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無教会全国集会2014

2014年度 無教会全国集会ブログ

証5 沖縄から「基地と向き合って生きる」

2014-11-24 22:35:31 | -5 沖縄から「基地…

石原昌武 

要旨

1.米兵による沖縄の婦女子への強姦・輪姦(由美子1955,少女1995)

2.基地建設に伴う土地の強制接収(銃剣とブルドーザー)

3.軍用機・ヘリコプターの墜落事故(森の宮小1959,沖国大2004)

4.戦闘機・オスプレイの離着時及び昼間・夜間の低空飛行による騒音被害

5.米軍車両による轢殺・傷害(県道を大型車両が走行)

6.実弾射撃演習・山火事・県道封鎖・流れ弾の住宅地への被弾

7.建設現場(基地内外)での不発弾事故

8.基地内から出て来た枯葉剤(ダイオキシン)有害物質、汚染水

9.沖縄の基地が米軍の度重なる戦争(戦争中毒)に加担・協力

10.辺野古の大浦湾を埋める新基地建設の阻止行動

 皆さん、こんにちは。時間の制約上、レジメにある10の事項に基いて補足説明していきます。基地と向き合って生きることが如何に生命と生活の危険にさらされて生きることであるかを汲みとって頂きたいと思います。温度差のある本土の人達に対して、沖縄の人たちは今、訴えております。沖縄の苦難と差別の歴史を知り、現地に足を運び、沖縄の人たちの痛み苦しみを共有し、その怒りと悲しみの叫びに耳を傾け連帯してほしいと言うことです。国土の0.6%に過ぎない沖縄に在日米軍施設の74%を押しつけている不条理を思うとき、戦後処理の時点で昭和天皇が国体護持のためにマッカーサーと何度も会見したり、天皇メッセージによって沖縄の基地を半永久的に使用することを容認し、沖縄は捨て石にされました。基地の固定化、強化につながり沖縄は標的の島となり、再び戦場となる危険にさらされることになります。どうして沖縄は差別され、踏みつけにされなければいけないのでしょうか。

 私は敗戦のとき、小学一年生で、占領軍であるアメリカ軍政府の統治下にある時期に多感な中学・高校時代を過しました。軍政長官(後の高等弁務官)が最高権限を握り、軍が発令する布令・布告が沖縄群島議会(後の立法院)、任命された行政主席や裁判所よりも上にあり、市民が選んだ市長も軍政府として都合の悪い人であれば追放することもありました。米兵・米軍属による事件・事故を起こしても逮捕することも裁くことも出来ませんでした。ショッキングな事例を二つ紹介します。敗戦から5年経って朝鮮戦争が起こり、沖縄のアメリカ軍基地の重要性が増し土地の一括買い上げが打ち出され、銃剣とブルトーザーによる強制接収がはじまりました。伊江島の阿波昌鴻さんの住む真謝もその一つでした。私達高校生も近くの伊佐浜の接収のとき銃剣と暴力で、抵抗する民を排除し、ブルトーザーで家屋をこわし、ならしていく様子を見て、自由と平和を標榜する民主国家と称するアメリカの姿を目のあたりにして、反米感情を強く抱くようになりました。プライス勧告に対する軍用地四原則貫徹県民大会には10万人余が結集し私たちも参加しました。

 もう一つは1955年6月、6歳になる由美子ちゃんが米兵につれ去られ暴行惨殺の上海岸に捨てられるという痛ましい事件が起こりました。全沖縄人権擁護住民大会を開き、抗議と怒りの声をあげました。ここに一つの冊子をもってきました。“基地・軍隊を許さない行動する女たちの会”が「沖縄米兵による女性への性犯罪」を敗戦から復帰迄、復帰から2012年までの米兵による強姦・輪姦の数を調査したものを松井やよりさんの「女たちの戦争と平和資料館」からブックレットにまとめられ発行されております。是非入手して読んでほしいと思います。その数は何百件にも及び、その数の多さと人権を否定するその非道さに怒りがこみあげて来ます。1995年9月4日に起きた3人の米兵による12歳の少女暴行事件に対して沖縄県民総決起大会を開き、8万5千人が結集し県民の憤りの声をあげました。

