花田凌鑑

火気利用生産公社新館

SMAPと剣

2009-05-04 09:01:16 | ゆんゆん
そろそろいんちきぱんでみっく?
危機を乗り切るための予言と超予測 井村宏次・著


だいぶ過ぎてしまいましたが、くさなぎくん逮捕で香取くんが謝罪していた場面をみていたときに、あっ、とおもいました。

あれれ、春先にあった一連の放火とつながってくるかも・・・と。

犯人像は・・・西洋・外資ぎらいな人だと思います。
では、なぜ、石上が?
高市さん→せいわかい→売国・外資族という発想をしたのではないかと・・・



さて、ここから本題です。

石上といえば
布都御魂剣
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%83%E9%83%BD%E5%BE%A1%E9%AD%82
布都御魂(ふつのみたま)は、記紀神話に現れる霊剣。韴霊剣、布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)とも言う。佐士布都神(さじふつのかみ)、甕布都神(みかふつのかみ)とも言い、「ふつ」は物を断ち切る音を表す。

概要
建御雷神(たけみかずちのかみ)はこれを用い、葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定した。神武東征の折り、ナガスネヒコ誅伐に失敗し、熊野山中で危機に陥った時、高倉下が神武天皇の下に持参した劔がふつみたまで、その剣の霊力は軍勢を毒気から覚醒させ、活力を得てのちの戦争に勝利し、大和の征服に大いに役立ったとされる。荒ぶる神を退けるちからを持つ。

神武の治世にあっては、物部氏の祖と言われる宇摩志麻治命(うましまじのみこと)が宮中で祭ったが、崇神天皇の代に至り、同じく物部氏の伊香色雄命(いかがしこおのみこと)の手によって石上神宮に移され、御神体となる。同社の祭神である布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)は、布都御魂の霊とされる。

布都御魂はやがて拝殿の裏手の禁足地に埋められるが、明治7年(1874年)に当時の大宮司の菅政友によって発掘され、本殿に奉安され、御神体として祭られている。

菅政友によって発掘された物は、形状は内反り(通常の日本刀とは逆に刃の方に湾曲)の片刃の鉄刀。柄頭に環頭が付いている。全長は記録によって微妙に異なるが、85cm位である。

一方、鹿島神宮にも布都御魂剣または韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)と称する巨大な直刀が伝わっている。由来は不明であるが、奈良時代末期から平安時代初期の制作とされる。国宝に指定されており、鹿島神宮の宝物館にて展示されている。


で、香取といえば、香取神宮

ご由緒には

香取の御祭神経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、この神話に出てくる神様なのです。

 神話の内容は、はるか昔、天照大神(伊勢神宮・内宮の御祭神)が日本の国を治めようとしましたが、荒ぶる神々が争い、乱れていました。

 大御神は八百万神に相談すると、天穂日命(あめのほひのみこと)がすぐれた神であるということで遣わされましたが、  出雲国の大国主神(おおくにぬ しのかみ)に従ってしまったので、次に天稚彦(あめのわかひこ)が遣わされました。 天稚彦もまた忠誠の心なく、 顯國玉神(うつしくにたまのかみ)の娘の下照姫(したてるひめ)を妻として、自ずから国を乗っ取ろうとしましたが、亡くなってしまいました。

 このようなことが二度つづいたので、大御神が八百万神に慎重に相談させると、神々が口を揃えて、経津主神こそふさわしいと申し上げました。 そこへ武甕槌大神(たけみかづちのかみ・鹿島神宮の御祭神)が申し出られたので、 共に出雲に派遣されることになりました。

 経津主、武甕槌の二神は出雲国の稲佐の小汀(いなさのおはま)に着いて十握剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さに突き立て、武威を示されると 大国主神は大御神の御命令に全く異議はありませんということで、平国の広矛(くにむけのひろほこ)を受け取り、二神は日本の国を平定して、大御神の元へ復命されたのです。

古くから国家鎮護の神として皇室からの御崇敬が最も篤く(毎年1月1日の早朝に天皇陛下は東方をお向きになり、香取・鹿島両神宮に御拝なされます)特に『神宮』の御称号(明治以前には伊勢・香取・鹿島のみ)を以て奉祀されており、中世以降は下総国の一宮、明治以後の社格制では官幣大社に列し、昭和17年、勅祭社に治定され今日に至っています。

