トーキング・マイノリティ

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子を亡くした母

2006-08-31 21:20:22 | 読書/インド史
 瀬戸内寂聴さんの人間講座テキスト『釈迦と女と、この世の苦』の釈迦をめぐる女たちで、一番印象が強かったのはキサーゴータミーの話だった。愛する我が子を失った彼女の行動はとても痛ましい。

  サーヴァッティー(コーサラ国の首都、舎衛城)の大商人の家にキサーゴータミーという若い嫁がいた。里の家はもとは財産家だったが、落ちぶれ貧しかったの で、婚家ではとかく蔑まれがちだった。しかし、愛らしい男の子に恵まれ、婚家での待遇も変り幸福になる。その子は日増しに大きくなり、やがて歩き廻って遊 ぶようになり、可愛らしさも増す。
 だが、ある日、その子は病気になり突然死んでしまう。キサーゴータミーは我が子の死が信じられず、死体になった子を誰にも渡さず、何時までもしっかりと抱いていた。外に出ると会う人毎に、「この子は病気なんです。薬を下さい」と訴えた。ある者が、これは子を失い気が狂ってしまった女だろうと思い、釈迦のいる祇園精舎に連れてくる。

 祇園精舎に来たキサーゴータミーは人垣を押し分けて釈迦の前に立つと、「どうか、この子にお薬を下さい」と訴えた。釈迦は一目で彼女の悲しみ、抱いている子がとうに死体となっているのも見抜く。そして、彼女にこう告げる。
「よしよし、いい薬をあげよう。これから町へ行き、一軒ずつ訪ねて、白いケシの種をもらっておいで。ただし、これまで一人も死人を出した家のものは役に立たない。さあ、行きなさい」

 キサーゴータミーは喜んで町へ出て一軒一軒廻る。当然ながらどこの家に行っても、先月死んだ、昨年亡くなったという人が必ずいて、何十件も廻るうちに、元来聡明な彼女は気付く。
町中死人の出なかった家なんか一軒もないのだ。誰でも愛する人の死を見送って生きている。この子の死んだのをどうしても諦めきれず、私は悲しみのあまり、気が変になっていたらしい
 そして、彼女は子供の亡骸に向って言う。
お前一人だけが死んだのではなかったのね。生まれた者は遅かれ早かれ、一人残らず死ぬ運命だった。私は浅はかだった
 キサーゴータミーは墓場へ行き、子を葬る。彼女は釈迦に出家を許され、尼僧教団で修行に励み、立派なアラハン(尊敬されるべき修行者=聖者)となる。

 キサーゴータミーは我が子を亡くすが、パターチャーラーとなると、一夜のうちに夫と子供二人、両親と弟の家族全てを失う。彼女は発狂し、裸で町をさまよう。彼女も釈迦に救われるが、釈迦の諭しは素晴らしい。
人間は元々、親兄弟や夫や子供を依りどころにしては生きていけないのだ。人間が依りどころとして頼れるものは、法(ダルマ、真理)と自分しかないのだ。生まれた者は必ず死ぬ。会った者は必ず別れる。人間は生れ、老い、病気になり、皆々死んでゆく。遅かれ早かれ、私もお前も死んでいくのだ。落ち着いて周りを見廻してごらん。愛する者と別れなかった者など一人だっているだろうか

 瀬戸内さんは愛別離苦(愛する者と別れる苦しみ)の中で、子供に先立たれる逆縁ほ ど辛いことはないだろうと書いている。瀬戸内さんは子供に死なれた方と数多く接しているが、出家して何年経ても言葉もないそうだ。赤ん坊を失った女性は、 思い出が少なすぎると言い、若い子供に先立たれた母は、思い出がありすぎて辛いと言う。壮年の息子に死なれた親は、代わってやりたかったといって悔しが る。どの親の嘆きも実に切実だそうだ。特に子供に自殺された親御さんの悲痛さは、ただ一緒に泣くしか慰めようがないらしい。
 それでも、どんな母親の嘆きも必ず「」という薬が少しずつ癒してくれるのを、数え切れないほど実例により教わったとか。

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