'91にAIDSのため45歳の若さで夭折した英国のロックバンド・クイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーは本名をファルーク・バルサラといい、生前本人が出自を口外しなかったゆえパールシーと呼ばれる少数民族だったのを知る人はファンでも意外に少ない。
インドではゾロアスター(拝火)教徒を“ペルシアから来た人”の意味でパールシーと 呼ぶ。イラン(元はペルシア)は厳格なイスラム国家として有名だが、イスラム以前はゾロアスター教が国教だった。この宗教はペルシアの民族宗教だったの で、異民族に自分たちの宗教を強要することも特になく、アケメネス、サーサーン朝ペルシア帝国時代は国教の他に様々な宗教が共存していた。キリスト教に帰 依したローマよりも宗教には寛容だった。
しかし7世紀にアラブ・イスラムに帝国が滅ぼされてからは受難の時代を迎える。イスラムは ユダヤ、キリスト教徒には同じ“啓典の民”なので寛容だったが、多神教にはそうではなかった。イスラムの為政者は、奨励、経済的圧力、強要を巧妙に組み合 わせ、改宗を迫るようになる。追い詰められたゾロアスター教徒は僻地に逃れるか、海外へ移住する他なかった。後者がパールシーの祖先であり、彼らは10世 紀頃に生国を離れインド西部グジャラート地方に上陸する。ちなみにグジャラートはM.ガンディーの故郷。
逃れた先のインドが多神教、カーストの国であるのも幸いした。ヒンドゥーからすれば彼らも一つのカーストに過ぎず、迫害したり改宗を迫る事も(ヒン ドゥーも異教徒に改宗を求めない)なかった。もちろん平等な待遇や経済援助などないが。ペルシアに残った同胞が常に迫害の脅威にさらされていたのに対し、 パールシーは持ち前の勤勉と正直さも手伝い、インド社会に確実な地位を占めていく。
近代になりインドが英国の支配下に置かれると、イギリスは分割統治のためパールシーを優遇しようとするが、支配者の予想に反して彼らはインド独立運動を熱心に支持することになる。M.ガンディーの先駆者的存在で、初めて「スワラージ(独立)」の言葉を使い、インドの大長老と謳われたダーダーバーイー・ナオロージー(1825-1917)もパールシーであり、社会改革運動家も輩出している。また、インドきってのターター財閥もこの信徒。彼らは一般に商業カーストと見なされているが、基本的にカースト制とは無縁なので学者や文化人も多い。クラシック世界的指揮者のズービン・メータもパールシー。
古代からインドは様々な異民族、異教徒を受け入れてきた。仇のないユダヤ、ネストリウス派キリスト教徒、チベット仏教徒ならともかく、ペルシア系のゾロ アスター教徒やバハーイー教徒(19世紀イランの新興宗教)となると、普通は難しい。何故なら国境のインダス川を越境して侵攻するのは決まってペルシア で、インド側が仕掛けたことはない。にも係らず尾羽打ち枯らした侵略者の子孫を受け入れているのは驚きだ。日本人キリストまたはイスラム教徒を朝鮮人が受 け入れるだろうか?
