ヒトラーがこよなく愛したので、ワグナーはナチの名と共に記憶されるようになった。死亡が1883年なので彼はナチズムと無縁だが、ユダヤ人には忌まわしい音楽家になってしまった。しかし1981年、イスラエルで初めてワグナーが演奏された。指揮したのはユダヤ人ではなく、世界的なインド人指揮者ズービン・メータだった。
メータは1936年4月、ボンベイ(現ムンバイ)に生まれる。父メーリ・メータは初めてボンベイに交響楽団を結成して、自ら指揮者として活躍した人物。息子は指揮者として世界的な成功を収めるが、インド人でも彼はヒンドゥーでなかった。パールシー(ペルシア系ゾロアスター教徒)出身である。メータより十歳年下のロックシンガー、故フレディ・マーキュリーもパールシーだった。生前ポップスターということもあるのか自らの出自を明かさなかったフレディに対し、メータは少数派宗教信者であるのを隠そうとはしなかった。パールシーのみならずインド人はメータを誇りとしている。
メータはイスラエル交響楽団の指揮者を務めているが、1981年テルアビブでワグナーを演奏したのだ。アンコールで採り上げたのはトリスタンとイゾルデだ が、当初予定にはなかった。彼が演目を伝えると、会場は騒然となった。そして、会場整備員が舞台に駆け上がってマイクをつかみ、「自分はナチ収容所の生き残りである」と叫んだという。整備員だけでなく鑑賞に来ていた客にも腕を捲り上げ、収容所にいた証である数値番号の刺青を見せる者もいた。「この曲は演奏できない」と拒否の姿勢を示した楽団員さえいた。しかし、メータは会場に向かい、静かに呼びかけた。
「ここはデモクラシーの国です。デモクラシーの社会では各々に発言の自由があることと同時に聴く自由もある。ワグナーを聴きたくない人は退場して頂きたい・・・」
この説得で何人かは実際に会場を後にしたが、大半は好奇心からか残り、楽団員も彼に従い演奏を敢行した。演奏を終えると怒号渦巻くなかで、力ら強い拍手もあったという。さらに続けてメータはワグナーを演奏しようとしたが、これは会場の興奮ぶりに断念された。
メータは当然ユダヤ人のワグナーアレルギーを知っていた。にも係らずワグナー演奏を強行したのは、すごい強靭な意志だ。日本人指揮者ならイスラエルでワグ ナーの曲など選ばないだろう。彼の演奏はしばらくの間イスラエルで様々な論争を引き起こした。ユダヤ保守派の中には彼の追放を叫ぶ者もいた。だが、イスラ エルからメータが追い出されることはなく、現代でもイスラエル交響楽団指揮者を続けている。面白いことに他の文化圏では学者や芸術家を輩出するのに、イス ラエルではユダヤ人は未だノーベル賞受賞者もいないという。
ただ、メータがインド人だから許されたのだ。イスラエル生まれのユダヤ人指揮者ダニエル・バレンボイムが2001年に同じことをした時、シャロン首相は「演奏すべきではなかった、時期尚早だ」と批判、国会の文教委員会は「公式の場で謝罪しなければ、国内での演奏活動を認めるべきではない」という異例の決議を下している。嫌気がさしたバレンボイムはワグナーの国ドイツに逃避した。
それにしても、非難ごうごうなのは確実なのにメータは何故ワグナーを演奏したのだろう?芸術と政治は別との信念を貫く為か、音楽家の意地のなせるものか。ゾロアスター教の権威ある学者メアリー・ボイスは教徒の気質をこう書いていた。
「もし、その性格に石のように堅固なところを持っていなかったならば、あらゆる差別を受けながら、宗教や生活を守る事はできなかったのは明らかである」
パールシーはインド社会に完全に馴化しているが、その血筋と文化を大変誇りとしている。出自を明らかにしなかったフレディ・マーキュリーも、イギリス人の 友人にインド人かと問われ、ペルシア人と答えたそうだ。彼らは一般にインド人という意識は薄いが、多数派ヒンドゥーと不仲どころか常に友好関係にある。彼 ら自身も友好に努めたが、西から来た異教徒、異民族に対抗意識を感じなかったヒンドゥーも面白い。果たして海外に出た在日朝鮮人で胸を張ってコリアンと言 える者がどれだけいるだろう。
◆関連記事:「フレディ・マーキュリー ロックスターになったパールシー」
「合法移民と不法移民」
メータは1936年4月、ボンベイ(現ムンバイ)に生まれる。父メーリ・メータは初めてボンベイに交響楽団を結成して、自ら指揮者として活躍した人物。息子は指揮者として世界的な成功を収めるが、インド人でも彼はヒンドゥーでなかった。パールシー(ペルシア系ゾロアスター教徒)出身である。メータより十歳年下のロックシンガー、故フレディ・マーキュリーもパールシーだった。生前ポップスターということもあるのか自らの出自を明かさなかったフレディに対し、メータは少数派宗教信者であるのを隠そうとはしなかった。パールシーのみならずインド人はメータを誇りとしている。