 10番目の辺野古・大浦湾を埋め立てる新基地建設の阻止行動について先に言及しておきます。安倍首相が7月1日、集団的自衛権行使容認を閣議決定した同じ日に辺野古に新基地建設の工事が着手されました。辺野古・大浦湾にはジュゴンや海亀がえさを求めて遊泳し、沢山の希少生物やサンゴが生息する宝の海、生命の母なのです。このような透明度の高い、美しい海を埋めることがどれほど罪深いことであるか、然も戦争の出来る巨大軍事基地をつくるのです。すでにキャンプ・シュワブには弾薬庫があり、今度の新基地建設には1800米もあるV字滑走路とオスプレイ100機も駐機できる面積の海を土砂や砕石を運んで海面より10米の高さにまで埋め立てるというのです。皆さん想像してみてください。原子力空母も寄港できる軍港として計画されており、どんな有害物質が流失するか知れません。海は完全に汚染され、海の生物が死滅することは明らかです。負の遺産を子や孫の世代にまで残してはならないと、ゲート前には連日全国から支援する人達が集り抗議の声をあげております。海上ではカヌー隊がボーリング調査を阻止しようとブイやフロートの制限区域を突破して海上保安庁のゴムボートの隊員と激しくぶつかりながら、身体を張っての闘いが続いております。支援の輪は全国に広がり、8月23日には3700人、9月20日には5500人の人が結集し抗議の声をあげました。沖縄の人達は差別され抑圧された歴史を通してねりきたえられ、その都度抗議の声をあげ、ねばり強い運動を展開し、沖縄の主権回復の闘いを続けて来ました。その様子はインターネットを通して国内外だけでなく、国際世論を動かし、世界の有権者が大浦湾の埋め立て反対を表明し支援の輪が広がっていることは心強い限りです。

3項目以降について補足説明しておきます。1959年6月石川市宮森小学校に米軍戦闘機が墜落し、死者17名・負傷者210人の事故をはじめ、復帰後の墜落事故は45件にものぼると云われております。最近では2004年沖縄国際大学の校舎壁面に米軍ヘリコプターが墜落炎上する事故もありました。その他戦闘機より物体が落下し、死傷者が出る事故も起っております。

④オスプレイ、大型給油機、戦闘機による、夜・昼をとわず、時には早朝・深夜にわたる騒音の深刻さは、その現場に身をおいて生活してみなければわからないと思います。学校の授業、ラジオ・テレビ、電話も中断する程で、難聴や情緒障害を訴える人も出ております。普天間・嘉手納飛行場を離着陸飛行訓練に伴うその爆音の被害を被っている人達が爆音訴訟を起こして闘っております。

⑤県道を基地から基地へ移動する大型軍用車輌が走行するのを見ると異様を感じます。軍用車輌による轢殺、傷害事故もあり、米兵の酒気おび運転による追突・巻きこみ事故も良くあります。

⑥実弾射撃演習による山火事も良くあり、山肌が県道からもよく見えます。時には県道が封鎖され流れ弾が住宅地へ被弾したこともあります。テント村から演習の音が聞えて来ます。

⑦建設現場での不発弾爆発事故があります。不発弾処理に伴う避難区域の指示が新聞に広告されます。沖縄には今尚、数えきれない程の不発弾が眠っており、沖縄の戦後は終っておりません。

⑧基地内から沢山の枯葉剤(ダイオキシン)のドラム缶が出土しました。ベトナム戦争当時のものと思われます。北爆から帰って来た戦闘機の洗浄に使った有害物質や汚染水が海や川に流れて身体に異常を来した人もおります。

⑨ベトナム戦争のとき、従軍カメラマンとして活動した石川文洋さんの最近の報告によると沖縄から発進した爆撃機による国土の破壊、人民の殺傷、枯葉剤による傷害のつめ跡は、40年以上経った今でも奇形児の発生率が高く戦場のトラウマで苦しんでいる人達が沢山いるそうです。沖縄の基地が加害者として加担・協力したことの重さを問われなければならないと思います。県民の一人として今一度訴えます。

沖縄は人間の住んでいる島です。静かな空をかえしてください。美しい海を壊さないで下さい。最後に歌う賛美歌第Ⅱ編164番は私たちが毎週月曜日、普天間基地ゲート前で歌っているテーマソングです。聖書を一ヶ所読みます。ローマ書5章3~5節「わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」。わたしたちを取り巻く状況はどんなに厳しくとも最後まであきらめないで、勝利をのぞんで、みことばに聞き祈りを合わせつつ闘っていきたいと思います。これで私の証しとします。

