国際情勢について考えよう

日常生活に関係ないようで、実はかなり関係ある国際政治・経済の動きについて考えます。

映画 『大統領の陰謀』

2007-01-24 | 書籍・映画の感想

日本時間の今日未明、ブッシュ大統領が一般教書演説をしました(関連記事原文)。一般教書演説というのは、日本で言えば、総理大臣の施政方針演説に相当し、内政と外交の現状を踏まえて、自身の政策の方向性を打ち出すものです。法的拘束力はありませんが、大統領に授権されている強大な権力を考慮すると、全ての行政機関はもちろんのこと、連邦議会のような立法機関にも、間接的に強い影響力を及ぼすものです。

アメリカでは、2008年11月に控える大統領選挙に向けて、ヒラリー・クリントン上院議員、バラク・オバマ上院議員などの野党民主党の候補による選挙準備の動きが加速しており、任期を満了する予定のブッシュ大統領が次期大統領選挙に参戦することはありませんが、今回の一般教書演説は、今後の選挙動向にも影響を与えるものと思われます。

 

この大統領の一般教書演説が行われていたほぼ同時刻に、フロリダ州マイアミで、一人の老人が静かに息を引き取りました。ハワード・ハント氏(享年88歳)です。ハント氏は、アメリカの国家的威信を地に落とした「ウォーターゲート事件」の発端となった不法侵入事件の中心人物だった人で、もとはCIAのエージェントだった人でした(関連記事)。

ウォーターゲート事件とは、当時現職の大統領だったリチャード・ニクソン氏が、1972年の大統領選挙で再選を狙うために大統領再選委員会を設立したしばらく後、その与党・共和党による再選委員会の関係者が、ワシントンDCのウォーターゲート・ビルに入っていた野党・民主党の全国委員会本部(事実上の選対本部)に盗聴器を仕掛けようとして不法侵入した事件を発端として展開した一大政治スキャンダルの総称です(参考記事)。

亡くなったハント氏は、ニクソン大統領の側近に雇用され、この発端となった侵入事件の実行犯を背後で指揮していたとされました。そして、当時最大の焦点となったのは、大統領自身がこの侵入事件を関知していていたかどうかという点でした。結局、この最大の焦点は、最後まで法的に確定的な形では明らかにはなりませんでしたが、この事件の影響でニクソン大統領は弾劾手続を受け、自主的に辞職するように追い込まれました。

 

ここまでが前置きというのも長たらしい話ですが、今日のテーマに挙げた映画『大統領の陰謀(All the President's Men)』は、このウォーターゲート事件を描いた作品です。映画の主役は、事件を最初に暴き、その後も綿密な調査報道を続けたワシントン・ポスト紙の二人の記者、ボブ・ウッドワード(ロバート・レッドフォード)、カール・バーンスタイン(ダスティン・ホフマン)ですが、この二人の演技力もあって、当時ホワイトハウスを中心にして展開された政治的な策動が、いかに複雑怪奇なものだったか、観る者にリアルに伝わってくる凝った作りになっています。1976年の制作ですから古い映画になるのでしょうが、登場人物のファッション以外は、まったく古さを感じさせない緊張感のある映画です。

ただ、ウォーターゲート事件そのものが、極めて複雑な政治スキャンダルなので、もしその予備知識がない場合は、多少ネット上などで事件の大筋を押さえた上で観てみると、より楽しめるのではないかという気がします(上記参考記事)。ちなみに、ここに出てくるボブ・ウッドワード氏は、いまも数多くの大統領に関する著作を出しており、最近ではウォーターゲート事件の内幕をウッドワード氏に密かにリークしていた政府高官"ディープ・スロート"に関する著作を発表して、日本でも少し有名になった人です。

 

当時と今では、状況はかなり違います。まず、当時のアメリカは、すでにベトナム戦争の地獄のような泥沼からようやく足を引き上げかけた時期にあたり、現在のアメリカは、これからイラクでそのような状況にはまっていくことが予想される点が違います。また、当時ニクソン大統領は一期目で再選を狙っており、その過程でウォーターゲート事件が起きたのですが、いまブッシュ大統領は既に二期目で、再選は憲法上ありません。

