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無教会全国集会2014

2014年度 無教会全国集会ブログ

共に生きる―マタイによる福音書を通して与えられること―

2015-03-08 13:41:04 | 聖書講話

2014年無教会全国集会聖日礼拝聖書講話
マタイ1章21-23節、28章16-20節
荒井克浩

プロフィール
 1961年生まれ。立教大学経済学部卒業。卒業後人生の問いを解決するために教会へ通ったが解決せず、数年間座禅修業をする。それでもらちが明かずにいた時、高橋三郎先生の『絶望と希望』を読み、それがきっかけで高橋聖書集会で聖書を学ぶことになる。
 仕事は長く珈琲業に携わり、株式会社ドトールコーヒーチェーン本部勤務を経て、自家焙煎珈琲「カフェ・クラナッハ」を経営していた。自家焙煎珈琲店を営みながら、夜間の神学校である日本聖書神学校に通い卒業する。
 2010年6月に高橋先生が召天されたが、その半年前2009年12月より独立伝道に入る。東京・文京区の駒込キリスト聖書集会主宰。2013年6月より伝道月刊雑誌『十字架の祈り』発刊・主筆。日本キリスト教協議会(NCC)靖国神社問題委員会委員、平和を実現するキリスト者ネット事務局、安倍靖国参拝違憲訴訟・東京事務局長、2・11および8・15東京集会代表。



①矢内原忠雄「人の復活と国の復活」を通してのサムエル記(下)21章との出会い

 私は、この「共に生きる」という主題でお話しをするときに、私の霊的な体験をお話しせねばなりません。

 それはそんなに遠い昔の話しではなく、今年の1月の終りのことです。そのきっかけは、さりげなく矢内原忠雄先生の『内村鑑三とともに』という本の「人の復活と国の復活」という文章を読んでいたときのことでした。

 ちょうど私はそのころ、自分の主宰する駒込キリスト聖書集会の毎聖日の聖書講話でマタイ福音書を連続講解しておりました。一月の終わりの聖日には、「人の子の来臨」と題して、マタイ24:26-31を講じていました。
 その中には、このようなことが書かれています。

27稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子も来るからである。28死体のある所には、はげ鷹が集まるものだ

 「死体のある所には、はげ鷹が集まるものだ」(28節)―これはとても理解しにくい言葉であります。さまざまな研究者の解釈がありました。

 私の解釈としてはそこに「審き」の姿を見る、というものでした。この世の終わりには、キリストの再臨と共に神の審きがある、その審きは罪の臭いが立ち込めるものであり、死の臭いもまた立ち込めるのである。そこにははげ鷹が当然群らがるのであります。人の罪による死の臭いは、はげ鷹を群らがらせるのです。しかし、同時にイエス・キリストの再臨の力もそこに働き罪に死にし者たちは救いに与るのであります。

 そのような聖書講話の準備の中で読んだのが、先の矢内原先生の「人の復活と国の復活」でした。そこには、以下のように書かれています*

*               *               *

この「屍体のある処には鷲も亦あつまらん」という諺について、私は思い出す一つの哀話があります。それは旧約聖書サムエル後書第21章にあるお話であります。


* 矢内原忠雄『内村鑑三とともに』東京大学出版会、1962年、161頁 -162頁。

 ダビデ王の時代に、3年続いた飢謹があって、皆非常に困った。今日で言えば政治問題化した。それでダビデ王がエホバの神にその原因を聞いたところが、それに対する答えは、ダビデの前のサウルという王がギベオン人との契約を破って、これを虐殺した。そのことがエホバの御意に適わないために、それが原因となってこの3年の飢饉があるということが、預言者の口を通してダビデに告げられたのでありましょう。それでダビデはギベオン人を呼んで、お前たちの望むところは何であるかということを聞いた。ギベオン人の言うのには、私どもはイスラエルの人に対して報復するとか、損害賠償をもらうとか、そういうことは考えておりませんが、ただ私どもをみな殺しにしようと企んだところの責任者、すなわちサウル王の眷属の中から7人を引渡してもらいたい。そうすればこれをエホバの前に、木に懸けて処刑するということを申した。今日のことばで言うと、戦犯の引渡しを要求したわけであります。

 それでダビデはサウルの一家眷属の中から7人を取って引渡しました。これをギベオン人は木に懸けました。その引渡された7人の中の2人は、アヤの娘リヅパという女がサウル王に生んだ子供であった。

