ブーゲンビリアのきちきち日記

神奈川の米軍基地のある街から毎日更新。猫と花と沖縄が好き。基地と原発はいらない。

2019年11月15日 小春日和にて

2024年01月11日 17時40分43秒 | 星が丘ビンボー物語
写真のバラは1月5日の北公園の散歩写真、アイスバーグです。
今年はずっとバラが咲いています。
我が家の庭でも、グラハムが咲いています。

パソコンから以下のファイルが出てきました。
このブログもいつまでやるか未定ですが、掲載して記憶します。

以下転載__________________

2019年11月15日 小春日和にて

11月15日 朝から暑いくらいの小春日和 北公園に散歩に行く。
夫は自転車で医者に行くと言う。
北公園にはバラの写真を撮り行き、疲れたので早めに切り上げて帰宅。
生協で夫の昼飯カツサンドなど買う。

昼前には帰宅するはずなのに、なんの連絡もない。夫は携帯をもたない。
5時に病院から電話、嫌な予感がしつつ、カーナビに病院の名前を入れて8分で病院着。
6時に医者と面接。ステージ4のガン、緊急入院2週間の予定。
医者の説明によると、 S状結腸ガンが肝臓と肺に転移、ステージ4とは末期。
カツサンドどころではなかった。

帰宅してからカツサンドを捨てて、夫の部屋の掃除を始める。
仕事部屋はタバコのヤニだらけ。

なぜか前日に、夫の好きなクリームシチューを作った。
今思えば、夫が最後に食べたものは私が作ったクリームシチューだった。

11月16日 小雨 3時から5時、面会に行く。
夫の話によると夜中にトイレに行こうとして倒れる。
11月17日 小雨 未明にベッドから落ちて頭を打った。3時から5時面会。
11月18日 医者の説明では年内持たない。頭痛、発熱  延命はせず。
11月19日 体温35度に下がり顔がすっきりした。
11月20日 外科医の説明 人工肛門が最後の希望 本人はしっかりと「希望」した。
しかし、話は聞いていなかった。後から何の話だったと聞くので希望的に説明する。

11月21日 朝、義弟とやっと連絡がついた。車で東京に迎えに行く。昼頃、車の運転途中に電話がなる。運転中は出られず、間に合わなかったかと焦る。
カーナビによると後20分で病院に着く。そのまま走る。
病院に着くと、人工肛門の手術は中止。ベッドの横に私のベッドが用意されていた。この日は泊ることになる。
酸素マスクで話ができず、夫は言いたいことがあるのか手で酸素マスクを外す。
すでに声にならず。その度に看護師さんがきてくれる。
夜7時、食べていなかったので病院のそとに食事に行く。外は雨が降っていた。

11月22日 猫の餌をやりに明け方5時に帰宅。
ブログを見ると朝9時半ごろには木内みどりさん急死の記事を書いている。
その後、急いで病院に行く。

昼頃、義弟と義理の妹くる。間に合って良かった。二人は病院で食事して帰る。
夜9時半、呼吸が辛いのか苦しがる。延命はせず、夜10時に呼吸停止。近くに住む私の妹に電話連絡。1時間後には夫婦でかけつけてくれる。3人で夜中の3時ごろまで、葬儀の打ち合わせ。寝不足で疲労困憊。一人だったら大変だった。妹夫婦には、いつも感謝。


11月25日 小春日和 葬儀。朝のうちは霧だった。
通夜、告別式などはせず。お墓に納骨もしないことにした。義弟は深大寺の墓は墓仕舞いするという。それならば、沖縄の海に散骨したい。
と、思うのは私の勝手な希望だろうか。夫は一度も沖縄に行ったことがなかった。


11月26日 小雨 気温9度。生協でネット注文した夫の夏のパジャマが届く。
間に合わなかった。病院内は温度が高く冬のパジャマでは暑かった。
靴も病院内用の「靴」でなければならず、27センチなので、サイズが合う靴がなくて、あちこち探したことを思い出す。多分一度しか履いていない。27センチの「靴」。まだ捨てないでとってある。

________

カレンダーに書いてあったメモを、
ここまで書き写しながら思うことは、
なぜ夫は自転車で行ったのかということ。私が車で送迎すると言ったのに。
途中で転んで頭を打ったらしい。検査結果は異常なし。

病院の駐輪場に置きっぱなしになってしまった自転車は、
看護師さんに話して、処分していただいた。
重い自転車で、私には運べない。本当に助かった。いい病院だった。

今にして思えば、悲壮感が漂う11月15日の朝だった。
私が車で、夫を送迎できれば良かったのではないかと思うけれど、
まさか1週間でこんなことになろうとは思っていなかった。
後悔しても時間は戻せない。
変えられないことを悔やむよりも、変えられることを変えていきたい。


今では、遺言のようになってしまった、「この歯医者に行け」。
夫が通っていた歯医者に行ってみた。
駐車場がないので歩くのが辛い。リウマチの足の指が痛い。でも、通うことにした。
当分は、毎週2回は通うことになった。奥歯も治す。
夫が推薦した理由がわかってきた。
予約制ではなく、診察券もない。環境にこだわっているのか、シンプルな思想が感じられる。行きたい時間に行ったら、受付のノートに自分で名前を書く。


本日は、私の体力も限界になり、
もう自分一人で頑張って節約しようなどとは思わずに、
相続のことは、司法書士にお願いしようと思う。
義弟が心配してくれて、お金は出すからそうしてくれという。

ここまで書いて、この文章をブログに載せようと思う。
でも私のブログにはふさわしくないような気がする。
フェイスブックにしようかと思うけれど、それも面倒だなあと思う。
久しぶりにパソコンのキーボードを叩くと、元気になれそうな気がしてきた。

2020年1月11日記


_______


以下はパソコンから抜粋

日本人の二人に一人が、がんにかかる時代になりました。
そのトップである「大腸がん」の重大リスクには、大腸の粘膜に軽い炎症が続くことによって起きる「腸のむくみ」があるのです。
不摂生を避けて腸内環境を整えることができれば、むくみは必ず治まります。
そして、便通の異常やおなかの違和感、軽い痛みなどを感じたら、軽視せずに消化器内科専門医を受診することをお奨めします。

________________

以上転載終わり

読み返してみて、少し書き換えたりしたけれど、
本日1月11日で、これを書いてから4年目。
この頃の悲壮感は、今はない。むしろ健気だなあと感心する。
よくがんばってきましたね〜自分に沖縄旅行のご褒美をあげたいです。

4 LDKの部屋は広く感じられて寂しいけれど、
毎日掃除して、思い切り断捨離して清々しい。
今は2匹の猫たちと穏やかに、自由に暮らしている。
今年は新しいことをしたいと思う。

特筆すべきは、山本太郎さんのYouTubeの街宣やTwitterに
どれだけ励まされ、強くなれたか。
「自信奪われてるだけですよ」という言葉をよく思い出す。

生きててくれよ、というのも夫にとってどれだけ励まされたか。
政治に無関心だった夫が「早く行こう」と、選挙の投票日の当日に朝から
そわそわしてたのを楽しく思い出す。
亡くなる4ヶ月前の7月にはポスター貼りもした。
奥多摩の森を51枚貼るためにドライブしたのは、いい思い出になりました。


山本太郎さんは足を骨折しながらも、今頃は能登半島に
2度目の支援に入っていると思うと、涙が出ます。
骨折の原因を言わないことも不思議ですね。




最新の画像もっと見る