暫くぶりに面白い中国通史を読んだ。『皇帝たちの中国史』(宮脇淳子著、徳間書店)がそれで、徳間書店サイトでは本の内容をこう紹介している。
―日本では中国という国の歴史がずっと続いているように教えられるが、中国という国があったわけではない。皇帝たちがそれぞれ異なる国をつくって、その国が交代しただけ。フランス大革命でブルボン王朝が倒れたが、フランスがフランスであることは変わらない。
しかし最初の皇帝・始皇帝のあと、武帝が建てた漢はまったく別の国家なのだ。本書は、古代シナの皇帝たちから、唐、宋、明、清など歴代皇帝の治乱興亡を中心にシナ史を読みかえる画期的な試み。
漢を建てたのは劉邦では?とツッコミたくなるが、表紙裏には「はじめに」からの著者自身の抜粋文があり、次の主張からも著者の意気込みが感じられた。
―「中国とは何か」「中国人とは何者か」。私はこれまでも何度も語ってきましたが、本書では中華文明の曙から清朝までを通して、知っているようで知らない中国の謎を明らかにしていきたいと思います。本書を読み終えた後には、きっと中国(シナ)の本質をとらえ、日本との違いがはっきりわかるようになっていることでしょう。
「はじめに」の冒頭で思わず禿同!と言いたくなり、その個所も引用したい。
―中国史は世界史という教科の中で学校でも習いますが、よくわからないと思っている人が多いと思います。歴史が古くて何度も何度も王朝が交代するのですが、そのたびに同じようなことが繰り返され、ワンパターンだからわかりやすいかというと、そうでもない。起こった事実は覚えることはできても、その意味づけがなされていないので、「なぜ、そうなる?」とフラストレーションがたまってしまいます。
意味不明の説明をする先生、要領を得ない書き方をしている本が多いのが実情なので、わからないのは学習者のせいではありません。とくに受験の世界史は無味乾燥で、固有名詞がやたら多くてまったく具体的なイメージがわきません。中国史では、どういうわけか役所の名前まで覚えさせられ、うんざりします……
普段の中間・期末テストでも中国史(または日本史)で回答は全て漢字表記が求められ、一字でも間違えば罰点にされることもある。トップ画像は本書の表紙で、晩年の康熙帝の画像。歴史好きな方なら康熙帝は清朝のみならず、中国史上最も優れた皇帝のひとりなのは知っている。しかし、漢字でフルネームを書ける人はどれだけいるだろう。この辺りも中国史が敬遠される理由かもしれない。
本書は全5章で構成され、以下は各章のタイトル。
第一章 中国(シナ)とは何か――黎明期から秦漢統一帝国
第二章 世界帝国の真実――後漢から唐の衰退まで
第三章 モンゴル帝国の興亡――五代十国から元朝まで
第四章 秘密結社が建国した明王朝
第五章 最後はやっぱり異民族の清王朝
各章の見出しがまた面白い。例えば第一章トップ見出しが「中国人はどこから来たのか―野蛮人が都市に住んで中国人に成り上がった」。先ず驚いたのは、かつては「中近東から知識人がやって来て都市を築いたのだ、それが核になって中国になったのだ」等という説が大手を振っていたこと。
戦後になっても、かなり最近まで、何人もの学者がそのように主張していたそうだ。黄河流域にもどこか遠い処の文明人が移住してきたという説を高名な日本の大学教授が頑なに主張していたという。
確かに中近東は高度で洗練された世界最古の文明を有し、黄河文明など古代オリエントに比べれば何とも田舎臭く、ローカルな水準だったのは否めない。中近東も王朝が何度も交代しているが、その多様性と重層な文明には驚嘆させられるものがある。これでは中国のルーツ=中近東説を唱える者が出てきても不思議ない。
尤も「中国外交部「中国には5000年の歴史、米国は250年にも満たない」」(2020年05月27日)というブログ記事だけでも、相も変らぬ中華思想が伺える。
その二に続く
岡田・宮脇夫妻の著作は非常に面白くて勉強になるのですが、中国の史書に毒された歴史界へのアンチテーゼとして幾分大げさに書かれている部分もあるので差し引いて読まれるべきです。
例えば、論語の成立過程は、新訳聖書(イエスの言行録)や仏教の経典(仏陀の言行録)と似た良くあるものではないかと思いますし、漢文は言語ではなく一種のプロトコルです。(母語話者が必要とする情感を表現できる中国語(地方ごとに異なる)はいつも存在していたと思います。)
また、『「中国人」がもともと先進的な一民族として存在していた』という説が主流だった時は無かったと思います。
史書を読むだけで、周や秦が西戎の覇者であることは明白で、始皇帝による統一までは部族毎の都市国家の連合ですし。
「東夷・西戎・南蛮・北狄」で思考を変えるところは、そいつらを従わせることが出来なかった=長城を築いて防衛するのに精一杯で、時々負けて滅ぼされていた(滅ぼした奴が次の中華=漢民族)、というコンプレックスだというところです。
