国際情勢について考えよう

日常生活に関係ないようで、実はかなり関係ある国際政治・経済の動きについて考えます。

世銀総裁のスキャンダルの本質

2007-05-20 | 国際社会

世界銀行のウォルフォウィッツ総裁の辞任が(やっと)決まりました。言うまでもなく、国際復興開発銀行(IBRD)を中核とする世銀グループは、あらゆる国際機関の中でも世界最大の融資額を途上国に貸与する巨大な国際支援機関です(世銀メイン・サイト)。その業務の中核は、途上国の経済・社会開発ですが、この活動目的を達成する手段の一つとして、途上国政府における汚職対策も、支援事業の大きな柱の一つとして据えられています(参考情報)。

 

途上国開発事業の中に途上国政府の汚職対策が盛り込まれている理由は、これも言うまでもないことですが、現地政府の汚職が現地における支援事業の事業効率を落とすだけでなく、支援国による資金調達のモティベーションも落とすなど、支援事業全体に与える負のインパクトがあまりに大きいからです。したがって、このような汚職対策事業を実施する機関のトップが、自ら説明のできない行為(関連記事)を行っていたことは、まことに愚かなことであり、辞任は遅きに失したといわざるを得ません。

 

 

一方、後任人事をめぐっては、アメリカ人ばかりが世銀の総裁を占めるのはおかしいという声が一部で上がっているようですが(関連記事)、私は必ずしもそうは思いません。世銀は巨額の融資資金を主要な活動資本とする独特の国際支援機関であり、こうした機関のトップには、やはり世界最大の経済大国の出身者がなるのが、効率的な事業運営の上で欠かせないように思うからです。

 

国連の事務総長のように、中小国の出身者が組織のトップになるのは、たしかに理想的かつ民主的に見えますが、世銀のようなおカネが主要な活動資本となる組織で同じことをやれば、中小国が主導した意思決定に対し、実施段階になって大国が賛同できずにおカネを出せなくなるといった問題が必ず生じてきます。ですから、世銀のような独特の組織では、やはり経済大国の出身者がトップになるのが、効率的な組織運営の上でも、受益者である途上国のメリットを考えても、ベストだと思うのです。

 

 

また、ウォルフォウィッツ氏のようなイラク戦争を主導した人間が、そもそも世銀総裁のようなポストをやるべきではなかったのだという論調も時折見かけますが、こうした彼のバックグラウンドと、世銀での仕事ぶりは互いに直接関連しませんから、このような指摘もやや的外れという気がします。

 

事実、かつてベトナム戦争を主導したマクナマラ元国防長官は、長官辞任後まもなく世銀総裁に転じ、世銀の活動資金と活動規模を飛躍的に拡大させるなど、多くの功績を残しました。イラク戦争もベトナム戦争も最悪の戦争ですが(戦争はすべて最悪ですが)、やはり仕事の能力で人を見るべきなのではないかという気がします。その点、ウォルフォウィッツ氏は、仕事の核心に触れる致命的なミスを犯しました。世銀の受益者である途上国市民のためにも、一日も早く後任人事を決めて、深く沈み込んだ世銀のモラルを早く回復してほしいものです。



 

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銃規制と核不拡散

2007-04-19 | 国際社会


アメリカと日本で、立て続けに銃による大きな事件が起きました。アメリカでは、改めて銃社会の問題点が浮き彫りになったようですが、これほどのことがあっても、本気で銃規制を進めるべきだという主張は、日本人が大声で唱えているだけで、アメリカ人の間ではあまり見受けられません(関連記事)。これもおそらく、銃で国土を開拓し、銃で秩序を維持してきたアメリカ建国の歴史と深い関係があるのでしょうか。

 

かつて私は、ニューヨーク・マンハッタンのロウワー・イースト・サイドの近くや、ハーレムという所に二年ほど住んでいたことがありました(地図)。両地域とも、あまり治安の良いところではありませんでしたが、殴り合いの喧嘩どころか、激しい口論さえも一度も目にすることはありませんでした。その謎は、アメリカ人の友人に説明してもらって、間もなく解けました。

 

その友人によると、アメリカの治安の良くないところでは、誰が銃を持っているか分からないので、うかつに口論もできないのだということでした。たしかに、派手な口論も殴り合いも一度も見かけませんでしたが、斜め向かいのアパートで銃の発砲事件はありました。日本では、人間関係のこじれが、不和→口論→殴り合い→殺人事件と、段階的に事件に発展するのだろうけれども、アメリカでは、不和→殺人事件と一気にエスカレートする場合があるので、うかつに口論もできないということでした。このことは、アメリカ社会全体に一般化して考えることはできないかもしれませんが、ニューヨークの一部では、たしかにそのような状況があると感じました。

 

 

ニューヨークのマンハッタンという場所は、アメリカの中でも極めて特殊な地域であり、ここでの出来事を、アメリカ社会全体の傾向を考える材料として捉えることはできません。しかし、ここに住んでいる間、誰が銃を持っているか分からないという疑念が、逆に人々の間で争い事を引き起こさないようにする抑止力として働いているということを、たしかに感じたことがありました。お互い肌の色も、価値観も、経済力も、また時には言語も国籍も違うのに、なぜか皆お互いに礼儀正しく暮らしている様子を見て、そんなことを感じることがりました。

 

しかし、このことによって銃を持つことは良いことだという結論は引き出されないように感じます。今回のアメリカの大学での事件のように、日本では起きない事件が、銃社会のアメリカでは起きるからです。やはり、銃が野放しで蔓延している状態は、銃がしっかり規制されている状態よりも、トータル的に見ればデメリットの方が大きいのではないかと思います。

 

 

ちなみに、この銃規制の論点は、スケールアップすると、そのまま核兵器の拡散防止の論点にも通じてきます。核兵器を保有・開発する国は、必ずと言っていいほど、「核兵器の圧倒的な破壊力は、大規模戦争を予防する上で有効な「抑止力(detterance)」として作用するのだから、核兵器を保有・開発することは、世界平和を維持することにつながるのだ」という主旨の論法を展開します。しかし、これは物事の一面だけを取り上げた偏った見方です。

 

まず核兵器を保有・開発するには、莫大な資金がかかり、その分、社会保障や公共投資などの他の貴重な財源を食ってしまいます。また配備した後は、何らかのヒューマン・エラーによって偶発的な核戦争が起きてしまう確率をゼロにすることは不可能ですから、その破滅的なリスクと隣り合わせで同居することになります。さらには、核兵器を保有している国は、他の同じ核保有国によって、非核国よりも優先度の高い核攻撃のターゲットに選定されますから、核保有国は、非核国よりも核攻撃される可能性が常に高い立場に自らをさらすことになります。

 

