多民族・多宗教国家であるインドにも少数ながらユダヤ人はいる。ローマに国を滅ぼされて以降移住したと見られてるが、インドとローマの盛んな貿易例など
から、それ以前から住み着いていた可能性もあるだろう。ユダヤ人が何時頃からインドにいたにせよ、反ユダヤ主義など無縁なこの国では、キリスト教圏より遥
かに住み心地は良かったはずだ。しかし、インドくらいユダヤ人がその才能を発揮できない国も珍しい。
イスラム圏、欧州共にユダヤ人は経済を牛耳り文化人も輩出しているが、何故かインドではまるで振るわない。その役割は彼らよりずっと後にインドに移住してきたゾロアスター(拝火)教徒が担っている。インドでパールシーと呼ばれるゾロアスター教徒に関しては7月21日付けの記事に簡単に書いたが、ユダヤ教徒はこのような華々しい歴史もなく実に目立たない少数民族に過ぎない。共に同教徒だけと結婚し団結力の強さでは定評のある集団にも関らず、この違いは何故なのか?
作家・塩野七生氏は欧州でユダヤ人が憎まれ軽蔑された理由の1つ に、彼らが他人を守る為にわが身を犠牲にするような危険を冒さず、その代わりに特別税を払ったことを挙げていたが、彼らはイスラム圏やインドでも同じ態度 に徹していた。欧州と違い、特にインドでは外敵との戦いは基本的にクシャトリアの責務なので、別に戦わずともユダヤ人が軽蔑されることはなかった。が、 パールシーはこれと正反対の姿勢を取る。
11世紀以降、イスラム教徒はますますインド侵攻を強め、ついに13世紀末には西部グジャラート州にまで遠征軍を送り込む。この時パールシーは特に参戦 を要求されたのでもないのに、ヒンドゥー軍に加わり侵略に抵抗する。激闘の中でヒンドゥーと共に彼らの多くは命を落とすが、奮闘空しくこの地もイスラムに 征服される。もちろんユダヤはいつもどおり戦わず。
中世以後近代まで南を除いてインドはイスラム征服王朝が続くが、ムスリム支配者は異教徒にはジズヤ(人頭税)を課す。税金逃れのため改宗した者も少なか らずいたが、信仰心の厚い者はそれでも税を払った。パールシーの中には貧しいヒンドゥーの為に税を肩代わりした者さえいたが、当然ユダヤはそんなことはし ない。
英国支配時代にはイギリスお得意の分割統治で少数派優遇のためパールシーその他マイノリティを手懐けようとするが、忠犬になるどころか独立運動家や社会 改革者を輩出したパールシー。この時期の主だった活動家は、ヒンドゥーやムスリムと並びパールシーの名が目に付くが、ユダヤは1人も見当たらない。イギリ スに積極的に加担した訳ではないが、結局ユダヤは金も体も張らなかった。
ユダヤ、ネストリウス派キリスト教徒、パールシー、チベット仏教徒…インドは様々な異民族、異教徒を受け入れてきたが、居住権と生存権を認めただけであ り、生活保護や平等な地位を与えたのでは決してない。日本のように何かあれば差別と金切り声を上げる少数民族などいないし、そんな連中は構ってもくれない のだ。
共同体への義務を見事に果たしたパールシーと、常に後ろ向きだったユダヤ。塩野氏が「他のあらゆることに優秀でも、他民族との協調だけは苦手」と評したユダヤだが、他民族との協調力の差がこの2つの民族の違いとなったのか。
イスラム圏、欧州共にユダヤ人は経済を牛耳り文化人も輩出しているが、何故かインドではまるで振るわない。その役割は彼らよりずっと後にインドに移住してきたゾロアスター(拝火)教徒が担っている。インドでパールシーと呼ばれるゾロアスター教徒に関しては7月21日付けの記事に簡単に書いたが、ユダヤ教徒はこのような華々しい歴史もなく実に目立たない少数民族に過ぎない。共に同教徒だけと結婚し団結力の強さでは定評のある集団にも関らず、この違いは何故なのか?