しかし、現在アメリカが、イラクと北朝鮮、さらにイランのような核兵器の絡んだ深刻な外交案件を複数抱え、巨額の財政赤字に喘ぎ、大統領支持率もどんどん落ち込んでいる状況は、ニクソン大統領が就任する直前のジョンソン政権末期と共通点が多いように感じます(ジョンソン大統領は民主党ですが)。ジョンソン政権末期、アメリカはベトナムの悪夢、巨額の財政赤字の重圧に喘いでいました。ニクソン大統領は、その巨大な負の遺産を引き継ぎ、アメリカ市民が政治にほとんど期待しないモラルの低下した政治環境の中で、内政・外交の政策推進に当たっていました。ウォーターゲート事件は、そのような時代背景の中で起きた事件でした。

現在のような時期に、いかにしてこの巨大な政治スキャンダルが起き、超大国の威信が一気に失墜したのか見直してみることは、これからどういうことが起き得るのかということを具体的に予測するためにも、まったくムダとは言えないような気がします。つまり、大きなリスクを負い続け、国民に多大な犠牲を強い続けて、政府と国民を精神的に追い詰めていくと、結果的にどのような問題が起きるのかということです。この『大統領の陰謀』は、ほんの二時間程度で、そのあたりの教訓を改めて学び直すことができる作品でもあります。本当は、ブッシュ大統領に一番見てもらいたい気がします。ハワード・ハント氏の訃報を聞いて、そんなことを思いました。

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食のグローバリゼーション

2007-01-18 | 経済・社会問題

グローバリゼ-ションという言葉は、世間でも頻繁に使われる言葉ですが、その意味は極めて多義的で、専門家の間でも定義が確定していない言葉だと言われています。ただ、経済的な意味合いで使われることが最も多く、経済的なグローバリゼーションという意味に限定すれば、「欧米の金融・貿易・投資ルールが世界中に普及・浸透して、経済ルールの均一化が世界レベルで進んだ結果、世界各国間の相互の金融・貿易・投資が促進されて、各国間の経済市場の融合が進み、結果的に地球規模の単一市場を現出させつつあるプロセス」といった意味になるのでしょうか。

しかし、冒頭に記したとおり、この用語は多義的で、文化や社会の分野でも使われる言葉ですから、そういう別の分野には別の暫定的な定義があるのだと思います。ただし、これらの別の分野で使われる場合も、世界各国の固有の属性が、国境をまたいで互いに融合し、世界規模でひとつの属性に均一化されていくというニュアンスがあるということは言えるのではないかと思います。というわけで、今日のテーマは「食のグローバリゼーション」です。

 

フランスのパリには、600以上の日本食レストランがあるそうですが、その中には、いわゆる「ニセ・ジャポ」と言われる日本食とはかけ離れた創作料理を出す店もたくさんあるそうです。こうした様子に危惧を抱いたのが日本政府で、何とかしてパリで日本食の統一基準を示して、本当の日本食文化を保護しようと、有識者で作る「日本食レストラン価値向上委員会」を創設し、このたびパリの"理想"とされる日本食レストランを独自に選定したようです(関連記事委員会公式サイト)。当初は、日本政府がパリの日本食レストランを公式認定する動きも、フランス政府の黙認の上であったようですが、それはあまりに行き過ぎだということで、有識者団体が非公式に選定するという形にトーンダウンしたようです。

私はパリには行ったことがないので現地の状況は分からないのですが、たしかに海外にいて、たまに和食が食べたくなって日本食レストランに入ると、ゲッと思うような未知の食べ物に出会うことがあります。たいてい、そういう店では中華やコリアンの食事も、全部一緒くたにして出していることが多く、とくに欧米諸国などでは、これらの食事は全部同じように見えてしまうのかなあという気がします。

 

