トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

軍隊が民衆に銃を向ける時 その二

2015-09-11 21:10:09 | 歴史諸随想

その一の続き
 興味深いことに「革命」となると、軍や秘密警察が民衆に銃を向けることが直前に起きており、まるで互いに模倣し合っているような動きを見せている。
 1979年2月、イラン革命が起きるがその前年9月8日にパフラヴィー朝政権(当時のイランは君主制)側はデモ隊に発砲、多数の死者を出す事件が起きている。それ以前からパフラヴィー2世は秘密警察SAVAK(サヴァク)を使い、己の政策に反対する者を弾圧していたが、発砲事件から半年もせずにパフラヴィー朝政権は崩壊したのだ。この発砲事件が起きた頃、作家・松本清張は取材のためイランを訪れており、町の緊迫した様子を作品で書いている。この体験を元に松本は『白と黒の革命』を書き上げた。

 20世紀前半のトルコ革命も同じパターン。希土戦争勃発時、徹底抗戦を呼びかけるムスタファ・ケマル一派に対し、メフメト6世は逆賊として死刑宣告を布告、「カリフ擁護軍」なる部隊を組織しケマル一派の鎮圧を命じた。カリフでもあるメフメト6世はカトリックの法王に当たる存在であり、たちまちトルコ人ムスリム同士でありながら凄惨な殺し合いとなった。希土戦争を描いたトルコのベストセラー小説『トルコ狂乱』には、「カリフ擁護軍」による残虐な殺害が載っている。

 ロシア革命フランス革命時にもその前に体制側の軍隊が民衆に銃を向けている。このような弾圧後、まもなく各国王朝は崩壊しており、民衆への発砲は王朝の断末魔状態といえる。それでも王族を処刑したフランスやロシアに対し、国外追放(トルコ)や国外逃亡(イラン)で王族を殺害しなかった中東の革命の対比は面白い。トルコの場合、王族を裁判なしに一方的に殺害したロシアへの国際的な悪評を熟知しており、それに倣わなかったらしいが。

 先にあげたのは封建君主を倒した革命だが、共産党体制を倒したルーマニア革命 (1989年)は20世紀末の出来事だ。この革命はCIAの暗躍による政府転覆劇で、「仕組まれた革命」という疑いも出ているが、きっかけはセクリタテア(治安警察)による民衆デモへの発砲。
 15間年に亘りルーマニアの事実上の絶対君主だったチャウシェスクは、抗議集会が首都でも起きるにおよび危機感を抱く。そして国防相に対し軍隊による群集への発砲を指示したものの、国防相はこれを拒否、その後彼は自室で死体となって発見された。国防相の死で軍首脳の中にも国防相処刑説が広がり、大統領に反旗を翻すようになる。ルーマニア国軍もチャウシェスク政権に背く。こうしてあっけなくチャウシェスク政権は崩壊、年内の12月25日、チャウシェスク大統領夫妻は銃殺刑にされた。

 チャウシェスクの妻エレナは、自分たちを裁く救国戦線(国軍)に対し、国母である自分に銃を向けるとは何事か!と一喝したと言われる。しかし、国軍兵士の返答はこうだった。
「我々の母や子供たちに銃を向けて、何が国母だ」。
 処刑されたチャウシェスクの遺体は日本のメディアでも公開され、目を見開いたままの死顔を憶えておられる方もおろう。

 軍隊というものは国民を守るのが義務であり、銃を向けるのならば支配者の単なる私兵となってしまう。反乱や暴徒鎮圧に軍隊を投じるのは当然の措置にせよ、一般民衆への発砲は軍隊よりも支配者への信頼を決定的に失わせる。発砲命令を出した支配者に逆らうのは謀反行為そのものだが、このような道義に反する命に従う義理はない。

 発砲に従った軍人も、革命後は人民の敵として報復されるのだ。イラン革命政府は軍の高級将校を旧王朝や米国の手先と見なし、多数処刑した。革命の翌年起きたイラン・イラク戦争の緒戦でイランが連敗したのは、高級将校不在だったこともある。
 兵士たちも同胞の市民ならば、銃を向けるのは躊躇いがあるはず。そのためカダフィのような独裁者は、発砲を躊躇わない外国人傭兵を重用していたのだ。尤も外人部隊の伝統の無い日本では、このような事態はまずありえないだろうが。

 以上のようなことを書くと、平和団体やリベラルを装う隣国右翼らが、「だから軍隊は危険だ、軍隊を削減または消滅させるべきだ」等と、願望解釈にこじ付けるかもしれない。しかし「ノブレス・オブリージュ」という記事でも書いたが、欧米人はノブレス・オブリージュの基本は体を張ることであると考えているという。他者を守るために体を張る行為を指しており、それ故に尊き責務なのだ。
 では、他者のために体を張ることを具体的に言えば、武力を持って敵から味方を守ることだと塩野七生氏は断言している。丸腰では味方だけでなく己自身も敵から守れないし、尤もなことだ。

 そして共同体や他者のために何もしない者は、いざという時には誰も守ってくれない。自分を守ってくれない夫や恋人を愛せる女がいるだろうか?当てにならない、頼りないと見なされた者は見捨てられるのが平時、非常時問わず人間社会の原則なのだ。

◆関連記事:「外人部隊
 「『トルコ狂乱』その後

よろしかったら、クリックお願いします
人気ブログランキングへ   にほんブログ村 歴史ブログへ



最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
軍は主権を守る (motton)
2015-09-14 12:00:05
軍は主権(主権者)を守るもの(主権者が自らを守るために作る武装組織)と考えるとだいたい説明できるかと思います。

国民国家(民主主義国家)の軍は国民を守り、独裁国家の軍は独裁者を守る私兵となります。
「ノブレス・オブリージュ」も主権者(王・貴族)が自らを守るために戦わなければ兵士が戦うはずがないということかと。
返信する
Re:軍は主権を守る (mugi)
2015-09-14 22:20:23
>mottonさん、

 シンプルで明快な説明を有難うございました!

 仰る通り、軍隊は主権(主権者)を守るためにあるものなのですね。軍隊は国民を守るものというのは、国民国家(民主主義国家)だけの概念であり、独裁国家や君主制では異なります。

 中共やリビアは国名に“人民”“共和国”とあっても、人民は主権者ではありません。だから党や独裁者のための私兵となる訳ですね。一般日本人からみれば、軍がデモ隊に発砲するのは「土人国家」ですが、第三世界ではその類の国家が今でも少なくありません。
返信する
KSSET (saucer徳井)
2015-09-23 10:12:32
カルマンギア
返信する
Re:KSSET (mugi)
2015-09-23 21:21:01
>saucer徳井=熱闘甲子園=NA=ヘイトおばさんをシバキ隊=社畜統失研究家

 今日は10:08、10:09、10:12と連投。いくらHNを変えても、知障のやることは同じ。カルマンギアなんて名称は初耳だが、フォルクスワーゲン車だったとは。やはり隣国ネット右翼は特権で外車に乗ってるらしい。フォルクスワーゲン、大変なことになっているな。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1854457.html
返信する