わたしの甥(27歳)が、働かない人で、寝ながらテレビを見て
ポテチばかり食べています。
甥を見ているとかったるいです。
最初は甥の光の部分に焦点をあて、
責めないでいいところをみつけてあげていたのですが、
与えてあげると溺れていく人もいるのではないでしょうか?
そうですね。確かに依存傾向があり、
「自分の足で立つ」という課題をもっておられる方に向き合う場合は、
「手を出しすぎないこと」や「離れること」が、「愛である」と言われたことが、
以前にも何度かありました。
さて、甥ごさんのご家庭は、いろいろと複雑なご事情がおありのようで、
「もしよかったらセミナー終了後にお話を伺って、それをもとに対話させていただき、
ブログで分かち合わせていただいてもよろしいでしょうか?」
と、セミナーの席で申し上げたのですが、
セミナー終了後、バタバタしていて、
この女性の方とお話する時間がとれませんでした。
本当に申し訳ございません。
今分かっている範囲内で対話をしましたので、
お伝えさせていただきますね。

甥は今、困っていない。
本人が困るまでは、手だし無用。」
「甥ごさんの光の部分を見つけてあげるについてはどうですか?」

甥が本当にSOSを出していたのは、もっと前なんだ。
みんなこのようになってから、ひきこもりだと騒ぐが、
もっと前に本人はサインを出している。
しかし、今は心を閉ざしいてる。」
「見守ることでしょうか?」

『いずれ自分の足で立つ時が来る。
その力をあなたはもっていると信頼してるよ。』と。」
対話をして、教わる言葉の中に、
『相手のために祈る』
『相手の中に内在する光を、信頼する』
という言葉が、何度も何度も出てきます。
この言葉を聴くたびに、心の中心から
なにかあつい感情がこみあげてきます。
きっとわたしたちの魂は知っているんでしょうね。
自分たちが「愛そのものだ」ということを。
そして、「素晴らしい輝きをすでにもっている」ということを。
頭では「自分なんて・・・」と思っていても、
きっと「信頼している」と言われた瞬間に、
魂の自分が嬉しくて振るえるんだと思います。