国際情勢について考えよう

日常生活に関係ないようで、実はかなり関係ある国際政治・経済の動きについて考えます。

内戦から国家間紛争へ

2006-12-28 | 国際社会

いわゆる内戦(国内紛争)が、国家間紛争(国際紛争)に転化・拡大する事例、もしくはそのようになりつつある事例が、ここ1ヶ月の間に増えてきています。

一つはエチオピアとソマリアの間の戦争です。もともとこの国際紛争は、ソマリアの内戦から始まりました。ソマリアでは、1991年に中央政府が反政府勢力に倒されて以来、ちょうど日本の戦国時代のときのように、国内の各氏族(クラン)が群雄割拠して、中央政府というものが事実上存在しない無政府状態が続いています。ここ数年は、名前だけの暫定政府と、国土の多くを実効支配する有力氏族の連合体である「イスラム法廷連合(UIC)」という反政府勢力が内戦を繰り広げています。そして、イスラム法廷連合は、首都モガディシュをはじめ、国土の大半を実効支配しているため、このまま事態を放置すると、こちらの方が正統政府になる可能性もありました。

しかし、ここに来て、隣国エチオピアが、公然とソマリア国内に侵攻し、ソマリア暫定政府と結託して、イスラム法廷連合に対する組織的な武力攻撃を開始するようになりました(関連記事)。まさに、内戦が国際紛争に転化してしまったということです。エチオピアがソマリアに侵攻した理由はとしては、表向きは、イスラム法廷連合がイスラム原理主義過激派の一派であり、アルカイダ・ネットワークとも関係があるので、こうした過激分子のエチオピア国内への浸透を防止するためとされています。たしかに、これは部分的には事実のようですが、それよりももっと実態に近い理由としては、エチオピアと国境紛争を戦っているエリトリアが、ソマリアのイスラム法廷連合を支援して、エチオピアの不安定化を図っているため、エチオピアが黙っていられなくなったという点が指摘されています(参考地図)。つまり、エチオピアは、ソマリアの反政府勢力を介して、結局エリトリアに反撃しているということです。

 

もう一つの事例は、まだ国際戦争の段階には至っていませんが、アフガニスタンにおけるタリバン勢力の復興というアフガニスタンの国内問題が、アフガニスタンとパキスタンの対立激化を招いている事例です(関連記事地図)。このアフガニスタンの国内問題の背景には、隣国パキスタンが抱える地政学的条件があると指摘されています。 ― もともとパキスタンという国は、少し離れたカスピ海沿岸地域の石油・天然ガスの産出国へのアクセス、国内の治安維持、国内経済の安定などの理由により、背後に控えるアフガニスタンが、常にパキスタンの言うことを聞くような状態に保っておかなければならない地政学的条件を抱えています。そのため、パキスタンは、これまでアフガニスタンに、親パキスタン的な政権を樹立・維持するために、様々な努力をしてきました。2001年の同時多発テロまで、アフガニスタンのタリバンを、パキスタン政府が公然と支援してきたのも、そのためです。

しかし、同時多発テロが起きて、タリバンがアルカイダ・ネットワークと密接な相互協力関係にあることが明るみに出てからは、パキスタンは大っぴらにタリバンを支援することができなくなりました。しかし、パキスタンとアフガニスタンの地理的関係は不動ですから、2001年以降、パキスタンは相当苦労してきたものと思われます。しかし、ここ一年ほどですが、アフガニスタンではタリバンの勢いが再び急速に復興し、国内の治安も急激に悪化するようになりました。まだ何とも言えませんが、やはりパキスタンが密かにタリバン支援を再開したためではないかということが言われており、最近ではアフガニスタンのカルザイ大統領は、パキスタン政府を公然と非難するようになって、両国の関係は日増しに悪化しています。

 

これら二つのケースは、国際テロ・ネットワークの活動拠点を今後いかに無力化していくかという問題とも密接に関係しているので、アメリカやEU諸国、ロシアなどの大国の利害関心事項でもあり、単なる地域紛争という枠組みを超えた大きな国際問題と言えます。地域の利害と、国際社会の利害が複雑に絡み合っていて、解決が容易でないことも今から予測されます。