メータはイスラエル交響楽団の指揮者を務めているが、1981年テルアビブでワグナーを演奏したのだ。アンコールで採り上げたのはトリスタンとイゾルデだ が、当初予定にはなかった。彼が演目を伝えると、会場は騒然となった。そして、会場整備員が舞台に駆け上がってマイクをつかみ、「自分はナチ収容所の生き残りである」と叫んだという。整備員だけでなく鑑賞に来ていた客にも腕を捲り上げ、収容所にいた証である数値番号の刺青を見せる者もいた。「この曲は演奏できない」と拒否の姿勢を示した楽団員さえいた。しかし、メータは会場に向かい、静かに呼びかけた。
「ここはデモクラシーの国です。デモクラシーの社会では各々に発言の自由があることと同時に聴く自由もある。ワグナーを聴きたくない人は退場して頂きたい・・・」
この説得で何人かは実際に会場を後にしたが、大半は好奇心からか残り、楽団員も彼に従い演奏を敢行した。演奏を終えると怒号渦巻くなかで、力ら強い拍手もあったという。さらに続けてメータはワグナーを演奏しようとしたが、これは会場の興奮ぶりに断念された。
メータは当然ユダヤ人のワグナーアレルギーを知っていた。にも係らずワグナー演奏を強行したのは、すごい強靭な意志だ。日本人指揮者ならイスラエルでワグ ナーの曲など選ばないだろう。彼の演奏はしばらくの間イスラエルで様々な論争を引き起こした。ユダヤ保守派の中には彼の追放を叫ぶ者もいた。だが、イスラ エルからメータが追い出されることはなく、現代でもイスラエル交響楽団指揮者を続けている。面白いことに他の文化圏では学者や芸術家を輩出するのに、イス ラエルではユダヤ人は未だノーベル賞受賞者もいないという。
ただ、メータがインド人だから許されたのだ。イスラエル生まれのユダヤ人指揮者ダニエル・バレンボイムが2001年に同じことをした時、シャロン首相は「演奏すべきではなかった、時期尚早だ」と批判、国会の文教委員会は「公式の場で謝罪しなければ、国内での演奏活動を認めるべきではない」という異例の決議を下している。嫌気がさしたバレンボイムはワグナーの国ドイツに逃避した。
それにしても、非難ごうごうなのは確実なのにメータは何故ワグナーを演奏したのだろう?芸術と政治は別との信念を貫く為か、音楽家の意地のなせるものか。ゾロアスター教の権威ある学者メアリー・ボイスは教徒の気質をこう書いていた。
「もし、その性格に石のように堅固なところを持っていなかったならば、あらゆる差別を受けながら、宗教や生活を守る事はできなかったのは明らかである」
パールシーはインド社会に完全に馴化しているが、その血筋と文化を大変誇りとしている。出自を明らかにしなかったフレディ・マーキュリーも、イギリス人の 友人にインド人かと問われ、ペルシア人と答えたそうだ。彼らは一般にインド人という意識は薄いが、多数派ヒンドゥーと不仲どころか常に友好関係にある。彼 ら自身も友好に努めたが、西から来た異教徒、異民族に対抗意識を感じなかったヒンドゥーも面白い。果たして海外に出た在日朝鮮人で胸を張ってコリアンと言 える者がどれだけいるだろう。
◆関連記事:「フレディ・マーキュリー ロックスターになったパールシー」
「合法移民と不法移民」
ワーグナーは好きな作曲家の一人(特に『ニュルンベルグのマイスタージンガー』が好きです)なので、とても興味深く読ませて頂きました。ただ、イスラエルで最初に演奏されたのが24年も前だったことは知りませんでした。もっと後だと思っていたのは、私の思い違いのようです。
メータ氏が演奏を決めた真意はわかりませんが、その説得の言葉には重みがありますね。信仰に裏付けられた信念を持つ人は、堅固な意志を持つのだと改めて感じました。
私がワグナーの曲を初めて聴いたのは映画『地獄の黙示録』でした。米軍がベトコンの村をヘリで空襲するシーンにワルキューレの騎行が使われてましたが、まさに相応しい曲でした。ヘリが大音量でワルキューレを流して爆撃するところは圧巻です。実は無差別爆撃のトンでもない行為でしたが。確かにワグナーは軍隊には合いますね。これがモーツアルトなら、ズッコケますが。
メータのような信念に基づく意志は、今の日本人には欠けているでしょうね。
今、「BS朝日」で「メータ指揮 イスラエル・フィル」の演奏会が放送されていました。
しかし、メータ、まだまだ若いですね!
とても70歳にならんとする人には見えません。
優しさと静けさを大切にした「ブラームスの交響曲2番」でした。
『地獄の黙示録』はすごい映画でしたね。
CGなどによるごまかしの無い映像は圧巻でした。
特に「完全版」は大のお気に入りです。
新宿で鑑賞した後に、どうしてもDVDが欲しくてアメリカに注文したのですが、その後日本語字幕付きの「日本版」がすぐでました(笑)
どうぞ本年もよろしくお願い致します。
今朝、メータの演奏会が放送されてたのですか!残念。私は朝早く初売りに行ってました(涙)。
今でこそ年を取りましたが、メータは顔立ちも端整ですよね。若い頃なら、さぞモテたでしょう。
『地獄の黙示録』は封切時と「完全版」共に映画館で見ました。
「完全版」で殖民支配していたフランスへの対抗のため、ベトコンを軍事訓練したのが当初アメリカだったとのエピソードは驚きました。
こちらこそ、本年もよろしくお願い致します。