国際情勢について考えよう

日常生活に関係ないようで、実はかなり関係ある国際政治・経済の動きについて考えます。

イラク、イラン、アメリカ

2007-02-24 | 地域情勢

イラクとイランは、たがいに国名は似ていますが、国としての中身や歴史背景は、かなり大きく違います。イラクという国は、アラビア語圏に属する国で、その意味では隣国シリアやヨルダンなどと文化的な共通項を多く持つ国です。一方、イランは、ペルシア語圏に属する国で、ルーツはアケメネス朝ペルシア、ササン朝ペルシアまで遡る独自の文化圏を構成する国であり、イラクから北アフリカ西端のモロッコにまで連なる広大なアラビア文化圏とは、一線を画する独自色の豊かな個性的な国です。

しかし、イラクとイランは、互いに似た要素も抱えています。それは両国とも、世界のイスラム人口の10%しかないシーア派が、国内の多数派を占めているという点です。イランでは国内人口の90%、イラクでも60%が、シーア派と言われており、両国は互いに言語がまったく異なるにも関わらず、この特殊な状況を共有しているということから、かつてスンニ派主導のフセイン政権の統治下で抑圧されていたイラクのシーア派の人々が、1979年のイスラム革命以来、シーア派が全権を握るイランに多数留学するなど、草の根レベルの交流が古くからあり、両国のシーア派同士のつながりは外部から見る以上に強いということが指摘されています。

 

現在のイラクは、国内のシーア派、スンニ派、クルド人という各勢力が三つ巴の戦いをしていますが、政治の実権の多くが、シーア派のマリキ首相に握られていることもあり、中央政府に力がないとは言え、イラクはシーア派政権の統治下にあると言ってもよい状態にあると思います。このような事情もあり、イラク問題の専門家である酒井啓子さんという方は、数週間前の朝日新聞の中で(日付不明、すみません)、シーア派政権によるスンニ派指導者のサダム・フセインの処刑を、イラクにおける「シーア派革命」の大きな節目であるという主旨のことを言っていました。とても分かりやすい分析だと思いました。

しかし、この「シーア派革命」には色々と問題もあり、シーア派政権下のイラク政府軍や警察の中に、シーア派強硬派であるムクタダ・サドル師が率いる民兵組織の構成員が浸透していることが指摘されているほか、彼らが様々なネットワークを通じて、隣国イランの政府機関から軍事支援や経済支援を取り付け、それでイラクの他勢力や米軍と戦っているのではないかという疑惑まで浮上しています(関連記事)。このイラン政府とイラクのシーア派勢力の結託は、アメリカ政府内ではほぼ常識の問題として捉えられており、アメリカ国防省の一部は、アメリカは「イラクの中でイランと戦っている」という感触さえも持っているようです(関連記事)。

 

このようにアメリカとイランの緊張が高まる中、さらにイランが、核関連施設で核爆弾の原料にもなる濃縮ウランの製造・開発を継続していることが発覚しました(関連記事)。そもそも、石油埋蔵量で世界第二位にいるイランが、「原子力発電のための核開発」をしていると主張することには、最初から信憑性がなく、国際社会から繰り返し警告を受ける中で、このような査察結果が出たことは、アメリカをさらに追い詰めることになっています。

折りしも、アメリカがイラン空爆の計画を具体的に策定したという報道があったばかりですが(関連記事)、今後の先行きは不透明とはいえ、アメリカがイランを攻撃する可能性は減じることはなく、ますます高まりつつあるように見受けられます。アメリカは、2001年に右足をアフガニスタンに突っ込み、2003年に左足をイラクに突っ込み、今年はイランに尻もちをついて、中東に飲み込まれようとしているように見えるのは、私だけでしょうか?