しかし、このような小さな国内問題が国際戦争に転化、もしくは転化しつつある状況の中で、一つだけ良いこともあります。犠牲者が出ている問題なので、「良いこと」と言うのは語弊がありますが、不幸中の幸いと言えることが一つだけあります。それは、国内問題としてくすぶっていた段階では、国連などの第三者が仲介に乗り出せなかったのが、国際問題に転化してしまうと、当事国はもはや内政干渉を理由に、第三者の仲介や干渉を排除しづらくなるということです。大国が軍事介入するのは困りますが、外交的手段で、大国が国連の内外で和平交渉を仲介できるようになるのは、悪いことではありません。

悪い問題は内側に潜んでいるときは、その問題が存在しないかのように見えて、何となく気分はいいかもしれませんが、問題の根本的解決が遅れてしまいます。悪い問題が表沙汰になるのは、不愉快なことですが、それだけ問題の根本的解決が早くなります。そんなふうに前向きに捉えて、これらの問題と向き合えれば幸いです。 ― 最後に後味が悪いことを言って申し訳ありませんが、その意味では、ロシアのチェチェン問題などは、実に深刻です。

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中央アジアで起きたこと

2006-12-22 | 地域情勢

報道されている通り、トルクメニスタンのサパルムラト・ニヤゾフ大統領が急死したようです(関連記事)。死因は心臓疾患によるものらしいですが、具体的には明らかになっていません。この人については、中央アジアの金正日と言われるほど、強烈な個人崇拝を基調とした異常な統治ぶりが伝えられていましたので、近いうちにここでも取り上げようと思っていたのですが、その矢先の訃報でした。

この人がどれだけ変わっていたかというのは、関連資料を見てもらえれば十分かと思いますが、思わず笑ってしまうようなエピソードもたくさん載っています。しかし、この国の国民のことを考えると、まったく笑えない話であります。金正日氏にも似ているタイプかもしれませんが、かつてのカンボジアのポル・ポトを彷彿とさせるところもあります。

 

人が死ぬことを喜ぶことはできませんが、これでトルクメニスタンの人たちは一息つけるのでしょうか。しかし、報道で指摘されている通り、これだけ長期政権(20年以上)を維持した強烈な独裁者が急にいなくなるというのは、国内が跡目騒動などで混乱する可能性があるかもしれませんね。

また、この国は天然ガスや石油が、わりと豊富に出るようですね。カスピ海に接していて、中国やロシア、トルコ、アメリカが、パイプラインの利権をめぐって争っている形跡もあります。また、地図で見ると分かりやすいですが、国境をアフガニスタンやイランと接しているのですね。このような地政学的条件を考えると、なにか非常にキナ臭い感じがしてきますね。

 

イラクもそうでしたが、独裁政は悪いものですが、それが急に崩壊すると、国家の統治メカニズムに真空状態が生じて社会秩序が崩壊し、事態がもっと悪くなるということは、これまで国際社会が何度も経験してきたところです。ですから、間もなく新体制に切り替わる国連などは、間髪置かずに、この国と周辺地域をじっくり注視していく必要があるでしょうね。

また、このことは、北朝鮮の指導者に何かが起きるということを期待するという意味では全くありませんが、もしそのようなことが起きた場合には、これは日本も他人事ではないということも示しているように感じます。仮に北朝鮮の政権移行が混乱した場合、無数の北朝鮮の難民の人々が、日本海を舟で越えて、日本に押し寄せてくるということが一昔前から指摘されていますが、日本政府はそのあたりの対策を、どこまで具体的に立てているのでしょうか。

別に北朝鮮の難民の人たちに来てもらいたくないという意味では全くありませんが、お互いに国民感情が良くない中、もし無数の北朝鮮の人々が日本に漂着して、この人たちに対する対応を誤るようなことがあれば、難民に対する人権侵害のような問題を引き起こす可能性もありますし、日本社会の中にも大きな混乱をもたらす可能性もあるように思います。こういう急激に流動化する性質を持っている問題は、善意だけでは対応できないですし、実際に事が起きてから手を打つのでは遅いですからね。こういう問題への具体的な対策を事前に練っておくことは、長期的に考えても、お互いの国や国民にとって、とても大切なことではないかと思います。

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国連をもっと利用しよう

2006-12-18 | 国際社会


今日は、日本が国連に加盟して、ちょうど50周年目の日になります。ということで、都内ではその記念式典も開催されました(記事関連資料)。もともと、国連というのは、United Nations、つまり第二次世界大戦に勝利した「連合国」の主導で出発した経緯がありますから、枢軸国側で戦って負けた日本が国連に加盟して、国際社会に復帰できたのは、とくに戦後間もない日本にとっては、悲願達成と言ってよいほどのものだったに違いないように思います。

