今日は草加宿から越谷宿まで歩きます。
草加駅東口には「おせんさん」が煎餅をのしてます。
売れ残った団子を捨てようとしていたら、お侍さんから「その団子を平らにして天日に干して焼き餅にするとよいぞ」と伝授されたのが、草加せんべいの始まりだそうです。
今日も天気が良く気持ちよく歩けそうです。
草加神社石柱が交差点に立っています。
重厚なつくりの浅古家です。
保存状態がとてもいい感じです。
先週も会いました。
今日も浅古家のスケッチをして来ている方がいました。
もの凄く緻密なスケッチで、仕上げるのに一週間位掛かるそうです。
素晴らしい!
「八幡神社」です。
享保年間(1716年~1736年)に稲荷神社として創建され、1772年ごろに木造八幡神像を併せて「八幡神社」となり、草加宿下〔しも〕三町の鎮守となったそうです。
駅前通を通り過ぎてまもなく路地の奥にありました。
手水をしようとすると、なんとセンサーが働いて水が出てきます。
凄い!
「藤城家」は現在改修中です。
古民家を再生するのにとても参考になりそうです。
今は曳き家をして、基礎から直しているようです。
何故か工事をしているのが、ツーバイフォー工法の三井ホームなんです。
よくわかりません。
少し歩くと「道路元標」がポツンと鉄骨に支えられて建っています。
普通の家の玄関前に建っているので見逃しそうです。
この元標を基点として、谷塚・千住・越谷・浦和・栗橋への距離が尺単位で示されています。
少し歩くと「おせん茶屋」があります。
旧建設省「手づくり郷土賞」を受賞した小公園です。
「東福寺」です。
おせん茶屋の反対側の路地を歩いていくとあります。
慶長11年(1606)草加宿を開宿したという大川 図書が創建し、僧賢宥が開山した寺で、境内には大川図書の墓や、江戸落語中興の祖である石井宗叔の碑などがあります。本堂は市域最大で、文政7年(1824)の再建だそうです。
草加宿の総鎮守「神明神社」です。
神社の近くに宿場の風情を残した風景を見ることができます。
旧四号線に合流するとまもなく伝右川を渡ると望楼がある「松並木公園」です。
橋の手前には「おせん公園」があります。
「芭蕉旅立の像」です。
この公園はとても整備がよくたくさんのみなさんが散歩をしにきています。
1689年に芭蕉が訪れ、「其日漸〔ようよう〕草加と云〔いう〕宿にたどり着にけり」と、あたかも一泊目が草加だったように書き残しているが、実際に泊ったのは春日部だったらしい、、、
近くには「札場河岸」「甚左衛門堰」があります。
「矢立橋」です。
橋の上から当時の「千本松原」見ることが出来ます。
気持ちいい街道歩きです。
遊歩道には石畳と土がバランスよく配置されて、私は土の道を選んで歩く音を楽しみました。
この先には二つ目の歩道橋の「百代橋」が見えます。
松並木公園が終わる頃、外環が見えてきました。
新緑の桜がとても気持ちいい。
穂戸橋を渡ると向こう岸に「藤助河岸」が見えてきました。
越谷市蒲生の綾瀬川通りにある藤助河岸は、高橋藤助の経営により明治時代には汽船までが就航するほどに繁栄したそうです。
この一里塚は県内の日光街道沿いに残る、唯一の一里塚だそうです。
文化年間(1804~1818)に編さんされた「五街道分間延絵図」には一里塚が東西に描かれていますが、現在は東側のみが残されています。
「馬頭観音」と「不動尊」「ぎょうだい様」を見て、暫く歩くと「清蔵院」です。
この山門の龍は、巷間の伝説では、かの左甚五郎の作といわれています。
夜な夜な山門を抜け出しては、近所の畑を荒らしたことから、これを現在のように金網で囲ったらしい。
旧四号線に合流してからは、しばらく寄るところもありません。
越谷に向けてただひたすら歩きます。
武蔵野線のガードが近づいて来ました。
今日の道のりの3/4を消化したところでしょうか。
越谷宿にたどり着きました。
左が旧街道です。
右は「照蓮院」が見えます。
今日の越谷の銭湯とビールが楽しみです。
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そう言うことが住まいに反映されると思います。
素材感を大切にした木の家(木造住宅)をつくることの歓びを体感したい。
そんな気持ちを形にする応援をしたい。
ハウスメーカーの家や大工さんがつくった家とも違う、設計事務所らしいアトリエ系工務店を目指しています。
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