ロッテ里崎、前代未聞の熱唱して引退!
「全席完売」当日券無しの看板が海浜幕張駅前に立てられた。
試合開始2時間前からQVCマリンフィールドに長打の列。場外には寄せ書き用の巨大パネルが設置されていてファンの熱いメッセージで真っ黒に埋まっていた。スタンドでは顔写真入りの特製うちわが揺れる。9月28日、里崎智也捕手(38)の引退試合。
試合前オリックスの森脇監督を挨拶に訪れた里崎は申し訳なさそうに言った。
「こんな大事な状況のときにすみません。2打席でちゃちゃっと終わらせますので」
オリックスはソフトバンクとの優勝争いのさなか。そこで引退試合となってしまった里崎らしい気の使い方だった。「1番・DH」でのスタメン出場。16年間で1番以外の打順で本塁打を記録していた。全打順本塁打記録への挑戦を花道にという首脳陣の配慮だった。
マウンドには、ルーキー、吉田一将。1回裏に巡ってきた、その第1打席。「一番…」の場内アナウンスを聞いた途端に「やばかった」という。涙をこらえて半泣きになっているのがわかった。その初球。144キロのボール球のストレートをフルスイングした。思い切ったオープンスタンスから、バットを立てて構える独特のバッティングスタイル。続く変化球はファウルになり、カウント1-2から変化球を見逃した。三振のコール。どうも「当たるも八卦、当たらぬも八卦」が信条の里崎のヤマが外れたようである。
現役最後の打席は、続く二回の二死二塁のチャンス。また里崎は、ファーストストライクからぶん回した。「パワーはイコール筋力」という考えで、シーズンがオフになると徹底的にウエイトトレーニングで筋力をつけてきた。通算108本塁打。“当たれば飛んでいく”というパワーバッティングの源は、ある秋季キャンプでは、技術練習を辞めてまで、費やしたほどのフィジカルトレーニングにある。
最後はワンバウンドになるような落ちるボールを振ってスイングアウト。
里崎の引退試合は、「勝負どころだけで打てればいい」と勝負師の生き方を追求してきた里崎らしいと言えば、らしい連続三振で終わった。
「5月半ぶりの実戦でボールが速く感じた。ずっとファームの室内でマシンを相手に打ってきた。ある意味、それで1軍のボールが打てるかどうかを実験したんだけど打てないことがわかった(笑)。また何かの機会に、これを生かしますよ」
5月に手術した左膝は、90度以上に曲げると痛みが走る。納得のいくトレーニングはやりたくともできない。「朝起きてもう練習しなくていいのかと思えば、少しホッとする」。早すぎるという人もいるが、38歳の肉体は、もう限界だった。
角中、涌井のヒーローインタビューが終わった後に場内が、暗転して行われた里崎の引退セレモニー。花束贈呈の後、マイクを握った里崎のスピーチは、「今日をもってプロ野球選手を卒業します」で始まった。重光オーナーをはじめ、関係各位への感謝の気持ちを言葉にした後、「成瀬さんを始め、投手陣の皆さん、放送席にいる薮田さんを始め、OBの投手の皆様、本当だったらもっといい成績を残せたと思います。僕の力が足りず、その能力を引き出せずにすみませんでした」と、謝罪の意を伝えた。
捕手が投手の力を引き出し育てる。捕手の本当のリードとは単なる配球論ではない。ずっと一人だけ8人の味方の方向を見て野球をやってきた男の強い責任感とリーダーシップが言わせた言葉だったのかもしれない。
「ここからは個人の話になります」と、ベンチへ体の方角を向きなおした里崎は、敬語をやめ、ため口で、熱いメッセージを残した。
「みんなの力と能力を今年は出せていないと思う。もっと頑張れるはずや。成瀬!おれはいなくなるけれど、おまえが、みんなを引っ張っていってくれ」
長い引退スピーチを里崎は、「千葉ロッテマリーンズ!ありがとう!」という絶叫で締めくくった。マイクを置くと、里崎はゆっくりと場内を歩きはじめた。ちょうどライトスタンドの前を差し掛かるときに、一斉に紙吹雪が舞った。3万人の惜別と感謝の気持ちで場内はまるで別世界のように真っ白になった。ファンとタッチをしながら場内をゆっくりと一周した里崎はホームベース前に来ると、しゃがみこみ、ホームベースの上の土を手で払って綺麗にした。キャッチャー一筋。里崎らしいサヨナラの挨拶だった。