しかし、日本と国連に、このような独特の出会いの経緯があるためか、日本の国連に対するイメージは、かなり"良い"イメージに偏ってしまっているように感じることがあります。国連というものが、あたかも国際平和の象徴であるかのような一種の国連崇拝のようなものが見受けられることもあります。そして、こうした国連崇拝のようなものが一般に広く浅く浸透しているためか、国連を巧みに批判したりすると、何やら事情通であるかのようなステイタスが得られるような一種の国連コンプレックスのようなものも、日本社会の中にはあるように見受けます。これらの視点は、間違ったものではないのかもしれませんが、国連の実態を考えると、やや違和感を覚えてしまうことがあります。

 

もともと国連というのは、第二次世界大戦中に、アメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相が大西洋憲章の中で確認したとおり、国際連盟が第二次大戦を防げなかった反省を踏まえて、大規模な世界戦争の再発を防止する目的で創設されたものです。つまり、国連というのは、当たり前のことではありますが、世界各国のための外交ツールの一つとして作られたものであって、その存在意義は、各国政府が自国の国益や国際社会の共通利益を増進するために、「利用する」ところにあります。

つまり、国連というのは、私たちにとって、評論家のような第三者的な立場から批判したり、崇拝するためのものではなく、当事者として利用するために存在しているということになります。一般市民の一人ひとりにとっても、その人の属する国が国連に加盟していれば、国民が国家を構成し、国家が国連を構成していますから、やはりその市民一人ひとりも、広い意味で国連の当事者、利害関係者ということになるのではないかと思います。

 

このように、国連というのは、関係国が「利用する」ために創設したという元々の起源がありますので、加盟国は国連を奉ったり、こき下ろすのではなく、建設的な議論をしながら、それをいかに外交手段として有効利用するかということに知恵を絞ることが求められています。 ― しかしながら、国連は主権国家の集合体という側面を持っていることから、そこにはもとより構造的な強みと弱みがあります。はじめから、国連での解決に向いている問題と、それに向いていない問題というのがあるのです。たとえば、国連は主権国家の集合体であるからこそ、国際社会の中で強い影響力を持つ大国が自ら積極的に作り出している問題については、かなり無力なところがあります。

一方、自然発生的にやむなく起きた問題や、中小国が作り出した問題、国家間の微妙な利害のズレによってこじれた問題については、国連は主権国家の集合体として、重層的で複合的な多国間協議を繰り返し何度でも行うことができますので、外交の枠組みとしてかなり有効に機能できるところがあります。したがって、国連加盟国の多くは、何でも国連で解決しようとするのではなく、与えられた個々の問題が、国連での解決に馴染みやすい性質を持っているかどうかを見極めてから、それを国連の中に取り込むか、国連の外に出して解決を図るか判断しているところがあります。

 

たとえば、具体的な実例を挙げますと、スーダンのダルフール紛争のようなケースは、事態がかなり深刻なのですが、大国の関与が薄いので、国連の枠組みが有効に働く事例の一つと言えます。過去の例を出しますと、東ティモールや紛争後のコソボのようなケースも、大国がウラで糸を引いているような側面が少なかったので、国連が大きな役割を果たすことができました。経済社会分野では、途上国の貧困問題への取り組み、地球温暖化対策なども、大国が現在進行形で意図的に問題を悪化させるような関与をしていなかったり、もしくはそのような関与をしようがないため、国連の枠組みに比較的馴染みやすい問題だと言えます。

一方、大国が紛争に意図的に絡んでいるケースでは、国連はほとんど機能できず、国連の外で解決を図るしかない場合も少なくありません。代表例としては、アメリカが深く関与している中東紛争(パレスチナ紛争)が挙げられます。また、イラク問題も、国連の中で一番力の強いアメリカ自身が、いまのところ国連の関与を拒絶しているので、当面国連が関与するのは困難です。経済社会分野では、主要通貨の安定といった問題、先進国経済の安定成長といった問題は、世界中のすべての国が大きな影響を受ける問題であっても、経済大国が意図的にコントロールできる範囲が大きく、それ以外の国はほとんど影響力を持たないので、関係国はG8という独自の枠組みを国連の外に作って協議をしている実情があります。