 ランキングに参加しております。もしよろしければ、ポチッとお願いします。

 


弱者の恫喝

2007-02-14 | 地域情勢

むかしむかし、あるところに、札付きの不良少年がいました。この不良少年は、ちょっとした悪事を働いては、周りの大人に怒られていたのですが、あるとき度外れた悪事を働いたところ、周りの大人たちは怒るどころか、逆に怖気づいてしまい、頼むから悪いことをしないでくれと、いろいろなご褒美を持って、懇願しに来ました。不良少年は、この不思議な体験から、ものすごく悪いことをすると、逆にご褒美がもらえることに気づき、ますます悪事を重ねることとなりました・・・。

北朝鮮は、1994年にアメリカと核開発停止の約束をしましたが、その直後から北朝鮮は約束を破り、核開発を再開していました。国際社会は、この事実に8年後の2002年になってから初めて気付き、それ以来北朝鮮に様々な圧力をかけてきましたが、北朝鮮は圧力にまったく動じることなく、昨年暮れにはとうとう核実験に踏み切って、事実上の核保有国になってしまいました。そうしたら今度は、国際社会は、北朝鮮に支援(重油の提供)を差し出す代わりに、核開発を止めるよう申し入れることになりました。この話が非論理的であることは、小学生でも分かると思います。

 

今回の六者協議の合意を頭ごなしに否定することはできませんが、すでにいろいろな合意文書の抜け穴が指摘されていることからも(関連記事)、先行きが明るいものでないことだけは確かなようです。たいへん残念だったのは、1994年の米朝合意のときも(前回投稿参照)、アメリカはボスニア紛争という第一次世界大戦の初期に酷似した深刻な地域紛争への政策判断に神経を集中していて、また今回も、イラク戦争にかかりきりで、北朝鮮問題に外交・軍事・財政上のエネルギーを十分割けなかったことです。実は、北朝鮮もこの要素を織り込んでいたからこそ、昨年暮れにあえて核実験に踏み切り、今回の外交上の果実を得たとも言えます。

済んだことは仕方がないですから、今後は今回の合意文書を母体にして、核関連施設の運転停止、施設の解体等の具体的な手順を定めた付帯文書を作り、合意の実際の履行を担保する必要があります。もし、このような丹念なフォローアップをしないとしたら、今回の合意文書はただの実効性のない宣言のようなものになってしまうでしょう。これまで数年間の六者協議の努力が、すべて水泡に帰すことになります。

実は、北朝鮮問題がこじれて被害を受けるのは、日本などの周辺国や、アメリカのような覇権国だけではありません。実は、最大の被害者は北朝鮮の一般市民です。ですから、ある意味では、こうした人々の力も借りて、根本的な問題解決を図ることは理に適ったことです。今回の六者協議の結末は、外圧だけではどうにもならない五カ国の国力の限界を露呈したとも言えます。今後は、外圧だけでなく、内圧も利用して、無血の政権移行を図るような根本的な解決を探る努力も必要です。そうしないと、この弱者の恫喝はエンドレスに続く可能性があります。

 ランキングに参加しております。もしよろしければ、ポチッとお願いします。

 


六者会合 1994年を忘れない

2007-02-09 | 地域情勢

今回の六者会合は、これまでのものと違って、米朝の歩み寄りが功を奏し、一定の成果が出ることが見込まれています。報道によると、北朝鮮が原子炉の運転を止めると同時に、アメリカが支援を行なうという基本合意が固まりつつあるようです(関連記事)。しかし同時に、このような事態の急な進展には、どうにも違和感を覚えます。なぜなら、北朝鮮は以前にも似たような状況で国際合意を結び、それを裏で平然と破っていた負の実績があるからです。

1994年、当時のクリントン政権は、核開発を進めていた北朝鮮と、エネルギー支援をする見返りに、核開発を止めるという合意を結びましたが、北朝鮮はほどなくして、この国際合意に違反する形で、核弾頭の開発・製造、およびミサイル技術の輸入・開発を密かに再開していました。国際社会が、このことに気付いたのは、2002年のことでした(参考資料)。

 

