昨年11月2日、オランダで映画監督テオ・ファン・ゴッホ氏がモロッコ移民の男に殺害され
た。彼はその名前通り画家ゴッホの家系であり、イスラム社会を批判する映画を作ったのが原因だったが、既に生前から殺すと脅迫されていたらしい。改めてイ
スラム過激派の狂信、凶暴性を見せ付けられた出来事だったが、同じような事件は日本でも起きていたのを知る者は、イスラムに関心がない限り少ないだろう。
小説『悪魔の詩』翻訳者の筑波大学・五十嵐 一助教授(44歳)惨殺である。平成3(1991)年7月12日だ。
『悪魔の詩』はインド生まれで英国の大学を卒業後そのまま英国籍を取り、英語作家となったサルマン・ラシュディ氏による小説であり1988年出版される。しかし、ムハンマドやコーランを冒涜するものとしてイスラム社会で激しい抗議行動を引き起こし、イスラム各国で発禁処分となる。1989年2月、イランのホメイニは懸賞金まで付けた死刑宣告をファトワ(イスラム法学者の宗教命令)として発する。ホメイニの死後の同年6月イランは「神の名の下で、何人もこの判断を覆すことはできない」 と宣言。作者ばかりでなく、出版社や翻訳者も同罪ということで襲撃対象となる。五十嵐助教授は喉を何度も鋭利な刃物で切られるやり方で惨殺されたが、イタ リアやノルウェー、トルコの翻訳者も襲われ重傷を負っている。五十嵐助教授の死後直ちにイランの日刊紙『サラーム』がこの事件をトップニュースで伝えた。 その論評は「全世界のイスラム教徒にとって朗報である」「イスラム教徒が処刑実行責任者の適当なタイミングを計っていることを世界に示した」というものだった。
日本のマスコミも『悪魔の詩』翻訳者殺害について、在日イラン人にインタビューを試みたが、「翻訳者は作者同様罪深いのだから当然」「出来れば自分も殺害したかった」が2人のイラン人の答えだった。
非ムスリムからすれば狂信と非寛容の極みとしか思えない。いかに教祖を侮辱されたといえ、世界の果てまで刺客を送る宗教は他にあるだろうか?キリストや ローマ法王、釈迦やヴェーダ(ヒンドゥーの教典)、ナーナク(シク教の教祖)を罵倒しても、これらの信徒たちは死刑宣告など決して出さない。イランもイス ラム前のサーサーン朝ペルシアの時代だったら、ローマ人がゾロアスターを侮辱しても暗殺者など送らなかったろう。
もちろん全世界のムスリムがこぞってホメイニのファトワを支持していたのではなく、疑問視や反対する法学者も少なくなかった。イスラムといえ一枚岩でな く、派が違えばファトワの無効もありえるのだ。だが、ラシュディ氏への怒りではスンニ、シーア派を問わず、前者の来日パキスタン人もこのファトワを支持し ていた。容易にイスラムを侮辱する者は死、との感情に流されるらしい。オランダのゴッホ映画監督を殺害した男もファトワに従ったのではなく、個人の意志で 行ったのだ。
ムスリムはよく異教徒にイスラムを理解して欲しい、偏見をなくして欲しいと要求する。だが、彼ら自身は果たして異教徒への理解を実践しているだろうか?「信仰をないがしろにしている」とは、ムスリム移民が移住先でよく口にする言葉だが、このような礼を欠く姿勢ではあまりにも虫のよい要求でしかない。
数年くらい前に、確かNHK BSニュースだったと思うが、放送していたオランダの学校風景を思い出す。十歳前後のイスラム移民の少年がオランダ人の同級生に「キリストが神の子などおかしい。キリスト教の教義は間違っている」と食って掛かるシーンがあった。オランダ少年は黙ったままだったが、これこそ受入れ先の現地の宗教への無理解と偏見を如実に表している。M.ガンディーさえも、ムリスムの頑なな態度に「ムスリムはインドを共通の家と思っていない」と愚痴をこぼしたくらいだ。
ムハンマド自身は公式の場で賛辞を述べる人を雇っており、彼を攻撃したり風刺したりする詩をつくった人物を処分した。風刺詩の作詞者を処刑したばかりでな く、その詩を歌ったり、吟唱したりした歌い手まで殺してしまった事もある。ムハンマドを非難した詩を作ったメディナのユダヤ教徒カーブ・アルアシュラフは、5人のムスリムの刺客を送られ殺害された。
『悪魔の詩』はインド生まれで英国の大学を卒業後そのまま英国籍を取り、英語作家となったサルマン・ラシュディ氏による小説であり1988年出版される。しかし、ムハンマドやコーランを冒涜するものとしてイスラム社会で激しい抗議行動を引き起こし、イスラム各国で発禁処分となる。1989年2月、イランのホメイニは懸賞金まで付けた死刑宣告をファトワ(イスラム法学者の宗教命令)として発する。ホメイニの死後の同年6月イランは「神の名の下で、何人もこの判断を覆すことはできない」 と宣言。作者ばかりでなく、出版社や翻訳者も同罪ということで襲撃対象となる。五十嵐助教授は喉を何度も鋭利な刃物で切られるやり方で惨殺されたが、イタ リアやノルウェー、トルコの翻訳者も襲われ重傷を負っている。五十嵐助教授の死後直ちにイランの日刊紙『サラーム』がこの事件をトップニュースで伝えた。 その論評は「全世界のイスラム教徒にとって朗報である」「イスラム教徒が処刑実行責任者の適当なタイミングを計っていることを世界に示した」というものだった。
