★ MyuのGolf Life ★

アベレージゴルファーからステップUP目指し頑張っています。
※記事、リコメが反映されない場合が多いので更新願います。

さよなら

2008年12月11日 19時12分21秒 | 日常


久しぶりのブログの更新です。

先週の土曜日12月6日、
午後1時20分に祖母が天に召されました。

今年の6月に入院し、一時は退院まであと僅か・・と
いうところまで快復傾向もあったのですが
年齢が年齢だけに日々様態も変化し、
先月トイレに行く際に転倒してしまい
大腿部を骨折してしまってから、殆ど寝たきりの状態になってしまい
それでも数回はリハビリをする
体調の良い時もあったのですが

亡くなる3日くらい前から意識が朦朧とし始め、
食事も点滴のみになってしまいました。

土曜日、お昼前に仕事の最中に母から電話があり
「病院からばあちゃんの呼吸がおかしいって連絡が着た」との一報で
弟と仕事場から病院に駆け付けたところ、
酸素マスクをし目はうつろで、一生懸命呼吸をしている祖母がいました。

それでも私達が耳元で「おばあちゃん!!」と
話しかけると少しだけ目が大きく開くような表情も見せ
口では何かと訴えているような動きも見せていました。

しかし、すでに血圧も測れないほどの容体。
後は祖母の生命力次第。
もう時間の問題であることは素人の私にも解りました。

そんな状態の中、ドクターに母とワタシが呼ばれ
最後の同意書、延命処置はしないという文書に
署名捺印をし終わった直後
祖母を見守っていた弟が「呼吸が止まった」と呼びに来て
そのままドクターが呼吸と心臓の鼓動、瞳孔などを確認し
午後1時20分に「ご臨終です」と告げられました。

家族全員に見守られ、最期は本当に眠るように息を引き取りました。
その顔はとても安からで、まったく苦しまずスッーと逝ったようでした。
すぐに点滴や酸素マスクを外され楽になったと思います。

段取りがつくまで、祖母はしばらくベッドに寝かされていましたが
本当にただ寝ている顔にしか見えませんでした。

窓側のベッドだったので、カーテンを全開にし
よくお見舞いに行くと祖母が、今日は天気が良いのか雨なのか?を
何度も聞いていたので
「おばあちゃん、今日はとっても良いお天気だよ」と
午後の陽ざしを祖母の顔にあててあげました。

祖母が最期に見たであろう病室からの風景です。

その時、白い雲の間に突然、山のような雲?が現れました。
まるで祖父が天国から祖母を迎えに来たように感じてしまった私。

その後、ずっと帰りたがっていた自宅に祖母を連れて帰り
部屋に寝かせ、葬儀の日程の関係もあり
2晩自宅に祖母を安置しました。

出来れば・・・・
元気になった祖母を自宅に連れ帰ってあげたかった・・・

でも、ずっと帰りたがっていた祖母を
2晩家に泊まらせることが出来たのは良かったかな・・と。

通夜が月曜日に決まり、日曜日は夕食は家族が集まり
祖母と一緒に最後の晩賛をし、思いで話や
これまでの祖母の事を話しながらの会食となりました。

共働きの両親に代わり、親代わりだった祖母への思いは
私も弟もとても感慨深いものです。

子供の頃から、反抗期、そして独立まで・・・・
あれこれ思い出が次々と甦って来ては、
改めて祖母が亡くなってしまった現実を
認めなくてはならないのは悲しかったですね。

******************

通夜、告別式と滞りなく終了し祖母は小さな骨壷に入り、
再度自宅に戻りました。

荼毘にふされる最期は祖母が大好きだった花に包まれ、
キレイにお化粧もして貰い
それは本当に綺麗な旅立ち姿でした。

ワタシはこれまでの思い出と
謝罪出来なかった色々なお詫びを
手紙にしたため御棺に入れました。


大好きなおばあちゃん、今まで有難う。
おばあちゃんの孫で生まれてきて私は本当に幸せでした。

今頃、祖父、そして祖母が若い頃に先に逝ってしまった
長女と再会している事と思います。

どうぞ、安らかにと願うばかりです。