19世紀、本格的な南進を驀進したロシアはついにカフカース、西トルキスタンをも支配下に収めた。その軍事侵攻や社会、文化政策は現代とも酷似するものがあり、改めて覇権国家とは、国や民族問わずいつの時代もやり方は同じだと感じさせられる。ロシアもまた流血により併合した領土ゆえ、国防の生命線との意識が強かった。
1898年5月28日未明、アンディジャン(現ウズベキスタン)でイシャーン(導師の意)マダリー率いる約2千人による蜂起が起き、駐屯するロシア軍兵営が襲撃を受ける。これはトルキスタンにおけるロシア統治に対する最初の武装反乱だった。ロシア軍守備隊は163名に過ぎなかったが、圧倒的な近代軍事力の前に蜂起軍は敵でなく、僅か15分で戦闘は終える。チンギス・ハーンの時代と違い、遊牧馬賊はロシア軍に完膚なきまでに打ち負かされた。同年6月、マダリーはじめ指導者たちはアンディジャン市民の前で公開処刑され、蜂起軍の本拠地のあった村も砲撃により灰燼と化す。
この反乱の5年前、中央アジア事情に詳しい大商人フセイノフは地域の将来を憂い、タタール人青年に対しこう語っていた。
-トルキスタンの住民はロシアの統治を好意的に受け止めているが、ロシアの軍政官や官吏の一部の振舞いやムスリムに関する若干の法令には我慢ならないようだ。とりわけロシア人入植者の流入は、トルキスタンのムリスムにとって耐え難い重圧であり、これは近い将来に反乱を誘発するかもしれない…
ロシアによるカフカース征服に対し、トルストイは批判的な見解を示していた。「巨大軍事力をもつ国家の召使たちが、弱い民族に対しありとあらゆる悪事を犯す」と指摘、強国こそ自己防衛や「野蛮な民族の文明化」を口実に、「平和な暮らし」をする人々に攻撃を仕掛けると言う。その好例こそ自国によるカフカース征服だと。トルストイの考えに同調するロシア知識人もいた。
だが、それ以上に自国の「野蛮な民族の文明化」を正当化、支持する文化人の方が多かったのだ。典型がレールモントフであり、その代表作『現代の英雄』(1840年)はロシア軍が北カフカースに侵攻中に書かれている。
『現代の英雄』には、カフカースのムスリム系民族の習慣や信仰を嘲笑する箇所が幾度も見られる。オセット人について登場人物はこう表現する。「およそ愚鈍な奴らですよ、お信じにはなれんでしょうが、何一つ取り柄のない、どんな教育にも向かない連中です!」。また作中人物にチェルケス人(※主にカフカース北西部=黒海北東沿岸に住む民族)の民族性をこう語らせた。「名うての泥棒人種じゃありませんか…婚礼とか葬式とかいうと、キビ酒をがぶ飲みして挙句の果てに斬ったはったの騒ぎを始めるんです」。
こうした伏線によりレールモントフは“アジア人”一般の資質を断定する。「碌なことにならないのはもう見えている。コイツらアジア人というのは、いつもこうなんだ。キビ酒が回ると決まって、斬ったはっただ!」「このアジア人て奴はとてもこすからい連中ですからね!」。
ロシア文学などを通じ、レールモントフのような見方は日本にも影響を与えた。英国を代表する文豪キプリングも有名な「白人の責務」の言葉を遺しており、後進地帯に対する教化という帝国主義思想が全盛の時代だった。
旧ソ連時代、河北新報でソ連の鉄道特集を組んだことがあり、取材した河北の記者に親切な車掌は真昼間にも係らずウオッカを並々と満たしたグラスをすすめ、記者が仰天したことが載っていた。ロシア人車掌はウオッカを飲んで斬ったはったこそやらなかったが、革命が起きても飲酒癖のある民族性は変えようがなかったらしい。
軍事的には圧勝したといえ、アンディジャン蜂起はロシア帝国支配層を震撼させた。蜂起の翌年、トルキスタン総督ドゥホフスキー大将はニコライ2世に、「トルキスタンにおけるイスラム」と題した上奏文を提出した。この文にはロシア人上層部のイスラム感及び政策を如実に示されており興味深い。ドゥホフスキーは汎イスラム主義をロシアに対する脅威と見なし、こう述べた。
-その原則の単純さと具体性のゆえに、イスラムは発達の遅れた諸民族の間に容易に浸透し、そのために今日に至るまで我々がなお重視すべき程の堅固な力を有している…
その②に続く
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1898年5月28日未明、アンディジャン(現ウズベキスタン)でイシャーン(導師の意)マダリー率いる約2千人による蜂起が起き、駐屯するロシア軍兵営が襲撃を受ける。これはトルキスタンにおけるロシア統治に対する最初の武装反乱だった。ロシア軍守備隊は163名に過ぎなかったが、圧倒的な近代軍事力の前に蜂起軍は敵でなく、僅か15分で戦闘は終える。チンギス・ハーンの時代と違い、遊牧馬賊はロシア軍に完膚なきまでに打ち負かされた。同年6月、マダリーはじめ指導者たちはアンディジャン市民の前で公開処刑され、蜂起軍の本拠地のあった村も砲撃により灰燼と化す。