しかし、今回のパリでの動きは、原案よりトーンダウンしたとはいえ、なんかすごく狭量な気がします。「日本人はうるさい」というネガティブな印象をフランス人に与える可能性はないのでしょうか。思えば、日本人こそ世界の誰よりもマネがうまく、外国の文化等を上手に取り入れて、原形をとどめないほどアレンジを加えて自分の文化に取り込んでしまうところがあるのではないでしょうか。

たとえば、日本のカレーライスは、インドのカレーとは全く別物ですね。ラーメンも、本格中華にはないメニューです。スパゲティ・ナポリタンも、イタリアンのメニューにはありません。しかし、インド政府、中国政府、イタリア政府が、東京に乗り出してきて何かをしたという話は聞いたことはありません。日本のカレー、インドのカレー、ラーメン、広東麺、ナポリタン、ポモドーロは、それぞれに別物で、それぞれに大変うまいものです。そして、みんなそれで良いと思って、落ち着いているのではないでしょうか。こういう「食のグローバリゼーション」は不可避なもので、別に止めなくても良いのではないでしょうか。

なんで日本政府はパリでこんなことをするのか、別に批判するつもりはないですが、理解はできないですね。なんか、このようなことをする必然性があったのでしょうか・・・。「ニセ・ジャポ」が普及して、誰か損をするのでしょうか。「ニセ・ジャポ」が普及すると、本格派の日本料理店が損をするという考え方もあるかも知れませんが、現実の状況は逆ではないでしょうか。「ニセ・ジャポ」が普及すると、和食のマーケットが拡大して、本格的な日本料理店も儲かるのではないでしょうか・・・。そして、日本人が日本のカレーとインドのカレーが違うことを知っていて、機会に応じて食べ分けるのと同じように、フランス人もニセ・ジャポと本格派の違いを既に知っているか、もしくはこれから学んで、両者を食べ分けるようになるのでないでしょうか。別にまったく問題ないと思うのは私だけでしょうか・・・。

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「過去の亡霊」政策

2007-01-11 | 地域情勢

10日19時(アメリカ東部時間)、ブッシュ大統領はイラク問題に関する新政策を発表しました(関連記事演説全文・動画)。新政策の骨子は、1)さらに2万1千人の兵力増派、2)今年11月までに治安維持権限をイラク政府に移譲、3)12億ドルの経済復興支援、といったもので、圧倒的な兵力で反対勢力を一掃し、親米政権の基盤を強化した上で、全面撤退するということが政策目標となっているようです。

すでに一部報道でも指摘されていますが、この新政策は、以前の投稿で取り上げたイラク研究グループ(ISG)の政策提言とは、趣きが大きく異なるものです。ISGの提言は、今回増派の部隊も含めた米軍の主要任務を、イラク政府軍に訓練を施した上で早急に移譲すること、またイランとシリア政府との外交強化などを骨子としていましたが、今回の新政策は、こうしたISG提言の中核となるポイントを採用しておらず、内容的にも互いに相反するところがあります。

もちろん、ISGの提言は、たしかに一民間シンクタンクによるひとつの提案に過ぎず、大統領が従わなければならない法的義務は一切ありません。しかし、この提言は、共和・民主両党の裏ボス的な人々によってまとめられたものであり、議会からも幅広く支持を集めていました。それだけに、ここまで内容が食い違うと、今後大統領は、政策の実行段階で様々な障害に出会う可能性が出てくるように思います。

 

その中でも最大の障害として予想されるのでは、新政策の予算承認の手続きです。アメリカの大統領の権限は、日本の総理大臣とは比較にならないほど強大なものですが、法案と予算の承認権を議会が握っている点は、日本もアメリカも同じです。そして、アメリカの連邦議会は、先般の中間選挙以来、野党の民主党が多数を占めていますから、今回の新政策の予算措置が、議会を無事通過するとは到底思えません。ですから、今後この新政策に関する最大の注目ポイントの一つは、議会で実際に予算が承認されるかどうか、もしくはどの程度変更を迫られるかという点にあると言えるでしょう。