つまり、核兵器が、戦争を予防する上での圧倒的な「抑止力」を備えていることは事実なのですが、それは物事の一面だけであって、そのメリットをはるかに上回る破滅的なデメリットがあるということです。この核武装のデメリットの一部の論点は、銃社会におけるデメリットとも共通しているところがあるようにも感じます。

 

 

先ごろ銃弾に倒れた伊藤一長・長崎市長は、奇しくも被爆地域の首長であり、かつて国際司法裁判所(ICJ)で「核兵器の使用・威嚇は、国際法に違反するか」という勧告的意見の諮問が行われたとき、参考人の一人として現地に赴き意見を述べたことがありました。ICJは、司法判断が可能な国際問題について、国際法を適用して判決を下したり、法的意見を述べる国際裁判所ですが、伊藤市長は半ば当事者の立場から率直に所感を述べ、それが今も公式記録に残されています(関連サイト勧告的意見の原本)。

 

この勧告的意見諮問の結果は、「核兵器の使用と威嚇を禁止する国際法上の実定法は現時点で存在しない。国家存亡の危機に際しては、法的な適否を判断できない」という主旨のものであり、これはこれで、司法機関であるICJが、高度に政治的な問題に対して、可能な限りのギリギリの見解を示したものとして評価できます。

 

 

銃規制にしろ、核兵器の拡散防止にしろ、それぞれの立場が、自分の立場を主張するだけでなく、反対の立場をじっくり学ぶことは、議論を収斂・昇華していく上で大切です。銃規制でいえば、全米ライフル協会のようなところは、日本の主流の論調に学ぶべきですし、私たちの多くは彼らの意見をじっくり傾聴して、論点の噛み合う議論をすべきです。また、核武装論者は、非核論者の意見を学ぶべきですし、非核論者は核抑止理論などをしっかり学んで、核武装論者と論点の噛み合う議論をすべきだろうと思います。今日はトピックがあちこち飛びましたが、銃による事件の多発に接して、そんなことを考えました。


 

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潘基文氏の初仕事で

2007-01-08 | 国際社会

潘基文・国連事務総長が新たに着任し、公務を着々と進めています。その中でも、最も切迫していて、すぐに手を打たなければならなかった案件の一つが、イラクでの旧政権関係者二名に対する死刑執行への対応でした。

年末にはサダム・フセイン元大統領への死刑が執行され、残る二人の死刑執行は、前回のブログで触れたとおり、当初1月4日の予定だったのが、まず7日に順延され、さらに再び順延されている様子です。この間、潘・事務総長は、これらの死刑執行に対し、当初は「それは主権国家の決める自由」として、国連として干渉しない主旨のコメントをして、イラクの主権国家としての意思決定を尊重する立場を取っていました。しかし、この発言内容が、その少し前にルイズ・アルブール国連人権高等弁務官が発出した、国連として今回の死刑執行に反対するという主旨の公式談話と齟齬を来たしていることに気付くと、すぐに立場を翻し、今回の死刑には国連として反対するという主旨の発言を行ない、発言内容の軌道修正を行ないました(関連記事)。そして、さらに念押しをするように、残る二名に対する死刑執行を見合わせるように強く要請する公式談話を改めて発出して、かなりはっきりした方向転換を行いました(関連記事)。

この一連の出来事をとらえて、潘氏の仕事ぶりを批判したり、揶揄することが今回の投稿の目的ではありません。そうではなくて、この一連の潘氏の発言内容の修正経緯は、まさに国連が持つ二面性、ひいては国連事務総長職という公職が持つ二面性を如実に示していると思ったことが、この問題を取り上げようと思った理由です。

 

国連という組織は、以前の投稿でも触れましたが、その創設の経緯からして、基本的には主権国家の集合体としての政府間機関であり、主権国家を支配するような超国家的な世界政府ではありません。だからこそ、事務総長は、国連加盟国の調整役(コーディネーター)であって、指導者(リーダー)ではなく、加盟国の上に立って統率・指導するのではなく、加盟国の横に立って利害調整をするのが本分とされています。それでは、なぜ今回、事務総長は加盟国の意思決定に逆らうような公式見解を表明したのでしょうか。

それは、事務総長は確かに加盟国の調整役であっても、その調整は192の加盟国の相対的な利害調整ではなく、ある特定の基準に従った192の加盟国の絶対的な調整だからです。つまり、事務総長は、ただ192の加盟国の利害調整をブローカーしているのではなく、ある絶対的基準に従って利害調整を行っているということです。ですから、もし加盟国がその基準から外れた行動を取れば、その行動を修正するように強く促す義務を負っているということにもなるわけです。それでは、その利害調整のための「絶対基準」とは何でしょうか。

 

それは、国連憲章です。事務総長は、この国連憲章を基準にして、加盟国の利害調整を行っています。それでは、加盟国は、その意思に反して、この国連憲章に従うよう強制されているのでしょうか。そうではないですね・・・。そもそも、国連憲章というのは、国連の原加盟国である51カ国が国連の設立条約として自ら合意・採択したものであり、その後のすべての加盟国も、国連憲章に合意することによって国連に加盟していますから、国連憲章というのは、すべての国連加盟国の総意の表明でもあるということになります。ですから、これは一種の契約関係であり、すべての国連加盟国は、国連憲章に法的に拘束されることに、最初から自ら合意しているということで、事務総長が、それを基準にして加盟国の利害調整を行ったところで何の問題もないということになるわけです。

ただし、事務総長は、国連憲章だけを基準にして加盟国の利害調整をしているのではなく、国連憲章を中心にした国際法の規範体系(法体系)のすべてを動員して利害調整を行っています(言うまでもなく、個別の加盟国が合意していない国際法規を、それぞれの加盟国に守るように促すようなことはしません)。この規範体系の中には、国連総会などが採択した決議や、決議から発展した条約などの国際法規すべてが含まれます。そして、その中でも国連憲章に次いで最も重視されているのが、総会決議をルーツに持つ法的拘束力のある多数国間条約や、同様に拘束力を持つ安保理決議ではないかと思われます。そして、法的拘束力を持たないまでも、全会一致のコンセンサス、もしくは圧倒的大多数で採択された総会決議も、大方の加盟国の総意の表明として、事務総長の調整基準となっています。

 

さて、この話が、イラクにおける二名の死刑執行問題とどう関係してくるかということですが、上記に挙げた国連総会決議に由来する多数国間条約の中には、国際人権規約、女子差別禁止条約、児童権利条約、ジェノサイド条約、難民条約など、人権分野のものがかなり多く、事務総長、ならびにアルブール人権高等弁務官も、こうした人権条約のうちの一つを基準にして、今回の死刑執行に反対している側面があるのです。