この反乱の5年前、中央アジア事情に詳しい大商人フセイノフは地域の将来を憂い、タタール人青年に対しこう語っていた。
-トルキスタンの住民はロシアの統治を好意的に受け止めているが、ロシアの軍政官や官吏の一部の振舞いやムスリムに関する若干の法令には我慢ならないようだ。とりわけロシア人入植者の流入は、トルキスタンのムリスムにとって耐え難い重圧であり、これは近い将来に反乱を誘発するかもしれない…
ロシアによるカフカース征服に対し、トルストイは批判的な見解を示していた。「巨大軍事力をもつ国家の召使たちが、弱い民族に対しありとあらゆる悪事を犯す」と指摘、強国こそ自己防衛や「野蛮な民族の文明化」を口実に、「平和な暮らし」をする人々に攻撃を仕掛けると言う。その好例こそ自国によるカフカース征服だと。トルストイの考えに同調するロシア知識人もいた。
だが、それ以上に自国の「野蛮な民族の文明化」を正当化、支持する文化人の方が多かったのだ。典型がレールモントフであり、その代表作『現代の英雄』(1840年)はロシア軍が北カフカースに侵攻中に書かれている。
『現代の英雄』には、カフカースのムスリム系民族の習慣や信仰を嘲笑する箇所が幾度も見られる。オセット人について登場人物はこう表現する。「およそ愚鈍な奴らですよ、お信じにはなれんでしょうが、何一つ取り柄のない、どんな教育にも向かない連中です!」。また作中人物にチェルケス人(※主にカフカース北西部=黒海北東沿岸に住む民族)の民族性をこう語らせた。「名うての泥棒人種じゃありませんか…婚礼とか葬式とかいうと、キビ酒をがぶ飲みして挙句の果てに斬ったはったの騒ぎを始めるんです」。
こうした伏線によりレールモントフは“アジア人”一般の資質を断定する。「碌なことにならないのはもう見えている。コイツらアジア人というのは、いつもこうなんだ。キビ酒が回ると決まって、斬ったはっただ!」「このアジア人て奴はとてもこすからい連中ですからね!」。
ロシア文学などを通じ、レールモントフのような見方は日本にも影響を与えた。英国を代表する文豪キプリングも有名な「白人の責務」の言葉を遺しており、後進地帯に対する教化という帝国主義思想が全盛の時代だった。
旧ソ連時代、河北新報でソ連の鉄道特集を組んだことがあり、取材した河北の記者に親切な車掌は真昼間にも係らずウオッカを並々と満たしたグラスをすすめ、記者が仰天したことが載っていた。ロシア人車掌はウオッカを飲んで斬ったはったこそやらなかったが、革命が起きても飲酒癖のある民族性は変えようがなかったらしい。
軍事的には圧勝したといえ、アンディジャン蜂起はロシア帝国支配層を震撼させた。蜂起の翌年、トルキスタン総督ドゥホフスキー大将はニコライ2世に、「トルキスタンにおけるイスラム」と題した上奏文を提出した。この文にはロシア人上層部のイスラム感及び政策を如実に示されており興味深い。ドゥホフスキーは汎イスラム主義をロシアに対する脅威と見なし、こう述べた。
-その原則の単純さと具体性のゆえに、イスラムは発達の遅れた諸民族の間に容易に浸透し、そのために今日に至るまで我々がなお重視すべき程の堅固な力を有している…
その②に続く
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「野蛮な民族の文明化」を口実に、「平和な暮らし」をする人々に攻撃を仕掛ける、というのは、古今東西、共通なのかもしれませんね。
また、不可侵条約を反故にし、火事場泥棒的に北方四島を奪ったロシア人こそ、泥棒人種だと思う日本人は少なくないでしょうね。
私たちが選んだとはいえ、無能で無責任な指導者によって、沈み行く我が国と、意気揚々と経済も軍事力も拡大している中露と、国民としては、どちらが幸せなのでしょう。
出来のよくない、ヲツムで考えても、酒量が増えるだけで、ヤバイ(汗)。
最近、復活させた、読書にでもふけましょうかな??
(mugiさんは白洲次郎をご存知でしょうか?)
本当に同時代の北米や豪州大陸の原住民といい、攻撃を仕掛けられ、居留地に押し込められ、「野蛮な民族の文明化」のため子供たちを親から引き離す。惨いものです。現代も隣の大陸でそれが進行中。
仰るとおり日本人に限らず、ロシア人こそ名うての泥棒人種だと思わない人も多数だと思います。そして生活水準の平均は大したことがなくとも、日の出の勢いの国民は気分的に幸福だと思います。ある意味、真実を知らされず、都合よい情報だけ与えられて無知な状態の方が、精神的に楽でしょう。
白洲次郎なら、名前だけ知っている程度ですね。