花田凌鑑

火気利用生産公社新館

母は計画停電で生命の危機に遭った2など

2011-03-29 06:20:49 | いろいろ
母は自宅で酸素療養が必要で、計画停電による携帯酸素の切り替え時に、母の酸素吸収率が著しく低下、病院に運ばれ、なんとか一命はとりとめましたが、心臓に相当負担がかかったようで、まだ余談を許さない状況です。
最近導入したばかりの非常時にボタンを押すと救急車が駆けつけてくれるシステムがなければ、間に合わなかったかもしれません。

時間がないので、

今日からマスクをされたほうがいいそうです。インフルエンザ用がいいとのこと。

プルトニウムが出たけど、影響ないのなら、そのプルトニウムを吸い込んで安全宣言パフォーマンスをすればいいと思います。

この業界の人は1万倍10万倍ごまかすのはあたりまえらしいですね。

理系で物理を学んだ人が、学生時代の友人たちが会社を辞めて海外へ避難したり、子供たちを海外に避難させているようで、その人の子供も海外に避難させるつもりだと言ってました。

彼らは公表されるものにどうにも納得できないようです。
彼らのような人たちが楽観して留まるようであれば安心だと思うのですが。

少なくてもしばらくは若い人は避難させるべきだと思います。


母は計画停電で生命の危機に遭った~大地震の予感から今日までのことなど1

2011-03-27 00:04:37 | いろいろ
今回の災害に被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます。

当ブログにおきましては、災害に対する備え、危機を乗り切る術を身につけるということを発信してきました。

沿岸にお住まいの方はライフジャケットの準備をお願いしていました。

電車の中吊り広告にあやしさを感じました。

この冬の初めにいよいよ危機が身近に迫ってきているのではないか?という感覚があり、今一度最高度の注意を即し、逃げられるところまでおもいっきり、海外も視野に入れて・・・など、警告を発しました。

震災ひと月前の2/11のブログでは、数字の並びについてのあやしさを書きました。

震災の数日前に震度5弱の揺れがありましたね。
その日の夕方だったように思います。
四川大地震のときに出ていた虹のような雲が出ていました。
職場の人たちには、「あれは、四川大地震のときに出ていた雲に似ているから、それとおなじぐらいの地震がくるかもしれない」と警告したのですが、やはり、怖い事言わないでよ~などとまともに取り合ってはもらえませんでした。

そして、あの揺れを高層ビルの中で味わいました。
しばらくして、隣の公園まで避難するようにとのアナウンスで階段で避難。
数時間後ビルに戻りました。
電車が動かないという事で、その日は職場で泊まろうと思ったのですが、飲み物を調達するために外に出たときに自転車屋さんを見つけ、2時間待って自転車を買い、帰宅することに。

幹線道路の車は全く動く気配もなく、歩道には帰宅困難者の波。
途中、1月の夢に出てきた北品川の商店街を通り、いくつかの飲食店では困難者のために炊き出しをして励ましていました。
人と車の波は横浜近くまで途切れることはなく、非日常的な感覚を味わいました。

尻と筋肉の痛みを我慢しながら家にたどりついたときには明け方になっていました。

そして、職場の人からメールがあり、やっぱりあれは地震雲だったんだね、と。

ちょっとやっぱり書くのはすこししんどいので、この続きはあるかどうかだけど、とりあえずきょうはここまで。