泣くな笑え

『肺癌闘病患者』家族の独り言

抗癌剤1回目(他色々)

2007-10-31 | 現状の認識
ハロウィン…はあまり関係ないんですが、色々あった1日です。
まず朝、妹が通勤中にバイクがパンクして大変だったこと。
その修理で夕方家を出るのが遅くなったのは、まぁ仕方ないことです。

午前中、母の抗癌剤の治療が初めて行われました。
使われた薬は、『タキソール』『パラプラチン』。
身体に負担がかかったのか、昼ご飯はもどしてしまったようです。
母はお酒を飲まないので、その所為なのかな?
あと、オキシコンチン(モルヒネ)の副作用もあるんだろうけど……
どちらにしても、やっぱり凄く大変です。

夕方、友人Mが職場まで迎えに来てくれました。ありがとう!
この時、弟が(仕事中に逢ったそうです)色々不満を抱えている、と聞きました。

翌1日(金)仕事が休みの弟に、
放射線治療開始前の説明を聞いてきて欲しいと頼んでおいたのですが、
なぜか父まで有給をとって説明を聞く気になっていること。
そのうえ私まで行くらしいと聞いて、それなら自分が行く意味がないと
ぼやいていたらしいんです。
(私が行くことはそもそも誤解なんですが…繁忙期バイトなのでそうそう休めないですし)
そして彼は実家にいるので、父の困った姿を目の当たりにしているんですね。
しかも、父から色々な情報が伝わっているだろうと思っていたんですが、
実は全く何も聞いていないらしいこと。
週末に母が外泊するかもしれないと、この時Mから初めて聞いたらしく……
ちゃんと連絡とってあげて、と助言をもらいました。
Mちゃん、面倒かけて本当にごめんね!
午前中に、夜に連絡するとメールしておいたので、
そのへん含めてちゃんと話すことを、彼女に約束しました。

夕方、前述のバイクトラブルで少し遅くなりつつも病院へ。
初めての抗癌剤で不安もあるだろうから、どうしても行きたかったんですよね。
私たちが着いた頃には体調もそこそこ回復していて、少し安心しました。
それと、先生からの、
「(抗癌剤が)しんどかったなら、薬が良く効いてるかもしれない」
と云う言葉にも励まされている様子でした。
この言葉が本当なら嬉しいし、もし方便でも、
母を気遣ってくれている言葉なのでやっぱり嬉しいです。

ついでに、前日の父の様子を聞いたところ、私たちが帰ってから10分くらいで帰ったとのこと。
それと、自分も頑張ってるのに、と愚痴をこぼしていたようです。
私たちの目から見ると頑張りが足りないように思うのですけどねー(苦笑)

帰宅後、弟より電話が入ったので色々聞き出しました。
話の2/3は愚痴でしたけどね。
実際、家でマトモにご飯を食べていないという外食産業に頼りきりの現状はちょっと困りもの。
折角もらったおかずも、炊飯器の中に放置されてしまったご飯ももったいないものね。
まぁ頑張ってと月並みに励まして、そして翌日のことを頼んで電話を切りました。

うーん、ここまでひどいのは予測してなかったから、色々大変だなぁ(苦笑)

造影剤はNG

2007-10-30 | 現状の認識
この日の母は、脳のMRIを撮るための造影剤を2回もどして体調を崩し、
栄養剤と吐き気止めの薬を点滴することになりました。
前の時は大丈夫だったのに、と首を傾げてましたが、
そもそも造影剤は結構危険な薬なんだと聞きました。
妹の先輩の旦那さんは、意識を無くしたこともあるそうです。
もし他の病院でMRIを撮るようなことがあっても造影剤は断るように念を押されました。
そして体調もあまり良くないとのことで、予定していた歯の治療は延期に。
(治療が始まるので、ぐらついている前歯を抜くことになってたんです)

