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プラトン序説

2014年10月28日 | 研究
プラトンが『国家』の第十巻で、詩人(プラトンの時代は朗唱詩人)たちを激しく排していることは、長くプラトン解釈者たちを悩ませてきた。詩人は今日的な見方では、言葉による美的経験をもたらす芸術家である。プラトン解釈者たちは、このプラトンの詩人に対する主張を額面どおり受け取るのをためらい、プラトンが攻撃したのは本物の詩人ではなく二等、三等の詩人であるとか、批判は本気ではないなど、現代の好みに合わせていろいろと釈明せざるを得なかった。エリック・ハヴロックは『プラトン序説』で、プラトンのこの主張について新解釈を提唱して、古典学の世界に大きな論争を呼んだ。


『国家』のこの最終巻は、政治本性の考察ではなく、詩の本性の考察で始まっている。そこでは、詩人は画家と同類とみなされ、芸術家は現実から二重に隔たった経験の一変種を生み出すとされる。芸術家の作品は学問にとっても道徳にとっても、よくて軽薄、最悪の場合には危険でさえあり、ホメロスからエウリピデスまでのギリシャの主要な詩人たちはギリシャの教育制度から追放されなければならない。そして、この異常な主張が情熱をこめて追及される。

「われわれはわれわれの魂という都市を詩から護らねばならないのである」(608b1)
この一節のかもし出す雰囲気が問題の核心を明らかにしている。プラトンの標的はまさしく詩的経験そのものにあるらしい。この経験は、われわれなら美的と呼ぶような経験である。だが、プラトンにとってこの経験は、心を冒す一種の毒物である。われわれはいつも解毒剤を用意しておかなければならない。プラトンは詩であるかぎりでの詩を破壊し、コミュニケーション手段としての詩を追放したがっているようである。

『国家』はギリシャの伝統そのものと、それが依拠する基盤とを問題にする。この伝統にとって決定的であるのは、ギリシャの教育の状況と質である。いかなるものにせよ、若者と精神と態度が形成されていく過程こそ、プラトンの問題の核心にある。-中略-『国家』がギリシャの現行の教育機構に対する攻撃とみなされれば、その全体構成の論理も明らかになる。そして、この過程の核心に位置しているのは、どうやらまた詩人たちの存在なのである。詩人たちがこの問題の中心にいる。

・・・明らかに教育にかんするプラトンの理論に合わせて考案された理論である。次に-男女平等、家族の共有化、限定戦争の役割といった-いくらか政治的、社会的、経済的な理論が続き、そして最後に哲学者だけが政治権力の安全で適切な受容者であるという逆説が提出される。

詩の追放はいまや論理的で避けられないものになっている。というのも、詩の才能は新たな教育構想の背後にある認識理論とはまったく相容れないからである。こうして、第五巻で暫定的に哲学者の敵として示された詩人たちは、いまや第十巻において、完全にその正体を暴かれ、哲学的な教育段階に君臨せねばならない学科から追放されるのである。

                                                             『プラトン序説』

『国家』は、政治論文ではなく、教育制度批判の書であるとハヴロックはいう。ギリシャの口承の伝統がアルファベット識字の浸透によって転換的に立っていたその時期に、最初に現れた識字教養人(散文家)がプラトンであった。プラトン自らは意識していなかったであろう識字によって培われた直線的で合理的な思考形式が、詩人たちをあれほどに毛嫌いさせたのである。プラトンのソクラテスを語り手とする一連の『対話篇』や『国家』が書かれた目的は、ギリシャの教育制度を独占してきた詩人たちから、そして詩人と同一視されるソフィストたちから、その支配権をプラトンら「哲学者」が奪いとることにあった。

ハヴロックはマクルーハンよりも少し早くケンブリッジ大学に学び、その後カナダに渡ってトロント大学で教べんをとり、1946年に着任したマクルーハンと入れ替わるように米国に移った。『プラトン序説』(1963年)は、『グーテンベルクの銀河系』(1962年)、『メディアの理解』(1964年)に挟まれた年に出版され、メディア論の理解にとって欠かせない重要な著作となっている。マクルーハンとはすれ違いながらも何かと縁を感じる二人である。ちなみに、二人の口誦文化へのアプローチが類似しているのは偶然ではない。二人の間にH・A・イニスがいたことは以前書いた。












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