思いつくまま!

思いつくまま写真や絵やコメント

カンツバキ咲く

2013-01-10 20:14:45 | パソコン
たいていの花は、暖かになると、咲くものが多い。なのに、サザンカやヒイラギ、ストロベリーツリーなどは、寒くなると咲きだす。そういう性質といえば、性質なのだが、不思議と言えば不思議。全ての生物が、地球から何億年もかけて、進化というか、変化してきたらしいが、植物でさえ、住みわけしてるのだろうか。動物などは、同じ種でも生き残るために、食べ物を変えたり、住み分けたりするらしいので。
 花が咲く植物が出現したのは、恐竜の大絶滅以後だというのだから、(恐竜はシダ類は見ていたらしいが、花は見ていないらしい。)
 たった7千万年前からのことである。生物が陸に上がったのは4億年前らしい。花が咲きだすのはかなり後。
 人類はもっと後。なので、いろいろに、進化したり、変化した花を、四季をつうじて見ることができるのだと、つくづく思う。
 冬の寒空に、カンツバキの赤い花は、ポッと灯がともったような暖かさがある。たいていの花がよく咲いて、1っ月。(長いのもあるが・・センニチコウやマリーゴールド、スミレなど)カンツバキは今年は1月になってから咲きだしたが、(いつもは12月中頃から咲く)3月ごろまで、次々咲く。しかも、日陰でも、よく咲く。街路樹に植えてあるものも、かなり、切りつめられているのに、いっぱい、花をつける。
 強い木だといつも、かんしんする。



 

まだ残るビラカンサス

2013-01-08 20:33:51 | パソコン
今年は食べるものが沢山あるのか、あちこちのビラカンサスが鮮やかな朱色の実をつけたままである。去年の今頃は、となりの実もなかったと思う。通りかかった道際に実がなっていたので写した。クリスマスホーリーの実も、それだけ見れば、結構赤いが、遠目で見ると、ビラカンサスの方がパッと目に入る。彩度がたかいというのか・・・

 犬の散歩中、隣の字の電線に尾を上下する鳥がとまっていたので、写したが、夕方だったので、お腹のいろがよくわからないので、セキレイかモズか言いきれないが、セキレイはややお腹が白っぽいので、これはモズかなと思うが?????セキレイは店の駐車場や、道路にもよく見かけることができる。モズは、あの洗濯干し以来、我が家の近くではお目にかかったことが無い。

 その近くに、ムクドリだろうか。スズメよりはややふっくらした鳥が、それこそ音符のごとく、止まっていた。ここらには、スズメもよく止まっている。



 
 

春の七草

2013-01-07 11:47:46 | パソコン
このごろ、店頭で春の七草セットを売っているのを見かける。小さい大根やカブが入っているので、そのことに感心する。子供のころから、春の七草とはよく聞くが、さりとて、それらの入ったおかゆというのを食べたことがない。
 ハコベは柔らかそうで食べれそうであるが、ナズナやゴギョウという、母子草は、どうも、食べる気がしない。セリはかつては、おひたし等で食べたものだが、今は、溝にも生えていない。生えていたとしても、かつて少し排水溝に生えていたが、どうも、食べる気がしない。
 犬の散歩がてら、七草のうち幾つ見つかるかと思ったが、一番よく目に付いたのが、ハコベ。もう、花をさかせていた。ナズナもはなが咲いていた。



七草のホトケノザというのは、コオニタビラコというものらしく、これは殆どみられない。
 見つけたのは、ホトケノザという方のもの。紫の花を付けているのにであった。

 セリは、前述のように、今は殆ど溝にない。休耕田があるが、ヨシは生えても、そこにも殆どはえていない。ハハコグサは地面にへばりつくようにあった。が、写しぞこねた。カブラやダイコンは畑や店やにもよく見かける。
 冬でも、よくはえているのは、スイバである。これはニワトリのエサにしたものだ。茎をかんで汁を楽しんだものだから、食べれるのではないかと思う。が、春の七草を制定したころには、無かったのかもしれない、と勝手に思っている。
 

センダンの実

2013-01-03 12:18:04 | パソコン
枯れ野原の河川敷に多く見られるのは、実を付けたセンダンの木。この木が屋敷内にある所はみうけない。たまたま、堤防の河原側の横に建っている家の後ろ側にセンダンの実がなっているのを見た。たいてい、遠くの方に見るが、これは、結構ちかくに見えた。ヒヨドリだろうか、枝にとまっていた。この実が、春ごろまで結構のこっていることが多い。鳥にとってあまり、美味しくないのかもしれない。しかし、見た目は生け花につかえそうであるが、この実が正月の花になっているのを見たことが無い。
 ナンキンハゼの白い実をつけた枝が、今年は花やの店先においてあるのをあちこちで見た。何でも、商品になるということである。骨董品がたしかにそう言える。先日、近くに、弘法さんがあるのに、わざわざ、(本音はバスツアーが安かったので)東寺の終い弘法に出かけた時、古ぼけた小さな鉄鍋を若い女性が買い求めようと値を聞いたら「4千円」という返事がもどってきた。あれでも、売れる?らしい。有田焼の皿など、かつては、何処のうちでも、家で冠婚葬祭をおこなったので、何セットもあるのが当然だったが、どこも新しい食器にかえて、殆どの家にはのこっていないだろう。何が、価値あるものにかわるか分らないものだ。