綱野 悦子
プロフィール
徳島に生まれ大阪で働いていたが失明の不安のなかで聖書のみ言葉に出会い、神様を信じたいと求めていた時、友人に無教会のテープ集会に誘われ参加しはじめた。
25歳頃に失明し、鍼の資格をとり、徳島に帰り、徳島聖書キリスト集会に導かれましたみ言葉の学びを通して見えなくなったことが主の恵みだったと知らされ感謝です。
このテーマで私の信仰について証させていただきます。
私は自宅で鍼の治療をしています天宝堂と言います。天に宝を積みなさいというみ言葉から付けた名前です。
私は徳島で生まれ育ち、大阪の小児整形外科病院で脳性小児麻痺の子供たちを訓練する理学療法士として働いていました。私の勤めていた病院はカトリック系でしたから、いろんな職種にクリスチャンの人がたくさん勤めていて、敷地内に修道院があり、シスターもおられ、初めてキリスト教の世界に触れました。
寮に入っていた私が親しくしてもらっていた看護師の友もくりすちゃんで、部屋に「明日のことを思い煩うな」というみ言葉のカレンダーがありました。
私には目の病気があり少しずつ視野が狭くなってきていて、失明の不安がありました。
目が見えなくなったらどうしよう、今の生活はみんななくなるのだからとても生きていけないだろうなと思いました。
失明の不安がだんだん大きくなっていった頃、この「明日のことを思い煩うな」というみ言葉に、このように約束してくださる神様を信じてすがろうと思いました。
その頃、病院のボランティアで来ていたギターのお兄ちゃんと慕われていた人から、テープ集会で聖書を学んでみませんかと誘われました。
神様が呼びかけてくださったのです。
それが無教会の集会だったのです。
初めて夜のテープ集会に参加した時、ヨハネ一章からの学びでした。
「初めに言があった」のみ言葉でロゴスについて語られ、難しかったのになぜか真実を感じてそれからも続いて参加しました。
両親や友人にも自分の不安を話せずにいて、何もわからない私が、初めて祈ったのは「神様、この目を見えるようにしてください。もしそれがだめならこの命をとってください」というものでした。
でも、この祈りは聞かれませんでした。
見えなくなっていく時、白い杖をつくことに抵抗がありました。
周囲の盲人への偏見を思ったのですが、それは実は私自身の偏見があったのです。
自分が見えにくいことをわざわざ白い杖で知らせることはないと隠したい思いがあったのです。
でも、私の目は外見は見えているようなので、杖なしに歩いていて、人とぶつかったり、危ないことがあるのです。これではいけないと白い杖を持つようになりました。
何か自分の中のカラがとれたような気がしました。そして、25歳頃に失明しました。
真っ暗な闇と思えた谷底に落ちると思ったのに、見えなくなって不思議な平安を与えられました。イエス様の御手で救い上げてくださったと感じました。
絶望しかないはずなのに、私の心の中でイエス様が導きの杖となってくださるのだとわかりました。イエス様は人生の導き手であり、そして時には危うさから守るためにびしりと打ち、方向を変えてくださる。いつも共に歩いてくださるのだからこれほど安全な歩みはありません。
それなのに、聖書のみ言葉を学ぶにつれて、自分の中の罪が次々と示され、律法でがんじがらめにされ、苦しくて、イエス様、私から少し離れてくださいと遠ざかり、集会も休むようになりました。
大阪の盲学校で鍼の資格をとり、治療院を開こうと徳島に帰ってきました。
その時、私はイエス様に私から離れてくださいとお願いして、川を隔てて向こう側におられたはずなのに、どうしてかイエス様がすぐそばにいてくださっているのを感じました。
イエス様はずっと私のそばにいてくださったのだとわかり、弱くてどうしようもない私を見守ってくれていたのだとわかりイエス様の愛を知り涙があふれました。
もうイエス様から離れないように、聖書をもっと学びたいと思い、大阪の信仰の友に話したら、その夏の愛農聖研に誘われ参加しました。
それぞれの方がみ言葉を生きておられて神様はすばらしいと思わされました。
愛農聖研から帰る時に、友人に徳島にも無教会の集まりがあるなら教えてほしいと頼みました。すると、すぐに徳島聖書キリスト集会の方が、大阪の知人から紹介されたと 私の家に訪ねてきてくださいました。
このすばやさに驚きました。これからずっとイエス様についていきたいので聖書の学びをしたいことを話すと、週に一度私の家で聖書の学びをしてくださるようになりました。
中途失明の私は点字を読むのが遅いので、なかなか読み進みませんでしたが一人で聖書を読んだり讃美することができました。そんな私のために信仰の友がいろいろなキリスト教の本をテープに録音してくれて助けてくれました。
それから、徳島聖書キリスト集会に送り迎えしてくださる友が与えられ、月に1~2度主日礼拝に参加しはじめ、その後夕拝や家庭集会にも参加できるようになりました。
み言葉の学びによって少しずつ導かれていきました。
