

風化させないために。
8年前私は実家の仙台におり東日本大震災に遭遇しました。
とにかく長い地震でした。家の瓦が落ちるのを見ながら、大人の私自身が立つことが出来ませんでした。
全く情報が途絶え何が起こったかわかりませんでした。その後津波で沢山の方が被害に遭われたことを知りました。
その日は近くの体育館の避難所で過ごしました。
沢山の方が避難してらっしゃって、ほとんど空いている場所はなかったのですが、1畳分くらいの広さの、段ボールが敷いてあるところがありました。
そこにとりあえずコートを着込んだまま寝ました。
枕になるものがなかったので、その数日後にある演奏会で使うモーツァルトの三大オペラのスコアを重ねて枕にして寝ていたと思います。おそらくそれは不謹慎なのかもしれませんがそれしかありませんでした。
そしてはたと気がつくと体育館にはピアノがありました。
「そこにいる方々のためにピアノを弾こう」と思いました。
しかしながら、すぐその考えはなくなりました。
ほとんどの方が電話で親戚知り合いの安否を確認するために電話をしたり、ラジオ、持ち込みのテレビで刻々と入ってくる情報を耳をそばだてて聴き、食い入るように見ておりました。
そのような状況ではピアノは弾く気持ちにはなりませんでした。
音を出すことによってその連絡、音声を邪魔しかねない状況だったと思います。
情報が錯綜し不安が交差し、震度5級の余震が続いた殺伐した状態でした。
その時に自分の演奏家としての意味、音楽の意味、さまざまな事を考えました。
その日は一晩中それでも数日後演奏するだろうと信じていた、モーツァルトの三大オペラの様々な部分を勉強するためにイヤホンで聴きながら立て続けに起こる強い余震とともに一夜を過ごしたと思います。
ただそういう時は感情が止まり、もしかしたら何も音楽に感動もしていなかったかもしれません。
あまりにも悲惨なことが目の前に連続して出てくるとそうなるのでしょうか。
次の日に朝からバスが動いており、仙台のNHKまで行くとそこのモニターを見たらちょうどその時に福島の原発が爆発する瞬間が映し出されておりました。その時もとても大変なことが近くの土地で起きておるのにもかかわらず、茫然とその事態を見ていたように記憶しております。
その数日後山形、新潟経由で東京に戻り、さまざまな沿岸部のホールに連絡をとり、何か音楽で力になることはないかと聴きましたが、どこも混乱状態で音楽を聴く状態ではないということでした。
私が避難所にいた事を思えば当然です。
以上のことはなかなか言葉で説明することが難しく、その場にいないとなかなかわからないことなのかもしれません。
音楽の存在する意味、自分の音楽家としての意味を毎日考えました。
その後4月になってからまたさまざまな避難所に連絡をとり、だんだん演奏できる状況になり、4〜6月ぐらいで60回以上演奏をしたと思います。
その時は、被災された皆さんが大変であり、なかなか感情をお互い出すことが出来ないけれども、音楽、音を聴くことでやっと人前で感情を出すことができ、涙を流す方も沢山いた事を思い出しました。
避難所を中心とした演奏したときは、ここには書ききれない沢山の経験をしました。
自分の中で確実だと思えたことは、このような困難な状況でも然るべき時に、しかる場所で、もし許されるならば、音楽を演奏することによって意味のあることがあるということでした。
以下の写真は東日本大震災後四月に初めて仙台のヤマハの一階を解放して商店街の通りに向けて仙台フィルのコンサートマスターの神谷未穂さんと演奏したもの。もう一つはその日の午後沢山の被害があった閖上の近くの名取市文化会館のロビーに沢山の方が家をなくして避難したおり、神谷さんと旦那様のエマニュエルさんと三人で演奏したときの写真です。
演奏の直前に車で沿岸部の被害があったところを見て参りました。それは想像を絶する光景でした。
この演奏時に私が避難した皆様に話し出そうとして言葉が詰まりました。
先ほどの光景を思い出し、どんな言葉も慰めにならないように思えました。
「いま我々ができることは皆さんと祈ることしか出来ないかもしれません。皆さんと今から音楽で一緒に祈りたいと思います。」
そう言ったあとに、私が三人で演奏するために編曲したアメイジンググレイスを演奏したと思います。
この時から私も音楽について、また音楽家としてのあり方を新たに考えることになりました。
今でも沿岸部に毎年参りますが、まだまだ完全な復興には時間がかかると思われました。
それでも一つ一つ復興へ進んで行くことができるために私も微力ながらできることはしていきたいと思います。
東日本大震災で被害に遭われてお亡くなりになった全ての方々のご冥福をお祈りいたします。
これからもこの時の事を心に留めて音楽のある意味を考え、音楽家として何が意味あることであるかを考えて演奏していきたいと思います。
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"三日間の深川滞在、ゆったりできましたが、しっかりリハーサル、打ち合わせ、充実の時間でした!再来週の本番が楽しみです!"