 


参加者感想 1

2014-11-24 22:34:56 | 参加者感想

阿部眞知子

二日間の全国集会に出席が許された感謝を申し上げたいと思います。

一日目の鷲見八重子さんの講演では普段知る機会の少ない国連の活動をお聞きし、社会、文化、人道問題を扱う委員会において多くの女性が、婦人の地位向上のために努力されていることを知りました。また、日本がいかに世界から注目されている国であるかも教えられ、それだけにその解決を避けている人権問題、従軍慰安婦問題で示している姿勢が真の日本の歩みを阻止するものであることは残念であり、重く受け止めなければいけないと思います。

佐藤さんのゴスペルの指導と、西原さん、佐々木さんの奏楽にあわせ共に讃美することで主にある一致を覚え、感謝が絶えませんでした。

二日目の「共に生きる」と題した、荒井克浩さんのマタイ伝の講話では“ユダをも赦す”とのメッセージに福音の前進を思い、一人の例外もなく救いに導いて下さる主を知りました。

分科会の発題者の熱誠あふれるお話には、すべての会に参加出来たら…とおもいました。後の記録を待ちたいと思います。

五人の方々の貴重な証言ありがとうございました。襟が正される思いでお聞きしました。

司会をされた方々の心こもるお祈りありがとうございました。

最後に準備会の皆様、積み重なる準備は大変であったとおもいます。ご愛労にこころより感謝申し上げます。

当日話すことができませんでしたが、一言付け加えさせていただきます。

青年国際交流討論会では、9人の若い方々の発言に教えられることも多く、希望をもってこれからの時代を考える大切さを強く思いました。

チェ・イルソンさんが最後に話されたことですが、日本、韓国、中国、ロシアの一部を自由に行き来し、アジアで暮らして行くという意識をもって生きていくと言う言葉に感動を覚えました。100年後、200年後であってもこのことが神様の御計画の中に在ることに希望を持ちたいと思います。


参加者感想 2

2014-11-24 22:34:31 | 参加者感想

妹尾陽三(春日集会)

  佐藤晃子さんの指導になるゴスペル“I’ve come too far from where I came from”を唄いながら、John Bunyanの『天路歴程』に描かれている天国に向かってひたすら歩む者の姿が浮かんできました。昔訪れたJohnの故郷Bedfordで彼が説教した立派な教会と、長年投獄された地に楚々と立つピューリタンの教会を守る人の姿が蘇って参りました。

始めにこのような公式な場で感想を述べさせて頂くに際しての作法として、私の立ち位置を明らかにしておきます。

①    戦時下の旧朝鮮で日本人支配層の子として生を受け、② 原爆により親族を殺傷され、その子達(従姉妹)は未だに遺伝子破壊による苦しみの中で生きている。

③職業生活の殆どを大企業で過し、資本主義の構造悪から客観的には逃れられぬ。

 ④自覚的基督者としての人生は就職後、三島甫氏の雲雀ヶ丘、豊中集会に始まった。

今回の主題は「主に生かされて―共に生きるために」でしたが、今日の危機的な思想、政治社会の状況に正面から取り組む講演やデイスカッションが相次ぎ、会を準備運営された皆様の多大なご愛労に深く感謝申し上げます。

先に述べました私自身の終生の問題関心に照らしても、今回の主題の核心は、「国家としての日本」および「個人としての日本人」は、戦前に国家と個人(その集合体としての民族)が犯した「東アジア諸国に対する植民地支配(の在り方)と侵略」を罪として自覚して、国家レベルに止まらず市民レベルで許しを乞うた上で、それを具体的行動で示さなければならなりません。(これは1945年の敗戦、そして平和憲法の制定によって神の審判が下されている歴史の事実=「神の経綸」である。)それ無しには、かの国々と人々との真の和解と平和は生じようが無く、この「過去」に対する心からなる清算が実行されない限り「平和」の第一歩を踏み出しようもない、という事であります。それであるが故に、我々の同胞である沖縄は今なお日本国家と日本人の罪を背負いつつ、その解決を迫っているのであります。同様の原理は、原発事故がもたらした被害を今日も引きずる福島の農業者、ハンデイキャップを背負いながら信仰を持って生きる方々など、弱きもの、沈める者たちの救いも同じ線上にある、と認識せざるを得ません。