ちなみに、北朝鮮やイランの核問題については、上記のような理由とはやや違う要因が作用して、本交渉が国連の外で行われているところがあります。北朝鮮問題は、国連の枠組みに馴染みやすい問題ではありますが、六カ国協議のメンバー(米・中・露・日・韓・朝)という、そこへ足すことも引くこともできない絶妙のメンバー構成を、国連の枠組みを利用して参集させることが法制度上難しかったから国連の外に出たと言えるように思います。また、イラン問題も、アメリカとイランの間の交渉チャンネルが実質的に存在しないために、EUの中核を成す英・仏・独が結束してイランを説得してきた経緯もあり、安保理常任理事国(英・仏・米・露・中)にドイツを加えた変則的な枠組みを独自に創出した経緯があります。

 

このように多くの国々は、国連を利用できる場合は徹底的に利用し、利用できない場合は外に出て問題解決を図るという、きわめて現実的な行動様式を心得ています。国連には、地球上のほぼ全ての主権国家が加盟しており、その合意形成のルールもすでに国連憲章の中に設定されていて、何らかの国際的な問題を持ち込む場合、改めて交渉ルールの設定でもめる必要がないなど、極めて安価な外交コストで問題解決を図ることができるメリットがあります。また、総会、安全保障理事会、経済社会理事会、国際司法裁判所など、問題の性質に従った分野ごとの交渉(司法判断)のテーブルも用意されていて、加盟国は一定の分担金さえ払えば、これらの「施設」を自由に利用することができます。

国連加盟50周年を迎え、日本もことさらに国連を崇拝したり、批判する段階を卒業し、これをいかに有効利用していくかという視点で、国連を見つめ直すことができれば幸いです。


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ある独裁者の死

2006-12-11 | 地域情勢

南米チリの「独裁者」、アウグスト・ピノチェト元大統領が、昨日入院先のサンチアゴの病院で死去しました。ピノチェト氏はもともと陸軍の将軍でしたが、1970年にチリでサルバドール・アジェンデ氏による社会主義政権が誕生すると、当時のアメリカのニクソン政権のサポートを受けて、73年にアジェンデ政権を軍事クーデターによって倒し、翌年には自ら政権を掌握して、その後90年に民政移管が達成されるまで、16年間の長きにわたり大統領の地位にとどまりました。

よく知られている通り、ピノチェト氏は、政権掌握後にアジェンデ支持派や一般市民に対する苛烈な弾圧を繰り返し、配下の秘密警察を使って、公式統計ベースだけでも3千人を超える人々を拷問にかけるなどして殺害したとされています。ちなみに、当時の様子は映画『ミッシング』などでも詳しく描かれており、弾圧がいかに凄惨を極めたものだったか良く伝わってきます。アメリカは、長い間このクーデターへの関与を否定してきましたが、今では膨大な量の機密文書が公開申請に基づいて公開され、すでにその関与が裏付けられています(関連資料)。

多くの人々から極悪人の代名詞のように受け止められているピノチェト氏ですが、経済政策については、議論もある中、一定の評価を受けているところもあります。それは、当時多くの中年米諸国がインフレと貧困に苦しんでいたところ、以前の投稿でも触れたマネタリズムに基づく独特の経済政策を導入して、インフレを沈静化させ、現在のチリの経済的繁栄の基礎を作ったからです。しかし、その陰では貧富の格差を拡大したという失点もあり、評価は分かれています。

 

つい数年前には国際裁判の被告となって(関連資料、今日まで常にマスコミの注目を浴びる立場にいたためか、チリ市民にとってピノチェト氏が死んだという事実は、歴史の1ページが閉じられたというような過去の出来事としては受け止められていないようです。昨日もサンチアゴ市内では、ピノチェト支持派と反対派がデモをするなど、いまもピノチェト氏の強烈な「リーダーシップ」の影響を受けて、国論が二分しているようです。ちなみに、現在の大統領であるミシェル・バチェレ大統領は、自らもピノチェト政権の秘密警察に拷問を受け、実父を拷問で亡くしていることから、元国家元首の死去ではあっても、国葬を行わないことを明らかにしています。

このような様子を見ていると、かつて東西冷戦下の日本が、ソ連や中国などの共産主義の地域大国に取り囲まれ、また自由主義の旗手であるアメリカの強いコントロールを受ける中で、奇跡的にいずれの大国の直接的な草刈り場にならず、安定して経済発展できたことは大変ラッキーなことだったと改めて感じます。日本で政治に関心のある人が比較的少ないのは、このような背景も影響しているようにも感じます。変な言い方ですが、今後もあまり政治に関心を持たずに済むような世の中であってほしいと思いますが、そうしているとピノチェトのような怪物が出てきても、誰もすぐに気が付かないという負の側面もあるのかもしれません。悩ましいところですね。