引退セレモニーを終えた里崎は、ベンチ裏で、CSテレビの生中継に出演してペン記者の囲み取材を終えると、球場外の正面玄関前に作られていた特設ステージに登場した。里崎の最後のライブパフォーマンスを期待した約5500人のファンでステージ前は膨れ上がっていた。2005年のシーズン、試合後の里崎のライブ歌唱パフォーマンスは、ファンを楽しませる千葉ロッテでしか味わえない名物だった。
「最後は好き勝手やらせてもらうって言っていたでしょう。もう野球選手が野球だけをやっていればいい時代ではない。いろんなことでファンに楽しんでもらうことが大事だと思う。それで一人でも多くのファンに足を運んでもらえれば。だから、これが本当に僕の最後の仕事です」
大歓声を背に里崎は、最初に球団テーマ曲を歌うと、続けて「千葉心つなげよう」というオープニングで球場に流れる歌を時折、音程を外しながら歌った。ステージを降りようとすると、アンコール、そして里崎コールが沸き起こった。里崎は、照れ笑いを浮かべながら、そのアンコールに応えて、SMAPの「ありがとう」を熱唱した。
「次のステージで僕は日本一、世界一を目指します。僕を信じて、皆さんも頑張って欲しい。今日は1日、本当に楽しい時間をありがとう。いつも心に千葉ロッテ愛を持ちながら応援していって欲しい」
それが本当の里崎のラストメッセージだった。
球場内のスクリーンにも熱唱のラストライブが映し出されていて、1万2000人が残って手拍子を送っていた。里崎のユニホームをまとった多くのファンと共にQVCマリンから海浜幕張駅への帰り道を歩く。「いい引退セレモニーだったね」。誰もが興奮気味だった。
駅近くの千葉ロッテの公式ショップにロッテが作った引退試合用のポスターが貼られていた。何人かのファンが、何かを確かめるようにポスターに見入っていた。
強肩、強打、強気
ライブ、満塁打、下克上
日本一、アジア一、世界一
涙、笑顔、大天使
君がいたから、すべてが変わった。
名コピーが書かれていた。
ファンを楽しませてきた幸せな里崎の16年間が凝縮されていた。
(文責・本郷陽一/論スポ、アスリートジャーナル)
(THE PAGE)
ロッテ里崎に見えた「打者の影」独占手記
28日のオリックス戦で現役を引退したロッテ里崎智也捕手(38)が、日刊スポーツに手記を寄せた。実は身につけていたという特殊能力をどのように生かしたのか。その能力はいかにして手に入れたのか。16年間のプロ生活の最後に極意をつづった。
◇ ◇
最後は気持ちよく歌わせてもらった。「伝説のステージ」をやりたいというのは、ずっと考えていたことなので、実現できて最高の気分だった。集まってくれたファンの皆様や、わがままをやらせてくれた球団には、感謝の言葉を言い尽くせない。本当に、ありがとうと伝えたい。
これで16年間のプロ野球人生が終わった。いい野球人生だった。2度の日本一にもなれたし、いっぱいお金を稼ぐこともできた。野球をとったら僕はただの人。こんないい仕事は、他になかったと思う。
捕手として、各チームの強打者と繰り広げた駆け引きには、プロ野球の醍醐味(だいごみ)があった。日本ハムの稲葉さんから「サトのリードはしつこい」と言われたことがある。思えば、どこまで攻められるか、もう少しいけるのか。そう常に考えながらサインを出していた。
プロ野球選手になるような人は、不得意な球でも意識さえしていれば打つ。その意識をどこに持っていかせるかが、打者との駆け引きだった。自分には打席に各選手の影のようなものが見えていた。影は、その選手のスタンダードな打ち方のモーションになっていた。影と実際に打席に入った選手の動きが重なれば、いつもと同じ。でも、少し肩が入っているとか、逆に体が開いてるとか、影とのズレを見ることで、わずかな変化に気がつくことができた。打者の意識がどこにあるのか探るのに、大いに役立った。サインを出す根拠にもなった。
若い頃、福浦さんからビデオの見方を教わったのが大きかった。テレビを2画面にして、画面に映ったフォームの特徴が出ているところにテープを貼ってマークした。それで、違いを見られるようになっていった。最初は「ん? なんか違うな」と思って確認する作業が多かった。そのうちに影が見えてきた。試合中も大塚さんとタッグを組んで、よく相手投手を見た。確認を繰り返しながらクセを探した。
