぐわないと感じるのが日本人というものなのかも知れない。

日本人が、唯一無二の母国の良さを意識することが何より大切なことなのだと思う。

だからこそ、正しく現状を知って、心静かに亡国を覚悟しなければならないのだ。

         _ . _ . _ . _ . _ . _   玉の海草