ブーゲンビリアのきちきち日記

神奈川の米軍基地のある街から毎日更新。猫と花と沖縄が好き。基地と原発はいらない。

返還はされるけど

2006年05月04日 13時35分53秒 | 米軍基地
黄金週間だというのに、相模補給廠の監視。天気もよく風薫る5月。桜並木も優しくそよいでいる。西門の写真や、怪しい車の写真を撮った。あちらは銃を肩に提げて、熱いのにご苦労なこって。露骨に写真を撮られた。もう、慣れてしまって平気。むしろ、この非日常が楽しい。34年前、ベトナム戦争の時、ここから戦車が出て行くのを市民が座り込んで止めた。100日間の闘いの歴史を、流された血を想像する。私はそのときいなかった。米軍再編などと言うから、今ごろになって目覚めてしまった。返還はされるけど、いらなくなった米軍住宅地と道路くらいで、ごまかされない。結局、基地の強化、恒久化ではないか。さて、またでかける。写真は、行きたかった山里の春。命の春。もう、初夏ですね。沖縄ではうりずん、というとか。クリックすると拡大します。

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2 コメント

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34年前かぁ! (柿の種)
2006-05-04 22:17:03
34年前、そこにいた。学生だった。いまどこにいるって聞かれてもこまるけど・・。
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いつか報われる (ブーゲンビリア)
2006-05-05 10:20:13
計算ちがいかしら。73年アメリカ軍撤退、75年サイゴン陥落。相模原における戦車闘争は72年の夏。2年前、ベトナムの若い人たちが相模原の西門ゲートが見たいと17人だったか、見学に来ました。ベトナムでは相模原という地名を知っているのだそうです。夜の歓迎会では小田実、吉川勇一他あり得ないメンバーが勢揃いでした。私がとくに驚いたのは、ベトナムからのお客様のうち3人の主要な人物、当時の闘いの当事者に加え、詩人がひとり、来られたことです。文化的だなと改めて尊敬しました。

原子力資料情報室の山口さんと小田実さんがベトナムに行ったとき、たまたまバスの中で、「相模原では戦車を止めてくれた」とバスの乗客の人に言われたそうです。その本人たちだとは知らずにね。いい話でしょう。
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