当方見聞記

旅と舞台・ライブ話を気ままに書いてます

鳥取城1~吉川経家公像・仁風閣

2011年08月27日 | 日記
鳥取観光の個人的メイン鳥取城へ

あえて少し離れた文化会館前でバスを下車。
なんでって、ここに武家門があったから

元は箕浦家の門で、お堀の南隅の方にあったものを寄贈により移築したんだとか。
立派な大きい門ですよ

この門の目の前の信号を渡ると県庁があります。その横を通って数分行くと…鳥取城のお堀が

そしてこのお堀のところに…

ありました吉川経家公の像

男前じゃないか

ちなみに。
鳥取城とは、秀吉の兵糧攻め作戦の中でも有名な『三木の干殺し』『鳥取城の餓え殺し』のひとつが行われた城。
吉川経家はこの時の城主。
すでに三木合戦での兵糧攻めを成功させていた秀吉は、鳥取への食糧の流れを買占めるなどの手段で止めてしまいます。
約20日分の兵糧しかなかった城に籠城をした約4000(内2000は農兵。食糧難で城に集まった為、より増えちゃったらしい)の吉川軍は、すぐに兵糧がつき数週間で餓鬼状態に。
4か月も経つと城内の植物や馬などの家畜はもちろん、城の壁(土壁は藁使用)や餓死で亡くなった仲間の人肉を食らうような様となり、あまりの地獄絵図ぶりにもはやこれまでと、城兵の助命を条件に開城、経家公は自害しました。
その首は信長の元まで届けられ手厚く葬られたとのこと。
開城の際、奮戦を称えられた経家は、家臣である2名の自害だけで経家自身は帰還を命ぜられたそうですが、自分が責任を負うんだと自害を希望。秀吉が信長の許可を取ってから自害をさせたんだとか。
そんなこともあってか、よりその武功を称えられている武将です。

経家公を拝んだ後は高校の横を通って鳥取城へ

ここから見える石垣も素晴らしいじゃないか

そう思いながら道をあがって行ったら…あれ?仁風閣が裏から入れる。
それじゃぁ…と先に仁風閣へ。

池越しに映る洋館素敵
この庭は宝隆院庭園と呼ばれる庭。

池の形が鶴が羽を広げたような形で、亀島を浮かべています。
裏から入ったからなのか、庭に人がいなくてのんびり拝むことができて良かった

表へ回って、いざ中へ。
この仁風閣は大正天皇が皇太子時代に山陰に来られた時に宿泊施設として、旧鳥取藩主の池田家が建てた別邸です。
仁風閣の名前は東郷平八郎がつけたものです。
中には池田家の品以外に東郷の書いた書などが展示されていました。


フランス仕様で“オシャレ”と言う表現が似合う内装や家具のオンパレード。
神戸の異人館とかもですが、この時代のって、本当に素敵ですよねぇ~

池田家の家紋もバッチリ入っている


そしてここの一番の見所と言えば…
やっぱりこの螺旋階段

わかります?柱がないんです
もちろん今は使用できませんが、柱がないからこその綺麗な螺旋ですよ


おまけ。

中の窓から鳥取城を拝むことができるようになっていました。
やっぱり元藩主だし~眺められるように設計したのかなぁとか思ってみたり

ガッツリ洋館を堪能した後はいざメイン鳥取城へ
続きはまた書きま~