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イラク戦争の収拾

2006-12-07 | 地域情勢

昨日、アメリカの超党派のイラク研究グループ(ISG; Iraq Study Group)が、ブッシュ大統領に政策提言レポートを提出しました(レポート原本関連記事)。レポートは、現状が内戦状態にあることを事実上認め、内戦に間接的に関与しているイランとシリアとの外交を強化して、米軍からイラク軍へ主要任務を早期に委譲し、2008年3月までに米軍を撤退させることを提言しています。

以前の投稿にも記しましたが、このレポートをまとめたISGには、ジェームズ・ベーカー元国務長官(共和党)、リー・ハミルトン元下院議員(民主党)をはじめとする両党の重鎮が参画しており、レポートに法的拘束力はありませんが、影響力の大きさは多くの関係者が認めているとおりです(関連資料)。

 

また、とき同じくして、昨日はロバート・ゲーツ元CIA長官が、上院で次期国防長官として正式に承認されました(記事)。この承認のための上院公聴会でゲーツ氏は、アメリカのイラク政策が蹉跌していることを認めるとともに、その原因の一つが、初期段階で兵力を大量投下しなかったことを挙げて、ブッシュ大統領やラムズフェルド国防長官らが編み上げてきた現行のイラク政策の欠陥を事実上認めました(記事)。これからブッシュ政権の閣僚になる人物が、大統領の失政を野党議員の前で認めることは異例のことです。

ここまでゲーツ氏がはっきり物を言える背景には、この人が次期国防長官の指名を受ける先月までISGの正式メンバーであり、ベーカー氏など国際協調派の重鎮や、党派を超えた議会からのサポートを得ているからだと言われています。ISGのレポート提出と、ゲーツ氏の正式承認が同じ日になったのは、演出か偶然か分かりませんが、このことで今後アメリカのイラク政策が、短期間のうちに大きく転換する可能性が出てきました(記事)。

 

そもそも、イラク戦争というのは、途中から非常に分かりづらい戦争に変質してしまったということを、おそらく多くの人が感じているのではないかと思います。2003年の春に、米軍を中心とした多国籍軍がフセイン政権を倒した段階では、<米軍(多国籍軍)・対・イラク軍>という単純な対立の構図だったのですが、その後間もなくして現地勢力同士の内部抗争が始まり、対立関係が複雑に入り乱れるようになりました。

この対立関係を少し整理しますと、内部抗争が激化していった2003年の夏以降の「イラク戦争」というのは、<米軍&イラク政府軍・対・イラク非正規軍>という、米軍が主要戦力となってイラクの非正規軍を上から抑えつける「タテの戦争」と、<スンニ派・対・シーア派>という現地勢力同士の「ヨコの戦争」が、シンクロしながら同時進行する複雑な戦争になっていったということが言えるのではないかと思います。そして、このタテとヨコの対立軸は互いに分離しているのではなく、ヨコの戦争に参加しているアクターが、それぞれ事態を自軍に有利に導こうとしたり、もしくは純粋な敵対行為として、米軍やイラク政府軍に対して巧みなテロ攻撃を仕掛けた結果、タテとヨコの対立軸が互いに交錯する状況も生じています。

ただこの複雑さにとどまらず、「ヨコの戦争」は、<スンニ派・対・シーア派>という整然とした一対一の戦争ではないという追加的な要素もあります。たとえば、スンニ派の中は、旧フセイン政権勢力、アルカイダ勢力、アンチ・シーア派勢力などにそれぞれ割れていて、お互いに一致団結しているわけではありません。また、シーア派も、過激なサドル師の勢力から、やや穏健なシスターニ師に同調する勢力まで、これも中が割れていて、一枚岩ではありません。その上、スンニ派のアルカイダ勢力はシリアから、またシーア派の一部はイランから、それぞれ直接・間接のサポートを受けており、単なる内戦の枠組みを超えた国際紛争の要素も含んでいます。さらに、これらの複合的な構図に加えて、ときおり第三の勢力であるクルド人勢力も、散発的に「ヨコの戦争」に関与することもあります。 ― この極めて複雑な「ヨコの戦争」が、「タテの戦争」と絡んでいるのが、私たちがふだん「イラク戦争」と呼んでいるものの実態ではないかと思います。

