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南原繁―曲学阿世の徒と呼ばれた元東大学長

2006-09-07 21:19:54 | マスコミ、ネット
 先月、東大安田講堂で「八月十五日と南原繁(なんばらしげる)を語る会」という講演会が行われたが、河北新報もその特集記事を掲載していた。この講演会の総司会を務めたのが評論家の立花隆 氏で、「アカデミック・フリーダム(学問の自由)の蹂躙から、(戦前の)日本の崩壊が始まった」と会の趣旨を説明する。

  南原繁は1889年香川県に生れ、1914年東大卒、内務省入省し、'21年東大助教授、'25年同教授就任。欧州精神史における国家と宗教の関係を研究 したという。戦前のインテリの常でカントに傾倒したとか。終戦ちかくに戦争終結のため大臣説得を試みたこともあるが、戦後の'45年12月に東大学長に納 まる。貴族院議員として憲法や教育基本法の審議などに参加した。西側との単独講和論の吉田茂元首相が「曲学阿世の徒」と、罵った人物でもある。それ故、東側も含めた全面講和を唱えてもいた。没年は'74年。

 姜尚中東大教授は南原をこう評価する。
「民主と民族の共同、情熱に裏付けられた知性としての文化という三つの柱の中で、日本と世界の平和を考えた。憲法九条についての見解は非常に先見の明がある」
 憲法改正の可能性を予見していた南原は、惨禍を被ったアジア諸国に配慮し、外国の基地と軍隊が撤退することを改正の条件としていたらしい。さらに憲法九条を世界史的な使命とすることを提起した。
最低限度の自衛権を認め、専守防衛国連警察の考え方を先取りしていた。積極的中立論に日本の生来のあるべき姿を思い描いた」と姜教授は言う。

 南原は戦死した兵士の崇拝に批判的な見解を述べ、「『真の神が発見されない限り、人間や民族や国家の神聖化は後を絶たないだろう」と語っていた。
 作家・大江健三郎 氏は南原の発言を追い、想像力についてこう意味づける。
想像力とは現実から離れた夢想ではない。今自分たちが生きている現実を批判的に見つめなおし、それを作り変えさせる力が想像力

 私は新聞記事を見て初めて南原の経歴や発言を知ったが、さすが“曲学阿世の徒”と呼ばれただけの人物だ。その学長を支持する知識人もまた知力においては同類の徒である。
  まず立花氏の「学問の自由の蹂躙から、戦前の日本の崩壊が始まった」だが、明治から日本に“学問の自由”がそれほど認められていたのだろうか?戦前の日本 に限らず、現代の先進国でも“学問の自由”が野放図に認められている国は地上一ヶ国もない。日本のマスコミはあまり報じたがらないが、ダーウィンの進化論 を宗教上問題ありとして教えないところがアメリカに何州もある。何かと教育問題に干渉したがるヴァチカンは、進化論を教科書に載せないよう平然と圧力さえ 行使する。まして、イスラム圏なら書くまでもない。

 在日学者の姜教授はよく登場するTV番組での発言などから、東大政治学者とは政治センスゼロでも教授が務まる職業の典型さながらだが、日本が丸腰なのが望ましいのが教授の精神上の祖国だから、当然の結論だろう。
 中立に関して、マキアヴェッリは非常に興味深い言葉を残している。
私は断言してもよいが、中立を保つことはあまり有効な選択ではないと思う。特に仮想にせよ現実にせよ敵が存在し、その敵よりも弱体である場合は、効果がないどころか有害だ。
 中立でいると勝者にとってはになるだけではなく、敗者にとっても助けてくれなかったということで、敵視されるのがオチなのだ


 何年も前に姜教授は「朝まで生テレビ」だったかで、小の虫を殺して、大の虫を生かすやり方を批判していたのを私は記憶している。これは統治者ばかりか宗教家でさえも初歩的な政策である。旧約聖書でも金の雄牛像を拝んだ同胞をモーゼは粛清している。「牛を拝んだ者は皆殺しだ。兄は弟を、弟は兄を、友は友、隣人は隣人を容赦なく殺せ」!モーゼのように本意は隠し、小の虫も時には重視するフリをするのが大切。

  南原の「『真の神』が発見されない限り、人間や民族や国家の神聖化は後を絶たないだろう」とは、この人物は欧州精神史よりも宗教史を学ばなかったのか、と 呆れ返る。『真の神』など当に発見されている。セム族一神教がそれだ。己の神こそが唯一絶対神、つまり『真の神』に当たり、これは近代啓蒙思想などより根 強い拘束力を持つ。その一神教世界さえもが、人間や民族、国家の神聖化が盛んなのだ。これらの文明圏でも生前功績のあった人々には立派な霊廟が作られる。 一神教ゆえ神ではなく聖人扱いとなるが、その霊廟には様々な捧げ物を持参した善男善女の参詣が後を絶たない。巡礼に来た信徒たちは神への祈りよりも、子宝や就職、結婚、病気治癒など個人的、世俗的な願い事が本当はメインなのだ。現代、霊廟巡礼が盛んなのが意外にもイスラム圏。

 作家・大江氏の想像力とは、現実を直視する分析力は含まれているのだろうか?同じく作家・塩野七生 氏の左派インテリを痛烈に皮肉った言葉を紹介したい。
自分には確たるビジョンはないのに、他人のやっていることには一人前の批判をする。つまり、「批判のための批判」でしかない。いわゆるインテリは教育を受けているから、現状に対する批判はそれなりに言える。ところが、「では、一体この激変する時代に対応するために、どうしたらよいのか」というと、全くアイディアがない。とにかく反対一本槍
 確たるビションがないからこそ、故人や廃れた権威にでもしがみついて、安易な「批判のための批判」を繰り返すばかり。