これらの人権条約のうち、今回の国連側の判断基準となったのは、国連総会の一つである世界人権宣言から派生した人権規約で、イラク政府がこの人権規約に締約していることを踏まえ、今回の死刑判決の確定方法、ならびに執行に関する手続の中に、この人権規約に違反していると思われる点が存在していることを指摘した上で、死刑の即時執行に反対しているということなのです(事務総長の談話人権高等弁務官の談話)。

 

最初の段階で、潘・事務総長は、今回の問題を「主権国家の自由」と捉え、干渉しようとしませんでした。これは、もし潘氏が韓国の外相のような国連加盟国の政府関係者であれば、まことに適切な対応でした。また、もし人権規約のような法的拘束力を持つ条約がなかったり、あったとしても、イラクがそれに締約していなければ、国連事務総長としても適切な対応だったでしょう。しかし、事実はそうではありませんでした。

人権規約の中には、死刑に関する極めて厳格な要件が規定されており(B規約6条)、イラク政府はこれに締約していて、なおかつ今回の手続がその規定内容に違反している可能性が濃厚でした。そして、人権規約は世界人権宣言という国連総会決議から派生しており、総会決議は国連憲章から派生しています。したがって、国連の事務総長は職責上、今回の死刑執行にははっきり反対する以外に、選択肢がなかったということです。どちらでも良いということは、最初から言えなかったということです。

今回の齟齬は、着任直後ということもあり、事務総長の官房スタッフが適切に補佐すべきであったような気もしますが、今後の良い教訓になったのではないかと思います。国連は、主権国家の集合体としての政府間機関ですから、事務総長が、加盟国の主権を侵害するような発言や行動をすることは、絶対に許されないことです。しかし一方で、国連は国連憲章とその法規範を遵守することを目標とした一つの国際法上の法人ですから、そのルールに逸脱する加盟国が出れば、事務総長はその行動を指摘し、軌道修正するよう要求する職責を負っています。今回の事務総長の発言のシフトは、その国連と国連事務総長職の二面性が、鮮やかに透けて見えた一例でした。

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フセイン問題が残した課題

2007-01-04 | 国際社会

皆さま、明けましておめでとうございます。今年もどうぞ宜しくお願いいたします。

年末は、サダム・フセインの死刑執行があり、ちょっと気分が悪くなって、あまりこの材料でブログを書く気にはなれませんでした。この御用始めの日に、この問題を改めて取り上げるのは、もっとふさわしくない気もしますが、この一件は、今も現存する他の独裁者の処遇問題や、さらには独裁国家の民主化といった巨大なテーマにも関係してくる大切な問題なので、やはり触れないわけにはいかないような気がしました。

まず最初に、死刑制度の是非について触れておきますと、近年では死刑制度に反対する立場が多数派なようですが、私自身も死刑制度には反対です。理由は極めて素人的な考えによるものですが、凶悪犯罪を行ない、更生の理由が絶無だということだけで、すでに社会的に無力化されている個人の生命を、さらに国家権力が物理的に奪うことが、どうして必要なのか理解できないからです。したがいまして、冤罪の問題を脇に置いても、死刑には反対という考えです。しかし、今回のサダム・フセインの死刑執行は、このような筋論では対応できない難しい二つの問題を投げかけているように感じます。

 

まず一つ目の問題は、他の現存する独裁者に対する今後あり得る裁判や刑罰執行にも共通することなのですが、こうした独裁者を生存させたまま拘禁して、社会的に無力化するということが、現実には極めて難しいという問題です。繰り返しになりますが、私はいかなる状況下でも死刑制度には強く反対ですが、このような問題があるため、今回のような性急な死刑執行を闇雲に否定することは難しいように感じています。

今回のフセイン氏のケースにしても、もし死刑執行を順延していたらどうなっていたか考えると、やはりすぐに執行するのと、年明けまで順延するのとでは、イラク国内の抗争による死傷者数の総計は、順延していた方が多くなったように思うのです。またさらには、死刑判決を無期限に執行しない場合、もしくは終身刑にした場合を想定すると、減刑を要求するような社会運動が起きてきて、さらにもっと抗争が激化する可能性が高いように思うのです。つまり、このような社会的に影響力の強い被告の場合、普通の刑事事件の被告と事情が著しく異なり、拘留施設に拘禁して一般社会と完全に隔絶しても、その社会的影響力を減衰させることが、実際問題として極めて難しいということなのです。

もう一つの問題点は、冗談と思われてしまうかもしれませんが、脱走のリスクです。イラクでも、米軍が逮捕して、イラク政府が拘禁していた容疑者が脱走した事件が実際に一件発生していますが、紛争国、途上国では、刑務所からの脱走、さらには集団脱走といった事件は、わりと頻繁に起きています。ましてや元国家元首のような立場の被告であれば、その脱走を企図・支援する者は、刑務所の内外に無数にいる可能性もあり、脱走のリスクはより高まるのではないかと思われます。そして、実際に脱走に成功した場合、おおむね再逮捕は難しく、その被害の波及効果は論じるまでもありません。フセイン氏の場合、身柄は米軍が拘禁していたわけですが、こういう特殊なアレンジメントは、どこでも、いつまでもできることではありません。

 

さて、こうした問題をどう解決するかということですが、私は個人的に、このような社会的影響力の強い元独裁者のような者に対する刑罰の執行については、元独裁者の国籍国と利害関係が薄い第三国が執行を代行するという一つの国際制度を創設してはどうかと考えています。

具体的に言いますと、このような元独裁者の裁判を、当人の国籍国の国内裁判所、もしくは国際裁判所(たとえば国際刑事裁判所; ICC)が行ない、刑が確定した時点で、被告の国籍国の合意を前提に、その身柄を国籍国と利害関係が薄く、なおかつ国籍国から地理的に遠隔しており、さらに国際水準に見合った拘留施設を有する第三国に移転し、その第三国で刑を執行するというものです。

この第三国の選定は、自薦・他薦を含めて、関連する国際機関が協議・決定するということでよいのでないかと思いますが、どの国際機関がその任に適しているかというと、やはりいろいろ問題点はあるとしても、国連安保理が最も適任なのではないかと思います。拒否権の問題はありますが、難しい紛争解決でも拒否権が行使されないことはあるので、このような社会的な影響力を半ば失いつつある個人の処遇については、それほど協議も紛糾しないのではないかという気がします。また、身柄引き受けの候補国が出てくるかどうかという問題についても、このような厄介な国際義務を引き受けることは、その国の国益を、国際社会の中で相対的に増進することにもなりますので、必ず一案件につき複数国の候補が上がってくるものと思われます。

さらに言うまでもないことですが、この国際制度の運用に際しては、最高でも終身刑の被告にしか適用しないという条件を付しておくことが必要になると思います。もちろん、その被告である元独裁者の国籍国が、主権国家として被告をどうしても死刑にしたいということであれば、それを阻止する手段はありません。しかし、この国際制度の運用に際して、終身刑以下の被告しか引き受けないという条件を付しておくことは、死刑制度を全廃しようとする国際世論の潮流から逸脱しないためにも、どうしても必要なことではないかと思います。