今後この複雑な戦争をどうやって終わらせるかは容易ではありませんが、「タテの戦争」が「ヨコの戦争」を作り出して、「ヨコの戦争」が制御不能になってしまったということですから、「ヨコの戦争」を鎮静化させながら、「タテの戦争」を終わらせるという順番になるのではないかと思います。ISGのレポートで、イランとシリアへの建設的関与をことさら強調しているのも、そのためではないかと思われます。

 

ISGのレポートは、79もの具体的な提言から構成される詳細なもので、おそらくこれに沿って動けば、アメリカは予定通りイラクから足が抜けて、「タテの戦争」を終わらせることができるのかもしれません。しかし同時に、「ヨコの戦争」を終わらせるのも、これを作り出したアメリカの責任です。レポートは、当然のことながら、「タテの戦争」と「ヨコの戦争」の両方を終わらせる包括的な提言をしていますが(タテ、ヨコといった表現は使っていませんが)、実行段階においても、「アメリカが撤退して終わり」ということではなく、両方の戦争を終わらせて初めて任務完了になることを忘れてはならないと思います。

いまのところ、「ヨコの戦争」をやっているアクターの戦闘意欲は極めて旺盛であり、これをいかに鎮静化させていくかというのは、大変な大きな困難を伴うことが予想されます。しかし、国連や世銀などの国際機関には、戦後復興支援をインセンティブにした内戦の収拾計画をこれまで数多く手がけてきた実績がありますから、アメリカもこの点について、今後謙虚に国際社会と対話を重ねていくことが望まれているように思います。これは、今後ボルトン国連大使の後任人事にも関係してくるポイントかもしれません。


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「反米左派」政権の行方

2006-12-05 | 地域情勢

ベネズエラのチャベス大統領が、先週末の大統領選で三選を果たしました(記事)。チャベス大統領というと有名なのが、徹底した反米的な外交政策と、貧困層に優しい社会保障を目玉にした社会主義的な経済政策ではないかと思います。また、この秋の国連総会で、チャベス大統領がブッシュ大統領を「悪魔」呼ばわりしたことを覚えておられる方もいらっしゃるかもしれません(記事)。

このような反米的な対外政策と、貧困層に優しい経済政策をペアにした独特の「反米左派」政権は、1999年にベネズエラでチャベス政権が誕生して以来、中南米各国に徐々に波及し、昨年にはウルグアイ、ボリビア、今年に入ってからはニカラグア、エクアドルで誕生したほか、メキシコやコロンビアでも類似した政策を掲げる政党が選挙で善戦しました。また、BRICsの一角を占めるブラジルも、中道でありながら決して親米とは言えない政策を頑として貫いています。今のところ勢いの良いこれらの「反米左派」政権ですが、自ら主張しているとおり、今後本当に、持続的に国民にメリットをほどこしていくことはできるのでしょうか。

 

日本も、常にアメリカから有形無形の圧力を受けているためか、こうした「反米左派」的な政策傾向は一部に人気があり、アメリカ合衆国を目の上のタンコブのように抱える中南米諸国ともなれば、このような政策がウケる背景は何となく理解できます。しかし、このような政策が、長期的に国民にメリットを還元していくことができるかどうかということは、ある程度実証的に見てみなければ何とも言えないところがあります。

反米的な対外政策というのは、世界最強の覇権国を敵に回す外交政策ですから、そのトータル・コストをじっくり計算する必要があるように思います。このような硬骨のスタンスを貫けば、アメリカから軍事的に侵攻される可能性は低いとしても、安全保障上の危機を迎えた場合には、サポートを得られないだけでなく、間接的にその危機を煽られることを覚悟しなければなりません。どこの国の政府も、国民の生命と財産の保護に責任を負っていますから、アメリカを敵に回した場合の自国の軍事費がどれほどになるのか、アメリカに従った場合のトータル・コストと総合的に比較検討して、結果的に得になるのかどうか計算しなければならないでしょう。費用を最終的に負担するのは、国民だからです。