ゾロアスター教徒は食べ物のタブーがほとんどない。酒、牛肉、豚肉もOKだからフレディも英国人とバンドを組めたのだ。個人秘書によると、彼は特に好き嫌いはなかったが、スパイシーな食べ物を好んでいたとか。
インドではゾロアスター(拝火)教徒を“ペルシアから来た人”の意味でパールシーと 呼ぶ。イラン(元はペルシア)は厳格なイスラム国家として有名だが、イスラム以前はゾロアスター教が国教だった。この宗教はペルシアの民族宗教だったの で、異民族に自分たちの宗教を強要することも特になく、アケメネス、サーサーン朝ペルシア帝国時代は国教の他に様々な宗教が共存していた。キリスト教に帰 依したローマよりも宗教には寛容だった。
しかし7世紀にアラブ・イスラムに帝国が滅ぼされてからは受難の時代を迎える。イスラムは ユダヤ、キリスト教徒には同じ“啓典の民”なので寛容だったが、多神教にはそうではなかった。イスラムの為政者は、奨励、経済的圧力、強要を巧妙に組み合 わせ、改宗を迫るようになる。追い詰められたゾロアスター教徒は僻地に逃れるか、海外へ移住する他なかった。後者がパールシーの祖先であり、彼らは10世 紀頃に生国を離れインド西部グジャラート地方に上陸する。ちなみにグジャラートはM.ガンディーの故郷。
逃れた先のインドが多神教、カーストの国であるのも幸いした。ヒンドゥーからすれば彼らも一つのカーストに過ぎず、迫害したり改宗を迫る事も(ヒン ドゥーも異教徒に改宗を求めない)なかった。もちろん平等な待遇や経済援助などないが。ペルシアに残った同胞が常に迫害の脅威にさらされていたのに対し、 パールシーは持ち前の勤勉と正直さも手伝い、インド社会に確実な地位を占めていく。
近代になりインドが英国の支配下に置かれると、イギリスは分割統治のためパールシーを優遇しようとするが、支配者の予想に反して彼らはインド独立運動を熱心に支持することになる。M.ガンディーの先駆者的存在で、初めて「スワラージ(独立)」の言葉を使い、インドの大長老と謳われたダーダーバーイー・ナオロージー(1825-1917)もパールシーであり、社会改革運動家も輩出している。また、インドきってのターター財閥もこの信徒。彼らは一般に商業カーストと見なされているが、基本的にカースト制とは無縁なので学者や文化人も多い。クラシック世界的指揮者のズービン・メータもパールシー。
古代からインドは様々な異民族、異教徒を受け入れてきた。仇のないユダヤ、ネストリウス派キリスト教徒、チベット仏教徒ならともかく、ペルシア系のゾロ アスター教徒やバハーイー教徒(19世紀イランの新興宗教)となると、普通は難しい。何故なら国境のインダス川を越境して侵攻するのは決まってペルシア で、インド側が仕掛けたことはない。にも係らず尾羽打ち枯らした侵略者の子孫を受け入れているのは驚きだ。日本人キリストまたはイスラム教徒を朝鮮人が受 け入れるだろうか?
ゾロアスター教徒は食べ物のタブーがほとんどない。酒、牛肉、豚肉もOKだからフレディも英国人とバンドを組めたのだ。個人秘書によると、彼は特に好き嫌いはなかったが、スパイシーな食べ物を好んでいたとか。
当ブログにTBありがとうございました。
拝見させていただきましたが、フレディがインド系
というのは知っていましたが、(QUEENの77年のアルバム「JAZZ」の1曲目"ムスターファ"でも解りますが)"バルーシー"という言葉、初めて聞きました。
ひとつ賢くなりましたよ。ありがとうございます。
これからもよろしくお願い致します。
もしかして、HNからU2のファンですか?私もU2はアルバム「アクトン・ベイビー」の頃まで聴いてました。あのバンドの社会的姿勢はどうも苦手ですが、ボーカルの歌はいいです。
ここからは私の想像ですが、"ムスターファ"は案外マホメットをコケにした歌でないかと思ってます。代表曲“ボヘミアン・ラプソディ”で、イスラム教徒が頭の固い敵役になってますね。“ビスミッラ、逃がしはしない”だから。1STアルバムの“ジーザス”ではキリストは良く画かれているのに、ゾロアスター教徒にとってイスラムは仇敵だったから?など。
こちらの方こそ、よろしくお願い致します。
TBありがとうございました。
フレディーは偉大ですね。
また遊びにいらしてください。
マーキュリーに恋しちゃいそうです(自爆)。
というのは嘘で、でも、QUEENの歌声は凄い、の一言。女性を口説くにはもってこいのような、「I Was Born To Love You」とか、アップテンポで、気持ち、最高(?)な「Don't Stop Me Now」とか。後者の場合、車の運転時には注意が必要ですね。気持ちよすぎて事故りそう。さすがに、マーキュリー、マンセー!!
