朝鮮について知りたい

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朝鮮の2012年vol.2

2012年01月12日 | 現代朝鮮、朝鮮半島
労働新聞、青年前衛、朝鮮人民軍の3紙は共同社説にて、「偉大な金正日総書記の遺訓を守り、2012年を強盛復興の全盛期が開かれる誇らしい勝利の年と輝かそう!」というスローガンを掲げました。
共同社説は総書記の遺訓を最後まで守り、実現するという遺訓貫徹の思想で一貫されています。まさに、金日成民族、金正日朝鮮の行く先は寸分のブレも、迷いもありません。

昨今、日本メディアは金正恩副委員長に対し、「能力、経験不足」や、「クーデターの可能性」などといった悪意のこもった推論を社説や論説、主張などに織り込んでいます。「3・3・3説」の破綻に対して、何の総括もされないまま相も変わらず、「北朝鮮崩壊論」、「開放論」などを掲げていますが、共同社説を含め、最近の「労働新聞」、「民主朝鮮」などの記事を見る限り、そのような不安要素は見つかりません。さすがに、「崩壊論」をこれまで堂々と唱えてきた某大学の教授などは、「いきなり、簡単に崩壊するとは思えない」などと自己弁護していますが、それもそのはず。一度あなたの推論は外れているのだから。

彼(彼女)らの推論が当たらないのは、ひとえに、朝鮮という国家を、見るにあたって、現代朝鮮政策の原点となり、朝鮮の指導理念である、チュチェ思想を知らないことにあります。もちろん、「専門家」たちはチュチェ思想に対する、部分的な理論構造についての知識は持ちあわせているかも知れません。しかし、朝鮮の指導理念であるチュチェ思想は残念ながら、学問領域における狭義の哲学だけを指すものでは決してありません。朝鮮の政治、国家施策、政策、経済、文化、軍事など全ての部門における方法論を導き出す、人民中心の方法論であり、その体系です。この体系を「金日成主義」として定式化したところに、総書記の偉大な思想理論的功績があるのですが、それはここでは展開しないでおきましょう。

人民観を持ち合わせてないどころか、誰が人民で、誰が不当な支配者なのかの分別もつけられない「識者」が人民大衆中心の社会主義国家、朝鮮の未来を勘案できるはずがありません。労働階級を中心とした人民大衆の「自主」という概念なしに、階級観点の欠けた「抽象的個人の人権」という資本擁護型の論理を持って、朝鮮の正しい未来像は導き出せないのです。あくまで、敵国の論客としての「希望的観測」でしかありません。その指摘はこれから、朝鮮において人民生活を飛躍的に発展させる際、一つの参考とはなりえますが、彼らにそのような「善意」がないことが判明された今、それらの提言を手本とする意味も意義もないでしょう。


さて、朝鮮の2012年はどういう年になるのでしょうか。

ここではまず、昨年2011年に金正日総書記の指揮のもと、朝鮮でいかなる変化があったのかを見ることにします。
3紙共同社説は、2011年を「強盛国家建設において、大革新、大飛躍が起こった勝利の年」と総括しています。

共同社説は2011年の成果を大きく3つに分け、展開しています。

一つは、人民生活向上を目指し21世紀型の経済大国に向かう強力な土台を築いたということ。
二つ目は、国家の全般的な風貌(ここでは平壌市を含めた都市建設、文化建設をさす)が強盛国家の名に相応しく一新されているということ。
三つ目は、社会主義建設を寸分のブレもなく、最後までやり抜くという、軍民一体、一心団結の伝統がより強固なものとして築かれたということ。

この総括を見ても明らかなように、朝鮮の国家戦略は、苦難を乗り越え総力を人民生活へと集中し、その発展の担保となる主体の強化(人民大衆の高い水準での意識化、組織化)がより強く、より厳然と変貌していっていることがわかります。

経済大国に向かう強力な土台とはいったい何を指すのか?ここでは、朝鮮が経済に対するどのようなプランを立て邁進しているのか、そして、その現住所はどこなのか、という問題を指摘することが大事だと思われます。

朝鮮は2007年11月に行われた全国知識人大会において、はじめて公式的に「強盛大国の大門」という目標を掲げました。それが2008年の共同社説で定式化され、1年間の経済構造変化の準備のあと、金正日総書記による千里馬製鋼連合企業所にたいする現地指導が12月24日に行われます。この一年の間、フィチョンにあるリョナ機械工場にてCNC技術が開発され、最先端技術の導入がはじまっています。
2009年には朝鮮で「変」が起こり、その表現を「人民の理想が実現されていった年」と変えたあと、2010年、2011年には全ての成果が軽工業と農業に発揮され、人民生活が画期的に向上するよう促されました。