一方、仮に何らかの政治的妥協がホワイトハウスと議会の間で成立して、政策がそのまま実行に移されることになったとしても、この新政策が現場で功を奏すかどうかは別問題です。たしかに大統領は、今回の新政策の発表に先立ち、政策の履行面で万全を期すため、関係する主要幹部の大幅な人事異動を行いました。外交面では国務副長官、国連大使、イラク大使、軍事面では、国防長官、中央軍司令官、イラク現地司令官などを、すべて入れ替えました(関連記事)。しかし、このような人事面での体制の立て直しでは、どうにもならないほど、現地情勢が混迷する可能性は大いにあります。

 

今回の新政策の特徴は、一言で言うと、「増派して、一気に叩いて、平定する」というものですが、このやり方は、かつてアメリカがベトナムから足を抜くために行った政策と酷似しています。いまから約40年前、アメリカはベトナムに中途半端に介入して足が抜けなくなり、「増派して、一気に叩いて、平定する」ために、「撤退のための増派」を重ねました(参考記事)。その結果、足だけでなく、体半分が飲み込まれてしまい、アメリカの軍事的威信は失墜、アメリカ経済は凋落し、この覇権国の没落は、他の同盟国の政治・経済にまで大きな影響を与えました。

いまのブッシュ政権の幹部には、当時のケネディ、ジョンソン、ニクソン政権によるベトナム政策に、若手スタッフとして直接関与した人も多く、軍幹部にはベトナムでの実戦経験のある人もたくさんいます。これらの人々は、当然今回の新政策が、かつてのベトナムの政策に酷似していることを知っているはずです。なぜ、こんな「過去の亡霊」のような呪われた政策を、もう一回やろうとしているのでしょうか。やはり、大統領の権限が強いということなのかな?う~む、理解に苦しみます・・・。

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潘基文氏の初仕事で

2007-01-08 | 国際社会

潘基文・国連事務総長が新たに着任し、公務を着々と進めています。その中でも、最も切迫していて、すぐに手を打たなければならなかった案件の一つが、イラクでの旧政権関係者二名に対する死刑執行への対応でした。

年末にはサダム・フセイン元大統領への死刑が執行され、残る二人の死刑執行は、前回のブログで触れたとおり、当初1月4日の予定だったのが、まず7日に順延され、さらに再び順延されている様子です。この間、潘・事務総長は、これらの死刑執行に対し、当初は「それは主権国家の決める自由」として、国連として干渉しない主旨のコメントをして、イラクの主権国家としての意思決定を尊重する立場を取っていました。しかし、この発言内容が、その少し前にルイズ・アルブール国連人権高等弁務官が発出した、国連として今回の死刑執行に反対するという主旨の公式談話と齟齬を来たしていることに気付くと、すぐに立場を翻し、今回の死刑には国連として反対するという主旨の発言を行ない、発言内容の軌道修正を行ないました(関連記事)。そして、さらに念押しをするように、残る二名に対する死刑執行を見合わせるように強く要請する公式談話を改めて発出して、かなりはっきりした方向転換を行いました(関連記事)。

この一連の出来事をとらえて、潘氏の仕事ぶりを批判したり、揶揄することが今回の投稿の目的ではありません。そうではなくて、この一連の潘氏の発言内容の修正経緯は、まさに国連が持つ二面性、ひいては国連事務総長職という公職が持つ二面性を如実に示していると思ったことが、この問題を取り上げようと思った理由です。

 

国連という組織は、以前の投稿でも触れましたが、その創設の経緯からして、基本的には主権国家の集合体としての政府間機関であり、主権国家を支配するような超国家的な世界政府ではありません。だからこそ、事務総長は、国連加盟国の調整役(コーディネーター)であって、指導者(リーダー)ではなく、加盟国の上に立って統率・指導するのではなく、加盟国の横に立って利害調整をするのが本分とされています。それでは、なぜ今回、事務総長は加盟国の意思決定に逆らうような公式見解を表明したのでしょうか。