ふつう、国際社会というのは、互いの信義に基づいて条約などの合意を結んでいます。そして、もし一方が、合意に違反するようなことがあれば、被害国は加害国に対して、加害国の違反の程度に応じて一定の報復行為(武力によるとは限らない)をすることが許されています。このような相互主義があるから、国際社会では互いが合意を守ることを前提にして、外交交渉ができるのです。

しかし、北朝鮮という国は、自らが破滅しても全く構わないという暴言を吐きながら、国際約束を破るなどして、自国の目的を国際社会の中で推進していく独特の「瀬戸際外交」を厭わない特殊な国です。だから、北朝鮮政府とは、外交の常識、いやそれ以前に、人間としてのコミュニケーションの常識が通用しないという前提を踏まえておかないと、合意以前に、交渉そのものができません。

 

今回の歩み寄りの状況は、かつて1994年に北朝鮮と国際社会が歩み寄りをしたときの状況とよく似ています。六者会合に参加している関係国、また交渉担当者は、このときのことをもちろん覚えており、北朝鮮に常識が通用しないことも、誰よりも良く知っています。ですから、今回の歩み寄りは、絶対に約束が破られないことを担保する核査察のメカニズムなどの構築に合意にしつつあるか、もしくは何らかの大きな政治目的に基づいて、約束が破られるのを半ば承知で約束をしようとしているかのどちらかなのでしょう。

そもそも、今回の歩み寄りは、アメリカの北朝鮮政策が大きく転換したことで実現したものです。これまでブッシュ政権は、北朝鮮との二者会合を徹底的に拒否してきましたが、先月ドイツのベルリンで初めて米朝会談を持ち、そこで基本合意ができたことが、今回の六者会合で交渉が加速している要因です。しかし、ブッシュ政権(共和党)が政策転換を図った背景には、昨年11月のアメリカ議会選挙で、野党の民主党が議会を制したという国内政治の力学変化があります。 ― かつて、クリントン政権(民主党)の対北政策は、結果的に北朝鮮に完全にナメられてしまいました。民主党指導部は、このことを踏まえた上で、ブッシュ政権と政策協議をしてもらいたいものです。


 ランキングに参加しております。もしよろしければ、ポチッとお願いします。

 


温暖化をめぐる議論

2007-02-04 | 経済・社会問題

真夏の焼け付くように暑い日、都会の真ん中で「ホント、温暖化だよね~」といった会話が聞かれることがあります。しかしこれは、大抵の場合、地球温暖化現象とは全く別の自然現象である「ヒート・アイランド現象」による急激な温度上昇を指していることが多いようです。なぜなら、地球温暖化による温度上昇は、20世紀の100年間で0.64度の上昇(IPCC報告)と、人体で感知できるようなものではないからです。

このように、地球温暖化現象による気温の上昇レベルはきわめて軽微なもので、大したことないように思えるのですが、温暖化が怖いのは温度の上昇自体よりも、軽微な気温上昇が世界中で引き起こす重大な異常気象(ハリケーンなど)、生態系の破壊、海面上昇などの二次被害だとされています。温暖化対策に取り組んでいる各国政府も、気温の上昇自体よりも、むしろこの二次被害防止のために、温室効果ガス(二酸化炭素など)の削減などの温暖化対策について、これまで鋭意協議を重ねてきました。

このたび、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の新たな報告書の内容が明らかになり、今さらという感じではありますが、地球温暖化が工業化の進展といった人為的な原因で引き起こされていること、今後も大気中の温室効果ガスの濃度は増加し続け、地球上の年間平均気温もこれまで以上のペースで加速度的に上昇していくこと、だから今まで以上に抜本的な対策が必要になることなどが再確認されることとなりました(関連記事参考記事)。これらのポイントは、これまで大半の専門家が発表してきた研究成果とほぼ重なり、特に目新しいところはありませんが、画期的だったのは、これまで温暖化対策に消極的だった米国政府を含む各国政府が、こうした温暖化問題の主流を成す研究成果の内容を、IPCCを通して改めて追認した点です。