 

実は、このアイディアは、かつて旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)で審理されていたミロセビッチ元大統領のケースから、思いついたものです。彼は大変やり手の独裁者で、ボスニア紛争やコソボ紛争を自ら扇動して火をつけ、紛争中に無数の一般市民を殺害することを指揮しておきながら、一方では国内の一部から絶大な支持を受けて、国家元首レベルの選挙に複数回当選し、欧米諸国とも対等に渡り合う"天才肌"の政治家でした。しかし、コソボ紛争翌年の2000年の大統領選で破れ、国内政治の力学が変わると同時に当局に逮捕されて、指名手配をかけていたICTYに引き渡されたのでした。

この一件で目を引いたのは、彼の身柄がオランダ・ハーグにあるICTYに移された途端に、彼の母国での社会的影響力が激減した様子でした。彼はICTYの拘留施設からも母国の選挙に立候補するなど、まったく反省することなく、政治活動を継続しようとしていたのですが、身柄が遠いオランダに移されてからは、もはや過去の人という感じでどんどん影響力を失い、最後は持病の心臓病が悪化して獄中で病死しました。彼の場合、刑の執行前の審理中に亡くなったわけですが、あれほど絶大な人気を誇っていたのに、地理的に隔絶した第三国に身柄が移された途端に、社会的な影響力を失ってしまった様子は、まことに印象的でした。

 

こうしたケースを見てみると、当人の身柄を、地理的に隔絶した第三国に移転するだけで、とても大きな効果があることが伺えます。しかし、ICCやICTYはあくまで法を適用して判決を出す裁判所であって、判決を執行する機能はありません。また、これらの国際裁判所を利用しない国も多数あります。その意味でも、上記のような新たな国際制度を創設するのは、どうかと思った次第です。

今日再び、サダム・フセインと同時に死刑判決を受けた二人の被告に対して、イラクで死刑が執行されます(関連記事)。そして、今後似たようなことが、他の国や地域でも起きる可能性は低くないように感じています。いつまでもこんなことを続けていくのは、国際世論の潮流に逆行することになりますし、ほかの国や地域の独裁者をより意固地にすることにもなりかねません。やはり、このような高度に政治的な問題は、透明性の高い政治的に中立的な国際制度の中で解決する方が理に適っていますし、現存の独裁政の国々の民主化を促進する上でも役立つのような気がするのですが、いかがでしょうか。
 

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内戦から国家間紛争へ

2006-12-28 | 国際社会

いわゆる内戦(国内紛争)が、国家間紛争(国際紛争)に転化・拡大する事例、もしくはそのようになりつつある事例が、ここ1ヶ月の間に増えてきています。

一つはエチオピアとソマリアの間の戦争です。もともとこの国際紛争は、ソマリアの内戦から始まりました。ソマリアでは、1991年に中央政府が反政府勢力に倒されて以来、ちょうど日本の戦国時代のときのように、国内の各氏族(クラン)が群雄割拠して、中央政府というものが事実上存在しない無政府状態が続いています。ここ数年は、名前だけの暫定政府と、国土の多くを実効支配する有力氏族の連合体である「イスラム法廷連合(UIC)」という反政府勢力が内戦を繰り広げています。そして、イスラム法廷連合は、首都モガディシュをはじめ、国土の大半を実効支配しているため、このまま事態を放置すると、こちらの方が正統政府になる可能性もありました。

しかし、ここに来て、隣国エチオピアが、公然とソマリア国内に侵攻し、ソマリア暫定政府と結託して、イスラム法廷連合に対する組織的な武力攻撃を開始するようになりました(関連記事)。まさに、内戦が国際紛争に転化してしまったということです。エチオピアがソマリアに侵攻した理由はとしては、表向きは、イスラム法廷連合がイスラム原理主義過激派の一派であり、アルカイダ・ネットワークとも関係があるので、こうした過激分子のエチオピア国内への浸透を防止するためとされています。たしかに、これは部分的には事実のようですが、それよりももっと実態に近い理由としては、エチオピアと国境紛争を戦っているエリトリアが、ソマリアのイスラム法廷連合を支援して、エチオピアの不安定化を図っているため、エチオピアが黙っていられなくなったという点が指摘されています(参考地図)。つまり、エチオピアは、ソマリアの反政府勢力を介して、結局エリトリアに反撃しているということです。

 

もう一つの事例は、まだ国際戦争の段階には至っていませんが、アフガニスタンにおけるタリバン勢力の復興というアフガニスタンの国内問題が、アフガニスタンとパキスタンの対立激化を招いている事例です(関連記事地図)。このアフガニスタンの国内問題の背景には、隣国パキスタンが抱える地政学的条件があると指摘されています。 ― もともとパキスタンという国は、少し離れたカスピ海沿岸地域の石油・天然ガスの産出国へのアクセス、国内の治安維持、国内経済の安定などの理由により、背後に控えるアフガニスタンが、常にパキスタンの言うことを聞くような状態に保っておかなければならない地政学的条件を抱えています。そのため、パキスタンは、これまでアフガニスタンに、親パキスタン的な政権を樹立・維持するために、様々な努力をしてきました。2001年の同時多発テロまで、アフガニスタンのタリバンを、パキスタン政府が公然と支援してきたのも、そのためです。

しかし、同時多発テロが起きて、タリバンがアルカイダ・ネットワークと密接な相互協力関係にあることが明るみに出てからは、パキスタンは大っぴらにタリバンを支援することができなくなりました。しかし、パキスタンとアフガニスタンの地理的関係は不動ですから、2001年以降、パキスタンは相当苦労してきたものと思われます。しかし、ここ一年ほどですが、アフガニスタンではタリバンの勢いが再び急速に復興し、国内の治安も急激に悪化するようになりました。まだ何とも言えませんが、やはりパキスタンが密かにタリバン支援を再開したためではないかということが言われており、最近ではアフガニスタンのカルザイ大統領は、パキスタン政府を公然と非難するようになって、両国の関係は日増しに悪化しています。

 

これら二つのケースは、国際テロ・ネットワークの活動拠点を今後いかに無力化していくかという問題とも密接に関係しているので、アメリカやEU諸国、ロシアなどの大国の利害関心事項でもあり、単なる地域紛争という枠組みを超えた大きな国際問題と言えます。地域の利害と、国際社会の利害が複雑に絡み合っていて、解決が容易でないことも今から予測されます。

