大内 信一
プロフィール
1941年1月27日生まれ 73歳
1957年より 農業に従事
1965年頃より 全国愛農会(三重県)との出会い
小泉純一先生等より聖書と有機農法を学ぶ
その後 福島の地であぶくま無教会(佐藤一哉先生)、あだたら聖書集会(堀越利雄先生)、秋山運先生(二本松)があり、日曜ごとに聖書の学びを続ける。
現在 あだたら聖書集会会員
水田2ha、露地野菜2ha、雑穀・麦・豆・ナタネ・ヒマワリ等計7haを有機栽培している。
聖書の中で 「神のはかりなわ」 ということばにたびたび出合う。 「はかりなわ」 とは、 むかし測量器具などが無かった時代に面積をはかる時に使ったヒモ (縄) を指す。 目盛りがついていて 「間なわ」 とも言われる。 もう一つは大工さんが建物の垂直をはかるために用いる 「さげふり」 と言われる道具のことも指し、 こちらはヒモの先におもりがついている。 いずれにしても 「神のはかりなわ」 は人間の意思を越えて、 われわれを各地に住まわせ、 土地を与え、 恵みも厳しき境遇も与える。 人はそれに対して不平不満をたくさん言う。 しかし神の側からすれば、 すべて公平にはかられていると信じられてきた歴史の流れがある。
今回の大震災、原発事故は人災といえども神のはかりなわが福島に落ちたのだと思わざるを得ない。 われわれ日本人が自由気ままに欲望の限りを尽くした結果、 そのおごり高ぶりに対する警告として原発事故を通して鉄槌を落とされたのであろう。 この福島の苦しみは、 日本が生活を改めつつ脱原発・再生可能エネルギーの道に方向転換していく契機になるのだろうと思い、 あまんじてこのはかりなわの苦しみを乗り越えようとしていたが、 その矢先に大飯原発の再稼働が決まった。 人間の目の前の豊さを維持しようと、 福島の苦悩が忘れ去られた。 もし仮に原発の安全が認められたといっても使用済核燃料の処理等、 原発を取り巻く難題が何一つ解決されていないのにである。
福島から多くの人が転出した。 悲しく寂しいことだが、 われわれはそれを止めることもできない。 また福島の地で安全な農産物を生産するなどナンセンスという声も聞こえてくる。 しかし神のはかりなわは留まる者にも転出する者にも平等に与えられているのだと思う。 どちらも厳しき道だが、 必ず恵みも共に与えられると信ずる。 厳しき境遇の中からでもしっかりと立ち上がる者がいる一方で、 誰が見てもよきはかりなわを与えられた者でも、 豊かさゆえに転落する者も多くある。
「はかりなわは私のために楽しい地に落ちた。 まことに私はよい嗣業 (しぎょう*注) を得た (詩編16章6節)」
この詩編の作者が言ったいにしえのことばをかみしめながら、 今日も野良に出る。
(*注) 嗣業…神から託された土地・財産・富のこと。 家族 (一族) で受け継いでいくべきもの。
ふくしまの光と陰 (やみ)
やみ
・放射の不安 今でも13万人余の人が故郷に帰れず、 将来の見通し立たず、 -山林除染のむずかしさ
・健康不安の増大-放射能の害とともに、 ストレスにより
・農産物の風評被害-60%消費者減
・豊作を喜べない秋
・福島で安全な作物等、 つくれるはずないとの声
・福島の苦しみが脱原発にとどかない
光
・作物と土の強さ、 賢さに助けられる
・ほうれん草に励まされて
・作物の放射能の吸収の低さ
福島の土と土づくりの成果 食用油、 人参ジュース
・多くの全国からの支援に励まされる
多くの先生、 研究者の福島支援活動
・農を志す若者の福島移住の多さ
・福島を復興させようと活動する人達との輪
・福島の農業者の群とつながり
・仏教 (寺、 住職)の働き ・カトリック教会の活動←全国にある組織を生かして
夢
・ふくしまの農地を安全な作物や花で飾りたい
・作物と再生可能エネルギーの自給の拡大
聖書の言
私の信仰は、 おそく小さな歩みではありますが、 その歩みの中で強く感じ教えられた事はキリスト教の信仰は思想の知的理解だけではなく、 生活に関する具体的なもの、 生きる力であるということです。この震災原発事故を通して、 あらためて強く感じました。
私の農業の上での大先輩、 先生である、 松島省三先生の遺して下さった 「はかり縄は楽しき地に」 という著書でした、 この詩編16章5節~6節の聖句と、 先生の文が私の進む糧となり、 また多くの方々の励ましと作物と土の強さ賢さに助けられ、 歩んでまいりました。