平成うきよの覚え書き

日々の出来事などを老化防止の為 書いてゆきます。

ゴムひもの押し売り

2013年10月09日 | 私の「小話」史
 私が子供の頃、昭和20年代、横浜の西端に有った私の生まれた農村にしばしば色々のものを商う人が来た。その中に「押し売り」と称し黒いゴムひもを売る行商人が来た。他の物の「押し売り」もあったのかも知れないが思い出せない。まだ戦後間もない頃、世の中は安定せず、職を持たぬ人が溢れていたのだと思う。
 「押し売り」という言葉は今では死語であるかもしれないが、家人が女子供だけと見ると、強引に、半ば脅しつつ、ゴムひもを売りつけた。父・祖父など男が出払っており、母や姉が押し売りに接しているのを見ると相当怖かった。相当頻繁に「ゴム紐」売りが来るので家にはゴム紐が有り余っていた。あるとき隣家で男を交えた数人が縁側でお茶を飲んでいるとき、「ゴム紐売り」が来た。その家の主人のおじさんが「どうしてゴム紐ばかり売り歩くのだ、もうゴム紐はあまっている、他のものを売りに来ればいいではないか」と至極もっともなことを言われた。この家のおじさんというのは軍隊経験が長く優しい笑顔と、鋭い目を時折見せる方であった。
 「ゴム紐売り」はそのとき確か「売れるものが他にない」というようなことを言ったのであろうか。定かではないが。このときの押し売りの顔は覚えていないが、隣家のおじさんの威厳に圧倒されたのか、おとなしく帰っていった。
 3年ほど髪を切っていないので髪を束ねるに黒いゴム紐を使用している。夜は外して朝また束ねるのであるが、ゴム紐を何処においたかを忘れ、朝からゴム紐を探す時、よく「ゴム紐売り」を思い出すのである。
 値段は数十円であったろうか。現在では余りゴム紐を使う場面は見られないと思うが、以前はパンツ、ももしきの緩んだゴムを外して交換していたように思う。それにしてもあの「黒いゴム紐」は一体何処から入手したのだろう。戦後のどさくさに紛れた軍需物資の横流しであったのであろうか。

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