それは、事務総長は確かに加盟国の調整役であっても、その調整は192の加盟国の相対的な利害調整ではなく、ある特定の基準に従った192の加盟国の絶対的な調整だからです。つまり、事務総長は、ただ192の加盟国の利害調整をブローカーしているのではなく、ある絶対的基準に従って利害調整を行っているということです。ですから、もし加盟国がその基準から外れた行動を取れば、その行動を修正するように強く促す義務を負っているということにもなるわけです。それでは、その利害調整のための「絶対基準」とは何でしょうか。

 

それは、国連憲章です。事務総長は、この国連憲章を基準にして、加盟国の利害調整を行っています。それでは、加盟国は、その意思に反して、この国連憲章に従うよう強制されているのでしょうか。そうではないですね・・・。そもそも、国連憲章というのは、国連の原加盟国である51カ国が国連の設立条約として自ら合意・採択したものであり、その後のすべての加盟国も、国連憲章に合意することによって国連に加盟していますから、国連憲章というのは、すべての国連加盟国の総意の表明でもあるということになります。ですから、これは一種の契約関係であり、すべての国連加盟国は、国連憲章に法的に拘束されることに、最初から自ら合意しているということで、事務総長が、それを基準にして加盟国の利害調整を行ったところで何の問題もないということになるわけです。

ただし、事務総長は、国連憲章だけを基準にして加盟国の利害調整をしているのではなく、国連憲章を中心にした国際法の規範体系(法体系)のすべてを動員して利害調整を行っています(言うまでもなく、個別の加盟国が合意していない国際法規を、それぞれの加盟国に守るように促すようなことはしません)。この規範体系の中には、国連総会などが採択した決議や、決議から発展した条約などの国際法規すべてが含まれます。そして、その中でも国連憲章に次いで最も重視されているのが、総会決議をルーツに持つ法的拘束力のある多数国間条約や、同様に拘束力を持つ安保理決議ではないかと思われます。そして、法的拘束力を持たないまでも、全会一致のコンセンサス、もしくは圧倒的大多数で採択された総会決議も、大方の加盟国の総意の表明として、事務総長の調整基準となっています。

 

さて、この話が、イラクにおける二名の死刑執行問題とどう関係してくるかということですが、上記に挙げた国連総会決議に由来する多数国間条約の中には、国際人権規約、女子差別禁止条約、児童権利条約、ジェノサイド条約、難民条約など、人権分野のものがかなり多く、事務総長、ならびにアルブール人権高等弁務官も、こうした人権条約のうちの一つを基準にして、今回の死刑執行に反対している側面があるのです。

これらの人権条約のうち、今回の国連側の判断基準となったのは、国連総会の一つである世界人権宣言から派生した人権規約で、イラク政府がこの人権規約に締約していることを踏まえ、今回の死刑判決の確定方法、ならびに執行に関する手続の中に、この人権規約に違反していると思われる点が存在していることを指摘した上で、死刑の即時執行に反対しているということなのです(事務総長の談話人権高等弁務官の談話)。

 

最初の段階で、潘・事務総長は、今回の問題を「主権国家の自由」と捉え、干渉しようとしませんでした。これは、もし潘氏が韓国の外相のような国連加盟国の政府関係者であれば、まことに適切な対応でした。また、もし人権規約のような法的拘束力を持つ条約がなかったり、あったとしても、イラクがそれに締約していなければ、国連事務総長としても適切な対応だったでしょう。しかし、事実はそうではありませんでした。

人権規約の中には、死刑に関する極めて厳格な要件が規定されており(B規約6条)、イラク政府はこれに締約していて、なおかつ今回の手続がその規定内容に違反している可能性が濃厚でした。そして、人権規約は世界人権宣言という国連総会決議から派生しており、総会決議は国連憲章から派生しています。したがって、国連の事務総長は職責上、今回の死刑執行にははっきり反対する以外に、選択肢がなかったということです。どちらでも良いということは、最初から言えなかったということです。