 この7人の死骸の前で、アヤの娘リヅパは岩の上に麻布を拡げて日夜坐っていた。そして昼は空の鳥を追い払い、夜は野の獣を近よらしめず、屍体の食い荒らされないように守った。処刑のあったのは麦刈の時であってそれはユダヤでは4月であります。その時から始まって雨の降る時までこれを続けた。初めの雨の降るのが10月でありますから、もしも普通に雨の降るシーズンまでならば、6ヵ月の間リヅパは岩の上に坐って、昼は空の鳥を、夜は野の獣を追うて、自分の生んだ二人の息子と、親類の5人の子供との遺骸を守ったのです。

 このリヅパの行動を聞いて、ダビデは憐みました。そしてサウルの王の屍と、その長男でありダビデの親友であったヨナタンの屍を集めて、これを叮重に墓に葬り、またダビデの部下がリヅパの息子など7人の屍を集めて墓に葬った。そのことがエホバの御意に適うて、雨が降り、3年の飢饉が終った、という実に哀れな話があります。

*               *               *

ヨシュア記9章によれば、ヨシュア率いるイスラエルとキブオン人は命を保証する協定を結び、キブオン人は平和を得てイスラエル人の中に住み続けました。しかしサウル王の時代に、サウルは彼らを嫌い「ギブオン人を殺害し血を流した」(サムエル(下)21:1)と言います。それは、イスラエルの飢饉の原因でもあったと神は言われたのでした。

 そして矢内原先生の文章にありますように、ダビデは「サウル王の眷族(けんぞく)」―つまり一族―の中から7人をギブオン人へ引渡し、ギブオン人たちは彼らを山で処刑し殺したのでした。 

その殺された7人は、サウルとサウルの側女(そばめ)リツパとの間に生まれた2人の息子とサウルの娘に生まれた5人の息子たちでした。

 自分の息子を含む7人の子どもたちを殺されたリツパの悲しみと嘆きはいかばかりだったでしょうか。

 彼女は狂人のようになって、粗布を岩の上に広げて座り込み、半年の間、空の鳥や野の獣から野ざらしにされた息子たちの亡骸(なきがら)を守ったのです。

アヤの娘リツパは粗布を取って岩の上に広げた。収穫の初めのころから、死者たちに雨が天から降り注ぐころまで、リツパは昼は空の鳥が死者の上にとまることを、夜は野の獣が襲うことを防いだ。(21:10) 

 リツパは7人の子らの死を通して、人間そのものが持つ罪に気付いたのでしょう。その子らが死ぬに至ったのは、サウルの罪と彼ら自身の罪―イスラエルの罪―がゆえだったからです。

 しかし女であり母であるリツパは、サウルを愛し、子どもたちを愛し、彼女の国イスラエルを愛していました。罪を持つ彼らを愛していたのです。ですから彼女は、半年もの間、岩の上の粗布に座り悲しみ嘆きつつも、空からの鳥・野の獣から死骸を護り、サウルの、子どもたちの、そしてイスラエルの罪の赦しを神に向かい祈り続けたのでした。

 その姿を見たダビデは、七人の骨をサウルとその子ヨナタンの骨と共に墓に葬りました。すると神は「この国の祈りにこたえられた」(14節)―つまり3年にわたるイスラエルの飢饉は解決したのであります。

 この国の罪とは何だったのでしょうか。それは「共に生きる」ことを約束したギブオン人たちをイスラエルが殺害し彼らの血を流したことであります。

 矢内原先生の「サムエル書」講義では「然るにイスラエル最初の王となったサウルは、王権を強固にし国威を張るために、先祖の為した誓を破ってギベオン人を絶滅しようとした。それは誤った愛国心であり、誓を破る不信仰の政策であり、平和的な寄寓者を虐ぐる愛のない行為であった」と語っておられます*

 私がこの矢内原先生の「人の復活と国の復活」の文章を読んだ時に、「すべての人々と共に生きる」という言葉が私の中に飛び込んで来て、大げさでなく、心の奥底に響きわたり、この御言葉に生きよ、という神の寡黙なる声が全身に浸み通ったのでした。

 ギブオン人は、おそらくはイスラエルのヤハウエ宗教とは違う信仰を持ち、違う文化に生き、違う言葉を話していたでしょう。そのような違う人々と共に生きることは神の御旨である。と単純な納得を神のものすごい力で理屈抜きに与えられたのでした。

