我が家から数キロ、毎朝の散歩コースの一つに宮寺氏館跡といわれている真言宗豊山派の寺院・西勝院があります。
ここは平安時代からの宮寺氏の館跡として入間市の指定文化財として土塁などが残っているので、時々散歩で勝手に見学させてもらっています。(ここの住職M氏は善さんとゴルフ友達です)
(西勝院山門)
(西勝院本堂の梅の古木)
(東側にある製材所近くの案内板の小字は、城腰と言うそうです)
《宮寺氏館跡》は、平安時代末に武蔵七党のひとつである村山党の村山家平が宮寺の領主となって宮寺五郎家平と称し、この地に居館を構えた。現在の西勝院のある場所がこの宮寺氏館跡である。村山党は桓武天皇九代の孫で今から9百年前、村山(現在の東京・武蔵村山市)に住み着いた村山(平)頼任(よりとう)を祖とする。頼任の子頼家には四子あり家平は次男である。現在ではこの居館跡の全体遺構を見ることは出来ないが、西勝院境内の南側・東側に土塁と空堀の一部が見られる。さらに西側を流れる水路が館の水堀であったと推測されその内側には土塁が構築されていたと考えられる。(入間市教育委員会解説による)
(西勝院南東の土塁)
(西勝院の西側と北側には水堀と思われる水路に囲まれている)
(西勝院の西には現在の地区集会場があり、大御堂という小字が残っている)
宮寺氏館跡についてはこれまでも善さんのブログ投稿していて、多くは重複しておりますが、お許しください。
少し暖かくなると新型コロナ騒動過、近くの神社仏閣等を散策して年寄りの健康維持に努めているこの頃であります。
思っていましたが、宮寺氏館が、由来なんですね。
今度、訪ねてみたいです。
私の、ウオーキングコースは、多摩川なので、川には、沢山の、鷺や、数種類の鴨が、居て、楽しいですよ。
宮寺の地名が平安時代からあるとは、市の解説で知りました。
明治時代には元狭山村(現在の瑞穂町と入間市の一部)の東に宮寺村とあったようです。地名は残しておきたいですね。
宮寺氏館跡は平地なので遺構はほとんど残っていませんが、小字名や地籍名は残っているようです。
立川や日野も古い土地ですので歴史探索も楽しいですね。