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古典学派(アンティクィ)と現代学派(モデルニ)

2014年10月10日 | 研究
三科triviumの前史は、後には「古現論争」の名で知られる敵対関係に貫かれている。文法学と修辞学は連携し、弁証家たちの軋轢多い主張を抑え三科の支配権を概ね維持していた。-中略-グーテンベルクの印刷技術によって、アルファべットのもつ視覚的な力が改めて新たな支配権を獲得した。そしてフランス人弁証学者ペトルス・ラムスが現代学派(弁証学)と古典学派(修辞学者と文法学者)の論争に改めて火を点じ、弁証学の「方法method」が伝統を廃れさせる。そのとき以来、文法学と修辞学は、われわれの時代のあらゆる芸術および科学同様、弁証学もしくは左脳の鋳型に改めて鋳直されてきたのである。局面が一転するには、二十世紀に入って聴覚空間への、つまり意識の右脳的な感覚的形態への回帰を俟たねばならない。『法則』

マクルーハンが拘るレトリックは単に表現の脚色ではない。意識の在り様、つまりは世界認識の仕方に関わる問題なのである。古くはソフィストとプラトン(哲学者)の論争に遡る。プラトンとアリストテレス以降、哲学者(弁証学者)が主導してきた西洋近代文明の行き詰まりを、マクルーハンは言語感覚の転換(弁証学から修辞学へ/左脳から右脳へ/概念から直観へ)によって乗り越えられると考えていた。そして電子メディアがその契機になると期待していた。その期待がマクルーハンのメディア論を「楽観的」にしている。他のメディア学者はモデルニの視点でメディア技術を見ているため悲観的にならざるを得ない。テレビをして「一億総白痴化」のメディアと呼んだ評論家もモデルニ(活字知識人)の系譜と言えよう。
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