まず、懺悔したくなった。
ワタシの職場に難聴の人がいて、ワタシはその人と仕事のことで衝突をしたことがあった。
ワタシはその人を、人の言うことを素直に取らない意地っ張りな人だと思って、その人の辛さを配慮しないで衝突をした。
ある時は、仕事上の基本仕様があるのに自己流で作っていたので、それを忠告すると
自分の考えはこうだからと反抗的になったりした。
また、お弁当部屋から移動してきた彼女は、お弁当部屋と仕事が違うことになかなか慣れなかった。
やる気がないのだとさえワタシは思ってしまっていた。
それは、やはり今思えば身体的な要因があって、 聴こえる人より 馴れないストレスが強く、本来の彼女なら出来ることも余裕がなく思うようにいかなかったことがあったのかもしれない。
ワタシを含め私たち回りの人間には、そういう彼女への理解が不足し、お互いに誤解があったりしていたと思う。
お互いの行き違い、勘違い、感情のすれ違い…
最後に彼女は、
「空調機の音が強い寿司部屋は、話が聴こえないから仕事に支障が出て、 また耳鳴りも辛くて続けられないので、辞めさせてください。」と言って泣いたらしい。
だが、彼女は社員から引き止められて、またお弁当部屋の仕事に戻った。
自分が突発性難聴になった今なら、振り返ると彼女に対して謙虚に反省する気持ちになれる。
自分がこうなって、つくづく思う。
健康な者には分からないのだと。
だから、人間関係も拗れるのだと。
ワタシは仕事を続けて行けるのだろうか?
ワタシの友達にも難聴になった人がいる。
もう20年位前に、風邪からウィルス性の中耳炎を発症し難聴になった人がいる。
彼女は朝物凄い耳鳴りで目が覚めるのだそうだ。
慣れるまで一年以上掛かって、ノイローゼになったそうだ。
またにホントにたまに仙台に帰ると会って話をするが、話が噛み合わなくなるときがある。
でも、たまにしか会わないから、笑顔で必死で話してくれる。
彼女が言っていた。
「きっとそうではないのに、悪口を言われていると思うときがある。」と。
そうかもしれない。
話が分からないと…
ヒソヒソ話じゃないのに、ヒソヒソ話に思ってしまうかもしれない。。