平成うきよの覚え書き

日々の出来事などを老化防止の為 書いてゆきます。

茨城県に行った、笠間市、大洗海岸その印象

2009年03月18日 | Weblog
 茨城の第一印象、といっても実際は10代頃から数えれば茨城の地を踏んだのは5回位になるので、今回訪れた感想と言った方が良いかもしれないが、はとても豊かで穏やかな土地柄という事だ。これは単にバスの車窓から眺めた感想ですが。農村が何より立派で広い耕作地と山林や草地が豊富でかなり綺麗で有る。各地でしばしば目にする荒廃した風景を余り見かけない。かっては豊かな実りが見られた水田が埋め立てられて、コンクリートの残骸、土砂、廃車の置き場と化しているところが日本各地に多いと思うが茨城はこのようなところが極めて少ないのではないか。農家の方々の努力も当然有ると思うが、大都市に近いという立地の比較的優位さ、そして農を国の基本とした水戸光圀公という名君の存在が大きく影響しているのかもしれない。光圀公が名君であった事が歴史暦事実であるかどうかは知らないが、多分現在の土地の状況から想像する範囲では、農業に真摯に取り組み汗を流す多くの人々がいらっしゃる事は、確かでありこれは一朝一夕に出来るものではなく、長い歴史的背景がある事と思われるのだ。幼い頃祖父から聞いた水戸黄門様の話を思い出した。
 「黄門様は農業が一番大事なことであるといつも思っていたので、いつも食事の前には、蓑傘を着けた農民の絵をご覧になり拝んでから、食事を摂られた」という話である。仏像を拝むよりはるか意義深い事ではなかろうか。「食」無ければ生きられず、従って神仏より食すなわち農、耕作、人間が働く事が尊いのだ。
 笠間市の「笠間稲荷」と大洗海岸の「磯前神社」に始めて参詣した。笠間稲荷は日本3大稲荷(京都の伏見、愛知の豊川、そしてこの笠間)の一つということだ。笠間は古い城下町であり江戸時代はあの赤穂浪士で有名な浅野氏も、一時ここの城主であったということである。全く知らなかった。出かけると思わぬ事を知るようになる。門前町は確かに歴史を偲ばせる古い町並みが見受けられた。
 夏になると多くの人が訪れる大洗は、小さな港町であり、何処までのゆったりとして春の光の中で静かに夏の来るのを待っている。小さな船泊りに、白鳥らしき鳥が一羽泳いでいた。同行の人と、しばし観察した。やはり白鳥だという結論であったが如何であろうか。白鳥は海に、いることもあるのだろうか。もっぱら淡水部に生息すると思うのであるが。後日確認したい。
 大洗の海岸の近くの神社、「大洗磯前神社」は大国主が祀られており、出雲の大社と同じである。常陸と出雲、遠く離れたところで同じ祭神を持つ神社がある事は何を語っているのであろうか。
 磯前神社の近くの海辺の市場では、様々な魚介類を商っている。近くのスーパーなどでは見た事も無いような魚も多い。「どんこ」「アンコウ」など。内臓を取られ、大きな口と大きな「ギョロ目」を持ったアンコウの干物がおかしくもまた哀れだ。
 観ていると酒のつまみに色々買いたくなったが、持ち帰りが億劫な事と、珍しいものでは妻も調理法が判らず、困ると思い鮭の切り身を買う。鮭の切り身は、塩加減が並と激辛を買う。激辛鮭の切り身を見て、昔見た映画を思い出した。
  続く

写真:大洗海岸にて 
    アンコウの干物 恨めしそうな目です

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