昨日の「究極の錬金術―古代の奥義書・ウパニシャッドを語る」よりに続きがありました。
今まではこれは心理学者にとっては既成の事実だ。
言葉とは何かを語るためではなく
何かを隠すためにある。
我々が喋り続けるのは、何かを隠したいからだ。
もしあなたが何かを隠したければ、静かではいられない。
というのも、あなたの顔が表現してしまうかもしれない。
あなたの静けさが暗示してしまうかもしれない。
話している相手が「あなたが何か隠している」と疑いを抱くかもしれない。
だから何かを隠さなければならない人は、ずっと喋り続けている。
言葉で人をだますことはできても、沈黙ではだませない。
ウパニシャッドには、真に伝えるべき何かがある。
それらは種の形で、経文の中に、警句の中に、表現されている。
このウパニシャッドはたった十七の経文しかない。
それらは半ページに書くことができる。
一枚の葉書に、このウパニシャッド全てを書くことができる―
しかも片面に!
でも、実に潜在力のあるメッセージだ。
だから、私達は一つ一つの言葉を取り上げながら、その言葉の核心に
迫り、それに生きた呼応をもって挑みたいと思う。
それによって、何かがあなたの中に響き始めるかもしれない。
それが響き始めるのは、これらの言葉が大変な潜在力があり、
多くのことが含まれているからだ。
もしそれらの言葉の原子が破壊されなければ、大変なエネルギーが解き放たれる。
だからオープンで、受容的で、深い信頼の中に在ること。
そして、ウパニシャッドがなすがままにさせることだ。
・・・ウパニシャッドってナニモノ??って感じなんですが(^^;)、、なかなか解放力のある文章ですな。。
今まではこれは心理学者にとっては既成の事実だ。
言葉とは何かを語るためではなく
何かを隠すためにある。
我々が喋り続けるのは、何かを隠したいからだ。
もしあなたが何かを隠したければ、静かではいられない。
というのも、あなたの顔が表現してしまうかもしれない。
あなたの静けさが暗示してしまうかもしれない。
話している相手が「あなたが何か隠している」と疑いを抱くかもしれない。
だから何かを隠さなければならない人は、ずっと喋り続けている。
言葉で人をだますことはできても、沈黙ではだませない。
ウパニシャッドには、真に伝えるべき何かがある。
それらは種の形で、経文の中に、警句の中に、表現されている。
このウパニシャッドはたった十七の経文しかない。
それらは半ページに書くことができる。
一枚の葉書に、このウパニシャッド全てを書くことができる―
しかも片面に!
でも、実に潜在力のあるメッセージだ。
だから、私達は一つ一つの言葉を取り上げながら、その言葉の核心に
迫り、それに生きた呼応をもって挑みたいと思う。
それによって、何かがあなたの中に響き始めるかもしれない。
それが響き始めるのは、これらの言葉が大変な潜在力があり、
多くのことが含まれているからだ。
もしそれらの言葉の原子が破壊されなければ、大変なエネルギーが解き放たれる。
だからオープンで、受容的で、深い信頼の中に在ること。
そして、ウパニシャッドがなすがままにさせることだ。
・・・ウパニシャッドってナニモノ??って感じなんですが(^^;)、、なかなか解放力のある文章ですな。。
日常の雑多の中ではあまり考える余裕はありませんが、時には静寂の中で、自分自身を見つめる時間があるといいですね。。
玄米みたいに、多くの栄養が詰まっているのかも知れない。一度読んだだけで、なにか惹かれるものがあるものね。これからもいろいろ教えてね