幽閉者

2007年03月06日 | 読書、そして音楽と芝居と映画
わたしの年上の友人に、赤軍派の重信房子と高校時代に弁論大会で一、二を競ったという女性がいる。
この人、とっても面白い。
彼女自身は人生を縦横に、左寄りでなく、右に左に(!)と謳歌している人物である。
この彼女は、重信房子が逮捕された直後、赤軍派になる前の高校時代の重信房子を「文藝春秋」に書いた。

その彼女とともに、岡本公三がモデルという映画「幽閉者」を見た。
最初の出だしはテルアビブで乱射するシーンだが、これは抽象化されていて、なかなか面白かった。しかし、その後逮捕されてから延々とつづく拷問に観客には席をたつ人もあった。

ちょっと長すぎるのでは。ここでは岡本という名前も、赤軍という名前も出てこない。イスラエルということもなく、イスラエル風の国旗とか、パレスチナ風のものとか、すべてが明らかにされないのである。

拷問が主題だったのかと思うほどだが、本来ならパレスチナ解放をめざす爽やかさなどが示されるべきだったのでは、と思う。

獄中の重信は、この映画が黒字になること、儲かることをねがっているようである。
男が解放され、キャンプにもどると、そこには重信風の女性がまっていて、これが荻野目慶子だった。「あら、シゲに似てる」とわたしの脇で、重信の友人がささやく。

映画館は80席ほどのユーロスペースであるが、十名もはいっていなかった。
これではあまりだとおもったが、封切り後はもうすこし入りはよかったらしいよ、重信さん!


途中、埴谷雄高の小説やら評論やらの文章が用いられているようである。それも果たしてこの男の内奥をしめすのかどうか。
どうもわたしとしては、これは映画としてはあまり感心できない。

もうちょっとなんとかならないものか。
時代を代表する人物なのだから、それに直接彼をしっている人が監督なのだから、実在の彼を浮かび上がらせて欲しかった。もうすこし、彼らの時代を知らないわれわれに迫る実在人物を造型してほしかったと思うのである。