しかし、このような小さな国内問題が国際戦争に転化、もしくは転化しつつある状況の中で、一つだけ良いこともあります。犠牲者が出ている問題なので、「良いこと」と言うのは語弊がありますが、不幸中の幸いと言えることが一つだけあります。それは、国内問題としてくすぶっていた段階では、国連などの第三者が仲介に乗り出せなかったのが、国際問題に転化してしまうと、当事国はもはや内政干渉を理由に、第三者の仲介や干渉を排除しづらくなるということです。大国が軍事介入するのは困りますが、外交的手段で、大国が国連の内外で和平交渉を仲介できるようになるのは、悪いことではありません。

悪い問題は内側に潜んでいるときは、その問題が存在しないかのように見えて、何となく気分はいいかもしれませんが、問題の根本的解決が遅れてしまいます。悪い問題が表沙汰になるのは、不愉快なことですが、それだけ問題の根本的解決が早くなります。そんなふうに前向きに捉えて、これらの問題と向き合えれば幸いです。 ― 最後に後味が悪いことを言って申し訳ありませんが、その意味では、ロシアのチェチェン問題などは、実に深刻です。

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国連をもっと利用しよう

2006-12-18 | 国際社会


今日は、日本が国連に加盟して、ちょうど50周年目の日になります。ということで、都内ではその記念式典も開催されました(記事関連資料)。もともと、国連というのは、United Nations、つまり第二次世界大戦に勝利した「連合国」の主導で出発した経緯がありますから、枢軸国側で戦って負けた日本が国連に加盟して、国際社会に復帰できたのは、とくに戦後間もない日本にとっては、悲願達成と言ってよいほどのものだったに違いないように思います。

しかし、日本と国連に、このような独特の出会いの経緯があるためか、日本の国連に対するイメージは、かなり"良い"イメージに偏ってしまっているように感じることがあります。国連というものが、あたかも国際平和の象徴であるかのような一種の国連崇拝のようなものが見受けられることもあります。そして、こうした国連崇拝のようなものが一般に広く浅く浸透しているためか、国連を巧みに批判したりすると、何やら事情通であるかのようなステイタスが得られるような一種の国連コンプレックスのようなものも、日本社会の中にはあるように見受けます。これらの視点は、間違ったものではないのかもしれませんが、国連の実態を考えると、やや違和感を覚えてしまうことがあります。

 

もともと国連というのは、第二次世界大戦中に、アメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相が大西洋憲章の中で確認したとおり、国際連盟が第二次大戦を防げなかった反省を踏まえて、大規模な世界戦争の再発を防止する目的で創設されたものです。つまり、国連というのは、当たり前のことではありますが、世界各国のための外交ツールの一つとして作られたものであって、その存在意義は、各国政府が自国の国益や国際社会の共通利益を増進するために、「利用する」ところにあります。

つまり、国連というのは、私たちにとって、評論家のような第三者的な立場から批判したり、崇拝するためのものではなく、当事者として利用するために存在しているということになります。一般市民の一人ひとりにとっても、その人の属する国が国連に加盟していれば、国民が国家を構成し、国家が国連を構成していますから、やはりその市民一人ひとりも、広い意味で国連の当事者、利害関係者ということになるのではないかと思います。

 

このように、国連というのは、関係国が「利用する」ために創設したという元々の起源がありますので、加盟国は国連を奉ったり、こき下ろすのではなく、建設的な議論をしながら、それをいかに外交手段として有効利用するかということに知恵を絞ることが求められています。 ― しかしながら、国連は主権国家の集合体という側面を持っていることから、そこにはもとより構造的な強みと弱みがあります。はじめから、国連での解決に向いている問題と、それに向いていない問題というのがあるのです。たとえば、国連は主権国家の集合体であるからこそ、国際社会の中で強い影響力を持つ大国が自ら積極的に作り出している問題については、かなり無力なところがあります。

一方、自然発生的にやむなく起きた問題や、中小国が作り出した問題、国家間の微妙な利害のズレによってこじれた問題については、国連は主権国家の集合体として、重層的で複合的な多国間協議を繰り返し何度でも行うことができますので、外交の枠組みとしてかなり有効に機能できるところがあります。したがって、国連加盟国の多くは、何でも国連で解決しようとするのではなく、与えられた個々の問題が、国連での解決に馴染みやすい性質を持っているかどうかを見極めてから、それを国連の中に取り込むか、国連の外に出して解決を図るか判断しているところがあります。

 

たとえば、具体的な実例を挙げますと、スーダンのダルフール紛争のようなケースは、事態がかなり深刻なのですが、大国の関与が薄いので、国連の枠組みが有効に働く事例の一つと言えます。過去の例を出しますと、東ティモールや紛争後のコソボのようなケースも、大国がウラで糸を引いているような側面が少なかったので、国連が大きな役割を果たすことができました。経済社会分野では、途上国の貧困問題への取り組み、地球温暖化対策なども、大国が現在進行形で意図的に問題を悪化させるような関与をしていなかったり、もしくはそのような関与をしようがないため、国連の枠組みに比較的馴染みやすい問題だと言えます。

一方、大国が紛争に意図的に絡んでいるケースでは、国連はほとんど機能できず、国連の外で解決を図るしかない場合も少なくありません。代表例としては、アメリカが深く関与している中東紛争(パレスチナ紛争)が挙げられます。また、イラク問題も、国連の中で一番力の強いアメリカ自身が、いまのところ国連の関与を拒絶しているので、当面国連が関与するのは困難です。経済社会分野では、主要通貨の安定といった問題、先進国経済の安定成長といった問題は、世界中のすべての国が大きな影響を受ける問題であっても、経済大国が意図的にコントロールできる範囲が大きく、それ以外の国はほとんど影響力を持たないので、関係国はG8という独自の枠組みを国連の外に作って協議をしている実情があります。

ちなみに、北朝鮮やイランの核問題については、上記のような理由とはやや違う要因が作用して、本交渉が国連の外で行われているところがあります。北朝鮮問題は、国連の枠組みに馴染みやすい問題ではありますが、六カ国協議のメンバー(米・中・露・日・韓・朝)という、そこへ足すことも引くこともできない絶妙のメンバー構成を、国連の枠組みを利用して参集させることが法制度上難しかったから国連の外に出たと言えるように思います。また、イラン問題も、アメリカとイランの間の交渉チャンネルが実質的に存在しないために、EUの中核を成す英・仏・独が結束してイランを説得してきた経緯もあり、安保理常任理事国(英・仏・米・露・中)にドイツを加えた変則的な枠組みを独自に創出した経緯があります。

 

このように多くの国々は、国連を利用できる場合は徹底的に利用し、利用できない場合は外に出て問題解決を図るという、きわめて現実的な行動様式を心得ています。国連には、地球上のほぼ全ての主権国家が加盟しており、その合意形成のルールもすでに国連憲章の中に設定されていて、何らかの国際的な問題を持ち込む場合、改めて交渉ルールの設定でもめる必要がないなど、極めて安価な外交コストで問題解決を図ることができるメリットがあります。また、総会、安全保障理事会、経済社会理事会、国際司法裁判所など、問題の性質に従った分野ごとの交渉(司法判断)のテーブルも用意されていて、加盟国は一定の分担金さえ払えば、これらの「施設」を自由に利用することができます。