作家・塩野七生氏は欧州でユダヤ人が憎まれ軽蔑された理由の1つ に、彼らが他人を守る為にわが身を犠牲にするような危険を冒さず、その代わりに特別税を払ったことを挙げていたが、彼らはイスラム圏やインドでも同じ態度 に徹していた。欧州と違い、特にインドでは外敵との戦いは基本的にクシャトリアの責務なので、別に戦わずともユダヤ人が軽蔑されることはなかった。が、 パールシーはこれと正反対の姿勢を取る。
11世紀以降、イスラム教徒はますますインド侵攻を強め、ついに13世紀末には西部グジャラート州にまで遠征軍を送り込む。この時パールシーは特に参戦 を要求されたのでもないのに、ヒンドゥー軍に加わり侵略に抵抗する。激闘の中でヒンドゥーと共に彼らの多くは命を落とすが、奮闘空しくこの地もイスラムに 征服される。もちろんユダヤはいつもどおり戦わず。
中世以後近代まで南を除いてインドはイスラム征服王朝が続くが、ムスリム支配者は異教徒にはジズヤ(人頭税)を課す。税金逃れのため改宗した者も少なか らずいたが、信仰心の厚い者はそれでも税を払った。パールシーの中には貧しいヒンドゥーの為に税を肩代わりした者さえいたが、当然ユダヤはそんなことはし ない。
英国支配時代にはイギリスお得意の分割統治で少数派優遇のためパールシーその他マイノリティを手懐けようとするが、忠犬になるどころか独立運動家や社会 改革者を輩出したパールシー。この時期の主だった活動家は、ヒンドゥーやムスリムと並びパールシーの名が目に付くが、ユダヤは1人も見当たらない。イギリ スに積極的に加担した訳ではないが、結局ユダヤは金も体も張らなかった。
ユダヤ、ネストリウス派キリスト教徒、パールシー、チベット仏教徒…インドは様々な異民族、異教徒を受け入れてきたが、居住権と生存権を認めただけであ り、生活保護や平等な地位を与えたのでは決してない。日本のように何かあれば差別と金切り声を上げる少数民族などいないし、そんな連中は構ってもくれない のだ。
共同体への義務を見事に果たしたパールシーと、常に後ろ向きだったユダヤ。塩野氏が「他のあらゆることに優秀でも、他民族との協調だけは苦手」と評したユダヤだが、他民族との協調力の差がこの2つの民族の違いとなったのか。
ユダヤ人問題については私も大変興味があります。
一時、ユダヤ陰謀論などの本を一時読みまくってました。太田龍や宇野正美の本など。(あれってどこまで本当なんでしょう?)
そもそも、一般にユダヤ人なるものの定義が曖昧ですよね。ヘブライ人の子孫を指すのか、それともユダヤ教を信じる全民族を指すのか。
ユダヤについては私ももっと調べてみたいと思います。
ユダヤ陰謀論はいささか眉唾モノも多いと思います。反ユダヤ主義を擁護するつもりは全くありませんが、彼らの頑なな態度も嫌ユダヤを煽ることに繋がっているのです。お金儲けが上手いのは結構でも、さして現地人に還元しない利己的な集団では華僑に似ている。
一般的にユダヤ人とはユダヤ教を信じる人々を指しますね。日本人や黒人でも改宗できるし、実際ユダヤ教徒になった人々もいますが、やはりヘブライ人の子孫で生まれながらのユダヤ教徒に比べればランクが低く見られてます。
イスラエルでは同じユダヤ人でも、'80年代までは欧州系とアジア系の結婚を禁止していたほどです。
私には、歴史的な眼や社会的な面が著しく欠けているので、mugiさんのページはとても勉強になります!
私の方こそ、インド哲学の知識が著しく欠けているので、便造さんのサイトは大変参考になりました。
今後ともよろしくお願い致します。
つい最近NHK BSの「世界のニュース」で見たのですが、ユダヤ人の定義はその時々で変るらしく(おもに宗教指導者や学者を中心に決められる)イスラエルが不安定な政治状況になると移民として国民が流出するため、ユダヤ人の定義を緩めて、いろいろな国からの移民を受け入れるようなシステムだと言ってました。そのせいでロシア系が極端に増えたり、最近ではエチオピアからのユダヤ人を連れてきたりしているそうです。
その時の国のあり方が如実に反映する、非常に分かりやすい面白い国です。
最近のイスラエルはエチオピアからのユダヤ人移民も認めているのを私もNHK特集で見ましたが、彼らのような“黒い”ユダヤ人はやはり二等市民扱いされるようですね。かつては欧州系とアジア系ユダヤ人の結婚を禁じていたくらいなので。
イスエラルで実権を握っているのは、西欧系より東欧系のユダヤだとか。
インドで頭数ではユダヤの方がパールシーより多いのに、他の文化圏のように活躍できなかったのは興味深いものがあります。