また、経済政策については、「反米左派」政権が採用している経済政策は、市場経済よりも計画経済に近い、"強度の混合経済"とも言えるものです。このような独特の経済制度の妥当性について、本格的な経済学上の実証分析をすることは私の手に余りますが、どの程度の経済パフォーマンスを出しているかということを、具体的な事例から一般論的に考えてみることは可能かと思います。そこで、中南米地域における強度の混合経済の国の代表例としてキューバのケースを見てみると、ソ連が存在していた期間はソ連から手厚いサポートを受け、何とか経済運営が図られていましたが、今では一人当たりのGDP(年間)で30万円ほどの実績であることが分かります。また、世界レベルで似たような国を探してみると、冷戦時に東側に属していた国々の多くが、強度の混合経済(もしくは計画経済)を採用していましたが、これらの国々の多くは、西側に属していた国と比べて、今も政治的な混乱、経済的な困難に見舞われているケースが相対的に多いように思います。

  

このような様々な要素を考えてみると、ベネズエラなどの「反米左派」政権の国々に、どのような将来が待っているのか、なんとなく見えてくるような気がします。ただし、ベネズエラという国は、埋蔵量ベースで世界第六位とも言われる潤沢な原油資源を保有しており(統計B3)、ほかの「反米左派」政権の国とは分けて考えなければならないように思います。

実は、ベネズエラという国は、アメリカ合衆国の最大の原油輸入元であり(統計B5)、今のところアメリカと政治的に敵対してしまっていますが、経済的には深く相互依存している関係にあります。アメリカもコスト上の理由や、戦略的な総合判断から、この経済的な結びつきを切るつもりはないらしく、そのために何度「悪魔」呼ばわりされても、言い返すことをしないようです。これは、いかなる条件下でもベネズエラの安全保障を担保する極めて特殊な要素です。また、ベネズエラ政府が、貧困層に住宅、教育、医療面で行っている莫大な社会保障費の原資のほとんどが、実は税収ではなく石油収入であり、このことが、通常は国家の大口の税収源であるはずの富裕層を平気で敵に回すことができる理由だとされています。

以上のことから、ベネズエラのチャベス政権の独特の政策には、一定の持続性があることがうかがい知れるとともに、他の「反米左派」政権は、おそらく今後もベネズエラほどの徹底した政策を取れないであろうことや、現行の反米・強度の混合経済の政策を長期的に持続できないことも予測されます。ただし、だからと言ってチャベス政権の今後が磐石かというと、そうとも言い切れない不安要素も隠されています。

 

それは、三選を果たしたチャベス政権の独裁化が進んでいるということです。チャベス大統領は、今回の当選に際して、憲法を改正して2021年まで大統領を務めることを述べたようです(冒頭の記事)。たしかに、経済政策というのは、一貫した政策を長期的に秩序立てて実施しないと、なかなか効果が出ないということは事実です。また、貧困層の救済を図る目的とは言え、経済の統制を強化するためには、政治的にも一時的に独裁的な手法を用いないと、経済統制で損害を被る国民の反対を抑えきれなくなることも事実でしょう。ですから、チャベス大統領の独裁的な政治手法は、彼の経済政策と一致しており、彼が私的な理由で独裁化を進めていると断じることはできません。しかし、もともとベネズエラの有権者は、独裁的な手法を嫌って、チャベス氏を大統領に選んだはずですから、ここに来て、チャベス政権の国家統治のあり方は、やや本末転倒の様相を呈してきていると言えます。そして、実は似たような構造的な理由から、まったく同じ「本末転倒」が、今後ほかの「反米左派」政権の国でも起きる可能性があります。

もともとベネズエラをはじめ、「反米左派」政権が誕生した中南米諸国の貧困問題は、多くの場合、市場経済制そのものというよりも、その誤用(国情を無視した急激で一律な市場経済制の導入など)が主な原因で悪化したものではないかと言われています。ですから、その対策としては、一時的に混合経済を導入して貧困層を救済することは良いとしても、最終的には、計画経済制よりも高い経済パフォーマンスを生む市場経済制を、徐々にゆっくりと定着させていくことではなかったかと思います。

ですから、もしこうした本来のグランド・デザインを忘れ、強度の混合経済の政策を長期的に継続すれば、必然的に政権の過剰な中央集権化を招き、最終的には独裁政を定着させることになるのではないかと思います。今後、チャベス大統領をはじめとする「反米左派」の志士たちが、もし自分に果たされた真の役割を理解せずに、当選時と同じ路線を継続的に突き進むとすれば、気が付かないうちに、自分が打倒した独裁者のような存在になってしまう可能性があるように思います。