 これまでの信仰生活で、単に御言葉が感銘を受けたり、何となく心に響く、ということはありましたが、この「すべての人々と共に生きよ」という神のお示しは、決定的な


* 矢内原忠雄『聖書講義』第5巻、岩波書店、1978年、608頁

ものでした。

このようなことは言葉として表現し切れませんね。これまで隣人を裏切ることを平気でやり、自分と違う人間とすぐに対立していた自分は、180度の転換を迫られました。そしてほんとうの意味で「汝の敵を愛せ」(マタイ5:44)ということが決定的にわかりました。それは不思議なことであります。

 私たちは、すべての人々と共に生きねばならないのです。

 そしてそのことは、その後のマタイ福音書の読み方を決定的に変えてしまいました。

②マタイ福音書の「共に」

 マタイ福音書には他の福音書にはない記述があります。その中に、「共に」という言葉があるのが特徴的です。

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」

この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。(1:23、傍点筆者)

イエスがお生まれになられたとき、父ヨセフの夢に天子が現われて、イエスの名まえは、「神は我々と共におられる」という意味だと告げました。

 また十字架にかかられる直前のゲッセマネの祈りの箇所では、弟子たちに、

わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。(26:38、傍点筆者)

と言われました。他の福音書の並行箇所には実は「わたしと共に」という言葉は入っていないのです。マタイのみのものです。

 ここでイエスは、ご自身も十字架に架かることにおいての苦しみのあまり、神の御心を知るためにまさに「苦しみもだえ」「汗が血の滴るように」(ルカ22:44)祈られたのですが、一方、弟子たちは眠りこけるばかりで、イエスと共にいることが出来なかったのです。そのふがいない弟子たちに、マタイでは、「わたしと共に目を覚ましていなさい」―つまり「わたしと共にいなさい」と語りかけているのです。

 この箇所はだいたいの注解書が「弟子のふがいなさ」をクローズアップさせ「弟子たちよ、もっとしっかりしろ」という語り口になっているのですが、私は違う視点を与えられました。ここでは、ふがいない弟子たちを心から愛し抜き、彼らから離れずとことん共に生きるイエスを見出すのです。「これから私は十字架にかかる。お前たちは、今はふがいないが、わたしは復活してこの先お前たちといつまでも共にいるようになる。だいじょうぶだ、安心しなさい」というメッセージを送っているのです。

 弟子たちはふがいなくてもいいのです、イエスの側から彼らを愛してくださり、彼らと共にいて下さるのです。

 私たちもまた、ふがいなくてもいいのです。イエスの側から、ふがいない私どもと共にいて下さる、と励ましてくださるのです。

 そしてマタイ福音書の最後では、復活したイエスが弟子たちに、

わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。(28:20、傍点筆者)

と告げるのです。

 マタイ福音書の底流には「わたしたちと共にいる神の子イエス」の愛が流れているのです。

 神の子イエスがいつもわたしたちと共にいてくださるのですから、その聖霊に生かされているわたしたちもまたすべての人々と「共にいる」こと―これは当然です。

③ユダは救われている

 さて、ここでイスカリオテのユダのお話しをしなければ、今日のお話しは終わりません。

マタイ26:14以降に、ユダがイエスを裏切ることが記されています。

十字架にかかられる直前に、イエスは弟子たちと過越の食事をしましたが、その席でイエスはユダが裏切ることを示唆します。

20夕方になると、イエスは十二人と一緒に食事の席に着かれた。21一同が食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」22弟子たちは非常に心を痛めて、「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。23イエスはお答えになった。「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。24人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」25イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんで、「先生、まさかわたしのことでは」と言うと、イエスは言われた。「それはあなたの言ったことだ。」(マタイ26:20-25)

「人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった」(24節)とあります。私は私の個人伝道雑誌『十字架の祈り』今年の5月号の聖所講話でこの箇所に関して以下のように書いています。

*               *               *

24節に「人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった」とあります。この「生まれなかった方がよかった」とは、まことにイエスの口から出た言葉でしょうか。私はそれを受け入れられません。イエスがこのような呪いの言葉を語るとは、私どものこれまでの学び―罪人をどこまでも愛し抜く神の子―からは理解できぬことです。

西暦80年頃に編集されたこのマタイ福音書には、このあとユダが「首をつって死んだ」ことが記されています(27:5)。また同じ頃編集された使徒行伝には、以下のように凄惨なユダの死が記されています。