今回の齟齬は、着任直後ということもあり、事務総長の官房スタッフが適切に補佐すべきであったような気もしますが、今後の良い教訓になったのではないかと思います。国連は、主権国家の集合体としての政府間機関ですから、事務総長が、加盟国の主権を侵害するような発言や行動をすることは、絶対に許されないことです。しかし一方で、国連は国連憲章とその法規範を遵守することを目標とした一つの国際法上の法人ですから、そのルールに逸脱する加盟国が出れば、事務総長はその行動を指摘し、軌道修正するよう要求する職責を負っています。今回の事務総長の発言のシフトは、その国連と国連事務総長職の二面性が、鮮やかに透けて見えた一例でした。

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フセイン問題が残した課題

2007-01-04 | 国際社会

皆さま、明けましておめでとうございます。今年もどうぞ宜しくお願いいたします。

年末は、サダム・フセインの死刑執行があり、ちょっと気分が悪くなって、あまりこの材料でブログを書く気にはなれませんでした。この御用始めの日に、この問題を改めて取り上げるのは、もっとふさわしくない気もしますが、この一件は、今も現存する他の独裁者の処遇問題や、さらには独裁国家の民主化といった巨大なテーマにも関係してくる大切な問題なので、やはり触れないわけにはいかないような気がしました。

まず最初に、死刑制度の是非について触れておきますと、近年では死刑制度に反対する立場が多数派なようですが、私自身も死刑制度には反対です。理由は極めて素人的な考えによるものですが、凶悪犯罪を行ない、更生の理由が絶無だということだけで、すでに社会的に無力化されている個人の生命を、さらに国家権力が物理的に奪うことが、どうして必要なのか理解できないからです。したがいまして、冤罪の問題を脇に置いても、死刑には反対という考えです。しかし、今回のサダム・フセインの死刑執行は、このような筋論では対応できない難しい二つの問題を投げかけているように感じます。

 

まず一つ目の問題は、他の現存する独裁者に対する今後あり得る裁判や刑罰執行にも共通することなのですが、こうした独裁者を生存させたまま拘禁して、社会的に無力化するということが、現実には極めて難しいという問題です。繰り返しになりますが、私はいかなる状況下でも死刑制度には強く反対ですが、このような問題があるため、今回のような性急な死刑執行を闇雲に否定することは難しいように感じています。

今回のフセイン氏のケースにしても、もし死刑執行を順延していたらどうなっていたか考えると、やはりすぐに執行するのと、年明けまで順延するのとでは、イラク国内の抗争による死傷者数の総計は、順延していた方が多くなったように思うのです。またさらには、死刑判決を無期限に執行しない場合、もしくは終身刑にした場合を想定すると、減刑を要求するような社会運動が起きてきて、さらにもっと抗争が激化する可能性が高いように思うのです。つまり、このような社会的に影響力の強い被告の場合、普通の刑事事件の被告と事情が著しく異なり、拘留施設に拘禁して一般社会と完全に隔絶しても、その社会的影響力を減衰させることが、実際問題として極めて難しいということなのです。

もう一つの問題点は、冗談と思われてしまうかもしれませんが、脱走のリスクです。イラクでも、米軍が逮捕して、イラク政府が拘禁していた容疑者が脱走した事件が実際に一件発生していますが、紛争国、途上国では、刑務所からの脱走、さらには集団脱走といった事件は、わりと頻繁に起きています。ましてや元国家元首のような立場の被告であれば、その脱走を企図・支援する者は、刑務所の内外に無数にいる可能性もあり、脱走のリスクはより高まるのではないかと思われます。そして、実際に脱走に成功した場合、おおむね再逮捕は難しく、その被害の波及効果は論じるまでもありません。フセイン氏の場合、身柄は米軍が拘禁していたわけですが、こういう特殊なアレンジメントは、どこでも、いつまでもできることではありません。

 

さて、こうした問題をどう解決するかということですが、私は個人的に、このような社会的影響力の強い元独裁者のような者に対する刑罰の執行については、元独裁者の国籍国と利害関係が薄い第三国が執行を代行するという一つの国際制度を創設してはどうかと考えています。