国連加盟50周年を迎え、日本もことさらに国連を崇拝したり、批判する段階を卒業し、これをいかに有効利用していくかという視点で、国連を見つめ直すことができれば幸いです。


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フセイン裁判

2006-11-06 | 国際社会

サダム・フセイン前イラク大統領が、イラクの国内法廷で死刑判決を受けました。今後、上訴審に進み、そこでも同じ判決が出れば、判決は確定し、刑の執行を待つ身になるものと思われます(報道)。

私は今回の判決を、少し残念に思っています。理由は二つあります。一つは、こうした非人道的な独裁者に死刑判決を出すことが、今後国際社会の一つのトレンドになると、無慈悲な独裁者が相次いで政権を握るような多くの開発途上国、紛争国で、法の名を借りた際限のない報復合戦のようなものが、国際社会の中でも容認されるようになっていくような気がするからです。

もう一つの理由は、この判決を北朝鮮やミャンマー、スーダン等々の政治指導者たちが見ていて、政権から滑り落ちたらオシマイだと、ますます政権に固執して独裁化を進めるようになり、結果的にそうした国の国内状況と国際情勢が、さらに悪化していくような気がするからです。

 

実は、国際社会には、「国際刑事裁判所(ICC, The International Criminal Court)」という、国際刑事法を中立的な立場から適用する国際裁判所が2002年に設置されており、既にいくつかの事案について審理を始めています(公式サイト解説Wikipedia。現時点で、いかなる国も、このICCの規程に同意すれば、いつでも事案を持ち込むことができる用意が整っています

ただ、イラクはICCの規程に同意していませんし、審理対象がICC設立以前に起きた事案だったため、今回は国内裁判所で審理することになったのだろうと思います。ICCには、完全に中立的な司法機関としての特徴が備わっているため、理論上は、テロリスト支援国家がこれに加盟して、対テロ戦争を展開する他の加盟国の国民を訴えるようなこともできます(自らに有利な判決を導くことはできませんが、理論上、訴訟を起こすことが可能だということです)。こうした「両刃の剣」のような性質を持っているため、アメリカなどは当面参加しないようですし、この点が加盟国をあまり増やせない理由だとされています。

しかし、こうした問題点は、今後ICCが適用できる数々の国際刑事関連条約を審議・採択したり、ICCで判例を蓄積したりして、時間と手間はかかると思いますが、徐々に克服していくことは可能ではないかと思います。いろいろ問題点はありますが、今後はICCをもっと活用していくことが望まれます。ちなみにICCの最高刑は終身禁固刑です。

今回のフセイン裁判の結果は、ちょっと複雑な気持ちにさせられました。


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潘基文氏の苦悩

2006-10-17 | 国際社会

インターネットの世界というのは匿名性が高いせいか、通常では考えられない誹謗中傷が横行することがあり、ちょっとびっくりしてしまうことがあります。とくに、国際情勢を扱う日本のサイトやブログでは、アジアの近隣国に対して、その政府と一般市民を区別することなく、一般的な言い方で中傷する記事も散見され、とても悲しくなります。ここでこうしたことを書くこと自体、何らかの非難の応酬を招く恐れもあるのでもうやめますが、私としては、一部のブログ等にこうした無節操な傾向があることを、ただとても悲しく思うということだけを述べておきたいと思います。

ふだんから、こうしたネット上の傾向に少し敏感になっているところがあるので、あるサイトの標題に、「潘基文外相を一日も早く解任せよ」とあるのを見たときは、ギョッとしてしまいました。しかし、よく確認すると、これはある韓国の新聞の社説の標題であり、また内容をよく読むと、その中身はまったくもってその通りというものでした(社説本文)。しかし、過激な標題です。「辞任を承認せよ」とか、そういうふうにはできなかったのでしょうか。注目を集めるためのテクニックだったのでしょうか。どうでもいいですが・・・。

かくして、国連事務総長というのは、高度の政治的中立性を求められるため、クオリティの高い仕事をすればするほど、多くの国から褒め称えられると同時に、多くの国から批判される宿命にあります。かつて、二代目の事務総長ダグ・ハマーショルド氏は、ある議場でいくつかの大国から公衆の面前で罵倒されたとき、顔を紅潮させながら沈黙を守り、あとで側近に、「これが仕事を達成した証しだ」と告白したことがあったそうです。本当に大変な仕事です。とても、私には務まりそうもありません。誰も私にやれとは言っていませんが。


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憲章7章と制裁決議

2006-10-15 | 国際社会

昨日(米国東部時間14日午後)、国連の安全保障理事会は、北朝鮮の核実験への対抗措置として、経済制裁を主な内容とする決議を全会一致で採択しました(報道記事採択時の協議内容と決議全文)。この安保理決議は、すべての国連加盟国を法的に拘束するので、今後北朝鮮を除く191カ国の全加盟国が、北朝鮮に対する大量破壊兵器の製造・開発に関する全ての物品・サービス・資金の流れを完全に途絶させ、関連する北朝鮮の海外資産も凍結させることになります。ちなみに、この決議が採択された直後、オブザーバーとして安保理に参加していた北朝鮮の国連大使は、「この決議を拒絶する」と言っていましたが、この決議は、上述の通り、北朝鮮以外の191カ国が一方的に実施するもので、北朝鮮の合意を必要とせず、北朝鮮が「拒絶」したくてもできないものです。

このような重大な制裁措置を決定する場合、安保理は徹夜で協議することも少なくないのですが、今回は比較的スムーズに理事国が合意に達しました。その理由は、米中露という今回のキー・プレイヤーが早い段階で、「憲章第7章に基づく制裁措置」を取るという基本的な方向性で一致することができ、その後は7章の枠内で、その内容をどの程度厳しいものにするかという細部の詰めにに、議論の焦点を絞れたからだと思います。ということで、今日はこの国連憲章7章の話題を取り上げたいと思います。

 

国際連合(国連)が、第二次世界大戦の直後に、大戦の惨禍を二度と繰り返さないことを主な目的として設立されたことは、一般によく知られている通りです。そこで、まず戦争を起きないように予防するためには、外交の活発化など外交的手段を確保しておくことが必要になるわけですが、かりに戦争が起きてしまった場合に、それを解決するための物理的な手段も事前に用意しておく必要性が、当時の国際社会で認識されるようになりました。

こうした事情があったため、当時の米英ソなどの主要国と、原加盟国は、将来、かりに戦争行為(類似行為含む)を引き起こす国が出てきた場合、その国に対してその不法行為を物理的に止めさせるために、経済制裁と軍事制裁という強制手段を執行することで合意し、この内容を国連憲章の7章の中に盛り込むことになりました。そういう意味で、国連憲章第7章は、国連の創設目的を体現する「憲章の背骨」ともいえる重要な箇所になります。ちょっと条文を見てみます。

