My Feeling Diary

気まぐれ主婦が気侭に綴る、日常的「五感」日記。。時には「第六感」も・・・!?

霊的生活の本質

2005-01-24 00:53:04 | ★Love&Peace
私が“シャーマニズム”や“意識変容効果を齎す植物”を探求しようと思ったのは、勿論、自身がリーディング能力の向上を求めていた為でもあるが、最もその思いを強めたのは、丁度昨年の今の時期、私はある知人の「死」を経験した。それは、その人の家族や周りの人がとても悲しむ事故だった。
人間の感情としては、耐え難い痛みであり、壮絶な亡くなり方をされた場合は、その痛みを何年も引き摺る事になろう・・・。もし故人が、自分の死を悼んでいる家族の様子を観ていたとしたら・・・どうだろう?私だったら“もう、そんなに悲しむのはやめてくれ!”と言うだろう。
“最も壮絶な死”とは、どういうものだろうか・・・“自分の車の運転ミスで、誤って我が子を轢いてしまった”“親がギャンブル等に夢中になっている間に、子供が外へ飛び出して事故に遭い、死んでしまった”等・・・あまりにも悲劇的である。そのような事故の場合、本人は自責の念に駆られ、一生辛い思いをするだろうし、周囲の人から中傷されたりする事もあるだろう。

本来、“癒し”とは何か!?癒しとは・・・時には壮絶なものだ。人間にとって究極の癒しとは、「死である」と言った人がいた。死ぬ過程において、人は究極の癒しを体験するのだ・・・と。

この世で自分にとって最も大切な人、愛すべき人を失い、哀しみに眩れている人がいる。亡くなった人の意識・・・もうそれは個としては、存在しないかもしれない・・・もっと大きな融合体になっているのかもしれないけれど、そのような意識の深いところから、癒しの手が差し伸べられたとしたら、それはその人にとって、きっと何よりの慰めになるであろう・・・。

“聖なる植物”としてシャーマンが用いる植物等によって、実際に意識に変容が齎されると、時と場合によっては、私達の存在する“人間界”というテリトリーを、オルタナティブな視点から捉えたり、知覚する事が可能となる。人間という存在、人間が住んでいる地球という存在・・・それを、通常の意識とは異なる“もうひとつの開かれた眼”から、客観的に見つめる事によって、私達が普段感じている人間としての感情の枠組みを、解き放つ事が出来る・・・。シャーマンは、聖なる植物を用いる儀式等を通して、普段から「死」というものを疑似体験する事により、「死」に対する抵抗力をつけているようにも思える。

今の私にとって、真の霊的生活とは・・・なるべく自然に近い環境に身を置いて生活し、自然の叡智、恩恵を蒙りながら、家族仲良く平和な地域社会で暮らす事かなぁ~?と思う。私達の生活が、常に自然や愛に満ちたものであるのならば、きっと「死」という大きな悲しみさえも包容し、癒していく力を、自然(=神)から与えられる事だろう。
 

(KIN:181 赤い水晶の竜/存在を普遍化する)