 私は以前のエントリー「素晴らしきかな、日本国憲法」、「ローマ法」で、いかに憲法九条が世界では受け入れらない現状にあるか書いたのであえて繰り返さないが、この種の講演会に集う知識人たちの意見こそ、(学問の自由)の名においての現実社会との解離性を示す見本市と呈したものもないだろう。

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4 コメント

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中立 (Mars)
2006-09-09 19:33:40
こんばんは、mugiさん。



陳腐な言葉ですが、「類は友を呼ぶ」を文字通りですね。南原氏も氏なら、賞賛する者もする者。姜教授(新しい所では、東京・福岡の国内オリンピック候補地争いのプレゼンなど)といい、大江氏(沖縄戦自決が旧日本軍指示であると著した事が訴訟となる)といい、恥ずかしくなってきます。私がもし、彼らから賞賛される立場になったとしたら、とても恥ずかしくて、辞退したいですね。



誰の言葉だったかは忘れましたが、中立を宣言するのであれば、非武装ではなく、他に優る戦力がなければなりません。例えば、AとBが争っている中で、Cが中立を宣言するのであれば、A・B双方から攻められてもはね返すだけの戦力がなければなりません。そうでなければ、中立宣言してもそれを無視したA・Bのいずれかが攻めてくれば、降伏せざるをえません。また、場合によっては、中立宣言したCに対し、懲罰的意味で、AとBが手を組まないとは限らない。現在の永世中立国のスイスも、NATOに劣らない程の戦力を保持しているからこそ、宣言できる話ですが。



結局、南原氏のいう、『真の神』がいなくても、人間は生きていくし、宗教を信じている者でも、大多数はそうでしょうね(語られる奇跡よりも、現実の生活の方が重要でしょう)。それでも信じようとする者は、信心はあっても、知恵が足りないと、故ネ○ーさんが言っていたと、私は逃避します(自爆)。

二つの種類 (mugi)
2006-09-09 20:49:12
こんばんは、Marsさん。



子供の頃は東大といえば日本の最高学府、その教授も優秀な学者ぞろいだと思ってましたが、マスコミ御用の東大卒の文化人を見るにつけ、試験の出来る技能と知性は別物とつくづく思い知らされました。

憲法九条信徒となると、マトモな思考判断が出来なくなるのかもしれませんね。



姜教授は在日なので、祖国のためになることなら何でもするでしょうが、そんな反日文化人に調子を合わせる連中もいるから困ったものです。最小限の兵力で中立政策など、軍事に疎い私でさえも戯言と分かります。



シリアの詩人アブール=アラー・アル=マアッリ(1057年没)が、こんな言葉を残しています。

「この世の民は二つの種類に分かれる。頭脳はあるが信仰のなき者と、信仰はあるが頭脳のない者」

頭脳も信仰もなき者もいますが、これは一番たちが悪いですね。
胡散臭さ (ハハサウルス)
2009-05-18 01:34:51
記事のご紹介有難うございます。

私も以前は「東大=賢い」というイメージを持っていましたが、今では「東大=ちょっと胡散臭い」になってしまいました。マスコミに登場する東大教授の発言の偏り具合は、「ちょっと人選どうなってのよ~」と疑ってしまうような人物が多く、その教えを受けた東大生も大丈夫かしらと疑ってしまっています。(全部が全部ではないのでしょうが、露出度の高い先生はちょっとどうかと思うような…)
読ませて頂きました南原氏のような方が学長だったこと、そしてそれ以降もそのような「傾向」が続いているのだとすれば、最高学府も左に傾くのは当然ですね。インテリは左に寄った方が「それらしい」とでも思っているのでしょうか…。

>憲法九条を世界史的な使命とすることを提起

には「参りました(笑)」。ん~さすが頭のいい方は「ぶっとんで」いらっしゃるんですね。でも、お仲間の方々にとっては「金科玉条」なのかもしれません。世界に対し、本気で言って「素晴らしい」と言われるとでも思っているのでしょうか?陰で笑われるのが落ちです。

「学問の自由」はあるべきですが、結局はそう主張する輩は、「自分達の信じる学問」に関してのみ寛大な気がします。
Re:胡散臭さ (mugi)
2009-05-18 22:27:15
>ハハサウルスさん

 東大に限りませんけど、マスコミに露出度が高い教授や知識人、本当にアタマ、大丈夫?と言いたくなる類が目に付きますよね。これでは吉田茂元首相ならずとも、「曲学阿世の輩」「バカヤロー」と言いたくなりますよ。
 件の南原学長殿の「憲法九条を世界史的な使命とすることを提起」など、ここまでくるとセンセイ、世界史をホントに学んだの?と突っ込みたくなるレベルで、学界を漫才の場としたいのでしょうか。ならば、北京やモスクワに行ってその使命を果たせ、と言いたいですね。かつてのキリシタンの宣教師のように、殉教覚悟で実行するならば説得力もありますが、安全圏の日本にいて夢想しているだけでは。

 私が学長殿の主張で一番笑えたのは、「『真の神』が発見されない限り・・・」の箇所。センセイ、もしかすると自分を“真の神”に重ね合わせているのやら。想像力が飛躍しすぎれば誇大妄想モード、精神疾患になります。