第7章 平和に対する脅威、平和の破壊、及び侵略行為に関する行動
・39条 
安全保障理事会は、平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在を決定し、並びに、国際の平和及び安全を維持し又は回復するために、勧告をし、又は第41条及び第42条に従っていかなる措置をとるかを決定する。
・40条 
事態の悪化を防ぐため、第39条の規定により勧告をし、又は措置を決定する前に、安全保障理事会は、必要又は望ましいと認める暫定措置に従うように関係当事者に要請することができる。この暫定措置は、関係当事者の権利、請求権又は地位を害するものではない。安全保障理事会は、関係当時者がこの暫定措置に従わなかったときは、そのことに妥当な考慮を払わなければならない。
・41条 
安全保障理事会は、その決定を実施するために、兵力の使用を伴わないいかなる措置を使用すべきかを決定することができ、且つ、この措置を適用するように国際連合加盟国に要請することができる。この措置は、経済関係及び鉄道、航海、航空、郵便、電信、無線通信その他の運輸通信の手段の全部又は一部の中断並びに外交関係の断絶を含むことができる。
・42条 安全保障理事会は、第41条に定める措置では不充分であろうと認め、又は不充分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍または陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。

 

実は、第7章は51条まであるのですが、43‐51条は技術的な細則や制裁と関係しない規定内容なので、ここでは割愛させていただきます。さて、上記の概要を見てみると、39条は侵略行為等の認定(判定)について規定されています。これは、世界のどこかで不穏な動きがあれば、それが制裁の対象となる行為なのかどうかを、安保理理事国が国際法上の規則に照らして認定するという条項です。ここで、「平和に対する脅威、平和の破壊、侵略行為」のいずれかの認定をされてしまうと、次の40条以降の対抗措置の対象とされます。ちなみに今回、北朝鮮の核実験は、「平和に対する脅威(a threat to the peace)」と認定されました。

40-42条は強制力を伴う対抗措置について規定しています。40条は暫定措置を規定しており、こうした不法行為をやめるように呼びかける勧告・警告措置を一般的には指しています。これが無視された場合、次の41条の経済制裁に進み、それでも無視されたら42条の軍事制裁へと進んで行きます。ちなみに、侵略行為などに対する軍事制裁においては、侵略を行った加害国の戦車や艦艇などが被害国の領内に駐留していれば、国連加盟国は相互の合意に基づいて多国籍軍(国連軍に近いもの)を編成してこれを物理的に叩き、撤退を強制させるか、その存在自体を消滅させることになります。こうした最高レベルにまで達した軍事制裁の事例としては、イラクがクウェートを侵略した行為に対する"湾岸戦争(1991年)"のケースがあります。

このように、不法行為の認定から始まって、暫定措置、経済制裁、軍事制裁と、対抗措置のレベルを徐々に上げて、物理的な圧力を増し加え、対象国に不法行為を放棄させるように促す仕組みを、一般に「集団安全保障制度(collective security system)」と呼んでいます。ですから、憲章第7章を適用するということは、この集団安全保障制度を稼動させることを意味しており、特定の国に対して物理的な圧力を加えることを意味しています。だからこそ、不法行為を行った国は必死になって抵抗しますし、安保理の議論も白熱するわけです。

 

そして、この7章の規定と同じくらい重要なのが、安保理がどのように不法行為を認定し、どのように制裁を決定して行くかという、その表決方式です。こちらは安保理の内規を定めた憲章第5章の中の27条に規定されています(27条3項の後半は制裁と関係ないので割愛します)。

第5章 27条
1項 安全保障理事会の各理事国は、1個の投票権を有する。
2項 手続事項に関する安全保障理事会の決定は、9理事国の賛成投票によって行われる。
3項 その他のすべての事項に関する安全保障理事会の決定は、常任理事国の同意投票を含む9理事国の賛成投票によって行われる。

この内容を平たく言うと、安保理というのは常任理事国5カ国と、非常任理事国10カ国(2年で改選)の計15カ国で構成されており、39条の不法行為の認定や、40‐42条の対抗措置の決定といった実質事項の決定には、15か国中9カ国以上の賛成票を要し、なおかつ、その賛成票の中にすべての常任理事国の5票の賛成票を含んでいることが、表決の条件として課されているということです。

つまり、これはどういうことかと言うと、実質事項の決定には、常任理事国すべてが賛成するとともに、非常任理事国の4カ国以上が賛成しなければならないということです。ですから、これは裏を返して言うと、常任理事国の米・英・仏・露・中の5カ国は、あらゆる動議を自国の1票で葬り去ることができるということです。この常任理事国の権利を、世間では拒否権と呼んでいます。

 

この拒否権の問題があるために、今回の北朝鮮の制裁決議に関しては、アメリカが中国を必死に説得し、中国も国際社会の中で浮き上がらないように、互いにギリギリの妥協をしました。当初、アメリカは、第7章("Chapter VII")という幅の広い表現をそのまま決議で使おうとしたのですが、それだと41条の経済制裁から42条の軍事制裁に容易にエスカレートしてしまうということで、中国は7章41条("Article 41, Chapter VII")と経済制裁に限定した表現にするようアメリカに迫り、両国がともに妥協して、合意に達したということが伝えられています。

また、今回安保理で目立ったのは、安保理議長の任にあった日本の大島・国連大使の活躍です。安保理の議長というのは、常任、非常任に関係なく1ヵ月ごとのローテーションで各理事国に回ってくるのですが、まったく偶然にも、この10月は非常任理事国に入っていた日本に議長の順番が回ってきていました。ですから、日本の影響力は、非常任理事国として大変限定的なものではありましたが、議長として各理事国の調整に回ることができ、今回の問題におけるプレゼンスをしっかり確保することに、ある程度成功したと言えます。今回の様子を見ていると、国益というのは、派手なスタンド・プレーではなくて、このような地道な努力の積み重ねによって、増進されるものではないかという気がしました。

参考: 国連憲章(和文)国連憲章(英文)


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国連事務総長の選出

2006-10-01 | 国際社会

今年の年末で、国連のコフィ・アナン事務総長の任期が切れるため、現在、後任の事務総長選びが急ピッチで進められています。

国連の事務総長というのは、世間では、国連で一番偉い人だと思われているようですが、実はちょっと違います。アナン氏は、国連の六つある主要機関のうちの一つである「事務局」の中で一番偉い人ですが、国連機構全体で一番偉い人ではありません。

国連(国連サイト解説)というのは、その形体から言うと、文字通り、加盟国192カ国の結合体(United Nations)です。また、国連というのは、その目的から言うと、世界各国の政府が、平和の維持、貧困の解決など、国際社会の共通利益を図るために、その有志が設立した政府間の協議体のようなものです。ですから、今も昔も国連のオーナーは加盟国であり、加盟国が国連の活動内容を決定しています。それでは、事務総長は何をやっているのでしょうか?