 

地球温暖化に対する政策が、世界レベルでどのように形成されているのか改めて確認しますと、世界中で無数の専門家が様々な研究成果を絶えず発表する中、まずIPCCがこれらの研究内容を純粋に科学的見地から検証・評価し、各国政府が知っておくべき知見を取りまとめ、今回のように定期報告をしています。そして、これを受けて、各国政府は、このIPCCの報告書を叩き台にして、それぞれの利害を擦り合わせながら、互いに合意可能な政策を形成していくという一連の政策形成プロセスが、国際社会の間に定着しています。

これまでの大きな流れを振り返りますと、IPCCが何度か報告書を出す中、国際社会は、1992年に国連気候変動枠組み条約(UNFCCC)という温暖化対策に関する初の法的拘束力を持つ条約を採択して、各国が温室効果ガスを削減して温暖化を緩和するということに合意し、1997年には、UNFCCCの第三回締約国会議(COP3)で、京都議定書を採択して、温室効果ガス削減のための数値目標(ノルマ)の設定に合意してきました。その後、ご存知の通り、2001年にはアメリカでブッシュ政権が生まれて、それまでの温暖化対策のトレンドにブレーキをかけましたが、昨年11月のアメリカの中間選挙で野党の民主党が連邦議会を制したことによって、ブッシュ政権の環境政策も大きく軟化することとなりました。

 

改めて言うまでもないことですが、地球温暖化というのは、IPCCの公式見解に従えば、世界中で工業化が進展した結果、温室効果ガス(自動車の排ガスや工場の煤煙に含まれる二酸化炭素など、熱を滞留しやすい性質を持つ気体)の大気中の濃度が年々増加して、太陽から地球に向けて放射されてくる太陽熱のうち、ふたたび大気圏外に向けて反射・放出される割合が減ってしまい、結果的に地球全体の年間平均気温が緩やかに上昇してしまっている現象を指しています。この発生機序を見ても明らかな通り、温暖化の元凶は、石油燃料を燃焼させることによって発生する二酸化炭素などの温室効果ガスであり、この排出量を削減すれば、地球温暖化は緩和することになります。これが、今まで国際社会が進めてきた温暖化対策のロジックでもあります。

ところが、ブッシュ大統領という人は、もともと石油のビジネスマンであり、アメリカ最大の油田を抱えるテキサス州の前知事であり、ブッシュ・ファミリー全体も代々石油ビジネスに携わってきて、国内の巨大な石油利権に支えられて大統領に当選した人でした。ですから、2000年の大統領選挙から2001年の就任時の前後には、IPCCが見立てた地球温暖化のメカニズムと予測をことごとく否定する文献が、米国で次々と出版されることになりました。これらの文献は、「温暖化は工業化によって起きているのではなく、単なる自然現象の成り行きに過ぎない」、「そもそも温暖化という現象自体が存在しない、データを精査しても気温の変化は認められない」といった主張を、無数のデータを挙げながら論証しており、ブッシュ大統領の政策グループは、政治的なルートからだけでなく、自然科学における学術的なルートからも、それまでの温暖化対策のトレンドを蹉跌させることを試みました。

 

このように現在主流の温暖化対策に反対する人々には、巨大な利権が絡んでいることが分かります。そして、これはブッシュ政権の利権といった小さなものではなく、全世界の石油業界、それに密接に絡む全世界の自動車業界、さらにそれに絡む全世界の鉄鋼業界や関連の重工業界全体、さらにこれらすべてに資金供給している全世界の金融、証券業界など、世界のGDPの何割、世界の労働人口の何割という目も眩むほどのスケールの巨大な利権が、直接・間接に絡んでいます。もちろん言うまでもなく、これらの産業界は、一枚岩になって温暖化対策に反対しているのではありませんが、短期スパンにおいては、現行の温暖化対策がつまずくほど、大きな利潤が上がる点においては、緩やかにまとまった一つの利害共同体と言えます。