これまでの自分の罪の大きさ、それなのにイエス様の十字架の愛による赦しによって生かされている恵みなのだと気づかされました。
そして気がつきました。
私の最初の祈りは聞かれていたのです。
肉体の目は見えなくなりましたが、霊的には闇から光へと心の目を開いてくださったのです。
けれども、信仰の歩みが決して順調だったわけではありません。
いろいろな波を受けました。
その中で、私の妹がガンであと3か月と宣告された時、私の信仰はこなごなに砕かれました。神様、どうして?なぜ?神様の御心がわかりません。
自分中心の罪が大きく迫ってきました。
私の信仰がなくなりそうでした。それほどもろい信仰だったのです。
こんな私のために祈ってくださいと集会の友たちにお願いしました。
その時は年末年始でしたが、ほぼ一日おきに礼拝と夕拝、家庭集会があり、み言葉と祈りの中に入れられていました。
元旦礼拝から帰ってきて、イエス様が十字架から「私の愛にとどまりなさい」と言ってくださいました。
ただイエス様にすがりイエス様を見上げるだけでいい。イエス様の愛にとどまり続けよう。
私の罪を赦してくださる主の愛にみたされました。
その間、集会の方達が連鎖祈祷をしてくださり、復活祭に妹家族も参加できました。
それから2か月ほどで妹は召されました。
まだ悲しみの中にいた私に召された妹から「姉ちゃん、何をしているの?」と言われたのを感じて、ハットしました。
イエス様の愛のまなざしがありました。
それまでは月に2度、日曜日に鍼の研修で礼拝を休んでいたのですが、それをやめて毎週主日礼拝に参加する思いが起こされました。
鍼師のクリスチャンでなく、クリスチャンの鍼師になりたいと思ったのです。
いろいろ残された問題はあっても、ロマ書8章28節に「神様は万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」のみ言葉を信じていこうと思いました。
次に私のところに鍼治療に来られた方を通して神様がくださった恵みをお話しします。
一人の方は、突発性難聴で聴力を失い、医師から治療してももうよくならないと言われて鍼治療に希望を持ってこられました。私の鍼でよくなる可能性は少ないと思ったので、治療はしてみますが、もしかしてこのままかも知れないので、そのために手話を学ばれることを勧めました。聴覚障碍者の方に手話はとても大事だと教わっていたのです。少しでもよくなりたいと思っている人にこのようなことを話せばもうこれで来なくなるかも知れない。
でも、その方は、ではそうしてみますと言われたので、徳島聖書キリスト集会で行われている手話の学びを紹介しました。
そこでは、手話とともにみ言葉と野草の学びがあり、そこから信仰を与えられともに礼拝に集っています。
私が霊の目を開いてもらったように、その方に霊の耳を開いてくださるように祈っていたことに主が応えてくださいました。
もう一人の方は、ガンの述語で、少しでも自然治癒力を高めたいと鍼治療に来られました。私はクリスチャンで、神様が私にしてくださったことを話すと、自分も神様を信じて召されたいと言われました。キリスト教の印刷物や本を渡すと、家族にも読ませたい、家族も救われてほしいからと言われました。病状が悪化し入院されたので、何度か集会の友と訪問しました。
奥様とは病室でお会いした時、ご主人のことご家族のこと、今抱えている悩みをお聞きし讃美とお祈りをして帰ってきていました。
それからまもなくその方は召されましたが、奥様がすぐに聖書を学びたいと言われ、私のところでの家庭集会に来られ、主日礼拝や別の家庭集会にも参加されるようになりました私の思いを超えた大いなる主の導きに驚きました。
鍼の治療に来られる人たちは、体調が悪かったり心が弱っている人たちが多いので、話をゆっくり聞いたり、神様が私にしてくださったことを話せることもあります。
その時によってイエス様から力を受けたみ言葉を話します。
「弱いときにこそ私は強い、私の恵みはあなたに十分です」
「見えなくなって見えることがある、見えるものは一時的で見えないものは永遠に続く」
「苦しみにあったことは私にとってよいことでした。それによってあなたのみ言葉を学ぶことができました」
どうしようもないと思える時にも、
「人にはできないが神にはできる、神は何でもできる」
などのみ言葉です。
さて、私のところで月に一度天宝堂集会を開き聖書の学びをしています。
治療に来られている人や親戚や友人を誘っています。
そんな中で、体や心に病気を持っている人、大きな集会には行けないという人、天宝堂集会にだけつながっている人たちが何人かおられます。
このように神様は私にしてくださったように、ちいさな者、弱い者を呼んでくださり、導きの御手をのべてくださいます。
視覚障害というハンディは神様を信じることによって主がともにいてくださり生かされる恵みに変えられた今、一人でも多くの人がイエス様を信じることができるように主よ用いてくださいと祈ります。
以上