よく「口が立つ」と言われる。でも昔は寡黙な少年だった。小、中、高校と主将を務めたが、黙って引っ張るタイプ。そんな自分を変えたのは、たぶん東京だ。徳島と違って東京という街は自己主張をしないと押しつぶされてしまうところだった。のし上がるため、有言実行を貫くようになった。発言することで自分を追い込んで、やってきた。それが里崎智也という野球選手をつくる元になった。
だれよりも自分を信じ抜いてやった。野球は自信をくれた。口だけの選手にはなりたくなかったから、なるべくボールを後ろにそらさないよう努力したし、投手から何か聞かれれば、しっかり返せるように準備した。ここでもわずかな変化に気が付けることが役立った。試合後、2時間ぐらいビデオを見て、大抵のことを頭に入れていた。先輩、後輩の関係なく、口うるさく言った。煙たかったかもしれない。でも、自分にとっても、嫌われるかもしれないことを言うのは、辛いことだった。
だから、口うるさくしてきた後輩たちから「引退試合、見に行きます」って言ってもらった時はうれしかった。やってきたことも無駄ではなかった。ちゃんと受け止めてくれていたんだなと思った。仲間にも恵まれていたことに、あらためて気付かされた。
ファンの皆様にはお礼を言いたい。あれは05年のプレーオフ第5戦でのこと。第3戦で4点差を追いつかれた小林雅さんをマウンドで待ち受けていた。不安で仕方がなかった。でもスタンドを見たら「I believe」と書いたボードが掲げられていた。あれで迷いが消えた。試合に勝てたのは皆様のおかげ。奮い立たせてくれる、すごい力を感じた。自分は引退したが、これからも変わらずロッテを支えて欲しい。そう切に願っている。(ロッテ捕手)
(日刊)
「全席完売」当日券無しの看板が海浜幕張駅前に立てられた。
試合開始2時間前からQVCマリンフィールドに長打の列。場外には寄せ書き用の巨大パネルが設置されていてファンの熱いメッセージで真っ黒に埋まっていた。スタンドでは顔写真入りの特製うちわが揺れる。9月28日、里崎智也捕手(38)の引退試合。
試合前オリックスの森脇監督を挨拶に訪れた里崎は申し訳なさそうに言った。
「こんな大事な状況のときにすみません。2打席でちゃちゃっと終わらせますので」
オリックスはソフトバンクとの優勝争いのさなか。そこで引退試合となってしまった里崎らしい気の使い方だった。「1番・DH」でのスタメン出場。16年間で1番以外の打順で本塁打を記録していた。全打順本塁打記録への挑戦を花道にという首脳陣の配慮だった。
マウンドには、ルーキー、吉田一将。1回裏に巡ってきた、その第1打席。「一番…」の場内アナウンスを聞いた途端に「やばかった」という。涙をこらえて半泣きになっているのがわかった。その初球。144キロのボール球のストレートをフルスイングした。思い切ったオープンスタンスから、バットを立てて構える独特のバッティングスタイル。続く変化球はファウルになり、カウント1-2から変化球を見逃した。三振のコール。どうも「当たるも八卦、当たらぬも八卦」が信条の里崎のヤマが外れたようである。
現役最後の打席は、続く二回の二死二塁のチャンス。また里崎は、ファーストストライクからぶん回した。「パワーはイコール筋力」という考えで、シーズンがオフになると徹底的にウエイトトレーニングで筋力をつけてきた。通算108本塁打。“当たれば飛んでいく”というパワーバッティングの源は、ある秋季キャンプでは、技術練習を辞めてまで、費やしたほどのフィジカルトレーニングにある。
最後はワンバウンドになるような落ちるボールを振ってスイングアウト。
里崎の引退試合は、「勝負どころだけで打てればいい」と勝負師の生き方を追求してきた里崎らしいと言えば、らしい連続三振で終わった。
「5月半ぶりの実戦でボールが速く感じた。ずっとファームの室内でマシンを相手に打ってきた。ある意味、それで1軍のボールが打てるかどうかを実験したんだけど打てないことがわかった(笑)。また何かの機会に、これを生かしますよ」
5月に手術した左膝は、90度以上に曲げると痛みが走る。納得のいくトレーニングはやりたくともできない。「朝起きてもう練習しなくていいのかと思えば、少しホッとする」。早すぎるという人もいるが、38歳の肉体は、もう限界だった。
