名古屋千年ゼミ

持続可能な社会について、みんなで考えます!

ゆっくり,まったり対話する場…♪

第4回名古屋千年ゼミ議事録1

2012年01月02日 | 名古屋千年ゼミ
あけましておめでとうございます。
今年もいろいろと「くすぶりながら」頑張っていきたいと思います。
火種は絶やさずに。


さて、、年末はいろいろありまして忙しく、議事録をまとめている暇がありませんでした。
言い訳はそこそこに第4回名古屋千年ゼミの様子をご報告いたします。


***************
[第4回名古屋千年ゼミ議事録]

極寒(苦笑)の中、二人の新規参加者の方がおみえになりました。
※許可を取っていなかったので名前は伏せておきます。


一人は、林の高校時代の友達。facebookを見て参加してくれました。

もう一人は徳林寺で「つながりのまつり」※参考チラシ→の企画に参加された方。この方は、徳林寺のご住職、高岡さんのご紹介でいらっしゃいました。
こんなちんまいイベントの宣伝をしてくださった、高岡さんに感謝です。



今回のテーマはおおよそ、集団、というものについてでした。
ご住職の高岡さんも今回ははじめから参加してくださいました。

以前参加してくれた方が今回話してみたいと言っていた、ある社会的集団(共同体)のことを中心に話を進めました。

高校の友達も、興味のある社会福祉の団体について話してくれました。

つながり、絆、今の社会ではこのような言葉が尊ばれています。
集団がそこかしこにできています。

この名古屋千年ゼミも、ひとつの集団であるわけです。
勢いに乗って作ってしまった集団なわけですが、その根本について考えてみるきっかけになりました。


[新しい集団をつくるということ]

・集団ができるとき、その集団はどのような性質を持つのか?
 経済的?ビジネス的?
 学習的?
 宗教的?
 それによって集団の性質が全く異なってくる。
 名古屋千年ゼミの性質は?ゼミという名前なわけだし、学習的な集団であるのだろうか?
 
 名古屋千年ゼミでは、日頃、友達とは話せないような内容について話すことができます。いつもは表面的なことしか話せないし、笑い話にして適当に終わらせてしまって、もやもやしています(くすぶっています)。そのもやもや、くすぶり感をカラオケに行ったりスポーツしたり、憂さ晴らしのようなことをして無理やり紛らわすのではなく、根本的なところで自分が考えていることを吐き出す場所が、このゼミなのだと思いますが…?

…学び舎のようなもの、でも勉強するというわけじゃなくて、ほっとする、心のオアシスみたいな、ここにくると安心できる場所…

 一応これが名古屋千年ゼミである、という共通理解なのですが。。
 うーん。どういう集団か、と言われると難しいですね。
 参加している本人からすると、堅いこと考えずに皆でしゃべっているだけです。
 ただ、そのしゃべっている内容が、いつもと深さが違うだけだと思います。

・集団・コミュニティを作るというのは外部との壁をどうするかということ。
 その集団は開かれた集団なのか?閉じられた集団なのか?

 誰でも歓迎!の名古屋千年ゼミは開かれた集団である、と私ははっきり断言できます。が、本当にそうでしょうか?
 初めての方歓迎!最寄り駅まで迎えに行きます!と太字でブログに書くだけで果たして開かれた集団と言えるのでしょうか。
 
 「名古屋千年ゼミはお寺で開催させてもらっています。」
 
 こう書くだけで足が遠のいてしまう人もいるのではないでしょうか?
 また、ゼミという名前だし、議事録もあるし、自分がいきなり参加しても大丈夫なのだろうか?と考える人はもちろんいると思います。
 今回参加してくれた高校の友達も、これに関しては参加前に、少し心配だと相談してくれました。持続可能な社会という言葉にも疑問を感じていたようです。

 集団の性質、人の性格、どちらが作用しているのか微妙なところですが、全ての人にとって開かれた集団というのは、可能なのでしょうか。。
 
 ご住職の高岡さんも「開かれた寺」の実現について日頃から考えていらっしゃるようです。が、やはり開かれた集団をつくるというのは難しいようです。
 高岡さんも、この名古屋千年ゼミを徳林寺で行いたいと私共がうかがった時、利益目的の団体なのではないだろうか?と少し疑問に思ったそうです。始めはブログに書いた紹介文も「わけがわからない」と言われていましたし(今も…?)、本当に集団・コミュニティを新しく作るというのは難しいことだと改めて思いました。
 
 でも足助千年ゼミはなんであんなに上手くいっているのだろう???
 
 またひとつくすぶりの種が増えました。。。


[新興宗教と仏教などの伝統的宗教の違い]
こんなテーマを書くとさらに名古屋千年ゼミが怪しいと思われてしまいそうですが、そもそもなぜその“怪しさ”が出てくるのか?ということから話が始まりました。
ちょっと難しい話でした。主に高岡さんが語ってくださいました。

・宗教の要素とは
 
 開祖
 儀式
 戒律

 これらが揃っているのが宗教と言える。

・新興宗教と伝統的宗教の違い
 
 伝統的宗教では開祖はお亡くなりになっており、その開祖の教えや言葉を子孫や弟子がまとめたものが現在にも伝わり、人々の心のよりどころになっている。
 対して新興宗教では、開祖が現代に存在し、現代にある価値観を否定して、社会と壁を作っている。その上で新しい価値観を与え、現代の価値観に疑問を持つ人々の心によりどころとなっている。
 さて、、 
 
 つまり名古屋千年ゼミではご住職が教祖のようなものなのか?

 このように思われていたら悲しいですが、ご住職は単なる参加者にすぎません。ただ住職という職業上、宗教的な方面の蓄積が多いだけです。
 こういうテーマについて話した、ということを書くのも、もしかしたら誤解を生む原因になっているかもしれません。本当に難しいところです。



そんなことを話しているとき、先に書いた、ご住職の紹介でこのイベントを知ったという方がお見えになりました。
~ここからは議事録2に続きます!~

最新の画像もっと見る

コメントを投稿