ユダはわたしたちの仲間の一人であり、同じ任務を割り当てられていました。ところで、このユダは不正を働いて得た報酬で土地を買ったのですが、その地面にまっさかさまに落ちて、体が真ん中から裂け、はらわたがみな出てしまいました。

(使徒行伝1:17-18)

一方、一番最初に成立したマルコ福音書にはユダの死は書かれておりません。荒井献という神学者は、ユダは生き残り「復活のイエスとの再会がユダにも約束されていた」*1と言っております。*2

イエスは、この十字架の直前の食卓でユダに悔い改めの最期通告をしているのです。ユダの自由意志に訴え、イエスへの立ち帰りを祈っているのです。

イエスの食卓はもともとすべての人々に開かれた食卓でした(9:10~)。罪人や徴税人、病にある人たちと共に座る食卓でした。私には到底、ユダのみを排除したとは考えられないのです。

今、申し述べましたように最初に成立したマルコ福音書にはユダが死んだことは書かれておりません。私は裏切り者ユダもまた、後に復活のイエスに会い、救いに繰り入れられたと信じるのです。そうでなければ福音は福音でなくなるのです。

主イエスを裏切るーこれは実は私ども一人ひとりの内にも存在する罪の働きであります。そしてその罪はサタンによって触発されるのです。ユダのみではありません。私たち一人ひとりが主イエスを裏切り得るのです。だからこそ、22節「まさかわたしのことでは」との聖書の文字が、私たちの内に、私たち自身への切実なる問いとして響いて来るのです。裏切り者ユダは私の中にも居るのです。しかしそのような裏切り者も、主イエスの食卓に連なることが出来る―それが、十字架の赦しの恵みであります。私どもは一人ひとりが赦されて主イエスの食卓に着くのであります。

同時に、いかなる犯罪人とも私たちは同じ食卓に着くーこの勇気を持たねばなりません。たとえイエスのように裏切られても。


*1 マルコ16:1-8参照。十字架で死したイエスの墓へ、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメが行くと、天使が現れ、「あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる」とイエスの復活と再会の約束を、弟子やペトロに伝えるように命じた。その伝える弟子たちの中にユダもいるのだという解釈。

*2 荒井献『ユダのいる風景』岩波書店、2007年、13頁。

人が共に生きるーこれがイエスの食卓であります。それは命がけの食卓でもあります。「裏切り・裏切られ」が現実に存在する生々しい食卓であります。しかし裏切られた者は裏切った者のために祈り赦す。そして神の赦しをその者のために祈る。裏切った者は悔い改めの涙を主にあって流す―これがイエスの食卓であります。

この後主イエスが祈るゲッセマネに、ユダがやって来て、祭司長たちに引きわたそうとします。そのときにイエスがユダにこう言いました。

「友よ、しようとしていることをするがよい」(26:50)。

イエスは、自らを陥れ裏切る者へ「友よ」と言われたのです。イエスにとっては自らを死へと至らせる裏切り者も、愛する「友」なのです。

イエスは自らの食卓からけっして怒って立ったりしないのです。いつも静かな赦しの微笑みを浮かべて座っておられるのです。

イエスは、最後に不思議なことを言われました。以下25節です。

25イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんで、「先生、まさかわたしのことでは」と言うと、イエスは言われた。「それはあなたの言ったことだ。」

心にやましい企てのあるユダがあえて質問をしました。「先生、まさかわたしということをおしゃっているのではないでしょうね」と。そこでイエスは言われました。「それはあなたの言ったことだ」。ここはいろいろな訳がなされ、いろいろな解釈がされている箇所ですが、これはギリシア語の直訳では「あなたが言った」、英語の「You said」です。

イエスは、ユダのやましい心を見抜き、「それはあなた自身の問題だ」と、ブーメランのように問いを突き返したのです。主イエスを裏切るというのは、あなた自身の問題だ、ということです。

イエスは、私たちを勝手に「裏切り者」と断定しません。むしろ「友よ」と語りかけるのです。私たちの方がイエスを裏切るのです。ここでは神がユダを裏切り者にしたのではなく、ユダ自身がユダを裏切り者にしたのです。自分で自分を裏切り者にしたのだから、今なら悔い改めることができる、ということです。