角中、涌井のヒーローインタビューが終わった後に場内が、暗転して行われた里崎の引退セレモニー。花束贈呈の後、マイクを握った里崎のスピーチは、「今日をもってプロ野球選手を卒業します」で始まった。重光オーナーをはじめ、関係各位への感謝の気持ちを言葉にした後、「成瀬さんを始め、投手陣の皆さん、放送席にいる薮田さんを始め、OBの投手の皆様、本当だったらもっといい成績を残せたと思います。僕の力が足りず、その能力を引き出せずにすみませんでした」と、謝罪の意を伝えた。
捕手が投手の力を引き出し育てる。捕手の本当のリードとは単なる配球論ではない。ずっと一人だけ8人の味方の方向を見て野球をやってきた男の強い責任感とリーダーシップが言わせた言葉だったのかもしれない。
「ここからは個人の話になります」と、ベンチへ体の方角を向きなおした里崎は、敬語をやめ、ため口で、熱いメッセージを残した。
「みんなの力と能力を今年は出せていないと思う。もっと頑張れるはずや。成瀬!おれはいなくなるけれど、おまえが、みんなを引っ張っていってくれ」
長い引退スピーチを里崎は、「千葉ロッテマリーンズ!ありがとう!」という絶叫で締めくくった。マイクを置くと、里崎はゆっくりと場内を歩きはじめた。ちょうどライトスタンドの前を差し掛かるときに、一斉に紙吹雪が舞った。3万人の惜別と感謝の気持ちで場内はまるで別世界のように真っ白になった。ファンとタッチをしながら場内をゆっくりと一周した里崎はホームベース前に来ると、しゃがみこみ、ホームベースの上の土を手で払って綺麗にした。キャッチャー一筋。里崎らしいサヨナラの挨拶だった。
引退セレモニーを終えた里崎は、ベンチ裏で、CSテレビの生中継に出演してペン記者の囲み取材を終えると、球場外の正面玄関前に作られていた特設ステージに登場した。里崎の最後のライブパフォーマンスを期待した約5500人のファンでステージ前は膨れ上がっていた。2005年のシーズン、試合後の里崎のライブ歌唱パフォーマンスは、ファンを楽しませる千葉ロッテでしか味わえない名物だった。
「最後は好き勝手やらせてもらうって言っていたでしょう。もう野球選手が野球だけをやっていればいい時代ではない。いろんなことでファンに楽しんでもらうことが大事だと思う。それで一人でも多くのファンに足を運んでもらえれば。だから、これが本当に僕の最後の仕事です」
大歓声を背に里崎は、最初に球団テーマ曲を歌うと、続けて「千葉心つなげよう」というオープニングで球場に流れる歌を時折、音程を外しながら歌った。ステージを降りようとすると、アンコール、そして里崎コールが沸き起こった。里崎は、照れ笑いを浮かべながら、そのアンコールに応えて、SMAPの「ありがとう」を熱唱した。
「次のステージで僕は日本一、世界一を目指します。僕を信じて、皆さんも頑張って欲しい。今日は1日、本当に楽しい時間をありがとう。いつも心に千葉ロッテ愛を持ちながら応援していって欲しい」
それが本当の里崎のラストメッセージだった。
球場内のスクリーンにも熱唱のラストライブが映し出されていて、1万2000人が残って手拍子を送っていた。里崎のユニホームをまとった多くのファンと共にQVCマリンから海浜幕張駅への帰り道を歩く。「いい引退セレモニーだったね」。誰もが興奮気味だった。
駅近くの千葉ロッテの公式ショップにロッテが作った引退試合用のポスターが貼られていた。何人かのファンが、何かを確かめるようにポスターに見入っていた。
強肩、強打、強気
ライブ、満塁打、下克上
日本一、アジア一、世界一
涙、笑顔、大天使
君がいたから、すべてが変わった。
名コピーが書かれていた。
ファンを楽しませてきた幸せな里崎の16年間が凝縮されていた。
(文責・本郷陽一/論スポ、アスリートジャーナル)
(THE PAGE)
ロッテ里崎に見えた「打者の影」独占手記
28日のオリックス戦で現役を引退したロッテ里崎智也捕手(38)が、日刊スポーツに手記を寄せた。実は身につけていたという特殊能力をどのように生かしたのか。その能力はいかにして手に入れたのか。16年間のプロ生活の最後に極意をつづった。
◇ ◇
最後は気持ちよく歌わせてもらった。「伝説のステージ」をやりたいというのは、ずっと考えていたことなので、実現できて最高の気分だった。集まってくれたファンの皆様や、わがままをやらせてくれた球団には、感謝の言葉を言い尽くせない。本当に、ありがとうと伝えたい。
