虚空見つ国・・・終わりなき物語

遥か古代からの遺伝的エトランゼ。
一人だけの幻想国開拓日記。

どんな神々がおわすのか?

2024年02月20日 | 約束の地


困った人達だと思う。
昔も(今も健在だと思うが)Mとかいうのがいて、実に簡単にセラピストの資格なんか与える。こんな程度でセラピスト?どなただったかと一緒に顔を見合わせて笑ったことがあったが、その証書は書棚で眠りについているばかり。
健造先生の所とは大違いだ。

そこは行く前からある程度分かっていることではあったが、着いた途端、やっぱり実につまらん所に来てしまったと思った。
一種のインチキ宗教とあまり変わらないことに気付けない人達がいっぱいなのはいつも残念に思う。だからそんなに好きというほどではなかったけれども、善魔を説く裕道師の言葉には共鳴することも多々あった。
皆、懸命にやってんだろうな~とは思うが、時間の無駄遣いだったことは事実だ。石でも拾っていたほうがましだった。駐車料金を何回も言う女性は、スサノオの墓の入り口までも道は狭いから云々、それがお役目と思っているんだわね~と多少哀れだった。
スサノオの墓で最初は前方後円墳だったなんていうから、そんな所がメシア教信者だった我が義母の故郷の青の洞門近くにあるというから、では一度くらいは田舎に行くついでに行ってみようと思ったのだったが、マーピラミッド頭が沁み込んだ人たちには1ミリの違いは359度の違い。10度の違いは350度の違いって言ってもわからないか。。。

私は今では一生かかっても行ききれないだろうくらい古墳いっぱいの所に住んでいる。昨今話題の大きな大きな蛇行剣や盾型銅鏡の出た富雄はホン近くである。丹波チャンネルは木簡の中からはナガスネヒコの骨が見つかることを期待!なんて、時代記述なんかあてにならない派らしく、時代無視してそう思っているらしいが、それは私と全く同じ。話が横にそれたが・・・スサノオの?あれが前方後円墳?
笑った。
騙してると気付いているのか、??あれは丸山ですと某女は言った。

ま、いっか。なぜって今回は主人が昔、遊んだところ。私は与位神社が目的だったから。与位神社は良かった。スサノオの墓があそこにあるなら、それは与位神社の拝殿から拝める三角山でしょうに。
そこに立った時、高い高い木立から朝陽が私をパーっと照らして包んだ。眩しくて目を細めた。主人も大いに喜んだ。そういう時間だったんだろうけれども、神社に行って祝詞を奏上すると急に風が吹いてくるのと同じで、実に実に清々しい気分になった。だからでもないが神社を一周。
与位神社というくらいだから良いのが当たり前なのだ。

さて今回行った所で一番気に入ったのは龍野の粒座天照神社。
他にも特に斑鳩寺には行ってみたかったけれども、歩くはしんどいし、龍野は珈琲屋がことごとく閉まっているのでめげてしまった。
ということで粒座だけ。
正しくは「いいぼにいますあまてるじんじゃ」というらしい。
いやしかしここがすごかった。私がぜひ行こうと思ったのは御祭神が火明命だったからだが、、、いやいや大きさも境内もどこもかしこも良かったが、一番は鳥居さんを入ってすぐに見上げると・・・てっぺんに三角頭の杉が。
偶然?ではなくとも、いやいや素晴らしい!の一言。
そして妙に急な高い所にある建物いくつか。両脇の天井の朽ちかけたり色が落ちたりのいっぱいの絵馬。これがまた歴史を感じる。すごい天井だ。









私見だが、私は籠神社は元は分家だと思っている。
或いは海外族(天津神)と国内族(国津神)が融合した場所だと思っている。そこには乳色の水もないし、そこから鬼がいるからと離された形跡もないし、今や形だけになったが月の輪田もないし、豊受大神が自ずから指定したという安置所もない。そういうことは何が本当か嘘かということもあるが、場所が持つ雰囲気。魂が震えたかどうか。霊感である。
ま、嘘か真実か分からぬようなことであるが、それと同じようなことで、私は勝手になんとなく火明命と饒速日は別の人だと思っている。
丹波の日本海側、また宍粟や龍野や赤穂といった瀬戸内海側にある火明命の名。昔むかし、そこいらは火明命が治めていたのだと感じる。
播磨のほうに火明の子孫だという人がおられて、その人もそう思っていた。
粒座天照神社は調べれば色々書かれているだろうが、主祭神の所に天照国照彦火明命とある。饒速日はそこにまだ櫛玉がついているからそれも合わせた称号で、ホツマの養子説の方が本当のような気がしないでもない。
私は饒速日様のファンだからどなたの息子だったかは気にはなるけれども。

最後に今回一番の目当てだったような感じの所は、主人の記憶は実にあてにならず、ニ三回しか聞いたことのない私の記憶の方があっていて、
まー気に入りました。
あんなほかほかの山は見たことがない、というか歩いたことがない。
いや石を割るのが楽しみだ。主人はせっかく見つけてあげた金!金の筈がないが、金色のものがどこかに行ってしまったとかでがっかりしていた。
いやいやそんな山があったら今頃はただ単の平野になってるよ。
しかし近所にあったら毎日のように遊びに行きたくなるような場所だったから、主人が子供の頃、いとこ達とワイワイ言いながら遊んだことは容易に想像は出来た。


白姫稲荷と書いた赤い鳥居は手入れされていて歩きやすかった。
私は白比咩 だろうとか、ククリ、つまり菊理姫だろうとか勝手に思って、石を拾って帰って来たのだったが。
そうそう石といえば、今回は粒座の一番てっぺんのユカ神社だったかの後ろの土のような石のような壁が一番良かった。
何の成分が入っているのか?以前なら朱と思いたくなるような赤だった。


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