真に中華文明が偉大なら(その中華思想が教えるように)全世界を中華にすべきです。長城なんか築いてはいけません。
故岡田氏の著作は未読ですし、弟子でもある伴侶の宮脇氏の著作も今回初めて見ました。本書も分かり易く書かれており、『世界史の誕生』も面白そうですね。機会があれば読んでみたい。
その二にも書きましたが、「先生、いいことを言ってたよなあ」と孔子の死後、弟子たちがまとめた孔子の言行録こそが『論語』でした。これは新訳聖書や仏教経典と基本的に同じです。弟子たちが優れた言行録を遺したくれたため、孔子も「聖人」になりました。
漢文は元々異なる言語を話す者同士のビジネス用語なので、内容が伝わればいいというコンセプトのもとで発展したと宮脇氏は述べています。日本の漢文教科書に載っている作品は、私的にはあまり情感が感じられませんでした。司馬遼太郎もかの国の歴史記述は人物描写が恐ろしく無味乾燥と言っていたと思います。
「中近東から知識人がやって来て都市を築いたのだ、それが核になって中国になったのだ」等という説が、かつて大手を振っていたことを本書で初めて知りました。戦後になっても、黄河流域にどこか遠い処の文明人が移住してきたという説を、高名な日本の大学教授が頑なに主張していたことも初耳です。
この教授名は伏せられていましたが、中国では「もともと先進的な一民族として存在していた」の類がまかり通っていた可能性もありますね。
本書には「万里の長城の不思議―防衛の役には立たない」と描かれていました。有力な説では、長城を建設したのは国境を明示するためではないか……とか。
以前も中華思想とはコンプレックスの裏返しとコメントされていましたよね。それを自覚しているシナ人は意外に少ないのかもしれませんが、現代では全世界を中華にする野望を抱いているようです。
秦までの諸国の王家は全て五帝に遡る系譜を持ちます。(五帝は黄帝とその子孫ですが、「姓」が違うので違う部族の神々だと思われる。)
https://ja.wikipedia.org/wiki/黄帝
中国人の古来からの一般的な由来は、黄帝に端を発する諸族が夷狄を取り込みながら中華を拡大していき始皇帝により統一された、というものだと思います。
これって日本神話でアマテラスに端を発する神々・諸族(国津神も含む)が天皇家により統一された、というのと同じです。(神話なので似た形式になる。ギリシャ・ローマ神話だってそう。)
おそらく史実と違うのは、特定の神に端を発する「元々は同じ民族だった」と言う部分で、統一の過程で諸族それぞれの先祖神(土着神)が取り込まれたということでしょう。
共産主義者はこうした神話を否定します。(単に伝統的価値観を壊して洗脳したいだけ。)
有名なのは騎馬民族征服説ですね。中近東の下りはそれと同じなのかもしれません。
本書には故岡田氏の『皇帝たちの中国』の紹介や引用があります。残念ながら中近東の下りを唱えていた学者連中の名は載っていませんでした。
統一の過程で諸族それぞれの先祖神(土着神)が取り込まれる例は他にもありますが、特定の神に端を発するため「元々は同じ民族だった」といった話は中国以外あまり聞かないような……こうして漢族が量産されたのでしたか。
wikiの黄帝の解説に目を通したら、現在も多くの漢民族は黄帝を先祖に仰いでいるそうですね。しかし黄帝の存在を否定する主張をするようになったのが、辛亥革命の革命支持者とか。それでも黄帝は中国医学の始祖として現在でも尊崇を集めているようで、共産主義者がこうした神話をいくら否定しても、民衆は面従腹背していることでしょう。
いやいや。
日本だって国津神の大国主はスサノオの子孫ですよ。
侵略を「国譲り」として完全に同化できたのでみな「日本人」になりましたが。
ギリシャ人だってローマ人だってそうですよ。
アダム→アブラハムに端を発するユダヤ教系もそうですし。
逆に中国は「いまだに」そうなってなくて「元々は同じ民族だった」みたいなことを言わないといけないのが特異なだけです。
書き方が不味くて申し訳ありませんが、21世紀になっても「元々は同じ民族だった」といった話は、中国以外あまり聞かないように感じました。神話を読んだ人であれば、大国主の「国譲り」はきれいごとの“神話”なのは判るはず。
中国が「元々は同じ民族だった」の妄言を繰り返すのは、「いまだに」そうなってないからでしたか。本書にも載っていましたが、現代中国ではチンギス・ハーンは中国の英雄だそうです。その根拠は『元史』の冒頭に「元の太祖チンギス・ハーン」とあるから。
著者は「史実では乗っ取られましたが、歴史戦で乗っ取り返そうとしています」と述べています。
本書にも内藤陽介氏の名が見えます。冷戦時代のモンゴルがチンギス・ハーン生誕八百年を記念する切手を発行したことを、内藤氏は自身のブログで紹介していたそうです。残念ながらソ連の圧力により記念切手の販売は中止され、所持していれば処罰対象となりました。