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マグロ戦争

2006-12-01 | 経済・社会問題

私は一週間に一度は、必ずマグロの刺身を食べないと落ち着かないくらいマグロが好きなのですが、そんな私がちょっと悲しくなるニュースが今週飛び込んできました。マグロの王様、クロマグロの漁獲量が大幅に削減されることが、漁業資源を管理する国際機関によって決定されたのです(関連記事水産庁プレスリリース)。

少し背景説明をしますと、日本は、マグロの大量消費国のひとつとして、地中海などでも大量のマグロを捕獲しているのですが、このたび地中海と大西洋の東側のマグロの資源管理を管轄する「大西洋まぐろ類保存国際委員会(ICCAT)」という国際機関が、この海域におけるクロマグロの総漁獲枠を、現行の3万2千トンから2010年までに2万5500トンまで、段階的に削減することを決定したのです。この決定に伴い、来年1月末に開催される別の国際会議(後述)で、日本の漁獲枠も現行の2380トンから大幅に削減されることが見込まれることとなりました。

 

マグロには、クロマグロ、ミナミマグロ、メバチマグロ、キハダマグロ、ビンナガ(ビンチョウ)マグロなどがあるのですが(参考記事)、今回の規制対象となったのは、クロマグロという最高級品で、ふだんは高級料亭などにしか卸されないものです。ですから、記憶にある限り、私は食べたことはありません。しかし、だからと言って、今回の措置が私のような一般人に何の関係もないというのは見込み違いのようです。なぜなら、この問題には次のような事情が連なっているからです。

実は、今回のクロマグロの規制に先立ち、先月にはミナミマグロに関して、日本の漁獲枠をおよそ半分に削減する決定が下されたばかりでした(関連記事)。ただしこちらは、ずっと以前に合意した各国の漁獲枠を、日本が合意を破る形で超過していたことによる「自業自得」的な側面のある措置であり、ある意味では仕方のないことかもしれません。しかし、問題はこれだけにとどまらず、来月には、メバチマグロ、キハダマグロの割り当て削減も、別の会議で協議される予定であり、さらには来年1月下旬には、海域別のマグロの資源保護を管轄する5つの国際機関の合同会議が、神戸で開催される予定で(関連記事)、今後、マグロ類全体の漁獲枠がどんどん削減されることが見込まれているのです

そのようなわけで、今後は約600万トンとも言われるマグロ類の総漁獲高の全体のパイが縮小する中、「マグロ戦争」とも言うべき、各国のマグロ争奪戦のような激しい外交交渉が展開されることが予想されています。実は、日本のマグロ消費量は、世界全体の三分の一というトップ・シェアを占めており、それだけに他国からの風当たりはますます激しいものになるのではないかということが言われています。たしかに、この「マグロ戦争」が激化している背景には、中国での消費量が激増している要因や、欧米諸国でも消費量が漸増している要因もあるのですが、日本の圧倒的な消費量と乱獲がヤリ玉に上げられることも多々あり、国際交渉の場では日本が守勢に立たされることが多いと聞いています。

 

このような厳しい国際環境の中で、日本政府は、あらゆる経済交渉の中でも、漁業交渉にはかなり力を入れているようですが(参考記事)、たぐい稀な魚好きの食文化を持つ日本の魚の消費量は半端ではなく、それだけに漁業交渉では他国と国益が衝突することが珍しくないようです。日本は、軍事力の行使を憲法で禁じているためか、国際交渉で他国と激しく衝突する局面は相対的に少なく、国際裁判などでも訴訟に巻き込まれることは極めて稀なのですが、その極めて稀な判例の一つが漁業裁判だというのも(参考記事)、漁業問題における日本の置かれた立場を象徴しています。

日本政府は、このマグロ問題を当然のことながら日本の国益に関わる問題だととらえて、他国との交渉に臨んでいます。ふつう「国益」というと、政府の利益、総理大臣の利益、国会議員の利益といったイメージがありますが、民主国家における国益というのは、もともと私たち「国民の利益」を指すのではないかと思います。ふだん、このようなことはあまり実感できませんが、こうした身近なマグロのような問題から国益というものを考えると、国益というのものが国民の利益であって、それを政府が国民の代理人として他国政府と交渉しているという本来の民主主義のあり方が、より一層分かりやすく透けて見えてくるように感じます。今後、漁業資源の保護など、国際社会全体の共通利益を確保しつつ、この分野で日本の「国益」がしっかり確保されることを望みたいものです。


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