日本のマスコミも『悪魔の詩』翻訳者殺害について、在日イラン人にインタビューを試みたが、「翻訳者は作者同様罪深いのだから当然」「出来れば自分も殺害したかった」が2人のイラン人の答えだった。
非ムスリムからすれば狂信と非寛容の極みとしか思えない。いかに教祖を侮辱されたといえ、世界の果てまで刺客を送る宗教は他にあるだろうか?キリストや ローマ法王、釈迦やヴェーダ(ヒンドゥーの教典)、ナーナク(シク教の教祖)を罵倒しても、これらの信徒たちは死刑宣告など決して出さない。イランもイス ラム前のサーサーン朝ペルシアの時代だったら、ローマ人がゾロアスターを侮辱しても暗殺者など送らなかったろう。
もちろん全世界のムスリムがこぞってホメイニのファトワを支持していたのではなく、疑問視や反対する法学者も少なくなかった。イスラムといえ一枚岩でな く、派が違えばファトワの無効もありえるのだ。だが、ラシュディ氏への怒りではスンニ、シーア派を問わず、前者の来日パキスタン人もこのファトワを支持し ていた。容易にイスラムを侮辱する者は死、との感情に流されるらしい。オランダのゴッホ映画監督を殺害した男もファトワに従ったのではなく、個人の意志で 行ったのだ。
ムスリムはよく異教徒にイスラムを理解して欲しい、偏見をなくして欲しいと要求する。だが、彼ら自身は果たして異教徒への理解を実践しているだろうか?「信仰をないがしろにしている」とは、ムスリム移民が移住先でよく口にする言葉だが、このような礼を欠く姿勢ではあまりにも虫のよい要求でしかない。
数年くらい前に、確かNHK BSニュースだったと思うが、放送していたオランダの学校風景を思い出す。十歳前後のイスラム移民の少年がオランダ人の同級生に「キリストが神の子などおかしい。キリスト教の教義は間違っている」と食って掛かるシーンがあった。オランダ少年は黙ったままだったが、これこそ受入れ先の現地の宗教への無理解と偏見を如実に表している。M.ガンディーさえも、ムリスムの頑なな態度に「ムスリムはインドを共通の家と思っていない」と愚痴をこぼしたくらいだ。
ムハンマド自身は公式の場で賛辞を述べる人を雇っており、彼を攻撃したり風刺したりする詩をつくった人物を処分した。風刺詩の作詞者を処刑したばかりでな く、その詩を歌ったり、吟唱したりした歌い手まで殺してしまった事もある。ムハンマドを非難した詩を作ったメディナのユダヤ教徒カーブ・アルアシュラフは、5人のムスリムの刺客を送られ殺害された。
仰る通りイスラエルや自由と民主主義を掲げた米国の中東政策も酷いものですが、イスラム世界で欧米流の民主主義制度が根付くとは思えません。記事に書いたとおり、ガンディーすら愚痴をこぼすほどなので、イスラムと異教徒の価値観は違いすぎる。ムスリムにとって一番大切なのは欧米発の自由や民主主義ではなく、啓典に基づいた社会なのでしょうね。
そんなムスリムが自国に止まっているなら問題ないのですが、異教徒世界に平気で移民してくるから始末が悪い。彼らは異教徒の恩恵はちゃっかり受けつつ、異教徒社会を堕落していると蔑視している。そんな困った移住者は日本にもいますが、このままトラブルメーカーの移民たちが増えれば、民族紛争が勃発する可能性があります。
オスマン帝国時代のアルメニア人虐殺にしても、その前にアルメニア人は散々テロを繰り返しており、ムスリムの憎しみを買っていました。トルコにもロシアに追われたムスリムが多数移住してきたし、アルメニア人はそのはけ口とされたのです。
アラブの春でアラブ社会は混乱していますが、イランは健在ですね。依然としてイランは中東の大国だし、この地域での影響力が下がっているとは思えません。パキスタンも南アジアの火薬庫となっており、何故かアーリア系国家では原理主義が強いのです。
思わず比較的イスラエルやアメリカの中東政策に怒りを感じていた自分も憤りを感じます・・・・
ルールを変える欧米がまだ信教の自由の名の元仏教等他宗教の存在を容認し、反ホロコースト論者を社会的抹殺こそすれ暗殺まではしていないことだけ寛容に見えてしまうレベル
このままイスラームが増えるようなことになり圧倒的多数を占めれば、自由や民主主義や異なった価値観消えるのではないのかとの危惧すら感じてしまいそうです・・・・
現状でもヨーロッパでは、反イスラーム党が台頭しているそうですし、現状人権が建前となっているため思ったような対策ができないヨーロッパは、最悪内戦を起こすか
オスマン帝国のアルメニア人虐殺のイスラム移民版が起きるのではないかという危惧を某所で耳にしました
流石にエネルギー革命や中東に大損害を与えているアラブの春の影響などでこれからは影響力が下がると思いたいです
日本ではもうこの事件は風化して憶えている方も少ないかもしれません。ただ最近の風刺画の件といい、この先も似たような事が起こる可能性は高いと思います。
仰るとおりオスマントルコの崩壊後、イスラム社会は四分五裂状態になりましたね。アラブ諸国にせよ、アラブの大儀を掲げていても一致団結には程遠い状態。核はパキスタンは既に所有しているのでイランがダメというのも妙な話ですが、ジハードに使用されるにはあまりにも物騒な武器です。異教徒ばかりではなく、ムスリムでも異なる宗派に向けられることもあるかもしれません。