具体的に言いますと、このような元独裁者の裁判を、当人の国籍国の国内裁判所、もしくは国際裁判所(たとえば国際刑事裁判所; ICC)が行ない、刑が確定した時点で、被告の国籍国の合意を前提に、その身柄を国籍国と利害関係が薄く、なおかつ国籍国から地理的に遠隔しており、さらに国際水準に見合った拘留施設を有する第三国に移転し、その第三国で刑を執行するというものです。

この第三国の選定は、自薦・他薦を含めて、関連する国際機関が協議・決定するということでよいのでないかと思いますが、どの国際機関がその任に適しているかというと、やはりいろいろ問題点はあるとしても、国連安保理が最も適任なのではないかと思います。拒否権の問題はありますが、難しい紛争解決でも拒否権が行使されないことはあるので、このような社会的な影響力を半ば失いつつある個人の処遇については、それほど協議も紛糾しないのではないかという気がします。また、身柄引き受けの候補国が出てくるかどうかという問題についても、このような厄介な国際義務を引き受けることは、その国の国益を、国際社会の中で相対的に増進することにもなりますので、必ず一案件につき複数国の候補が上がってくるものと思われます。

さらに言うまでもないことですが、この国際制度の運用に際しては、最高でも終身刑の被告にしか適用しないという条件を付しておくことが必要になると思います。もちろん、その被告である元独裁者の国籍国が、主権国家として被告をどうしても死刑にしたいということであれば、それを阻止する手段はありません。しかし、この国際制度の運用に際して、終身刑以下の被告しか引き受けないという条件を付しておくことは、死刑制度を全廃しようとする国際世論の潮流から逸脱しないためにも、どうしても必要なことではないかと思います。

 

実は、このアイディアは、かつて旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)で審理されていたミロセビッチ元大統領のケースから、思いついたものです。彼は大変やり手の独裁者で、ボスニア紛争やコソボ紛争を自ら扇動して火をつけ、紛争中に無数の一般市民を殺害することを指揮しておきながら、一方では国内の一部から絶大な支持を受けて、国家元首レベルの選挙に複数回当選し、欧米諸国とも対等に渡り合う"天才肌"の政治家でした。しかし、コソボ紛争翌年の2000年の大統領選で破れ、国内政治の力学が変わると同時に当局に逮捕されて、指名手配をかけていたICTYに引き渡されたのでした。

この一件で目を引いたのは、彼の身柄がオランダ・ハーグにあるICTYに移された途端に、彼の母国での社会的影響力が激減した様子でした。彼はICTYの拘留施設からも母国の選挙に立候補するなど、まったく反省することなく、政治活動を継続しようとしていたのですが、身柄が遠いオランダに移されてからは、もはや過去の人という感じでどんどん影響力を失い、最後は持病の心臓病が悪化して獄中で病死しました。彼の場合、刑の執行前の審理中に亡くなったわけですが、あれほど絶大な人気を誇っていたのに、地理的に隔絶した第三国に身柄が移された途端に、社会的な影響力を失ってしまった様子は、まことに印象的でした。

 

こうしたケースを見てみると、当人の身柄を、地理的に隔絶した第三国に移転するだけで、とても大きな効果があることが伺えます。しかし、ICCやICTYはあくまで法を適用して判決を出す裁判所であって、判決を執行する機能はありません。また、これらの国際裁判所を利用しない国も多数あります。その意味でも、上記のような新たな国際制度を創設するのは、どうかと思った次第です。

今日再び、サダム・フセインと同時に死刑判決を受けた二人の被告に対して、イラクで死刑が執行されます(関連記事)。そして、今後似たようなことが、他の国や地域でも起きる可能性は低くないように感じています。いつまでもこんなことを続けていくのは、国際世論の潮流に逆行することになりますし、ほかの国や地域の独裁者をより意固地にすることにもなりかねません。やはり、このような高度に政治的な問題は、透明性の高い政治的に中立的な国際制度の中で解決する方が理に適っていますし、現存の独裁政の国々の民主化を促進する上でも役立つのような気がするのですが、いかがでしょうか。
 

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