そのようなコンテクストで以下に感想を述べさせて頂きます。

先ず鷲見八重子さんの主題講演「日本は世界のために」は、市民の側から選ばれて、外務官僚や国際機関スタッフとともにニューヨークの国連で、女性の地位向上、子供の人権、先住民の権利、教育、貧困問題などに貢献された経験からする貴重なご報告でした。目下の日本外交は専ら経済、軍事を優先している感が有りますが、文化面にも多大な貢献をしている事を紹介頂きました。戦後の日本外交に現在の主流とは異なる今一つの平和憲法を基底とする流れが有り、それが今なお生き続けている事を知らされ内心勇気付けられました。反面、日本は国際機関に対して多大な貢献をしながら、慰安婦問題という頂門の一針故にそれが台無しになっている、と鷲見さんは嘆いておられます。しかし、安倍首相を始めとする歴史修正主義に基づく戦前日本の犯した数多くの悪業の歪曲、人権の軽視は国際機関においても非難の的になっている事を、一般市民やマスコミも自覚すべきでありましょう。

その意味で今回主催者が企画した、戦前に日本が統治、侵略した国々の若い世代を招いてのパネルデイスカッションは画期的なものでありました。

パネリスト達の多くが、父母や祖父母から日本人の残虐、圧政を聞かされているにも拘らず、正面から声高に非難する事が無かったので意外に感じられました。罪の意識の負い目を深層に抱く我々とっては、その悪の所行を明確に指摘してもらった方が却って気が休まった感がありました。これはそのやり場の無い想いが、それだけ心の奥深くに沈潜しているのでは、と感じられました。半面昨今の修正主義の傾向に対しては明確な否定の姿勢が見られました。我々の世代の想いが屈折する中にあって、せめて若い世代は歴史上の出来事の善悪の判定をお互いに共有した上で、和解の道を築いていってほしい、と切に祈らずにはおれませんでした。深い余韻が残り続ける対話でありました。 

「発題」の中、先述の私の問題関心と絡めた多くのテーマが有りましたが、ここでは時間の制約もあり、倉石満さんの「共生を閉ざす原子力」について、分科会での討議もふまえて感想を述べさせて頂きます。

「原発が何故に人類と共生出来ないのか」、については議論が尽くされている感がありますが、その最たるものはこのエネルギーがエントロピーの法則に反しており、人類が制御しきれていない技術体系で有る事。そしてその発する放射能が人間の遺伝子を破壊して、それが子孫に遺伝され、ひいては人類の滅亡に至る道程を内包しているからです。加えて原発はその原理が原爆と共通で容易に人類破壊兵器に転じる事が可能で、これが一旦始まると兵器産業の資本の論理と政治権力が一体化して、民衆の力ではその暴走を止めることは不可能の状態に陥らざるを得ません。この単純にして明快な事実は、御用学者は言うに及ばず技術至上主義者も論駁する事が出来ません。この事は広島、長崎の被爆者とその2世達、ビキニ環礁水爆実験の被害漁民、チェルノブイリ、福島原発の炉心メルトダウンの被害と、これに対処した権力の歴史で明らかであり、私自身の近親の被爆者とその二世達の死に至った病、今尚去りやらぬ苦しみの病状が証明しています。

 一方で資本主義のチャンピオンたる財界やその代弁者である政府首脳と官僚達の論理は、経済成長を実現して人々の生活を守るための安定エネルギー源として原子力発電は不可欠である、として今尚その際稼働を実行に移しつつあります。また、技術至上主義者達は、原発反対論の多くは感情論で理論的ではない、と反論しております。無教会のクリスチャンの技術者の中にも、バベルの塔やノアの方舟をこの議論に持ち込むのは非科学的で合理性に欠ける、とする人も多く見られます。内村という先達を尊敬し、彼の関東大震災を目の当たりにしての神への恐れの発言を知りながらです。(教会内ではこれを神学的に深く省察する動きが見られます)

これに対する答えとしては、マックス・ウェバーの『「因果連関」と「意味連関」を混同する者は学者の資質に欠ける』という言が相応しいでしょう。内村は大震災という事実=「因果連関」を超えた所に働く神の業=「意味連関」をその心眼で見たのです。これは学者のみに当てられた事ではなく、クリスチャンの感性ひいてはその生きる姿勢=Way of Lifeに対して与えられた戒めでもありましょう。