 

事務総長は、192カ国の加盟国が国連を通して実行したいと思っている外交課題の調整業務、いわば加盟国の国益の総合調整のような仕事を、自分のオフィスである事務局(ここに勤務している人が国連職員です)を統率して行っています。具体的には、平和維持と紛争解決、貧困の解消、人権の国際的保障、地球環境保護といったそれぞれの政策分野において、各加盟国が国連を通して何をしたいかという要望を正確に把握し、その要望をどうしたら最も効率的・効果的に実現できるか、そのアイディアに賛成・反対する国はどの程度いるのか等々を見極めながら、できるだけ多くの加盟国が同意でき、なおかつ国連憲章や関係決議の趣旨に合致する政策を加盟国間で形成させるための具体的な提案や調整を行っています。そういう意味で、事務総長というのは、リーダー(指導者)ではなく、コーディネーター(調整者)だと言えます。

しかし、この仕事は、なかなか大変です。なぜなら、192人の個人の利害調整でさえ、すごく大変だと思いますが、相手は192の主権国家の代表であり、それぞれの代表は自国の数十万から億単位の国民の利害を背負っているわけで、ただの192人の個人の利害調整とはワケが違うからです。国連事務総長というのは、そういう極めて複雑で重層的な利害調整を、大した権限もなく進めなければならない大変難しい仕事であるとも言えます。あちら立てれば、こちら立たずということが、毎日起きます。常に不満や文句を言われるし、たとえ褒められたとしても、それは事務総長を言いくるめるための方便だったりします。ですから、これは関係者に聞いた話ですが、国連の中でナンバー2、3くらいまで出世した人の中には、事務総長職の強烈な職務上のプレッシャーをよく知っているから、周囲に事務総長になるよう強く推されても、うまく逃げてしまう人もいるそうです。それだけ、大変な仕事だということです。

 

しかしそれでも、国連事務総長というのは、世界のほとんどの国が参加している国連という場で、国連憲章の趣旨と精神に従って、かなり自由に自分の意見を述べることが許されており、また、問題の性質によっては、かなり広い裁量を与えられて、政策上のイニシアティブを握ることも許されることがあります。またそれだけでなく、国連の外部でも、国家元首クラスの人々が参加する多くの国際会議に招かれ、自由に意見を言う機会を設けられています。ですから、職掌上の権限というのは大きくないのですが、国際社会全体に対する潜在的な影響力というのは、かなり大きいものがあります。だから、国連事務総長になりたいという人も出てくるのです。

そういうわけで、いまのところ、以下の6人の人が名乗りを上げています(おおよそ立候補順、カッコ内は国籍)。

スラキアット・サティアンタイ前副首相(タイ)
潘基文(パン・ギムン)外交通商相(韓国)
シャシ・タルール国連事務次長・広報担当(インド)
ザイド・アル・フセイン王子・国連ヨルダン代表部大使(ヨルダン)
ワイラ・ビケフレイベルガ大統領(ラトビア)
アシュラフ・ガニ元財務相(アフガニスタン)

誰が適任かということについては、それぞれの人の適性もさることながら、これまでの歴代の事務総長の出身地が、欧州→欧州→アジア→欧州→南米→中東(アフリカ)→アフリカという順番で選出されてきたから、今度はアジア地域から選出すべきだということが、加盟国の間でささやかれています。アジア出身の候補者が多いのは、そういう理由によります。また、世界中の様々な立場の国の利害調整をやることから、大国の出身者はあえて避ける傾向があり、そのため中小国の出身者が比較的多くなっています。ちなみに、ジャヤンタ・ダナパラ元国連事務次長・軍縮担当(スリランカ)という人も名乗りを上げていたのですが、昨日になって立候補を取り下げたという報道がありました。

 

事務総長の選出方法というのは、国連安全保障理事会(5常任理事国+10非常任理事国)の勧告に基づいて、国連総会(全加盟国の192カ国)が任命することになっています。しかし、ここにはまた、有名な国連安保理の「拒否権」というものが作用します。つまり、安保理常任理事国であるアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の5カ国は、自国の気に入らない候補を、最初の段階で拒否できるのです。ですから、国連憲章上の規則によれば、事務総長に選出されるためには、総会を構成する192の全加盟国の三分の二以上の支持と、安保理常任理事国の5カ国すべてと、非常任理事国の4カ国以上の国に支持を受けている必要があるということです。これは、かなり大変な条件です。

この条件から見ると、インドや韓国の人は、微妙な関係にある中国が支持してくれるかどうかが鍵になってきます。ラトビアの人は、親分格のロシアがどう出るかが問題ですし、もう欧州出身者は当分いいというクレームがつく可能性もあります。ヨルダンやアフガニスタンというのは、アジアというより中東に近く、アナン氏の前任のブトロス=ガリ氏が中東出身だったことから、似たような地域から続けて出るのはどうかというクレームがつく可能性があります。また、タイの人は、かねてより有望視されていましたが、先ごろクーデターで崩壊したタクシン内閣の閣僚だったことから、自国政府の支持基盤そのものが薄くなったとも言われています。

安保理では、これまで三回ほど予備投票が行われており、いずれも韓国の潘基文氏が一位につけています。しかし、これまでも過去の事務総長選挙では、直前に予想外の波乱が起きたこともあり、いまだ予断を許さない状況だと言っていいと思います。現時点の動向としては、明日2日に行われる四回目の予備投票で、もし全ての常任理事国が潘氏を支持する意向を示すようであれば、潘氏の当確の流れが固まると言われていますが、もし常任理事国の一国でも潘氏を拒否する姿勢を打ち出すことがあれば、全てが振り出しに戻るとも言われています。

 

最後に、冒頭の問題提起に戻って、国連で一番偉い人は誰かということを考えたいと思います。それは、上に挙げた国連の実情からして、名実ともに、192カ国の加盟国の国家元首だということになるのではないかと思います。またそこで、あえて一人選べとなれば、やはり経済力と軍事力で突出しているアメリカの国家元首であるブッシュ大統領だということになるのかもしれません。ちょっとがっかりかもしれませんが、これが国際政治の現実です。

しかしそれでも、国連の中では、様々な政治的な駆け引きが繰り広げられており、アメリカが好き放題できないようになっているのは面白いところです。次の事務総長には、常任理事国5カ国に支持されると同時に、必要があれば彼らを手玉に取って、国際社会全体の共通利益を推進するような強力な外交手腕を持った人になってほしいと思います。その意味では、アナンさんというのは、なかなかの「したたか者」だったように思います。


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