2008年、「強盛大国の大門を開く」ということを明示した時、朝鮮が目指したものはなんだったのか。

それは、新しい産業構造、経済構造を作るということです。専門用語でいえば、人民経済のチュチェ化、現代化、科学化を高い段階で実現するということです。この言葉は朝鮮において一貫して使われてきた言葉だったのですが、これらの理想、政策を実践段階に移そうというものが「大門」だということが出来ます。

そもそも、経済発展モデルのタイプは大きく二つに分かれます。
 
 一つは、労働集約型。これは、イメージとしては、人々の労働力を大々的に導入し商品生産を増やすことによって、安価での輸出を可能にし、外貨を稼ぎ、経済発展の土台を作る方式です。この方式はおもに、発展途上国の国々で採用されており、戦後の日本や南朝鮮、東南アジアなどをその例として挙げることができます。
 二つ目は、技術集約型です。これは高い産業技術の導入により、労働における人々の負担を軽減し、最先端技術を搭載した質の高い商品を生産することで経済を発展させる方式であり、主に、先進国の経済発展モデルとして採用されています。

このような経済発展モデルのうち、どちらかというと、発展途上国に位置する朝鮮が選択したのは、技術集約型でした。それも確固とした自信に裏打ちされて提起されました。

2009年、最高人民会議第12期第1次会議で、キムヨンイル総理は自身の宣誓にて、朝鮮の経済的構造を技術集約型に変革する旨を提起しました。前年、「大門」構想が提起され、一年の準備期間ののちに、経済部門にて責任ある部署にいる総理の発言は、実はものすごく着目されてもいい発言です。まだまだ経済的土台(資金、資源、技術など)が整備されていなかった状況において、これからどのような状況におかれても、自力で立つことのできる経済的構造を作るという宣言は大変価値あるものでした。このようなことから、「強盛大国の大門」とは、経済部門においては、「経済を技術集約型に移行できる土台」「自力で立つことのできる経済的土台の構築」、と解釈することができます。このような土台を構築したうえで、実質的な人民生活において画期的な発展を促すシステム構築、これが「大門」の正体です。

先のブログにて、朝鮮を見るにあたっての一つのキーを国家予算としました。朝鮮の最高生産年度を1989年とし、その当時の予算を100と見るならば、2011年(これは予算であり、収支結果ではないのですが)130となりました。これは、純粋に国家予算だけで見るならば、一番高かった1994年の数値よりも高いものです。

このような成果を生み出せた要因は何なのか。それが、「新世紀産業革命」とも呼ばれる技術発展であり、「ハンナムの灯火」と呼ばれる時代精神であり、農業における一定の成果だと言えます。
人民経済のチュチェ化、現代化、科学化。これは金日成主席の遺訓でもあり、朝鮮が一貫して進めてきた経済路線でした。

自身の国が持つ原料と燃料をもって生産できるものは生産する。それを基本にしながら輸入するものは輸入する。これがチュチェ化です。このモデルがチュチェ鉄であり、チュチェ繊維であり、チュチェタイル、チュチェ肥料です。

特に、チュチェ繊維、ビナロンはもともと生地などの加工品に向かないと言われてきたのですが、ビナロンを使って糸や生地、靴などその他軽工業に応用できるシステムが2011年に構築されています。
電気問題にしてもそうです。朝鮮にある山川を利用し中小型の水力発電所を設け、無尽蔵にある石炭を利用した火力発電と水力発電を基軸にしたうえで、太陽光や原油を利用する電気生産を促すことが眼目あります。平壌を含め朝鮮の西海岸における電気事情を解決するための重要な供給基地であり、「フィチョン速度」を生み出したフィチョン発電所では、最終段階工事が終わり、2012年4月14日の午後8時に初の電気を送る準備が整っているとの情報もあります。

長いあいだ、朝鮮が抱えてきた肥料の問題も解決される見通しが立ちました。2000年6.15以降、南からたくさんの化学肥料を援助され、その代価として鉱物や資源を渡し、民族共同の利益を得てきた南北交易はリミョンバク政権によって閉ざされました。軽質ナフサと呼ばれる原油加工物を輸入して化学肥料を生産してきたスンリ化学肥料工場は「苦難の行軍」の際、運転が停止され、難しい状況にありました。外貨コストのかかるナフサにたよっての科学肥料生産は朝鮮の経済路線に一致しませんでしたし、なおかつそこに、「経済制裁」という名のもと、孤立圧殺政策を突き付けられている朝鮮にとって、肥料生産の全てを外国に委ねることは自身の首をしめる結果をもたらします。このようなことから、朝鮮は自国の原料と燃料を使い、化学肥料を生産するため、フンナム肥料連合企業所、ナムフン青年化学連合企業所(ナムフンは西海岸)などチュチェ肥料生産基地に力を入れてきました。結果やはり、この部門でも2012年4月からチュチェ肥料を各共同農場に送ることができる展望を示しています。