そんな訳で、しんどそうな母が休めるようにと、洗濯物を回収してすぐに帰ってきました。
先に着いていた父たちが長居せずに退散するか、とても気になりつつ…。

帰り道、ふと弱気な私がこぼれました。
母がいなくなるなんて考えられないよね、と。
妹も頷いて、絶対いやだと応えました。
現実感のなさに、まだまだ戸惑います。

痛み止めの変更

2007-10-29 | 現状の認識
休みの私は、振替休日の末の妹と病院へ。
余りなにも考えずに月曜休みで仕事の契約結んだんですが、
こんな風に役立つとは……複雑な気持ちです。

朝一、実家にて洗濯物干し&畳んで、午前中のうちに病院へ。
痛みが治まりきらないとのことで、今夜から痛み止めの薬を変更することになりました。
モルヒネ系の薬『オキシコンチン』を1日2回決まった時間に服用。
ああとうとうか、と心が揺れました。
だから、これくらいで動揺してちゃ駄目なんですけどね。

夕飯とシャワーを済ませ、末の妹を送って行くと、洗濯物は窓の外。
折角天気が良かったのに、と憤った私は、父に今すぐ取り込むよう云ったんですが、
お酒が入り、ゲームをしている父の腰は重く……
ここで妹(私と同居している方)が、ものの見事に爆発しました。
でもこれは仕方ないと思います。
これまでの経過で、父の現状処理能力の駄目さ加減にホトホトあきれていたのは私も同じだし、
しかも、お酒入った人間なんて、後でと云ったところで絶対動かないんですから。
もっとちゃんとしろ、と怒りをぶつける妹に、父も逆切れして(失笑)
………団塊の世代の父親ってのは、ホントに大変です。

帰り道、友人Mに鹿児島土産を届け、
そんな気はないのに、つい立ち話でこぼれるのは愚痴……
ああもう、彼女にはどんどん頭が上がらなくなっていくなぁ(苦笑)

休日

2007-10-28 | 自分のこと
昨日27日(土)と今日28日(日)は、私用で病院へ行けませんでした。
春から楽しみにしていた予定なので、こればかりは目を瞑ってもらった感じでしょうか。
そのぶん毎朝メールだけは欠かしませんでしたが。

午前中、妹は大阪の我孫子観音へ。
霊験あらたか、とまでは云わないまでも、良い評判を聞いたので。
ところが、こちらは本厄のみを祓うそうで、厄除けは来年とのこと。
よし、では年明けたら行こう!
何はともあれ、行動する妹に感謝v

改めてスタート。

2007-10-26 | できごと
友人M、会社までのお迎え本当にありがとうvv
おかげで病院へ行く時間に余裕ができますvv

夜、母に逢いに(見舞い)、妹と病院へ。
私は今週末の土・日顔出しできないので、改めてそれを伝え、
そして洗濯物を引き取ってきました。
帰り道では、これからガンガン通うのだし、
どうせなら楽しく行こうと云うことで、買い物と夜ご飯の寄り道。
あまり贅沢はできないけれど、週末だしたまには息抜きもしなくてはね。

電話あり

2007-10-25 | 家族のこと
仕事が休みの弟が、今日は病院へ。
よろしく頼んで、私は小休止です。
ところが夜、母から電話がありまして、
入院したその週末に外泊で帰ってくる、と父が思い込んでいたと聞かされて、ビックリ。
いや、父よ。それは無理だろ。
つか環境変わって大変な母を休ませてあげてよ。
どうしてそんな簡単で常識的な事を考えられないのかなぁ……
困ったものです。

母は、まぁ元気。
昨夜は今イチ眠れなかったとは云ってましたが、それはおいおい慣れるだろうし。
うん、頑張ってねー!!

