もうあれから20日以上経ってしまいました。
普段の日常に戻ってからのわたしは、ハワイのことが嘘のように地味で(笑)
いや、ハワイで派手だったかというとそうではなかったですが、それなりにハワイでも地味でした。アハハ
でも次女のです、
このために来たのだからね、
遥々。
心は長時間飛行機という荒行を経てのヨレヨレ感は
あるものの
切り替えて!
お天気は着いたときにガイドさん曰く、三日間続けて雨が降ったりしたとかでハワイは雨期なのだそうで、
でも着いた日から離れる日まで晴れの毎日、
挙式の日はことさら空が青く、皆輝いて見えたのは気持ちのせいでしょうか。
きっとどんな子供にも成長にはいろいろなことがあるのでしょうが、
次女にもありました。
次女がまだお腹にいた頃です。
心音の状態の異変が分かり、帝王切開で早産で未熟児で生まれました。
生まれてすぐに救急車で搬送されて37日間札幌市民病院小児科に入院しましたが以降は、病気知らずで育ってくれました。
でも
早生まれの上、体格も小さくて
何をするにも遅れがちな次女。
小学生の頃、給食も給食後の休み時間まで食い込み、一人ポツンとまだ食べていたこともありました。
先生にも親としても
何でも遅いから注意をするように言われていました。
確かにわたしも
心配しましたが、でも何となく大丈夫と思っていました。
根拠の無い自信?楽観?
何故かわかりませんが、
先生が仰るならとわたしはあまり言わないようにしていました。
幼い時から食事が細くて遅くて、体が小さかったから甘やかしていたかもしれませんが。
でも変化はやって来ました。
中学二年まで背の順でいつも一番前で前習えはしたことがなかったのに、第二次成長期で15センチ以上背が伸びて、平均の身長に到達しました。
その時期は食事の量も増え、ちゃんと普通の早さで食べるようになりました。パチパチパチ
でも
勉強はというと
中学に上がって塾にも通わせたりしましたが、成績も芳しくなかったです。
それでも高校受験はお友達と同じ高校を受験、合格範囲内ではありませんでしたので、落ちました。
こういうのがわたしは無謀なのかもしれません。
次女は泣きました!
二人で抱き合って泣きました!
この時次女は初めて自分の身の丈を知ったのです。
この自覚が俄然次女を目覚めさせました。
大人しくて人の後ろを着いていきいつもニコニコしていたそれまでの彼女が背筋をピンとしたかはわかりませんが、変わりたいと思ったのだと思います。
偏差値の低い私立高校で努力をし、大学にも進学し、管理栄養士の国家試験も合格しました。
彼女が成したので思います!
快挙でした!
そんな彼女は30歳、現在は管理栄養士の資格を生かして保育園に勤めています。
そういう次女の結婚です。。
親として
感無量でありました。
ワイキキビーチからは車で30分くらい離れた海が下に見える高台のチャペルで挙式が行われロケーションが素晴らしかろうが、
ドレス姿が眩しかろうが、
次女の結婚、
この事が充分に素晴らしい結果であります!
だから、何処でやってもきっと同じように感慨深かったに違いありません。
あ、ここだけの話、
あちらのお宅がね、お姉さまの挙式がハワイで良かったからと言うことで、他の選択肢ははじめから無かったです、仕方がないですね、角はたてられませんものね。
式の後に
会食がありました。
そこで
娘がお手紙を読んでくれました。
ほら、
「お父さん、お母さん、今まで……」っと言うアレです。
かつて
私たち夫婦の生業がコンビニでした。
父親は仕事一点張りで何処にも一緒に行かなかったです、そのことを次女は
「……本当は一番お父さんが寂しい思いをしていたのではないかと思います。コンビニを辞めてから関東に移り住んで初めて行った水族館、熱海温泉や蔵王温泉、家族皆で出掛けたことがとても楽しかった……」
その言葉で私達夫婦は救われました。
衣食住と学業以外何もしてやれなかったので、家庭のなかで豊かな心を育む機会など何も与えてやれなかったので、その事が悔やまれていましたから。
私達が出来なかったことを、次女はこれから自分の家庭で実現してほしいと思いました。
……
以上、
ハワイの挙式へんでした。
ここまで読んでいただきまして、
ありがとうございます。
ハワイでのドジやハプニングなども数々ありましたが、また暇を見て書けたらと思います。
ってね、いつになるか~(笑)
追伸
只今ハワイ帰り貧乏生活中(苦笑)
あ、もとの生活に戻っただけだけど、クレジットカードの請求金額にガクガク!っす(顔真っ青)