 奈良の春日大社、宮城の鹽竈神社を始めとして、香取大神を御祭神とする神社は全国各地に及んでいて、広く尊崇をあつめています。

 一般からは家内安全、産業(農業・商工業)指導の神、海上守護、心願成就、縁結、安産の神として深く信仰されています。さらに、その武徳は平和・外交の祖神として、勝運、交通 安全、災難除けの神としても有名です。


十束剣(とつかのつるぎ)は日本神話に登場する剣。「十握剣」「十拳剣」「十掬剣」など様々に表記される。

様々な場面で登場していることや、「10束(束は長さの単位で、拳1つ分の幅)の長さの剣」という意味の名前であることから、一つの剣の固有の名称ではなく、長剣の一般名詞と考えられ、それぞれ別の剣であるとされる。

最初に登場するのは神産みにおいてイザナギがカグツチを斬る場面である。この剣には、天之尾羽張(あめのおはばり)または伊都之尾羽張(いつのおはばり)という名前がついている(伊都之尾羽張という名前は、その後タケミカヅチの父神の名として登場する)。その後、黄泉の国から逃げる際に、十拳剣を後手に振って追っ手から逃れている。

アマテラスとスサノオの誓約の場面では、古事記ではスサノオが持っていた十拳剣からアマテラスが3柱の女神を産んでいる。最も有名なのはヤマタノオロチ退治の時にスサノオが使った十拳剣(別名「天羽々斬(あめのはばきり)」。“羽々”とは“大蛇”の意味)で、ヤマタノオロチの尾の中にあった草薙剣に当たって刃が欠けたとしている(この十拳剣は石上布都魂神社に祭られ崇神天皇の代に石上神宮に納められたとされる)。


で、くさなぎといえば、熱田神宮

熱田神宮


ご由緒

熱田神宮の創始は、三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)の御鎮座に始まります。第12代景行天皇の御代、日本武尊は神剣を名古屋市緑区大高町火上山に留め置かれたまま三重県亀山市能褒野(のぼの)でなくなられました。尊のお妃である宮簀媛命は、神剣をここ熱田の地にお祀りになられました。

草薙剣
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%89%E8%96%99%E5%89%A3

天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ、あめのむらくものつるぎ)とは、三種の神器の一つで、熱田神宮の神体である。草薙剣(くさなぎのつるぎ・くさなぎのけん)・都牟刈の大刀(つむがりのたち)・八重垣剣(やえがきのつるぎ)とも称される。三種の神器の中では天皇の持つ武力の象徴であるとされる。


神話での記述

スサノオ(須佐之男命)が出雲国で倒したヤマタノオロチ(八岐大蛇、八俣遠呂智)の尾から出てきた太刀で、天叢雲という名前は、ヤマタノオロチの頭上に常に雲気が掛かっていたためとしている。剣はスサノオからアマテラス(天照大神)に奉納され、天孫降臨の際にニニギ(瓊瓊杵尊)に手渡された。

以降、皇居内にアマテラスの御神体として八咫鏡(やたのかがみ)とともに祀られていたが、崇神天皇(紀元前148年-紀元前30年)の時代に皇女トヨスキイリビメ(豊鋤入姫命)により八咫鏡とともに皇居の外に祀るようになり、途中で垂仁天皇(紀元前69年-70年)の皇女ヤマトヒメ(倭姫命)に引き継がれ、あわせて約60年をかけて現在の伊勢神宮内宮に落ち着いた。これは『古語拾遺』に見られる記述である。

その後、ヤマトヒメから、東国の制圧(東征)へ向かうヤマトタケル(日本武尊)に渡された。東征ののち、尾張で結婚したミヤズヒメ(宮簀媛)の元に剣を預けたまま伊吹山の悪神を討伐しに行くが、山の神によって病を得、途中で亡くなってしまった。ミヤズヒメは剣を祀るために熱田神宮を建てた

草を薙いだ剣
ヤマトタケル(日本武尊)が伊勢神宮でこれを拝受し、東征の途上の駿河で、この神剣によって野火の難を払い、草薙剣の別名を与えた。この説は広く知られている。

重要な神社と剣がたくさん出てきましたね。

剣というのは邪気祓いの象徴でもありますね。

やはりこれはシンクロを介したメッセージなのでしょうか。

世の中の危機を案じているのではないでしょうか。

はるか昔、多くの犠牲をはらい国をつくってきた御魂の声なき声を真摯にきくことが求められているかのようです。

つねってくれたまえ等の発言は憑依とも考えられます。

神奈川で、白いあおだいしょうが出てきましたね。



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