入院

2007-10-24 | 現状の認識
私は行けなかったんですが、この日10時、とうとう入院です。
詳しくは聞いてませんが、手続きなど滞りなく終わったようなので一安心。
この辺は、入院と云うものに慣れている我が家ならではなのかもしれません(苦笑)

夕方、これまでの経過の全部を話してある友人Mが仕事先まで迎えに来てくれました。
心遣いがなによりも嬉しいです、ありがとう!!!
そして、入院&肺癌をカミングアウトして良いと母に許可をもらったと伝えたところ、
さっそく明日にメールしておくよ、と。
もう本当に、彼女には足を向けて寝れません(涙)

そして、珍しく仕事が早く終わった弟も一緒に、妹と3人で病院に出向きました。
血液検査や血中酸素濃度云々よりも、
痛み止めの服用を開始したことががリアルに響きました。
たったそれだけのことで軽いダメージ受けてる場合じゃないんですけどね(苦笑)
結構前から訴えていた腰の痛みが癌によるものと判明したので、
まずその痛みを取ることからスタートです。
ああ、本当に始まったんだと思うと、なんとなく一段落です。
まだまだこれからだと、判ってはいますが。

面会時間いっぱいの20時までいた帰り道、
なるべく一緒にいたい、と、冗談に紛らわせずに神妙に話した弟が印象的でした。

ちなみに、私の住んでいる家から病院までは、車で約40分。
頑張ってなるべく通うぞー!

入院前夜

2007-10-23 | できごと
夕方、バイト先でお世話になっている先輩のところへ鹿児島土産を持って行ってきました。
この先輩にも、仕事の関係で迷惑をかけることになるかもしれないからと、
すべてを話させていただいています。
そして、オトナの意見をうかがって、成程と納得して帰ってきました。
そうですね、告知に関してはこれから先の経過を待ってから改めて考えても良いですね。

そして夜、私があずかっていた弟への土産を持って実家に行ってきました。
鹿児島への強行軍で母は少し疲れてる様子。ごめんね。
そんな母に、入院の用意の全てを任せて眠っている父に少しばかり憤りを覚えつつ、
そして、父への愚痴を一通り聞いて(苦笑)、
こんな時に長居するものでもないので、早々に帰りました。
またいつでも連絡してね、としつこいほどに繰り返して。

帰省3日目、釣りと帰阪

2007-10-22 | できごと
やはり雲ひとつない晴天の中、私たちを連れて叔父が向かったのは「海釣り」でした。
……なぜ??
わざわざ筏にまで渡って釣りをした意味は良く判らなかったんですが、
(帰った後に弟に話したところ、気分転換になるからじゃないか、とのこと。成程…)
空が高くて桜島が綺麗で、そして凪ぐ海でアジを沢山釣って。
楽しかったです(そうそう飽きたけど/苦笑)
母も楽しそうだったし(途中で疲れたのか寝てたけど)
でも、病気の母を連れて行く先が、どうして釣りだったんだろう……
やはり謎です。

昼過ぎまでめいっぱい時間を使い、そして祖母も一緒に空港へ。
たったの2泊3日、祖母にも忙しい思いをさせてしまったし、
突然のわがままで振り回して迷惑かけてしまったし。
本当にゴメン、そしてありがとう!
次はもっとゆっくり帰って、沢山お礼をしたいです。
もちろん母も一緒にと願いながら、夕方の便で大阪に戻りました。
みんな、お疲れさま。

関係ないけれど、1年前祖母に預けたネコたちは、あんなに可愛がったのにも関わらず、
やはり私を完全に忘れ去っていました。がっくり淋しー。

帰省2日目、バラ園へ

2007-10-21 | できごと
この秋一番の冷え込みに首を竦めた晴天下、祖母や叔父、叔母、
みんな揃って、「かのやバラ園」へ行ってきました。
花が好きな母はとても楽しそうで、私はと云えば、たくさんの写真を撮りました。
そんなに撮って想い出作り? と、ドキッとするようなことを訊かれましたが、
そもそも私は出掛けるたびに大量の写真を撮るので、そう説明すると納得してくれました。
でも、実際私の心の中にあったのは、遺影としても使える素敵な笑顔を、と、そんな理由。
後ろ向きですね。
それでも、沢山の花たちに囲まれて、祖母と一緒に話して笑う母の姿を見れただけでも、
帰った価値が充分あると思えました。

