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当方見聞記

旅と舞台・ライブ話を気ままに書いてます

岩村城

2011年05月27日 | 日記
日本三大山城のひとつ、岩村城ネタを…。

岩村城は岐阜県恵那市にある山城で、日本で一番高い標高にある名城です。
(ちなみに三大山城は備中松山城・高取城と岩村城)
霧が出やすい立地に造られた為、霧ヶ城とも呼ばれています。

この城は、『おつやの方(女城主)の城』として有名。

おつやの方とは、信長の叔母にあたる方で、岩村城主であった遠山景任に嫁いだのですが、景任が病死したことにより信長の子である坊丸を養子に貰い、幼い坊丸に変わって自ら女城主となって岩村城を守っていた方。
その後、信玄によって岩村城が攻められ、窮地に陥った岩村城は、武田と和議を結ぶ為におつやの方が家臣の秋山に嫁ぎ、坊丸を武田の人質として甲斐へ送ります。
事情はどうであれ、信長に対する裏切りとなるこの行為は後後まで尾を引くこととなり、長篠合戦で武田が弱ると、岩村城はすぐに織田の攻撃を受け、最終的には亭主である秋山もろとも、信長によって長良川の河川敷にて逆さ磔によって処刑されます。
処刑の際に「信長も必ずあっけない死に方をさせてやる」と言ったとも言われています。

まぁそんな岩村城、山と言う地形を生かした城となっています。

登城口には再建された表御殿・平重門・太鼓楼があります。
GWだったんで桜も残っていた


そしていざ登城

山ですよ、見事に…
登城の坂であるここは藤坂と呼ばれ、長めの急坂な為に『藤坂の険』と言われます。

一の門の跡。

藤坂と土岐坂を区切っていた門で、ここからが岩村城の本城になります。

大手門などがあった場所です。

ここの石垣はとがり方がすごい。高さがそんなあるわけないんだけど、あの反り方はあ綺麗ですよ

ここには霧ヶ井と呼ばれる井戸があります。

敵が攻めてきた際、城の秘蔵の蛇骨を投げ入れるとたちまち霧が立ち込めるという伝説があります。

俄坂と呼ばれる坂。

右横に写っている石垣は、山の形に合わせて作った為に菱形になっています。
上に立っていた建物も菱形だったらしいです。
そして正面に見えてきたのが…

この城一番の売り本丸虎口の六段壁の石垣

この段差、ちょっと段々畑の山みたいです

横から見るとさらにわかりやすい。

階段ですよ、ホント。

そして頂上、本丸跡。


ここにも井戸があります。昇龍の井戸。


これが本丸のところからの景色です。

たしかに天気は悪かったけど、名の通り、霧に包まれているような景色でした。

そしてどうやらこの近くまで車で登れたらしい…

まぁだからって、城好きとしてはちゃんと登りたいからいいけどさ。
そしてこの売店の名前、なんと『蘭丸』。なんでやねん(笑)