イエスは、限りなく弟子たちを愛しました。彼の中には「裏切り者」は存在しません。イエスは「私はあなたがたをどこまでも愛している。裏切るのはあなた方の方だ、あなたがあなた自身を勝手に裏切り者にしているのだ。『それはあなたの言ったことだ』―裏切り者があなただ、ということはあなた自身が言ったことだ」と言われるのであります。 

主は、主の食卓に誰をも招いていてくださいます。その食卓から、主を裏切り立ち上がるのは、常に人間の側であります。

しかしその裏切った私どもをも、どこまでも何度でもその食卓へ招いて下さる主イエスの愛をこそ、本日深く受け止めるのであります。

ユダは実際この後に主イエスを売り渡し裏切るのですが、むしろその後の十字架は、そのユダをも救いし神の力として、燦然(さんぜん)として輝くことを私たちは知ることになるのです。

(『十字架の祈り』2014年5月号10-12頁)

*               *               *

以上の内容においては私はマタイ福音書の記述を踏み越えてしまいました。ユダが死んだとしているマタイの記述を越えて、ユダは死んではいない、彼もまた主イエスによって救われる、と見ているからであります。

信仰におきましては時に、聖書を書かしめ給う、聖書の文字面の背後に働く霊の導きによって、聖書の記述を踏み越えることは要求されますね*

④共に生きる

 矢内原先生の文章を通して私に強烈に与えられた神よりの啓示「汝―すべての者と共に生きよ」は、ついにはキリスト教会の中で裏切り者と断罪されて来たユダをも救いの内に入れることになりました。

 しかしこのユダを裏切り者とする聖書解釈は、中世に於ては教会に異端審門制度を作り上げ、自分たちと違う信仰の人々を残酷に処刑して来ました。今日もまだ、その恐ろしき解釈はキリスト信仰の中に入り込み生きていると思います。

 私たちは一人ひとりが違っていていい。むしろ同じにならなくていい。違ったままで、すべての人々が共に生きる―それを、私は神から直接教えて頂いたのです。

私たちは、あの七人の子どもたちの野ざらしの亡骸の脇で半年間、その罪の赦しのために半年間祈り続けたあのリツパのごとくに、違う者を虐げ排除しようとする日本の国の現在に至る罪の赦しのため、全人類の罪の赦しのため、私たちの隣人の罪の赦しのため、天に向かい祈り続けねばなりません。そして、何よりも、主イエス・キリストこそが、この私たちの罪に死にし亡骸の脇で、今も、そしていつまでも十字架上で私たちのために、私たちの罪の赦しを祈り続けて下さっていることに気付きたいと思います。

本日のお話しをまとめると次の言葉になります。


* 内村鑑三も聖書も文字そのものよりも、それを書かしめた聖霊を信じ、「聖書はなお未完の書なり。しかしてわれらはこれにその末章を作るの材料を供せざるべからず」と言っている。(『一日一生』6月9日参照)。また、この箇所に関しては、前述の荒井献の示す神学的見解も下支えとなっているのである。

神、すべての人と共にあり、

 人、すべての人と共にあり、

 人、全ての被造物と共にあり、

「無教会」は「無境界」―隔てなく全ての人々と生きてまいりましょう。

私たちは私たち自身の力で生き得ているのではありません。

いつまでも十字架上で私たちのために祈ってくださっている主イエスの祈りがゆえに、生きることが赦されているのです。

あくまでも主イエスによって、生きることが赦されているのです。

十字架の祈り、いつまでも我らとともにあり。

それを知るときに、私たちは、この世のすべての人々のために祈り共に生きる者へと変えられていくのです。

⑤相手を侵略してはならない・されてはならない

今日のお話しはこれで終わりです。

私たちは共に生きることが出来ない時、相手を侵略し始めます。それが本日示されました、サムエル記のギブオン人に対するイスラエルの罪、でした。ということは、共に生きれず相手を侵略することは、罪なのです。今日までの歴史において、キリスト教をはじめ、どれだけの人々が共に生きれない罪を犯してきたかは、枚挙にいとまがありません。

私たちは主にあって「共に生きる」覚悟を与えられることがたいせつであります。「共に生きる」ということは、「同じになる」ことではありません。違う人間が、違う思想・宗教の者たちが、違う民族が、お互いをだいじにし愛し合い生きる、ということです。