朝お墓参りを済ませた私は、午後から行った母に付き合えなかったんですが、
墓前で祖父に文句を云っていたと、妹から聞きました。
じいちゃんが癌だったのが悪い、と。
そんなこと云われてもじいちゃんも困ると思うんですが(苦笑)、
でも、天国のじいちゃん。どうか母を見守っていてね。
お願いだから簡単に連れて行かないで、と、そう祈りました。

帰省1日目

2007-10-20 | できごと
1)抗癌剤の治療に入ったら、この先1年は帰れないかも知れない。
2)正月に祖母へと預けたネコたちが気になる。


そう理由付けて、鹿児島への帰郷を母にすすめたのは先週末、
飛行機のチケットを取ったのは18日(木)の夜中。
20日(土)夕方、母の故郷である鹿児島へ出発しました。

これは完全に私の意見を通した結果です。
イキナリ田舎へ帰ろうなんて、母の病状は深刻なものだと告白するみたいだと
本当に悩みましたし勇気もいりましたが、
これだけは絶対に引けないのだから、自分の迷いを押し切って行動。
だって、やっぱり帰らせてあげたい。
母の愛する故郷へ。
祖母のこともネコたちのこともあるしまだまだ死ねないのだと、
そう思ってくれることを祈りつつ……

本当はもっと早い時間に行きたかったんですが、
既に予定が入っていたのを覆したくないと、誰でもない母が主張したので夕方の便です。
なので、鹿児島の叔父の家に着いたのは21時過ぎてからでした。

叔父を含め、母の兄弟のみんなには、母の病状を伝えてあります。
けれど、やはりどうしても祖母には云えません。
その点はみんな同じ意見だから私の罪悪感も少しばかり軽くすんでますが。
………やっぱり云えないよ、ばあちゃんゴメン。

遅い時間だったので祖母には挨拶だけして、叔父の家で夕飯をごちそうになりました。
すき焼きうまうまでした、ご馳走さま。

帰省。

2007-10-20 | 自分のこと
バタバタと忙しい毎日を送っておりました。
日記を書きたい気持ちはずっとあったんですが、気力がもたずに今日まで放置。
しかも、これから母の田舎に帰省してくることになったので、またも放置です。
帰ってくるのは月曜の夜、それから後になりますが、
日をさかのぼってゆっくりと更新しようと思っています。
ともかく、頑張ってたくさん笑ってこよう!

入院先の決定

2007-10-19 | 現状の認識
この日10時に予約の取れたK病院へ、母と父、そして私と末の妹で行ってきました。
本当は私は行く予定ではなかったんですが、
前日、周りのみんなに行って来いと云われたんです。
父では、(私がメモにして渡す)こちらの意向を伝えることができても、
先生(病院側)の質問に答えることはできないだろう、と。
思わず納得したので、仕事をさっくりと休みました(苦笑)
でも確かに、優先順位を間違えちゃいけませんね。

呼吸器内科の外来を担当してらっしゃる先生はとても柔らかい口調の方で、
これまでで一番安心できるお医者さんでした。
しかも、私が訊きたいと思っていたことに関して、先に先に説明をしてくださるんです。
これは、なんと云うか感動です。
単に慣れてらっしゃるだけかも知れませんが、それでも、患者(の家族)の知りたいこと、
そしてそれ以上の情報を提示してくださる姿勢がとても嬉しかったです。
近県で行われている癌治療の現状、イレッサ・放射線治療の効果と副作用、
先端医療の状況、そういうことを丁寧に教えてくださって、
これまで行った(少ないですが)病院の中で一番好印象を受けました。

母も私とほぼ同印象だったようです。
何より、今までの病院では一度もなかった、
「苦しそうやな、まずその咳を止めようか」
の一言と、そして薬を処方してくださったことに喜んでいました。
それに、放射線治療についても行えるよう手配してくださるということで、
10月24日(水)から入院してお世話になると決めました。
(癌診療連携拠点病院である、と云うのも理由の一端です)

本当の本当のところでは、まだ、迷いがあります。
近いからと云って安易に決めてしまったのではないだろうか、と。
治療すると決めたのだから、もっともっと真剣に、それこそ世界中探してでも、
治る可能性の高い病院を見付けた方が良いのではないかと。
冗談に紛らわせていたけれど、父は、東京に行くか、と母に尋ねていたくらいです。
(別に何かを調べた訳でなく、短絡的発想による発言だったようですが)