 次に一般人には科学も経済の事も専門的で手に負えず、直感では原発に恐れやうさん臭いものを感じながら、政府や財界人の主張にも一理あり反論出来ない、という人が多く見受けられます。

これは難解のようで実は単純な事柄です。それは私たちが生きていく理想の社会はどのようなものなのか?という事に尽きます。聖書を紐解けばその答えは自ずと明らかです。幸い私たちの先達には内村が居て「デンマルク国の話」が在り、これを基底に据えた大塚久雄の「国民経済論」の著作が在ります。太平洋戦争直前に矢内原忠雄に止まらず、日本の膨張に異を唱え、小日本国論を展開した石橋湛山はクラークの弟子大島正健に中学時代薫陶を受けた人でした。戦前の富国強兵の代替として工業製品の輸出に頼って農業と農民を犠牲にする政策を捨てて、地産地消を国の礎とする社会に返る事によって、この国は原発や軍事膨張政策を放擲する事が出来るのです。(その現代版として、藻谷圭介『里山資本主義』)信仰と実生活はバラバラに存在してはいけないのです。(無教会人の生き方に関して、中村勝己『現代とはどういう時代か』、『近代文化の構造』など)無教会は今こそ先達の遺産を引き継いでこの国の生活の原理の転換に注力すべき時ではないでしょうか? 

最後になりましたが、日曜礼拝における荒井克浩さんの聖書講話、「共に生きるーマタイによる福音書を通して与えられること」では、異なる信仰、異文化、異民族と互いに裏切ることなく信義をもって共生することの大切さ、たとえ裏切りが有ってもこれを一方的に許すのがイエスの福音の愛の本質である、との教え。自らの不義と罪の自覚薄く、裏切られた相手を終生許すことなど出来そうも無い自分への罪の深さに悩む者の心に染みる講話でありました。

 この場で与えられました御恵みを糧に、明日からの日常を励んでいきたいと思います。

 


次回開催地挨拶

2014-11-23 22:56:32 | 次回開催地挨拶

坂内宗男

  昨日から、大変充実した集いがもたれ、あっという間に終わりが近づきました。

 来年も主許し給うならば、この市川の当会館で開催したく思います。

  目の前には多くの課題が山積致し、また闇に突入して行くかに見えますが、私たちキリストに結ばれた者としては、ただ主の憐れみによって、単純にかつ大胆に、明日にまた朝(あした)在りを信じて、今日を精一杯与えられた馳場を歩みたく念じております。

  どうか、また来年お会いできますことを願い、ご平安あらんことを切に祈ってやみません。

主にあって・・・。



閉会挨拶

2014-11-05 14:43:27 | 閉会挨拶

小舘美彦

 これから申し上げるのは愚痴です。全国集会の地方開催が難しくなり、このところ連続して東京での開催が続いています。そしてこれからもこの状況は続きそうです。すると、私は毎年のように全国集会の事務局をやらなければならなくなる。全国集会の事務局をやるのは実にたいへんで自分の仕事などはできなくなってしまいます。それでストレスもたまる、疲れてくる。しまいにはもう全国集会の事務局なんてやめてしまいたいと思うようになるわけです。

 しかし、数年前に佐藤晃子さんから今回のゴスペル’I Don’t Feel No Ways Tired’(「私は全然疲れていません」)を教わった。この曲には本当に不思議な力があって、一度おぼえてしまうと、疲れて何かを投げ出したくなるたびにどういうわけかこの曲が心に思い出されてくる。すると元気が湧いてきて疲れがいやさていくのです。

 話は変わりますが、会員の高齢化が進み、無教会の集会を維持することはだんだん難しくなってきました。それに呼応して年々参加をお断りになる方が増えてきました。確かに高齢で集会を維持し、その上全国集会にまで参加するのは実に難しいことでありましょう。

 しかしそのようなときこそ、今回学んだゴスペル’I Don’t Feel No Ways Tired’を思い出し、それを口ずさんで、疲れに打ち勝ってほしいのです。このゴスペルは80歳を超えた老人がふと口ずさんだ言葉をそのまま歌にしたものです。その心は、「イエスを信じる者に疲れることはあり得ない」でありましょう。そう、確かにイエスを信じる者に疲れることはあり得ないはず。なぜならイエスこそは無限の命の源泉なのですから。

 ですから、みなさん。私どもの人間の力によってではなく、イエス・キリストの命の力によって再びこの全国集会に集まりましょう。