私の場合、父の影響で、ビートルズ・マンセー派なので、正直、QUEENの曲はあまり聴いた事がありませんでした。でも、いい曲ですね。未だに、「We Are The Champions」等、多くのスポーツや映画で演奏されてますから。
ビートルズは最終的に、バラバラになりました。QUEENの場合、そういう危機があったものの、そうはならなかったとか。幸か不幸か、マーキュリーの最期が、最後までバンドをまとめた、とも言えなくもないのでしょうか?
NO-ONE BUT YOUでもありますが、生き残ったものは、その後も生き続けなくてはならないのです。
人の人生は儚く、美しく、悲しく、虚しい。でも、それが、人生、というものかも、知れませんね。
私は初めてQueenを見たのが「Radio Ga Ga」のPVでしたが、その時のマーキュリーの印象は最悪でした(笑)。
オーバーアクションで胸毛を見せ付けるひげのオッサンのうえ、一目でゲイの雰囲気だったので。歌声はよくてもビジュアル的にダメでしたね。だから病死した時は、あの男ならさもありなん、と思いました。
彼の死の5年後、キリン1番搾りのCMに使われたのが「I Was Born To Love You」でした。いい曲だと思い、試しにベストアルバム「Greatest Hits」を買ってみたら、ハマリました。だからファンになったのはマーキュリーの死後です。
うれしい事にマーキュリーは大変な親日家だったのです。プライベートで日本旅行もしてるし、日本の美術工芸品を買い漁っていました。人気スターにありがちな親日家のフリをしていたのではなく、彼の場合は本物でした。
QUEENが解散しなかったのはマーキュリーの病もありますが、ビートルズを反面教師にもしていたとか。
私は音楽ライターがやたらビートルズばかり取り上げているのに嫌気がしてストーンズを聞いてましたが、ビートルズも改めて聞くといいですね。
昨年ロックミュージカル「WE WILL ROCK YOU」を観ました。
遅ればせながら・・・
QUEENとフレディの偉大さ
素晴らしさを実感しました。
今後とも勉強させてください。
よろしくお願いします。
残念ながら私はロックミュージカル「WE WILL ROCK YOU」、見逃してしまいました。
貴方のブログのインド神話はとても勉強になりました。
こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。
申し訳ないですけど、勝手にトラバ登録させていただきました。
また、あの頃は若かったとはいえ、以前の自分のコメントを見るというのは、恥ずかしいものがありますね(汗)。
今後とも、お手柔らかに(?)、ご贔屓に。
私もファンなりたての頃なら、もっと浅はかなコメントをしていたでしょう。
以前のコメントにも記したように、第一印象はキモいゲイのオッサン、でしたから。
フレ様のの他界した頃、まだAIDSに対し厳しい目があり、彼の性的嗜好を非難する者も少なくなかったとか。
こちらこそ、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
興味深く拝読しました。
彼のルーツを詳しく、わかりやすく書いてもらえて嬉しくなりました。
お願いがあります。
フレディ・マーキュリーに関するカテゴリを作っていただけませんでしょうか。
初書込みで、「フレディ・マーキュリーに関するカテゴリを作っていただけませんでしょうか」と注文をつけるのは、いささか僭越に感じました。
この記事を書いた時点では未登録でしたが、私は「人気ブログランキング」の歴史部門と「歴史ブログ村」に登録している歴女ブロガーです。フレディに関する記事の多くは歴史からの視点で書いており、この記事もインド史のカテゴリにしました。フレディ・マーキュリー単独のカテゴリを作る気は全くありません。
フレディやクイーンファンによるHPは多々あるし、おそらく私以外にもフレディについて詳しく書いている人もいるはずなので、そちらを探してください。