これで16年間のプロ野球人生が終わった。いい野球人生だった。2度の日本一にもなれたし、いっぱいお金を稼ぐこともできた。野球をとったら僕はただの人。こんないい仕事は、他になかったと思う。
捕手として、各チームの強打者と繰り広げた駆け引きには、プロ野球の醍醐味(だいごみ)があった。日本ハムの稲葉さんから「サトのリードはしつこい」と言われたことがある。思えば、どこまで攻められるか、もう少しいけるのか。そう常に考えながらサインを出していた。
プロ野球選手になるような人は、不得意な球でも意識さえしていれば打つ。その意識をどこに持っていかせるかが、打者との駆け引きだった。自分には打席に各選手の影のようなものが見えていた。影は、その選手のスタンダードな打ち方のモーションになっていた。影と実際に打席に入った選手の動きが重なれば、いつもと同じ。でも、少し肩が入っているとか、逆に体が開いてるとか、影とのズレを見ることで、わずかな変化に気がつくことができた。打者の意識がどこにあるのか探るのに、大いに役立った。サインを出す根拠にもなった。
若い頃、福浦さんからビデオの見方を教わったのが大きかった。テレビを2画面にして、画面に映ったフォームの特徴が出ているところにテープを貼ってマークした。それで、違いを見られるようになっていった。最初は「ん? なんか違うな」と思って確認する作業が多かった。そのうちに影が見えてきた。試合中も大塚さんとタッグを組んで、よく相手投手を見た。確認を繰り返しながらクセを探した。
よく「口が立つ」と言われる。でも昔は寡黙な少年だった。小、中、高校と主将を務めたが、黙って引っ張るタイプ。そんな自分を変えたのは、たぶん東京だ。徳島と違って東京という街は自己主張をしないと押しつぶされてしまうところだった。のし上がるため、有言実行を貫くようになった。発言することで自分を追い込んで、やってきた。それが里崎智也という野球選手をつくる元になった。
だれよりも自分を信じ抜いてやった。野球は自信をくれた。口だけの選手にはなりたくなかったから、なるべくボールを後ろにそらさないよう努力したし、投手から何か聞かれれば、しっかり返せるように準備した。ここでもわずかな変化に気が付けることが役立った。試合後、2時間ぐらいビデオを見て、大抵のことを頭に入れていた。先輩、後輩の関係なく、口うるさく言った。煙たかったかもしれない。でも、自分にとっても、嫌われるかもしれないことを言うのは、辛いことだった。
だから、口うるさくしてきた後輩たちから「引退試合、見に行きます」って言ってもらった時はうれしかった。やってきたことも無駄ではなかった。ちゃんと受け止めてくれていたんだなと思った。仲間にも恵まれていたことに、あらためて気付かされた。
ファンの皆様にはお礼を言いたい。あれは05年のプレーオフ第5戦でのこと。第3戦で4点差を追いつかれた小林雅さんをマウンドで待ち受けていた。不安で仕方がなかった。でもスタンドを見たら「I believe」と書いたボードが掲げられていた。あれで迷いが消えた。試合に勝てたのは皆様のおかげ。奮い立たせてくれる、すごい力を感じた。自分は引退したが、これからも変わらずロッテを支えて欲しい。そう切に願っている。(ロッテ捕手)
(日刊)
サトのスピーチも心がこもったいいものでした。
最後にホームベースに手をそえたときには、もー涙が止まりませんでした。
何もかも前代未聞!
こんな選手はしばらく出てこないだろうなぁ。。。
サト同様に、ファンもまた泣いて笑って…
本当に温かくて優しくて素晴らしい一日でしたねo(;∇;)o
サトが、いろんな方への謝罪の言葉を語った、最後の挨拶。。。
サト~、謝ることなんて何にもないよ~~(ノД;)…と思いながらも、
いつも強気と自信に溢れて見えたサトの本心は、
常に悩みや苦しみでいっぱいだったんだな~…としみじみ感じて、また涙。。。(TTTДTTT)
紙吹雪は正直、ライトスタンドで投げまくっていたので、サトの姿どころか、紙吹雪以外何も見えませんでしたが(笑)
サトに喜んでもらえて、本当に良かったな~o(〃ー〃)o
(後でちゃんと映像も見ましたよ~!!とってもキレイでしたね♪)
サトがいない寂しさは、これからジワジワと、いろんな面で切実に感じてくるのかもしれません。
だけどサトが残してくれた想いえをしっかり繋いで、
サトの予言(笑)に応えられるように、来季はゴールデンイヤーにできるといいですねo(^∇^)o