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お茶の水女子大学の私のゼミ「ドビュッシーゼミ」発表会終了。
ドビュッシーの管弦楽にもなっているピアノアンサンブル曲を学生が演奏、その後オーケストラ版を聴いて聴き比べてピアノをオーケストラ的に弾くにはということも考察、ドビュッシーに関して様々な分析ほかも行うゼミ、最後にゼミで行った牧神の午後への前奏曲、小組曲、夜想曲を連弾、二台ピアノバージョンの演奏、海は二台ピアノバージョン、ワーグナーとの繋がりでトリスタンとイゾルデから前奏曲と愛の死、毎回行なっているティエリー・ドゥ・メイのテーブルの音楽、全ての演奏を学生が行いました。
10分強の休憩のみで3時間半の発表会。
発表会を聞きに小坂圭太先生、白石光隆先生、栗林朋子先生にご来場いただきました。
大変な曲も多くあったのですが学生も頑張ったと思います。
この日でドビュッシーの重要な管弦楽作品を俯瞰できたかとも思っております。
是非学生の皆さんにはこれを機にドビュッシーの管弦楽を沢山親しんで聴いてもらいたいと思います。
毎年恒例のゼミ打ち上げも先生方にもおいでいただき学生、先生方と色々お話ができました。
私の立場では出来るだけ学生に様々な音楽の経験、アイディアを紹介し、きっかけを作ることしかできないかもしれませんが、これをきっかけにどんどんそれを発展して、一生の宝として持って欲しいと願ってやみません。
また、このゼミを行うことで自分がとても勉強になりました。
ドビュッシーに感謝。
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大阪は豊中の激しいTrance公演から東京に戻るもお茶の水女子大学の私のドビュッシーゼミの発表会の直前レッスン。10〜18時連続でした。
曲が素晴らしいのでつい力が入り声もガラガラに・・・
オーケストラにもなっているピアノ同士のアンサンブル曲、連弾、二台ピアノ。
牧神、小組曲、夜想曲の二台ピアノと連弾、そのほか、海、あとワーグナー「トリスタンとイゾルデ」から前奏曲と愛の死は二台ピアノとてんこ盛りになりました。
本日発表会。
学生がのびのびと実力を発揮できますように!
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豊中の私のリサイタル「Trance 」ではプロデューサーのIさんの発想ですごいタイトルテーマになりここまでできて本当に感無量!
照明、音響スタッフ凄すぎです。毎日どんどんバージョンアップ、ブラボー!本当に感謝致します。是非またご一緒したいです!
関西の友人も沢山きていただきました!!
野村誠さん、三輪眞弘さん、クラブ音楽の久保田テツさんなどとも楽しく交流。
あと何と言っても共演させていただいたダンスの田畑真希さん、素晴らしい!!
おとホールスタッフの皆様、アウトリーチから本当にお世話になりました。心から感謝致します!
皆さま本当に有難うございました!!
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豊中でのTRANCE MUSIC FESTIVAL 2019、TRANCE〜中川賢一ピアノリサイタルとても楽しく終わりました!!
ピアノリサイタルとは書いておりますが、ダンスの田畑真希さんにがっつりほぼ全曲踊っていただき、まさにダンス公演といってもいいほどでした。
田畑真希さん本当に素晴らしかったです!!
コンサートにリノリウムを敷いて全く音楽とダンスを対等にすることができでとっても嬉しかったです。
書きたいことが山ほどありますが、あとなんといってもホールの照明、音響の皆様が素晴らしすぎでした!!コンサートホールではできないようなこと沢山、クオリティも素晴らしかったです。
あとホールの練習室、ホールでのリハーサルがとっても沢山できて感激でした。
これだけのリハーサルがスタッフの皆様とできたからこそ今回があったと確信いたします。
田畑真希さん、照明、音響の皆さま、調律の荒木さん、プロデューサーの井上さん、ほかお世話になった全ての皆様
有難うございました!!
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明後日に向けて(日にち変わりましたが、、)
調律の荒木さんにもお願いでき本当に幸せです。
ここはコンサートホールなのですが照明、音響とても頑張っていただいております!
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