途上国の多くでは、いわゆるネポティズム(縁故主義)というものが、かなり極端なかたちで社会の隅々にまで蔓延しているのがふつうです。たとえば、地方に行って、ある市長さんみたいな政治家に会うと、たいていの場合、その息子が市内で一番大きな会社の社長をやっていたり、弟がその地域の警察署長だったりと、一つのファミリーがその地方全体を仕切っていたりします。
こうした市長、社長、警察署長のような人々が、その地域でどのような「共同作業」をやっているかというと、市長の選挙と権力基盤は、息子の社長が政治献金を集め、弟の署長が組織的に有権者を軽く脅しつけて、磐石の態勢を固めていたりします。社長の商売は、市長がすべての公共事業を横流しするとともに、同業他社の許認可を取り消し、署長が同業他者に様々な嫌がらせをして、磐石の態勢を固めています。署長の権力基盤と正統性は、市長が法律上の正統性を与え続け、社長が署内の統制に要する資金を用意して固めます。
こうして、鉄のトライアングルのようなものを形成して、その地方一体を一族で私物化して、甘い汁を吸い上げるのですが、こうした「共同作業」は、形態が多少違っていても、これまで訪れたすべての途上国で目撃することができましたし、また政治発展論などの文献を読んでみると、途上国の社会では、ごく普通に見受けられる常態であることが分かります。
しかしながら、よく考えてみると、こうしたネポティズムによる癒着というのは、なにも途上国だけでなく、日本でも見られるようです。最近の福島県のケースでも、兄の県知事と弟の会社社長が「共同作業」をやっていたことが判明しつつあります(参考記事)。また、新たに出てきた奈良市のケースでも、夫の市職員(兼)団体職員と妻の会社社長が「共同作業」をやっていたことが明るみに出てきました(参考記事)。
途上国支援の一形態に、「ガバナンス支援」という支援事業があります。内容的には、支援対象国の政治家、官僚、裁判官、企業経営者などに対して、政府機関の健全な統治手法に関する研修を行ったり、健全な統治に必要な法律の整備を支援したり、そのための政府機関の再編などを支援したりします(支援形態の一例)。
現実問題として途上国というのは、程度の差こそあれ、政府が国家全体を半ば私物化しているような独裁政をとっているケースが多く、一般市民の人権擁護の観点からも、巨額の支援資金の横領を防止する観点からも、先進国や国際機関が、途上国に対してガバナンス支援を積極的に行うケースが近年とみに増えています。一時期、ガバナンス支援の正当性については、西欧民主主義の押し付けであるという批判もなされたのですが、今では、ガバナンス支援は「文明や文化、社会背景に関係なく、一人ひとりの国民個人の政治・経済・社会の機会を、平等に極大化させる手段」として、世界的な認知を獲得しつつあります。
そもそも、こうしたユニークな支援を途上国にしなければならない根本的な背景には、貧困に根ざす途上国独特の社会条件があります。途上国では、やむなく初等教育制度すら整っていないことが多く、またテレビなどの情報の伝達手段も広く普及していないため、政治家、官僚、裁判官、企業経営者などが、民主主義や市場の自由競争に関するルールにまったく触れないまま大人になり、絶大な政治・経済権力を恣意的に振り回すようになることも多く、こうした支援を、関係者に対して改めて行わなければならない必然性があるのです。言うまでもなく、途上国の経済・社会状態が、ここまで悪化した責任の一端は、18‐19世紀にメチャクチャな植民地支配を断行した当時の列強、今の先進国にあるわけで、その意味では、先進国は今になって当時のツケを支払わされているという見方もできるかもしれません。
一方、日本は、初等教育はほぼ100%普及してますし、テレビや新聞、インターネットなどの情報伝達手段も広く普及しています。しかし、福島県や奈良市のケースを見ると、日本もガバナンス支援を必要としているではないかという気さえしてきます。一体どうしたらいいものでしょうかね・・・。
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