それでは逆に、温暖化対策を推進している立場の人々には、何の利権もないのでしょうか。たしかに、多くの科学者や環境NGO、そしてわりと多くの政治家や官僚も、かなり純粋な動機で温暖化対策を進めているところがあります。たとえば、2000年の大統領選挙でブッシュ大統領の対抗馬だった民主党のアルバート・ゴア元副大統領という人は、もともと環境問題の専門家で、純粋に科学的な見地から温暖化対策の大切さを長年主張してきました。最近、温暖化問題を扱った「不都合な真実(An Inconvenient Truth)」というドキュメンタリー映画のプロモーションで来日したので、知っている人も多いと思います(参考資料)。 ― しかし、その一方で、温暖化対策が推進されることによって、反射的に巨額の利益を得る人々もおり、これらの人々は自分の利権を拡大するために、温暖化対策を推進している側面もあります。その多くは、石油に代わる代替エネルギーに利権を持っている人々です。

たとえば、天然ガスというのは石油と同じ化石燃料ですが、燃焼させたときの温室効果ガスの排出量が石油に比べて格段に少なく、なおかつ世界の埋蔵量も潤沢で、石油の次の主要エネルギー源として最も有望視されている天然資源です。ちなみに天然ガスは、ロシアとイランの地下に莫大な埋蔵量が眠っていることが知られています(統計C3)。また、BRICsの一角を成すブラジルは、国内の乗用車の半分をすでにエタノール仕様に切り替えており、このトレンドが米国経由で世界中に波及する可能性も指摘されています。そして、現時点での石油に代わる代替エネルギーの代表格は、言うまでもなく原子力です。これらの産業界に関係する人々は、現行の温暖化対策が進むと、1‐2年という短期スパンではありませんが、10年程度の長期スパンにおいて、反射的に巨額の利益を受けることになります。

 

以上のことをまとめますと、現行の温暖化対策がつまずいても、前進しても、ボロ儲けをする人々がいるということになります。このことから、私たちはどのようなことを学び取ればよいのでしょうか?結局、自分の頭でしっかり考えないと、いいように踊らされてしまうということではないでしょうか。 ― かつて、温暖化対策の文献をはじめて読んだとき、その議論のあまりの精密さに、感動すら覚えたことを覚えています。その後、ブッシュ政権が誕生した前後に、現行の温暖化対策を正面から否定する文献を少し読んだとき、それはそれでインチキのような印象は受けませんでした。主な論点が、一応すべてデータで裏打ちされていたからです。

地球温暖化問題は、もともと地球科学に関するサイエンスの問題ですが、同時に政治の問題であり、経済の問題であり、世界の利権の問題でもあります。だからこそ、異常なほどに議論が白熱するのです。今回のIPCCの報告書は、過去の報告書における気温変化予測と、近年の実測データがほぼ整合していることも示しており、これまでのIPCCの見立てが正しかったことを示しているようです。ただそれでも、まだ細かいところは未知の部分が多いようです。誰が本当のことを言っているのか、何が真実なのか、やはり何事も自分の目でしっかり確認したいものですね。
 

 ランキングに参加しております。もしよろしければ、ポチッとお願いします。

 


大臣の失言に思う

2007-02-01 | 一般

柳澤厚生労働大臣が、女性のことを、子どもを「産む機械」と表現したことで、辞任・罷免要求のたいへんなプレッシャーに晒されています。私は男性ですが、女性をモノ扱いするこういう差別的発言にはもちろん大反対であり、閣僚の立場にある人が、こういう表現を公の場で使ったことについては、きわめて思慮が浅かったと言わざるを得ないと感じています。

