虚空見つ国・・・終わりなき物語

遥か古代からの遺伝的エトランゼ。
一人だけの幻想国開拓日記。

邪馬台国論争終結

2024年02月21日 | 約束の地
ようやく著名な方から「邪馬台国はなかった」という話があったらしい。
私は元々邪馬台国はなかった派。単なる勘にすぎないが。
先生もなかった派。ヤマトじゃーという感じだろうか。
私は日本のあちらこちらにヤマトはあったと思う。国が整わない頃はどこもかしこも「やまのへ」「やまのふもと」だったろう。天皇に苗字がなく、分家が山下、山本になったことと同じ。
魏志倭人伝に書かれていた卑弥呼の倭は九州には違いないが、実際には都にも行ってもいない者が伝聞だけで、東にどうとか水行何日とか実に怪しい中国の史書ではないか。私は中学の頃、卑弥呼という名の文字を聞いて、あ、これは嘘だと思った。女王に卑なのだよ。私はその時、邪馬台国はなかったと思ったし、卑弥呼はいなかったと思った。ヒメコやヒメミコならいたかもしれないが、そういう呼び名の人は沢山いるだろうし、そもそもカフェーかコーヒーかみたいなことで、外国の言葉が上手く自国の言葉として表現できたかどうか疑わしい。
ま、中国に限らないが、特に中国の史書なんてあてにはならないと思う。

話変わるがGoogleマップは良いね。
車止められないから行き損ねた天忍穂耳神社までの道順がはっきり示されているではないか。おまけに金鵄の場所まで。一度しか行ったことのない所はおぼろにしか思い出せなくて、しかもすぐ傍で助かった。
そしてそこは「弓のへぶ見ゆ真弓」なのだ。
何時建てたからは知らねども、私はそこに天忍穂耳神社があることに得心するが、天忍穂耳命・饒速日の真実はなにか?
私は正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命という名が気に入って、太郎坊にはすぐに行ってみたが、、、
 
 

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