けれど。
母の性格を考慮するなら、これ以上離れて治療するのは逆にマイナスだと思ったんです。
たとえ名医がいる病院でも、家族と遠く離れるのは精神的に苦痛なのではないか、と。
そんな弱い人ではないのかもしれません。
離れ難いのは、私なのでしょう。
それでも、何より家族を愛してくれている母だから、
車で1時間弱の距離が、ギリギリだと思うんです。

とても難しくて、判断に迷う問題ですよね。
この先の出来事に寄っては、後悔するかもしれません。
それでも決めたのなら、現状できることを頑張るんだと自分に云い聞かせて。
よし、やるぞ!!!

改めて(病状の確認)

2007-10-18 | 現状の認識
一番最初に診断を受けたS市の病院で、翌日に行くK病院への紹介状を書いてもらい、
ついでに電話で診察予約もとってもらいました。
今回病院に出向いたのは母と父、弟の3人ですが、
母は診察室に入らず外で待ってたそうです。
初めて行った時、何の前振りもなくイキナリ
「癌やな」
と云われたのがトラウマになっているようです。
決して悪い先生ではないんですが……
癌告知も、母のパターンが普通だと思えるくらいに平然と行われてるようですし。
でもね、やっぱり……もうちょっと考えてもらえると嬉しいですよね。
まぁこれで、この先生との付き合いも最後のはずだし、
それだけでも母への負担は少なくなるかな(苦笑)

ここで少し現状を振り返って、ちゃんと記していなかった、
母の症状についての詳細を書いてみます。

最初のレントゲンで影が見付かったのが9月の中旬過ぎです。
それから「細胞を採取して癌であると診断」され、MRIとPETの検査を行い、
診断結果を聞いたのが、10月11日(木)のことでした。
結果は、肺癌(肺腺癌)。病期はステージⅣ。
末期癌です。
TNM分類で表すなら、「T3N2M1」
「T」は原発巣の状況を表していて、癌細胞が浸潤していることが判ります。
「N」は、肺癌の所属リンパ節に転移があるか否か。
 「N2」は、“縦隔リンパ節転移”・“気管分岐部リンパ節転移”があるということ。
でも、この「T」「N」は病期には無関係です。
やはり問題は、「M」。転移の有る無しで、「M1」は転移あり、と云うことなのです。

転移箇所は骨への転移が3箇所、そして脳への転移。
何より脳の多発転移が、末期たらしめている最たるもののようです。
本当に、無数の小さな癌がMRIの写真で確認できました。

そして、私が調べて判ったのは、癌の死亡率として現在肺癌がトップであるその事実。
5年生存率の低さ。
肺癌はとても苦しいのだということ。
その上、脳転移の所為で障害が出るかもしれない恐怖。

これで能天気にしてろってのが無理な話ですよね(苦笑)

本当にショックで、肺癌について調べては、べそべそ泣きまくってました。
今回改めて書き出してみて、
現在「治療」に向かって頑張っていることが信じられないほど、現実は厳しくて。
やっぱり「治療」に対して迷ってしまう私もいるけれど。

頑張れ。頑張れ、私。
少しでも母が笑ってられるように。
それだけ目指して頑張ります。

秋刀魚

2007-10-17 | できごと
母から誘いがあったので、実家へさんまを食べに行ってきました。
お取り寄せのさんまなので、凄く美味しかったです。
そして、月曜にショックを受けていた母が、たとえ空元気でも虚勢でも
立ち直って普通にしていたことは凄い!! と驚嘆。
ホントに偉い! 私も頑張らなくちゃ!

帰りに、母のことを告げた親友Mのもとへ寄り道。
愚痴だよと前振ってから、父の凄すぎる発言について喋ってきました。
したら、一緒に聞いてくれていた彼女の旦那が、
男はこういう時全然あかんで、とキッパリ。
断言されて、肩を落としたのでした(嘆息)