戦前日本は、神権天皇制のもとにキリスト教も十把(じっぱ)ひとからげに「天皇の赤子」として同じ色に染められんとされて、その色に染まらない者たちは非国民とされました。戦後も同じ状況が続いています。昨日の溝口春江さんのお話し、溝口正先生と春江さん、そのご家族の自治会神道との激しい戦いのお話しは戦後のことであり、それを証明しています。

実はこれから歌う讃美歌181番にも讃美歌集では天皇制用語が使われています。しかしちょっと工夫して、小さな反抗として、お手元の当日資料の歌詞は変えさせていただきました。讃美歌集では「みたま(御霊)」となっているところを「せいれい(聖霊)」と変えさせていただきました。

「みたま」は神道用語であり、戦前から今日に至るまで戦争を讃美し天皇のために死んだ人々を神として祀っている靖国神社でも使用し、たとえば「みたままつり」などの名称となっています。

キリストの栄光を讃美する讃美歌に、相手を侵略し共に生きることのできない思想の言葉が入り込んでいることは驚くべきことです。戦時中は、この国家神道の思想によって、キリスト教も侵略され、骨抜きにされました。

未だにその余波が残っている、とわかるのがこのような歌詞です。

今日もまだ、キリスト信徒が、「共に生きる」のではなく、天皇制に知らず知らずのうちに同化され丸め込まれていく戦前と同じ現象を、垣間見るのです。

繰り返しますが、「違う」者たちが「違ったままで」お互いを理解し合いがら共に生きることと、一つの思想などに丸め込まれることは違う、のです。

昨日の若者のシンポジウムで、かつての戦争が間違っていたか否かの論議がありましたが、ひとつの答えとして、「違った者同士が違ったままで理解し合い共に生きる」ことを越えて、相手を侵略し自分と同じように一つにしよう(同化しよう)とした時、それは間違っている。なぜならそれは相手の命の尊厳を踏み潰すことだからである、ということが言えましょう。

つまりは「みたま」を純粋なるキリスト信仰の言葉である「せいれい」に変えることは、神の御栄光を現し、共に生きる関係を再構築するという意味で、大切な筋道であります。

多様性―相手を侵略せずに貴ぶところに生まれる多様性―こそがだいじです。それをだいじにすることこそが「共に生きる」秘訣です。

違ったままで一つになる、これは一人ひとりが「自由である」ということです。神から与えられたままの天来の自分に生きるということです。このキリストの自由にどこまでも生き抜きたい、と願い祈る次第です。

祈祷いたします。

【追記】

「すべての人々と共に生きる」と言う時に、「戦前の天皇を神とあがめる宗教、オーム真理教、イスラム原理主義、統一協会、エホバの証人等々もみな認める」ということにならないか、という疑問が出るかと思う。私は「戦前の天皇を神とあがめる宗教」に同意できないことは、講和の中で語っている。相手を侵略するものだからである。私は「オーム真理教、イスラム原理主義、統一協会、エホバの証人等々」の内容をつぶさに知るわけではないが、得てしてその多くは相手の心と生活を侵略し同化するものであろう。そのような存在と「共に生きることができない」のは、現実的にそのとおりである。日常の生活で気をつけねばならないことは当然である。

福音の恵みは同化とは違う。福音の恵みは、天来のものとして前触れなく突然に人格の根本的変革として現れるのである。同化は知識の刷り込みである。

しかしそのような社会的に問題視・危険視されている者たちを敵と見るか、憐みの対象として見るか、はだいじな信仰の要点である。

私の講話に通底していることは、それらと現段階では共に生きることができなくても、いつか共に生きるべく相手の悔い改めを祈ることは主の御旨である、ということである。そうでなければ「汝の敵を愛せ」(マタイ5:44)と語ったイエスの言葉は無意味なものとなってしまう。

ユダも救われる、と語ったのはそういうことである。パウロはローマ書11章で全民族の救いを語っている。そしてその趣旨は、民族のみならず全ての人の救いを示しているとも思えてならないのである。「神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められましたが、それは、すべての人を憐れむためだったのです」(11:32)。神はすべての人々を憐れみ給う。その御心を単なる人間的な限界値で割り切ってはならない。単純に敵として滅びの対象にしてはならない。

いかなる相手に対しても、いきなり軍事力を使い空爆を加えるようなことをせず、話し合いのテーブルをくり返し持つ努力をしつつ対話による解決を図ることが大事である。

すべての人々に注がれる神の憐れみを我が憐れみとして生きることが、限りなくだいじである。