このように、朝鮮は経済のチュチェ化を推し進め、生産部門における自立的路線を確保したうえで、石油工学部分や太陽熱事業、その他人民生活に必要な部門に力を入れることが出来ているのです。何もなしに中国やロシアに手を差し伸べ援助を乞うていたのならば、すでに朝鮮は社会主義国家ではなくなっていたはずです。自身の力でしっかりと根を張る自主的経済路線があり、その上で機能する国際協力関係があるがゆえに、朝鮮経済の未来が安泰であることができるのです。これらの確固たる土台が2011年まで完成しました。


生産過程一般をコンピューター管理下におき、オートメーション化を促し労働の負担を軽くすること。これが現代化であり、生産過程において最先端科学技術を最も重視し、それを駆使しうる人材を育てることによって生産をたかめること、これが科学化です。

朝鮮はこれまで、「苦難の行軍」の時期から一貫して人材育成と最先端技術の導入に尽力してきました。その結果、CNC技術が導入され、全ての生産部門がコンピューター技術によって管理される体系を作っていけるモデルが出来上がりました。それを作ったのがまさに第1の工業都市、ハムンでした。このような成果に土台して、経済改革の先陣を切り、モデルを創造した咸境(ハムギョン)南道だからこそ、この成果を全国的に一般化する「咸南(ハムナム)の灯火」という時代精神が揚げられたのです。


最後に、農業問題だけを見ます。2011年11月24日、FAO(国連食糧農業機関)およびWFA(世界食糧計画)の発表によると、朝鮮において穀物生産が8.5%増加したとの結果が出ています。昨年が大きな水害があり、農耕地の5%を失うという損失がありながらも、食糧問題解決のための大きな前進がありました。朝鮮が一貫して行ってきた「ジャガイモ革命」、「種子革命」は今、その実となってきています。

アメリカを筆頭とした他国から種子を買い入れ、米を生産したとしても、収穫された米を新たに種子として使うことはできません。ひたすら買っては耕し、収穫し、また買うという外勢依存型の農業生産になることは一目瞭然です。朝鮮では食料のほか、種子や飼料として必要な穀物量が600k~700万tと言われていますが、昨年の出来高は500万tを超えました。元来工業地帯である朝鮮においてこの量を収穫した成果は大きいのですが、まだ完全に食糧問題が解決されたわけではありません。そもそも全ての食料を自給自足しなければならないのか、という問題はさておき、これから農業の発展を促す課題がまだあるという認識を持つ必要はあるでしょう。しかし、日本での報道のように、1995年からはじまった「苦難の行軍」時期のように、食糧問題が喫緊な課題として、国家体制を揺るがすような問題として提起されることはないと断言します。1995年に起きた大洪水によって、朝鮮の農耕地は大打撃を受けました。その年の収穫高だけではなく、流出された農耕地をまたリセットして立て直す必要もありました。当時、慢性的な食糧危機に陥ったのもそのためです。そのようなことから、朝鮮人民軍が中心となり行った重要な事業の一つが土地整理事業だったのです。それが成果的に終わり、先ほども既述したように、肥料の問題が解決されると、朝鮮での食糧事情は画期的に解決の方向に向かうものと思われます。

もちろんFAOの発表というものは、共同農場での生産高だけではなく、個人農によって得られるジャガイモや豆なども含まれていますし、それらは市場に流れるので、まだ困難は続いています。しかしながら、土地の整理が終わり、そこで成果を上げられる肥料の問題が解決され、バイオテクノロジー技術を持って種子革命を行ってきた成果にもとづき得られる成果は、大きいものと思われます。
これに伴って、中国、ロシアを含めた国際関係の改善と協力事業の発展、対米、対南関係の発展に伴って十分な打算が得られるならば期待は大きいです。


平壌市の刷新やそれをモデルとした地方都市の開拓、なども必見です。

  朝鮮はこのように、確固とした勝算に裏打ちされた自信を持って、新しい2012年の闘争に総決起しました。1で書いた朝鮮が蓄えた力が爆発的に発揮されるというのは、概ね以上のようなことです。

 ここで書いたものはあくまで、一部に過ぎません。 しかしながら、金正日総書記による強盛国家構想がどのようなものであったのか,そして 朝鮮が今年、「偉大な金正日総書記の遺訓を守り、2012年を強盛復興の全盛期が開かれる誇らしい勝利の年と輝かそう!」とスローガンを掲げた意味についてふれることが出来たと思います。