しかし同時に、この大臣は、現在の安倍政権に対する与野党における反対勢力の格好のスケープ・ゴートにされた観もあります。なぜなら、政府が人口問題を議論する上で、出産可能な女性の数を、統計上のデータの一つとして捉えることは、とくに異常な発想ではないからです。これは、企業におけるマーケティングにおいて、様々な種類の顧客を単なるデータとして扱う発想と似ています。ただし、だからと言って、出産可能な女性を、「産む機械」という無機質で非人間的な言い方で表現し、しかもそれを公けの場でしゃべったのは、結果的に女性の人権を踏みにじる効果を生じ、きわめて不適切だったと思います。

こういう弁解じみた言い方をすると、私がこの大臣をサポートしているように受け取られかねないので、改めて確認しておきますと、私は女性を差別することにはもとより反対です。だから、私はかつて会社に入ったばかりの22歳の頃、平均年齢40歳位の職場で、同年代の職場の女性と相談して、社内の女性社員による「お茶汲み」制度を廃止したことがあるほどです(自慢)。女性だということで、なぜ男性社員や来客のお茶汲みや食器洗いをしなければならないのか、まったく理解できなかったからです。焚きつけるわけではありませんが、日本企業におけるお茶汲み制度は、職場での女性のステイタスを、無意識のうちにおとしめる効果があるように思うので、こういう前近代的な制度は全廃すべきだと今でも思っています。

 

人口統計の話に戻しますと、政府はあらゆる政策立案の場で、人間を単なる数字に置き換えたり、また経済統計などでは、金額に置き換えることを、ふつうにやります。こういう言い方をするとイヤな感じがするかもしれませんが、政府が国民の利益を守るため、まともな経済政策を立案するためには、このような数値化の作業は当然のことながら不可欠なのです。たとえば、いつどの時点でGDPはいくらあるのか、税収はいくらあるのかということは、就労人口を金額に倒して考えないと分かりませんし、こういう作業をやらないと、健康保険や年金などの社会保障政策も組むことができないからです。実は、今回の「産む機械」の話も、もともと少子化問題や将来の就労人口、つまり経済政策の文脈の中から出てきた話であり、悪い動機で出てきた話ではありませんでした。

また、政府はこうした経済政策の分野だけでなく、防衛政策などにも、人口統計を駆使することがあります。よく聞く話としては、アメリカの大統領が、危機に際して戦争を始めてよいかどうか決断するために、その戦争で予測される戦死者数の見積値と、国民が許容しうる戦死者数の限界値を天秤にかけるという政策判断があります。ここでは、完全に人間の命を単なる数字に置き換えており、きわめて倒錯した感じがします。また、敵対国の戦死者数と自国の戦死者数の比率というのも、開戦に踏み切るかどうかの目安になるということも聞いたことがあります。ほかにも、ここにはあまり具体的に書きたくありませんが、敵国の軍事要員に対する殺傷コストの単価や総額など、いろいろと胸が悪くなるような非人間的な試算を何重にも行い、戦争の予算案を組むという話を、そういう仕事をしていた人から直接聞いたことがあります。

 

「人命は地球より重い」という言葉がありますが、こういう当たり前の感覚を忘れると、だんだんおかしくなっていくのでしょうね。今回の大臣の発言は、そういう常識的なセンスから外れたところから出てきたのかもしれません。そういえば、この大臣は、もともと大蔵省(現在の財務省)出身なんですね。ここは、何でも金額に置き換えることが仕事のような職場ですから、そういう発想が身についていたのでしょうか。

でも、業務として何でも数値化することは、仕事ですから別に構わないし、当たり前のことなのですが、そういう業務上のセンスを、そのまま生活レベルに持ち込んで、顔のある生身の人間に当てはめてしゃべると、とたんに妙な違和感が出てくるのですね。今回の大臣は、その辺の違いにあまり敏感でなかったということになるのかもしれません。しつこいようですが、「人命は地球より重い」、人間は数字じゃないという当たり前のことが身についているかどうかということは、大臣としてという以前に、人間としてどうかという問題だと思うのですが、いかがでしょうか。

 ランキングに参加しております。もしよろしければ、ポチッとお願いします。